つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=SdatmtS--fI


 昨日はシネマで≪96時間リベンジ≫をみてきた。
昨年暮れから週一のペースである。 評価は90点。
ストレスが、発散されるので助かる。 これで今年二回目で、
来週以降も、見る映画が決まっている。前から三分の一ぐらいの、
左側の通路より二番目と決めておくと、自分の居間にいる気持ちになる。
この分だと、今年も36~40回は行くだろう。
家内は、私の車で近くのスポーツジムの帰りに映画館で待ち合わせて
帰ってくるか、アピタのSCで、その間、ウィンドウショッピングか、
時どき映画をみる。 二回に一度は、車の送迎に有効活用している。
 http://www.foxmovies.jp/96hours/

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1380, 現在、世界で何が起こっているのか? -1
2005年01月12日(水)
「現在、世界で何がおこっているのか?」という素朴な疑問がある。
身近では、台風による洪水と中越地震。そして世界ではインドネシア地震などの天災。
それだけでない、ITなどの技術革新からくる社会的な大変革。
全てが、今まで見たことも聞いたこともない現象である。どうなっているのだろうか。
新年ということで、その人間的側面と、自然的側面から考えみる。

まずは人間的側面から・・ 
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<人類のビッグバン >
ー「人類にとって20万年に一回のビッグバンがこの情報革命だ」と、10年前に聞いたことがあった。
その時は、かなりオーバーに聞こえたが、現在の状況からは決してオーバーには思えない。
一人一人が情報基地を持ち、自分を表現をし始めたのだ。
私自身も、このHPを持ち、自分の主張の公開を始めた。
(いや主張しつつ、自分の知識を整理して貯蓄し始めた。)
そして4年近く経つが、自分から離れて独自のものとして歩みだした感もする。
脳を外部化して、そこに情報をインプットし、またアウトプットしている。
それを公開しているのだからおかしなものである。普通なら部屋の机の中の日記帳かメモにある
内容を、キーワードの検索で誰でも見ることができるから不思議な世界である。

携帯電話とパソコンにより、我われの社会という様々な家族や会社や所属する共同体が、
個人というユニットに分解され、ネットで再構築されるプロセスに入ったのだ。
このことは人類にとって大革命であり、今までの共同体を根こそぎ破壊することでもある。
それが地球規模で、それぞれの共同社会の破壊が起こり始めたのだ。
「人類が20万年かかって構築してきた共同体が、個々人がインターネットで
再構築されようとする前の大混乱が地球規模で起きている」
これがビッグバンの正体であり、世界を根こそぎ変えている。
数年前までは、考えられない現象がドンドンおこっているのも、その背景があるからだ。 
1月10日の「産経新聞の『正論』の梅田望夫氏の論が正に、今の時代を言い表している。
インターネットの向こう側と、こちら側の世界が個々で結びつきだしたのだ。
それも地球規模で。それはもう国家権力では抑えきれなくなってきている。

まずはご覧あれ!
【正論】米ミューズアソシエイツ社長
       (在シリコンバレー梅田望夫
IT産業の潮目が読めぬ日本勢 モノづくりの強さ過信を危惧す

《米国で進むパワーシフト》
 ー字数制限でカット、2013年1月12日)
《激化する付加価値争奪戦》
 ー字数制限でカット、2013年1月12日)
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2004年01月12日(月)
1013, 大相撲がはじまる

ここ数年、大相撲がつまらなくなったと書いてきた。
しかし今場所あたりから、何かが変って面白くなってきた。
早くいえば、曙や貴乃花武蔵丸などが引退したことが大きい。
また元横綱の曙が異種格闘技のK-1に出て、無様な負け方をしたのがよい。
横綱になれば、引退後一試合に一億の興行を張れるのが実証されたことが重要である。
また国技などといって、特別の存在のように言っているがそれほどでもないことが
解っただけでよい。ここにきて、ロシアやグルジアやモンゴルなどの出身で、若手で有望な面白い
力士が芽生えはじめてきた。もう日本人とかいう枠を徹底的に割り切ってみた方が面白い。
それに、あの横綱審議会も解散すべきだ。
ー「死にかけた老人が訳も解らないことを言っている」と、誰かが主張しなくては。
(以前週刊誌で、『世の中で要らないモノ』の一つにあげてはいたが)
相撲協会が「国技」と勝手に名乗っていたことを、正直に告白すべきだ。
ルールも思い切って変えるべきである。その機運が出はじめているが。
相撲の醍醐味と良さは
・神聖な勝負ごとー日本の伝統
・仕切りと立合いの「気」が良い
・「円の中での、出した、突いた、倒した」の格闘技
・一瞬(平均 5秒^10秒)の勝負の為に、その背後には膨大の訓練をする。
 やはり神秘的な格闘技である。
 そこに圧縮された時と雰囲気が出来上がる。
 といって、源流はモンゴル相撲やトルコ相撲が背後にあるのは自明のことだ。
 「朝鮮系の文化そのものの神社」の奉納の力自慢のお祭りが発生である。

 ー字数制限でカット、2013年1月12日)
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2003年01月12日(日)
644, 呼称の妙味

