つれづれに

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今日のyoutube
http://www.youtube.com/watch?v=F82q4TYdQXc

インフレターゲットを2%にして、これから更にジャブジャブと国債を発行するという。
この日本のデフレ、グローバル化で中国や東南アジアやインドとの垣根が低くなり、
商品や人間が自由に行き来した結果生じたもの。まだまだ、その値段に大きな段差がある限り、
給与も商品の値段は下がり続けるに決まっている。さらに携帯電話が、パソコンになり
そこを通して、一番、価値のある情報を無制限に流せば、一物一価になり、ベストのもの以外、
淘汰され値段は下がり続ける。 その位のことが、あの二人には分からないのだろうか?
過去の罪悪に近い治世からみて、分からない!としか言いようがない。この二人に再び権力を与えた、
選挙放棄の無党派は、日本の自殺を手助けたようなもの。 恐ろしい限りである。
ジャブジャブ出しても、銀行で留まるだけのこと。

 で、どうすればよいか? 今さら経済成長などと、寝空ごとなど言ってないで、
さっさと均衡縮小をすべき。 そうすると、韓国、中国、ロシア、そして、アメリカが、
株式を暴落させ買い漁ってくる? どっちにしろ、財政破綻をするのだから、それも耐えなくては?
株式相場が上がっている? それは今のうちだけ。 何ら問題は解決していないのだから。
 まあ、こうなってみると、能天気な連中の馬鹿さ加減がよく見えてくる。これでは滅びる。

 投資といえば、海洋資源開発とか、東京一極集中を、日本を6州ぐらいに分けて、分散すればよい。
北海道と、東北と、関東・北陸と、関西と中京と、四国と中国、そして九州・沖縄と6州に分ければいい。
今さら遅いのかもしれない。それをするのが政治で、世論調査主導の政治が全てを狂わせている。 
バスの運転に一々賛否を問うことはないのに。 何のための間接民主主義か。





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2003年01月08日(水)
 640 ,ラスベガス

去年の年末にBSTVでラスベガスのショーを連日放映した。
その華やかさにただただ驚いた。
NHKの紅白より豪華で格段の差があった。
センスといい規模といい比べること自体が可笑しいといってよい。
アルゼンチンでタンゴのショーを見て圧倒されたとき、ラスベガスの
ショーはこんなものでないのだろうと思った。

先日図書館で借りてきた本に偶然そのラスベガスを書いてあった。
浅田次郎の「絶対幸福主義」である。
彼は仕事の頭の切り替えにラスベガスに年5^6回行っている。
そこでこの街をわかりやすく描写している。

ーラスベガスというのは、カジノだけでなくホテルもレストランも、
全体が堅気ではない。すべてが遊び場、夢の世界なのです。
だから24時間、私を別の自分にしてくれる。
こんな街は世界に二つとないでしょう。
何を求めて年に5回も行くかというとリフレッシュのためです。
いやリライフー生き返る・蘇生するという造語を言わせてもらう。

まずホテルからして面白い。私が滞在しているのは「トレイジャーホテル」ですが。
その名のとおり、コンセプトが「宝島」。で、地下のフロアーに行くと海賊が
ウロウロしているんです。隣の「ザ・ミラージュ」は、ホテルそのものが
ジャングルになっている。
その隣の「シーザーズ・パレス」は、古代ローマそのままの内装なんであります。
街そのものがワンダーランド。ディズニーランド顔負けであります。
意外と思われる方も多いでしょうが夫婦や家族ずれで来るとさらに楽しいところだ。

どこに行ってもきれいだし、治安がいいし、買い物をするにも世界一というほど
ショップが揃っている。洒落たレストランもそこらじゅうにある。
この街の健全性に、私は感動してしまいました。
と同時に、いかに日本人が博打を罪悪してるかを再確認しました。
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等々、目に浮かぶような描写である。
俗っぽく言えば
「如何にお金を持つことが大事であるかと、またそれを使うには能力が必要」
ということだ。

私の場合は秘境旅行を、そのままこの文章に当てはめることができる。
「こちとらは、ニセモノのジャングルや古代ローマや宝島じゃないぞ。
本物なのだ」というのも金と能力の限られた人間の負け惜しみだ。
一度ラスベガス行ってみたくなった。
何時も乗換えで飛行場から遠く街を眺めていたがこんな楽しい街なら
行ってみたい。
金をたっぷり持った人種に圧倒されて帰ってくるのが目に見えているが。

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  2002年01月08日(火)  
 294、正面突破しかないのでは?

今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。
何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。
今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、
雪達磨式に借金が年収の10倍以上に増えていった家庭の状態と仮定できる。

今もその範疇より一歩も出れない状態にある。
「こうすれば、よくなるという」視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。
やはりクラッシュに向かって正面突破しかない。
もっとも自然にそうなっていく。しかし今の評論家のほとんどが、
この視点から一歩も出ていない状況である。

ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が全く変わってしまった。
アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。
解っていてもどうにもならないのだ。
この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。一度清算しなくては、これを小泉首相が建前で言った。
しかし見ていると、まだ腰が引けている。

恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。
仕方がない、いや長期的にみたらよいことだ。大津波がきている、
しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。
恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。

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1月8日  1969年

9時過ぎに起床。
10時半に両親と料理屋の「青木楼」へ行く。
11時から実家の店の新年会だ。
70人ほどの会であった。
大広間にこれだけ集まるとさすがに凄い。
終了後店の二人の女性とボーリング場に行く。
その後4人が来る。
6人の女性とのボーリングは楽しい。
その後、ゴーゴー喫茶に行く。
一時間で切り上げて一人で帰ってくる。
家に変えると、株屋の田中さんがきて父と話をしている。