つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
    今日のYoutube

 日本人の15歳の30%が、自分を孤独と感じており、
二位のアイスランドの10%、フランスの6・4パーセント、
英国の5・4%に比べて、OECD加盟国の中で圧倒的一位という。
これは日本人の倫理観の「他人に迷惑をかけない」「笑われたくない」
という日本人の体質から由来するという。 要するに、世間原理主義
による、圧迫感が、背景にある。 とくに意識度が低い人たちの世界に
その傾向が強い! とか。 それにしても、あの世間教原理主義者たちは、
その毒を、辺りかまわず撒き散らす。いくら体質とはいえ・・・

これも偶然だが、
7年前の以下の世界が、世間教原理主義の世界そのもの。

・・・・・・
2859, 「教員社会」の 金とコネの闇
 2009年02月01日(日)
昨日のニュースで、大分で採用取り消しになった教員が採用取り消しの訴訟
を報じていた。たまたま図書館で借りた半年前の雑誌に、大分県教員採用や
昇進の絡む汚職事件についての元小学校教諭のジャーナリストの手記があった。
「大分だけじゃなく、何処でもやっているんじゃないか?」と疑問は持っては
いたが、疑問のとおりの告発内容である。 黒に近い?コネで採用された
現職の大分の教員は、この訴訟で再び針のムシロになる。 
 ー大筋といえば
・新聞社や文部省が全国調査をした結果、どこも歯切れが悪いという。
 いずれの調査も校長や教頭の昇進試験の情報が開示されておらず、
 不透明の部分があまりに多かった。大阪市にいたっては「複数の教員の
 悪意があれば、不正は絶対に不可能とは言い切れない」とあった。
・不正は、受験者の親ー>議員ー>教育委員会のルート
  現職校長ー>教育委員会幹部のルートなどがある。
 大分の件はたまたまやりすぎただけで、その位のことは、何処でもありえる
 ことが実情のようだ。内部を深く知っている関係者からいうと、
「何をいまさら!大分県だけじゃない」が結論だった。
「教員社会」は旧態依然の「金とコネがまかり通っている」、という。
  -論旨は、こんなところだが、大分の場合、逮捕されたり退職に
 追い込まれたのは一部だけで、以前から長年の慣例のコネの合格者がいて、
 現在も??というのが実情?  字数の関係でカット(2012年02月01日)
・・・・・・・・・・
2008年02月01日(金)
2494, 閑話小題         ( *´_⊃`)ノ゜【gOOd morning】
 * 危ない!我が家に毒入り餃子だと
我が家にも、例の話題の中国産餃子があったのである。普段は買わないが、
たまたま割引セールで安いので買ったという。食べてなかったので被害を受け
なかったが、食べたところで数千分の一の確率でしか被害を受けないのだから、
敢えて騒ぎ立てることはない。「食べた何分の一が死んだ!」というなら別だが。
何処の家庭でも起こりえる話だからニュースは拡大するだろう。それより日本の
濃厚の農薬フリカケ米や生野菜は大丈夫なんですか?。「何割?かの農家は
一般に出荷する米は絶対に口にしない」という話を聞いたことがある。
こうなるとエログロの世界だが、これが現実なのか?
この件で無農薬野菜を生産している農家は、喜んでいるだろう。
 * マックのパソコンに入れ替え
会社のWindowsXP未満のパソコンを5台を、決算期を機会に入れ替える。
いろいろ迷ったが、全てをiMacにすることにした。そのうち4台は各棟
ロビーの顧客サービス用である。先日、先行して入れた事務所用のiMac
やはり別次元の世界である。今日は自宅も、それに入れ替え予定である。
 * いたずらの書き込み
 *嘘のような話
 字数の関係でカット(2012年02月01日)

・・・・・・
2130, 葬式よもやま話 -1
2007年02月01日(木)

<(_ _)>   おはようございます!
   
