つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=OzOrekCIbDg

金曜日は、シネマの日。 今日は、千円均一の日で、混みそう。
先週みた『トラと漂流した227日間』は、評判が二分しているようだ。





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1033, ストレスについて
2004年02月01日(日)

この題名で何回か書いたと思うが、再び書いてみる。自己不一致の状態が引き起こす
マイナスの蓄積からストレスは生じる。この解消に対して一番手っ取り早いのは、
新しいストレスで前のストレスを消してしまうことである。マイナスでマイナスを
けしてしまうケースだ。失恋をしたときは、新しい恋愛と失恋で消すのが簡単である。
しかし根本的な解消をしたことにはなってない。心の奥に蓄積されて、へドロ化して
隠されるだけである。しかし、その臭いはいつの間にか周辺に漂っていることに本人は気づかない。       
「ストレス」は例えば、ボールに圧力がかかって、ひずんだような状態 のことをいう。
このとき、ストレス状態を引き起こす要因を「ストレッサー」という。これを取り除かない
限り本当の解決にはならない。残念ながらストレスをなくすことはできない。
生きている限りストレスは続く。 そこで如何に対処するかが重要になる。 
ストレスとは、本来、生物が外的あるいは内的な刺激に適応していく過程そのものを
概念化したものだ。気候が変わればそれに適応し、飲み水が変わればそれに適応し、
心理的なショックを受ければそれに適応していく、そうした環境に適応していく時の
反応とプロセスのことをストレスという。

 我々の意志とは関係なく、自然環境は常に変化していくし、我々の心も自分ではどうにも
ならないくらい急激に変化する。こうした外的・内的環境の変化に適応していくということが、
「生きる」ということだから、「ストレス」という言葉は「生きる」という言葉の同義語
ぐらいに考えてみてもいい。
人間は、悲しみでも、喜びでも同じ反応プロセスをたどってその刺激に適応して
いこうとする。その状態をいうのだから、生きることそのものであるといってよい。
情報化社会において、毎日多くのストレスにさらされて生きている。
適度なストレスは人間の活動のエネルギー源になるが、ストレスが大き過ぎて
体の防衛機構を上回ると、心やからだにさまざまなトラブルが起きる。
ストレスが原因となる病気には「心身症神経症、軽症うつ病」などが知られている。
過度のストレスは「生活習慣病」の発症にも影響を及ぼし、免疫力を低下させる。

私の場合は、毎朝の散歩と仏前のお祈りと海外旅行とTVのお笑いを見ることと、
合わない人種のいるところに行かないことを対策としている。外的・内的環境の変化に対する
「不安」が原因の場合のケースが多い。一番のストレスは、連れ合いが亡くなったケースと離婚と失業。
これは内的・外的環境の変化の一番身近な深刻なケースである。
連れ合いとの別離や失業も、一生の内に避けて通ることはできないことだ。
まあ良寛の「災難もあうべきときにはあうがよい」ではないが、
運命として割り切らなくてはなるまい。割り切れないからストレスになる。
仏教の諦念とはそういうことなのだ。割り切ることも諦めなくてならないのだ。
そうすると、般若心経を暗記をして毎日唱えていればよい。
最後は、人間は宗教に頼らなくてはならない動物だというが。知識を持ってしまった猿は、
この情報化でますますストレス過大に悩まされる。しっかりした神の定義を自身でして、
心の中の部屋の神棚を作っておかなくてはストレスに追われる日々を送ることになる。

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 2003年02月01日(土)
668, 昨日で新潟日報を止めた!

生まれた時から?地元にいる時は必ず日報と朝日新聞と日経は毎朝の日課で目を通していた。
特に新潟日報の地元の経済欄と死亡広告は必見と思い込んでいた。ところが数年前より家内が
日報がつまらない止めようと言い出した。「全く見る内容がない、ひどい!」と言う。
それでも決断を先延ばをしてきた。ところが去年、光ファイバーをNTTの営業に強引に?
入れられてしまった。今考えてもADSLで充分であった。その時トレードオフとして、その上
乗せ分として、今度こそ日報を止めると決心し、今日の2月より止めてしまった。
それとレンタルでいれている浄水器も止めた。100㍍先に出来たスーパーのイオン水が
無料で貰えるからだ。これでプラスマイナスゼロである。
会社に行けば見れることだし、10日も経てば不自由を感じなくなるだろう。
以前BSTVとWOWOWをいれた時は日経新聞を止めた。全く不自由は感じなかった。

新聞を若い人は見なくなってきているという。去年暮れ日報が配達をされない事があった。
その時、担当の人から家内が「近所の100世帯近くのうちうちも含めて3軒しかとってない」と聞いた。
それまでは過半数はとっていると思っていた。私の例が示すように新聞メディアはどんどん
衰退の傾向になる。あとは朝日だが、これは当分止めないがいつかその日がくるだろう。
インターネットのWEB新聞で済むからだ。

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2002年02月01日(金)
318,神話の世界ーパプア・ニューギニアの世界

5~6年前か、パプアニューギニアの現地人のドキメントがよかった。いまでもその内容を全て憶えている。
たまたまその現地のある部族の撮影をしていた時、隣の部族とトラブルになりあわや戦争の一歩手前までの
状態になった。といって弓や槍の武装である。かなり危ない緊張感になっていて、徒党を組み軍隊の
ような示唆行為を繰り返していた。その時期が数年に一回の踊りの全国大会の直前であった。
かなりの緊張の中、踊りに参加するため車で出かけるが、いつ襲われるかの危険なたびであった。
そして飛行機に乗る。その前に彼らが海を見る場面がよかった。波が信じられのだ。
波を洪水の水が押し寄せてきたと勘違いして、震えているのが可笑しい。そして踊りの会場で、彼らは事前から
「変わった踊り」のため優勝候補になっていた。12~20人がいろいろな化粧をして踊るのだ。
そこにトラブルの相手の部族もきて、向こうで練習をしていた。お互い無視しているふりをしながら、
お互いを意識している。そして競技が始まった。当事者の踊りがすばらしく優勝か、それに準じる賞をもらった。
その時である、隣村の部族の長が和解に来たのだ。
彼らは踊りを通して、同じ地域の共通のアイデンティテーを観たのだ。そして和解!下手な小説、映画より
ずっと劇的で感動的であった。もちろんやらせでない。神が宿っているようであった。いや踊りの中に
宿っていたのだろう。そのビデオ知人に貸したが、子供が間違え録画をしてしまい消滅、今はない!
その前に何回も再放送でやっていた。何回も見た。
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2月1日  1969年

2月になってしまった。学生最後の日々が、飛ぶように去っていく。
もっと遊び、もっと勉強をしておけば良かったという気持と、自分なりに精一杯の学生時代を
すごせて気持ちが入り混じっている。あと一ヶ月だが、社会に出れば学生時代のようにはいかないだろう。
しかし、変るべき時は変らなくてはならない。