つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=VWAIjYs9Lws

 梅雨のわりに雨が降らない。10日も早い入梅気象庁の間違いで、
実際は例年とおりになるのだろう。

 何処かの首相が、10年後に一人当たり150万の収入増を目指すとか、
堂々と発表した。それと同時に株価が暴落。 お笑いもの。グローバル化
収入も世界各国に平準化するのが自然である。なら、150万減なら分かるが、
150万増といえば、株価が暴落するのは当然のこと。 
一年で首相を辞めざるを得なかった元首相が二人が、現首相と、副首相。
何かポイントがずれている。 早くない近未来に、株価と国債の暴落、
そして金融封鎖が起こるのは必然。 安部を嫌ったアメリカか中国による、
株価の操作で、選挙前の株式暴落も十分ある。


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1160, 「武士の家計簿」-2
2004年06月06日(日)
いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、どう対処していったかが、
彼らの家計簿から大きなヒントを得ることができる。
彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。
「あとがき」の最後の文章が印象的である。
ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」が死活を分ける。
家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、
社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きた
この家族の物語を書き終えて、自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。
まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって彼ら猪山家の人たちより
「深いメッセージ」を与えられたといってよい。「まっとうなことは、一日一日の努力の積み重ねしかない。」
いま問題になっているのは、個人的にも国家的にも、過去のまっとうでなかった(バブル狂奔)シワ寄せである。
それを一つずつ引っ張り上げて、将来の姿を想定して、まっとうな姿に変えていくしか方法はない。
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武士の家計簿」  磯田道史著  
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2003年06月06日(金)
 793, 起業についてー2
 起業について実感のキーワードは「発狂」である。精神の爆発といってもよい。
よし!やろうと決めた瞬間から、もう全てはプロジェクトの完遂をイメージして突き進むだけである。
よほどの粘りと信念がないと突き抜けることはできない。当然の事だが、簡単には事業を興して
軌道に乗せることは不可能だ。可能にするのは「的」が間違ってない事と、周到な準備と、信念だけである。
 いまの事業を興した時は500㌫の成功確率という確信があった。
失敗は許されないし、初めの一歩の重要さを知っていたため、考えられるだけのことは考え抜いていた。
それと、それまでの成功体験の裏付けがあった。何事にもいえるが一番大事なことは、成功体験である。
それが実績ということだ。
 それと育ってきた家庭環境が大事ではなかろうか。10歳位までに,両親の立ち上げをみた経験がなければ、
計画も準備も甘くなっていた。また20歳で起業をするという決心をして準備していた事もある。
その瞬間から女性に対しては、気を許さなくなった?どちらを取るかといえば、迷いなく事業の立ち上げであった。
若い時の最大の難関はまずは女性である、創業以外の事を割り切ることであった。
つまらない男になっていた!それが陰になっていた?ようだ。
 事業を始めるとき、まずは自分の心の問うたことがある。「経営資源として金を含めた資産を全て
『博打の札ー事業』に変えるが、全てを失っても後悔しないと自分に誓えるか?そして事業を本当にしたいのか?
--したい!!」 一人の誓いである!今更だが、それだけ勇気と覚悟が必要だった。
おそらく大小にかかわらず誰もが、その位の自問自答はしているのだろう。いろいろな危機があったが、
最後はいつもこの言葉を繰り返していた。結局は事業経営は博打でしかない!当たり続ける事はない。
最後は裸になる覚悟は出来ている?のが強みである。
 しかし、まだ憶えているが、事業の準備をしていたときのことである。何か一人でTVを見ているとき、
急に不安になり「屋上の手すりの上に立っているような末恐ろしい感覚」になったのを憶えている。
確か借金を初めてしたときである。この意識下に隠れた不安が意外と経営の原動力になっているのだろう。
立ち上げで判断を迫られるとき、夜半の2時35分が一番冷静な思考になっている。
しかしこの大津波ー大不況に対して、まだそこまで意識がいってないのはどういうことだろう?!これからか?

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2002年06月06日(木)
429,両親の死
両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。
死ぬとは如何に大変な事を知った。今ひとつ、死の視点から生を見るということを。世間とか、娑婆の事を
徹底的に割り切って見れるのも、両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。
結局,残るのは「子供と愛情」だけ。それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。
意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか?
死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、側にいて身震いした。
その瞬間-死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。
‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」と考えれば逆に解かる?
何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、両親が死と直面した時に、
「主体」と「イメージ」が湧き出てくる事実を見たからだ。それは死の恐怖感からくるものである?
特に「主体」が凄い。人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。それに満足できるか、できないかだ。
死ぬ事はそう簡単のことではない。昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。今夜通夜、明日葬式に出る予定!

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2001年06月06日(水)
[44] 何の為のホームページ

何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
 まずはこの疑問
1 わざわざ写真を撮って入れたり、
2.貧しい内面の公開をしたり
3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり
4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない
でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。
むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。
インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、情報空間に自分の基地を持つ事。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。
ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。
その事をホームページ持ったことで実感できた。
もしホームページを持つまでもないと考えるなら、‘お気に入り’の集積とその分類を
自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。
それは自分のパソコン内でいいのだが。公開してもかまわない場合ホームページがよい。
巨大情報空間にさ迷い出た子羊というところか。