     葬式の「葬」の字は、草冠りの草の字に「死」の字が挟まれている。
    以前は「野辺の送り」といって、草の上に遺体を横たえて花を飾ったのが、
    葬式の原点といわれていた。
    今では棺の中のご遺体に花を入れて飾る儀礼が葬式のハイライトになっている。
    750年前までは葬式の習慣はなく、無造作に捨てていたという。
    鎌倉幕府が「親の遺体を道ばたに捨てないように」と、
    触れを出しても誰もまもろうとしなかった。
    そこで法然親鸞道元などが、親孝行の実践として推奨したのが
    葬式の始まりであった。
    中国の奥地で、今も捨て場に放置する習慣が残っている。
    たまたま、その映像を見たことがあった。
    それも以前TVに出てレポーターと親しく話していた人の遺体が、
    凍り付いまま捨てられいる生々しいものを。

ある調査によると、お葬式にかかる費用の平均は240万円。
しかも内訳を見ると100万円以下から600万円までバラバラ。
葬式はほとんど業者主導で、客は業者の言いなりになりの契約で、
一般の人たちの無知を利用した法外な費用を巻き上げるのが常識の世界。
更に「集り葬式坊主」が法外な金銭を請求するシステムが厳然と存在していて、
死のドサクサを利用した集金システムができている。
750年に渡って坊主の特権を利用して悪さをしてきたシステムが露見してきている。
至近距離で目の当たりにみている「あれ等」も、情報社会のため急激に
その正体が露見されている。

    ところで先日、一日違いで母方の叔母(90歳)と従兄弟(96歳)が亡くなった。
    葬式と通夜が重なったケースは、今回始めてである。
    90歳過ぎての葬式は、天寿を全うしたという諦めがあり、暗くなかったが、
    やはり肉親にとって両親の死は悲しくないわけがない。
    
    最近、葬式に参列しても以前とは違う気持ちになった。
    「ご苦労様、おめでとうございます!」という気持ちである。
    実際そうなのだから、当たり前のことを何故誰も知らないのだろう。    
    葬式は残されたものが亡くなった人を世間に認知させる儀式であり、
    また故人の近親者が気持ちをこめて見送る愛のカタチである。
    
葬式ほど皮肉なものはない。
20~30人位の参列の小規模の葬式ほど、気持ちが入っていて、
これこそが真実の葬式!という気持ちになる。
大きな葬式も気持ちが入っているものも時に見られるが
外れ!の場合が多いのは如何いうことだろうか?

   当事者の気持ちもあろうが・・・
                   (⌒▽⌒)/"”さいなら!
           - つづく
 ・・・・・・・・・
2006年02月01日(水)
1765, 移民漂流
        (*´・ω・)ノはよー

1月29日(日)のNHKの総合(後9・00~9・52)の
第2回 「移民漂流 10日間の記憶」が考えさせられた。
少子化の問題は、日本だけかと思っていたが、
欧州・イスラエルなど先進国で大問題になっている。

特に、知的労働者の数が圧倒的に少ない半面、
未開発国の肉体労働者が圧倒的に多いのが現実。
世界で年間、何と2億人が移住しているという。
30人に1人の割合である。

このドキュメントのダイジェストを
NHKのHPよりコピーしてみる。    ∵ゞ(>д<)ハックシュン!(
 ーー
今回は、エチオピアイスラエル、ドイツなど、
三地点の問題を炙りだしていた。
国家の戦略と留まるところを知らない移民願望潮流の現場を追い、
揺らぐ国家像と人々の新しい生き方を探る。
 
