つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=t_YnYf_s9zM&feature=endscreen

 写真は私の机上にあるミニ仏像。
仏間の半分を書斎として使っているが、最近、いやに馴染んだ場所になっている。

ミニ仏像は、1998年にネパールのカトマンズの市場で買ってきたもの。
土産用のものでなく、お寺に祭られていたものか、仏具に飾られていたものだろう。
一個5百円位だった。 

 胡桃には仏像が100位彫ってある。これはウィグル地区の市場で買ったもの。
5千円だった。 時々、健康のためニギニギしている。
 
 石は母親が庭で見つけた自然石の座禅像。後ろから見てもサマになっている。
母親が気に入って、座台をつくって仏壇に飾っていた。

 木製のマリア像は、イスラエルエルサレムか、どこかの土産物。
石のマリア像は、札幌の教会で買ったもの。

このミニコーナーは私のオモヒ。 森でいう鎮守様である。
こういうのを祭ることで、ここが、「私の場所」になる。




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1420, FIFAオールスター・サッカー
2005年02月21日(月)

昨日、スマトラ沖地震のチャリティーの「世界選抜」と「欧州選抜」とのサッカーの試合を見た。
世界の超一流選手だけが参加しているのだから面白くないわけがない。個々人の世界最高の技が
次から次へと出てくる。その上、世界の才能が団結をして闘った内容でもあった。
それぞれの選手の技にお互いに驚いているのが解った。パスにしても、シュートにしても
一流の技は芸と言ってよい。次から次への攻防が全てに無駄がない。勝負を競うより、一人一人の
技術のオンパレード。それも、漫画本に出てくるような技が面白いようにでてくる。
お互いの技が、それぞれの技を次から次へと引き出してくるのもよい。
試合内容は、終始「世界選抜」が攻勢をして6対3で買った。90分が、これだけ短く感じたのは
新鮮で感動した内容のためだろう。これだけ熱狂というより、次から次へと感動したサッカーの試合は
忘れることがないだろう。世界150カ国に放送されていていたというから、10億人以上が見ていただろう。
日本人では中田選手が出ていた。
解説のセルジオが、終始「凄いですね!凄いですね!」と繰り返していたが、それだけの、
中味の濃い90分であった。サッカーといえば、緊迫した点の取り合いが特徴だが、勝負より
個々人の技術を楽しむというのも良い。何ごともそうだが、楽しむネタは幾らでもあるものだ。

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2004年02月21日(土)
1053, 判断と決断の狭間

人生振り返ってみると、判断と決断の間に大きな溝があった。この溝で救われたこともあった反面、
大きなチャンスを失ったことも多い。「判断」とは、正しいか、正しくないかという物差しで計る
ものであり、「決断」とは、強いか、弱いか、早いか遅いかによるものによる。
そこで心すべきは決断の仕方である。
状況をいくら分析しても、それが意思決定につながらなければ無意味になる。
といって、そこには責任が伴うから、その狭間を冷静にみる視点が必要になる。
判断をしたら、それだけであたかも決断したような錯覚に陥り問題を先送りしてしまいがちになる。
判断は人間の首から上の作業によるものだが、決断は人間の知・情・意のすべてに
深くかかわり合う、つまり全身全霊を駆使して決めるということである。
そして判断の優先順位と決断が直前におこなわれる。
そこに人生観や価値観の問題がでてくる。そして、その曖昧さが溝になる。
人生は、その溝の中で泳ぐ魚のようでもある。だからこそ面白いのだ。分裂症という鮫もいるが。

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2003年02月21日(金)
688, ストレス

先日亡くなった同級生の偲ぶ会で、彼の死因について話しが出た。
直接原因は癌であったが遠因がストレスだろうと意見が一致した。
その場の全員が人生で一番厳しい一里塚にさしかかっているから解るのだ。
その場でAが「堀井お前ストレスなど無いだろう!」
わたし「ゼロ!」。
Bが「堀井、お前は与える方だ!」爆笑であった!!
ところで彼らは、「ストレスの解消法をあまり解ってない?」と思えた。
ストレスの潰し方は、他のストレスで潰すのが一番本能的な簡単な方法だ。
しかし、それは更なるストレスの蓄積をしているに過ぎない。わたしの経験からいうと、
「独りになりきるしかない!」それが全く解ってない、号泣せざるを得ない立場になって
初めて気がつく! それでも気がつかないだろう。ストレスだけは、気をつけないと。
いつの間にか溜め込んでいるのに気がつかない人が多い。群れるしか能がないから、
ストレスの雪だるまになる。「人間は孤独の存在!」である、また「群れていなくては
生きられない存在!」でもある。この二律背反を使い分ける事が必要である。
私の場合はお経とか、ウオーキング、旅行、読書、映画で発散する。
それとイヤな事は繰りかえして考えないようにしている。
この随想日記もストレスにもなるし、反面ストレス解消にもなる。

ここで一句
バカいうな やることだけは やっている

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2002年02月21日(木)
338,「世界がもし100人の村だったら」

この本が最近話題になり、インターネットで早速買ってみた。本屋で立ち読みをしたら、
買わなかったと思う。ほとんどが「TVで放映されている内容」でしかなかった。
昨日、印象に残ったものを「サロンのコーナー」に、デジタル写真で撮り、貼り付けておいた。
もっと色々な内容があるはずだ、そう思って買った。すぐ考えたのは、「日本がもし100人の村だったら」
が書けるのではないか、という事であった。日本人は2番煎じはうまいのだが。ただ「テーマ」がよい!
ーいや問いかけといった方がいいか。今まで難しいと意識しなかった問題が見えてくる。
テーマの決め方で、問題を深く捉えることが可能になる。「国家予算」も「県の予算」も、
「100人の村だったら」の喩えでもして解説をしてくれたら、一般の人も関心を持つ。
ある人の文章が巧くなった。何故だろうと考えたら、いつの間にかテーマをつけていた。
テーマは円でいう中心点である、芯ができた為だろう。
テーマ日記を書き続けて、少し自分の頭がよくなったような気がする。
テーマを考えるのと、その内容の構成をするからだ。また書きながら、違う視点にも気づくからである。
100という数字が分かりやすいのと、村の住民という喩えがよかった。山下清が何か考える時
「兵隊の位でいうと,どのくらい?」と問いかけるのと似ている。単純だが一番の中心をつく。

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お笑い
ー下ネタコーナー
「はしたない! 」
 
  ‘一念勃起’
失業中の年配の男と飲んでいた時、「自分もここまできて失業、
一念発起してやり直さなくては」と真面目な顔をして言うから、
今更なにを!という意味で思わず「一念発起でなく、一念勃起だろう!」と言ってしまった。
隣で見ず知らずのご夫人方が聞こえたのか、  大声で‘あはあはは!’