雑誌の「宝島」が一月三日の読売新聞の全面広告が面白かった。
呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)。
「呼称改革」と名をうって今までの呼び名を変えたら、中身もそれにつれて
古い何かが変わり始めるかもしれないという馬鹿馬鹿しい内容だが、
といって唸る内容でもあった。これを全面広告で載せるセンスがいい。
主観的の面白そうな順に並び替えて書いてみる。
女子アナ  -TVコンパニオンー変換を打ったら女子穴が出てきた。
官僚   -公僕員
国債   -前借
代表取締役 -代表取り締まられ役
警察官  -正義官
粛々と  -適当に
国会議員  -国民奉仕員
公的資金  -失策穴埋め金
道路公団  -迷路公団
外務省   -害務省
公約  -虚約
バツイチ  -マルイチ
風俗嬢  -ビタミンガール
未婚  -恐婚
年金  -幻金
テロリスト  -ゲロリスト
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大体こんなもんだが以下を考えてみた。

暴力団  -巧妙徒党恐喝集団
自民党  -利権擁護巧妙収賄
社民党  -空想科学夢想党
地方名士  -痴呆迷死
ライオンズクラブ ーオニャンコクラブ
生命保険 -命対象賭け博打
談合   -検察黙認官民共同犯罪詐欺
商工会議所 -談合破り監視会・地域暇つぶし愚痴言い合い所
       痴呆名士様肩書き付け合いどころ
お歳暮  -ミニ収賄・贈賄
葬儀   -生き残り者の面子場・集り坊主集金祭事
政界   -政治業界

(^┰^;)ゞ    
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 2002年01月12日(土)
298、酒乱ー2
私の一番のマイナスの特性は酒乱のケがあることだ。
勤めてそれも本格的になったのが、金沢時代からだ。
酔わなくてはやってられない、いや酒に逃げていたのかもしれない。
といってそれで人生を狂わせた、というほどでもない・・??
酒の失敗がない人生を考えてみると、10倍位の人間関係が広く深くなっていたと思う。
反面、人間関係でABC 分析のBCの人間の排除に一番いいのも確かだった。
そう思い込んでいるのかもしれない、これは負け惜しみか。
「人間はおおよそ失敗するのは、女か酒か賭け事の何れかだ。
もっと詰めれば女か酒かだ」とあるゼネコンのベテランの営業の人がいった。
「貴方は酒の失敗系の人だ、女はない。10年も付き合って一度も、
飲んでいてその場面に近いことがない、必ず尻尾が出るものだ」と。
酒の失敗がなければ、そちらに何かあったと思う。
その意味でぎりぎりセーフというところか。よく警察沙汰によくならなかった
ものだ、当たり前のことだが。
私の場合、口害になるから恐ろしい。いい加減に生きている奴ー大部分ーに対して鋭い刃が
向いてしまうのだ。いや普通に話すことが全て刃になってしまう。
いい加減に生きている自分自身のことを言っているのだから説得力があり、
鋭く?なるのだ。酒が入ると、知らないうちに刃を抜いてしまうのだ。一番タチが悪いのだろう。
酒の中で一番危ないのが日本酒である。これで何回失敗してことか!
気違い水とはよく言ったものである。最大の敵を自分の脳の中に入れることと同じことだ。
酒を入れるとその人間性があらわになる。卑しい奴は卑しく、凶暴のな奴は凶暴に、
暗い奴は暗く、スケベの奴は助平になる。
「酒も飲まず、タバコも吸わず百まで生きた馬鹿がいる」というが、それも事実である。

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1月12日  1969年
・「想像は知識より重要だ」アインシュタイン
・アイデアを多く出す為の価格表ー 一つ出すたびに二倍の価格になる。
人をバカにする方法のアイデアを10個を10分で書き上げよ! という設問を考えてみる。
1、TVをなるべく多く見る。 自分で考える時間をなくしてしまう。
2、他人との交友の中に安定を求める。
3、行動に移さないースタートをしない。
4、自分はダメだ、バカと信じ込む。
5、不安定な気持のままいる。自己コントロールをしない。
6、一瞬一瞬をいい加減に生きる。
7、自分の壁の中にのみ生きる。 人の言うことは一切聞かない。本も読まない。
8、自信喪失にする。
9、経験のみに頼る
10、バカな連中だけと付き合う。
こんなものだが。何か二年前の自分そのものだ。今もそうか?

ー 2004年1月12日AM6:00 記ー
こうして35年前の日記帳を写していて、今も昔も変らない自分に驚いている。
そしてあまり成長をしていない自分にも驚く。人間観察が好きなのだ。
逆にそれにとらわれすぎて全体と自分自身が見えなくなっている視点だ。
また大人数の末っ子の立場で兄姉を一人一人観察してきた上に、社会学という
早くいえば人間学を専攻してしまった為である。
反面、「人生のデザイン」を自分で書いて生きることができた?が。
それが、書かないで生きてきたこととどれほどの差があるのだと言われれば、
何も反論できない?!まあいずれにしても「頭でっかち」だということだ。