エチオピアの北部から首都に向かうバスに82人の農民たちが乗り込んでいた。
豊かな国、イスラエルへの移住を熱望する人々だ。
厳しい宗教審査を受けユダヤ教徒と認められた彼らは、
続々と「約束の地」へと旅立っていく。 
イスラエルでは、アラブ人の人口急増が国の根幹を揺さぶっている。
イスラエルは危機感から古代ユダヤ人の末裔を世界中で探し、
大量移民受け入れを進めている。
しかし一方で、テロの不安から、若い世代はかつてのホロコーストの地、
ドイツへと移住していく。 
戦後最高の失業率に苦しむドイツ・ベルリン。
ユダヤ教会がそびえ立ち、ユダヤ移民が独自の社会を作り上げている。
次々と押し寄せる移民とドイツ人失業者たちとの利害確執は沸騰点に達し、
年に15万人ものドイツ人が、他国へと移住していく事態まで起きている。
国家は深刻な少子高齢化対策で移民受け入れを打ち出し、
移民は生きる権利を主張する。悪循環を断ち切るために国家はアメとムチを
使い分ける。
国家観、国民像は今大きく揺らぎ始めている。

ーーー                =ε=ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー

以上だが、特に印象的だったのが、イスラエルの母親と、
ヘブライ大学大学院生の息子の対立である。
息子は、毎日4回もおこるテロに嫌気をさして、
大学卒業後ドイツへの移住を希望する。     
母親は、両親・兄弟をドイツでホローコーストで殺され、
その後イスラエルの建国で移住してきた経緯がある。
ドイツに対する不安と不信が根強い。
見ていて二人の気持ちが噛み合わないのが良く解ってくる。            
                    o(>ω< o) (o >ω<)o

情報化・グローバル化によって、世界は大きく変わろうとしている。
その中で、世界中が大きな人種、民族、宗教の軋轢が生じ始めている。
日本も、毎年64万人の移住を受け入れなければならないという。
近い将来、多くの移民が殺到してくるのは間違いないだろう。
ドイツも、ほぼ同数が必要とされているが、現在10?以上の失業者で満ちている。
知的労働者と肉体労働者のミスマッチが根本にある。
時代は激しく変化を始めている。
                    ヾ(TωT)Byeヾ(TωT)Bye
・・・・・・・・
2005年02月01日(火)
1400, 偶然の一致

一昨日の日曜日に中尊寺ゆつこ著「アフリカンネイバーズ」を借りてきた。
そして、パラパラと読でみた。
「親父ギャル」という言葉を流行らせた漫画家である。
彼女もアフリカが好きで、一冊の漫画入りのアフリカ文化入門書でもあった。
彼女の絵を見ていて、「アフリカン」という気持ちになってしまった。
その後、インターネットで何げなく見ていると、彼女の訃報が出ていた。
彼女の本を借りるのは初めてで、その直後の訃報のニュースである。
何か、彼女の霊に引っ張られたという感覚である。

先日読んだ「迷ったときには運命を信じなさい!」の本の視点からすると、
これは「意味のある偶然の一致」か。
彼女のこの本の中に深い何かが暗示されているという解釈が成り立つ。
面白いものである! 私なりに、この本の中にヒントを探してみるつもりである。

次の旅行は、まだ行ってないアフリカの何処か暗示があるのでは?
ナミビアモーリタニア、それにザンジバルである。
面白しそうだが、値段が高そうである。
彼女の書いたアフリカの絵=漫画がよい。
特にマサイ族などの現地人の絵が漫画的に描いてあるため、
逆にリアルである。

それぞれの人物の目が生き生きとしている。
多くが左上を向いているのは何故だろう。
最近、本・当に、本が面白い!

 ・・・・・・・ 
2004年02月01日(日)
1033, ストレスについて-2

この題名で何回か書いたと思うが、再び書いてみる。
自己不一致の状態が引き起こすマイナスの蓄積からストレスは生じる。
この解消に対して一番手っ取り早いのは、新しいストレスで前のストレスを
消してしまうことである。

マイナスでマイナスをけしてしまうケースだ。
失恋をしたときは、新しい恋愛と失恋で消すのが簡単である。
しかし根本的な解消をしたことにはなってない。
心の奥に蓄積されて、へドロ化して隠されるだけである。
しかし、その臭いはいつの間にか周辺に漂っていることに本人は気づかない。

「ストレス」は例えば、ボールに圧力がかかって、ひずんだような状態 のことを
いう。 このとき、ストレス状態を引き起こす要因を「ストレッサー」という。
これを取り除かない限り本当の解決にはならない。
残念ながらストレスをなくすことはできない。
生きている限りストレスは続く。 そこで如何に対処するかが重要になる。

ストレスとは、本来、生物が外的あるいは内的な刺激に適応していく過程そのものを
概念化したものだ。気候が変わればそれに適応し、飲み水が変わればそれに適応し、
心理的なショックを受ければそれに適応していく、そうした環境に適応していく時の
反応とプロセスのことをストレスという。

我々の意志とは関係なく、自然環境は常に変化していくし、我々の心も自分では
どうにもならないくらい急激に変化する。
こうした外的・内的環境の変化に適応していくということが、「生きる」
ということだから、「ストレス」という言葉は「生きる」という言葉の
同義語ぐらいに考えてみてもいい。

人間は、悲しみでも、喜びでも同じ反応プロセスをたどってその刺激に適応して
いこうとする。その状態をいうのだから、生きることそのものであるといってよい。
情報化社会において、毎日多くのストレスにさらされて生きている。
適度なストレスは人間の活動のエネルギー源になるが、ストレスが大き過ぎて
体の防衛機構を上回ると、心やからだにさまざまなトラブルが起きる。

ストレスが原因となる病気には
心身症神経症、軽症うつ病」などが知られている。
過度のストレスは「生活習慣病」の発症にも影響を及ぼし、免疫力を低下させる。
私の場合は、毎朝の散歩と仏前のお祈りと海外旅行とTVのお笑いを見ることと、
合わない人種のいるところに行かないことを対策としている。

外的・内的環境の変化に対する「不安」が原因の場合のケースが多い。
一番のストレスは、連れ合いが亡くなったケースと離婚と失業という。
これは内的・外的環境の変化の一番身近な深刻なケースである。
連れ合いとの別離や失業も、一生の内に避けて通ることはできないことだ。

まあ良寛の「災難もあうべきときにはあうがよい」ではないが、
運命として割り切らなくてはなるまい。割り切れないからストレスになる。
仏教の諦念とはそういうことなのだ。割り切ることも諦めなくてならないのだ。
そうすると、般若心経を暗記をして毎日唱えていればよい。
最後は、人間は宗教に頼らなくてはならない動物だというが。


知識を持ってしまった猿は、この情報化でますますストレス過大に悩まされる。
しっかりした神の定義を自身でして、心の中の部屋の神棚を作っておかなくては
ストレスに追われる日々を送ることになる。

ーーーーーー
 ストレスについてー1

先日亡くなった同級生の偲ぶ会で、彼の死因について話しが出た。
直接原因は癌であったが遠因がストレスだろうと意見が一致した。
その場の全員が人生で一番厳しい一里塚にさしかかっているから解るのだ。
その場でAが「堀井お前ストレスなど無いだろう!」
わたし「ゼロ!」。  Bが「堀井、お前は与える方だ!」
爆笑であった!!

ところで彼らは、「ストレスの解消法をあまり解ってない?」と思えた。
ストレスの潰し方は、他のストレスで潰すのが一番本能的な簡単な方法だ。
しかし、それは更なるストレスの蓄積をしているに過ぎない。
わたしの経験からいうと、「独りになりきるしかない!」
それが全く解ってない、号泣せざるを得ない立場になって初めて気がつく!
それでも気がつかないだろう。

ストレスだけは、気をつけないと。
いつの間にか溜め込んでいるのに気がつかない人が多い。
群れるしか能がないから、ストレスの雪だるまになる。
「人間は孤独の存在!」である、また「群れていなくては生きられない存在!」でもある。
この二律背反を使い分ける事が必要である。

私の場合はお経とか、ウオーキング、旅行、読書、映画で発散する。
それとイヤな事は繰りかして考えないようにしている。
この随想日記もストレスにもなるし、反面ストレス解消にもなる。

ここで一句
バカいうな やることだけは やっている

・・・・・・・・・
 2003年02月01日(土)
668, 昨日で新潟日報を止めた!

生まれた時から?地元にいる時は必ず日報と朝日新聞と日経は
毎朝の日課で目を通していた。
特に新潟日報の地元の経済欄と死亡広告は必見と思い込んでいた。
ところが数年前より家内が日報がつまらない止めようと言い出した。
「全く見る内容がない、ひどい!」と言う。
それでも決断を先延ばをしてきた。

ところが去年、光ファイバーをNTTの営業に強引に?入れられてしまった。
今考えてもADSLで充分であった。
その時トレードオフとして、その上乗せ分として、今度こそ日報を
止めると決心し、今日の2月より止めてしまった。
それとレンタルでいれている浄水器も止めた。
100?先に出来たスーパーのイオン水が無料で貰えるからだ。
これでプラスマイナスゼロである。

会社に行けば見れることだし、10日も経てば不自由を感じなくなるだろう。
以前BSTVとWOWOWをいれた時は日経新聞を止めた。
全く不自由は感じなかった。
新聞を若い人は見なくなってきているという。
去年暮れ日報が配達をされない事があった。
その時、担当の人から家内が「近所の100世帯近くのうち
うちも含めて3軒しかとってない」と聞いた。
それまでは過半数はとっていると思っていた。

私の例が示すように新聞メディアはどんどん衰退の傾向になる。
あとは朝日だが、これは当分止めないがいつかその日がくるだろう。
インターネットのWEB新聞で済むからだ。

・・・・・・・
2002年02月01日(金)
318,神話の世界ーパプア・ニューギニアの世界

5~6年前か、パプアニューギニアの現地人のドキメントがよかった。
いまでもその内容を全て憶えている。
たまたまその現地のある部族の撮影をしていた時、隣の部族とトラブルになり
あわや戦争の一歩手前までの状態になった。  といって弓や槍の武装である。
かなり危ない緊張感になっていて、徒党を組み軍隊のような示唆行為を
繰り返していた。

その時期が数年に一回の踊りの全国大会の直前であった。
かなりの緊張の中、踊りに参加するため車で出かけるが、
いつ襲われるかの危険なたびであった。そして飛行機に乗る。
その前に彼らが海を見る場面がよかった。波が信じられのだ。
波を洪水の水が押し寄せてきたと勘違いして、震えているのが可笑しい。

そして踊りの会場で、彼らは事前から「変わった踊り」のため優勝候補になっていた。
12~20人がいろいろな化粧をして踊るのだ。
そこにトラブルの相手の部族もきて、向こうで練習をしていた。
お互い無視しているふりをしながら、お互いを意識している。

そして競技が始まった。当事者の踊りがすばらしく優勝か、
それに準じる賞をもらった。
その時である、隣村の部族の長が和解に来たのだ。
彼らは踊りを通して、同じ地域の共通のアイデンティテーを観たのだ。
そして和解!下手な小説、映画よりずっと劇的で感動的であった。
もちろんやらせでない。
神が宿っているようであった。いや踊りの中に宿っていたのだろう。

そのビデオ知人に貸したが、子供が間違え録画をしてしまい消滅、今はない!
その前に何回も再放送でやっていた。
何回も見た。

・・・・・・・・・
2月1日  1969年

2月になってしまった。
学生最後の日々が、飛ぶように去っていく。
もっと遊び、もっと勉強をしておけば良かったという気持と、
自分なりに精一杯の学生時代をすごせて気持ちが入り混じっている。
あと一ヶ月だが、社会に出れば学生時代のようにはいかないだろう。