つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=2nljY6MZ8UA
http://www.youtube.com/watch?v=MrkaobcAGgw


昨日は、家内と『レ・ミゼラブル』 http://www.youtube.com/watch?v=FxLYlPyOSG0
をみてくる。暗い内容なので、みないつもりだった、新聞や週刊誌で、褒めていたので、
気が変わりみることにした。ミュージカル映画も久々で、『レ・ミゼラブル』なら、
良くないはずはない。私の評価は、90~95点。95点は、もう一度みたくなる点だが、
それほどではない。とはいえ、もしかして、アカデミー賞も、ある予感もする出来ばい。
 

 

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1006, 「この俗物が!」-2
2004年01月05日(月)

一回で終わるつもりであった、あまりにも内容が面白いので続編を書くことにした。

 福田ガ存(このガの漢字がない)の「俗物論」というエッセイがベースにある。
早くいえばタネ本である。 この本でまずとりあげているのが「地域俗物」である。
これには田舎を軽蔑する都会者と、名門旧家を誇ったりする田舎者がいる。
この田舎者の中に、知事・役人などの「実力俗物」と、官公立大学の先生
などの「文化俗物」がいる。それに「ボス型俗物」や「取巻き俗物」、
床の間に座りたがる「床の間俗物」や、常に下座に座りながら、上座の人の
顔色をうかがっている「下座俗物」がいる。等々、辛辣に書いてある。

 更に、「自尊と謙譲」が俗物のキーワードとしている。
注目(尊敬)をされたいが、その気持ちを知られたくない。
けれども、知ってほめてもらいたい。という複雑な気持ちの具合によって、
狡猾な俗物か露骨な俗物にわかれる。
「首尾一貫俗物」「陽型俗物」に「陰型俗物」、性交人数や性能力を
自慢したがる「性的俗物」「肉体的俗物」「精神的俗物」「知的俗物」などなどある。
読んでいて、一つ一つが思いあたるから面白い。

 最近は「情報俗物」が出てきている。「交際俗物」もナカナカ面白い。
こういう人を知っているとか、付き合っていることを自慢する輩である。
その辺にいる「子狐」である。「交際を絶っても何ともないと自己の強大さを誇示する
「孤高俗物」がいる。私はこの傾向が強い。
反対に、「誰も自分を理解してくれないことをかこつ女性型形態」としての「孤独俗物」がいる。
福田は更に「一流俗物」に「個性俗物」「趣味俗物」などを挙げている。
福田自身も俗物を分類分析定義する自分をも「反俗物的俗物」としている。この傾向も私にはある。

 ここまでずべての人間を俗物と指摘されるとウンザリする反面、ここまで
割り切って斜めの視点で観ることも意味があると思うようになる。

 福田のいう俗物根性とは、
「世間にたいする自己の関係に不安を感じ、その不安を解消するため、
劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上に見せかけようとする心理」
と定義している。
彼によれば「人間は、誰もかれもが、自己拡大欲に駆られている」という。
その根っこに「自尊」感情がある。
中心価値がなくなり、さまざまな価値が自らの価値を主張始めた。
人もそれを認めた。伝統的な権威も揺らいだ。
ようするにしゃかいの中から絶対性がなくなり、全てが相対化したのだ。
俗物は、いいかえれば偽者のことだ。二人はお互いに自分が本物で相手が
偽者と怒鳴りあっている。

 ーこの本は、このような文章がウンザリするほど延々と続くのだ。
何か自分が惨めになってくると同時に、癒されてもくるから不思議だ。
といって俗物中の俗物のような男は大嫌いだ。

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2003年01月05日(日)
632, 自由化\(~o~)/

日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。
特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、金融ー銀行・保険、
農家など殆ど全てといってよい。
自民党と結託した利権団体を隠れ蓑にした社会主義共産党員社会である。その意味で
今のこの混乱はソビエトが崩壊した十数年前のロシア共産社会の混乱に酷似をしている。
今の自民党はロシアの共産党以下のレベルを演じている。それを支持しているこの国の
民度の低さがますます露呈されている。その意味でこの3年間は更に激しい破壊の年になる。

システムや能力は激しい競争社会の中でしか進化をしない。
それを否定し理想社会を夢見たのが共産主義社会主義である。
チャンス平等でなく、結果平等を求めた。
資本主義社会の矛盾の破壊の役割として有効に機能を一時果たした。
現在は、その役割を果たした日本的社会主義の終了過程にある。
自由化とは何か??いや自由とは何?? それぞれが自己責任を背負う事??
それを国家単位で放棄してきたツケがこの数年で一挙に清算過程に入った。

ところでこのホテル業界は規制が全くない。
結果的にこれが非常に良かった。競争対策を常に求められた。
一見大変そうだが、競争対策がシステムに組みざるを得なかった。
従って現在大混乱にある甘さがよく見える。規制ー寄生の甘さである。

例をあげてみると スーパーが大店法に守られ競争対策が全くなされてない。
「存在意義が大店法の存在だけ」という事が露呈してきた。
地方豪族化の漫画的存在が周辺でも見られた。
あと5~7年後にアメリカのウォールマートに制圧されるかどうかの
瀬戸際にたたされている。その前に自滅もあろうが。

ホームセンターやスーパーの1ロットが最低5000億の世界という。
地方では500億で大企業だ。
その行方が??
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2002年01月05日(土)
291、一人遊び

孤独に強い人は、これができるかどうかである。一人で楽しみを見つけ・・・、
書いていて気がついた、それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?結局中途半端の
それをいうのではないか?字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
別にそれをお宅といわない。読書好きの人もお宅といわない。

自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めてもそこに何もないことを、
経験上知っているためだ。結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。
これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。そこで自分の好きのことを見つけ、
それを楽しむことから始めなくてはならない。その積み重ねが個性を作る。
ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。

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1月5日  1969年

8時半に起床。
店に11時前にいく。街には人があまり出ていない。
14時に兄三郎さんの婚約者の「木村恵美子」さんと初対面。
可愛い人というのが感想だ。17時に店を手伝い、家に帰る。
正子さんに頼まれたものを間違えてしまった。いい加減な自分に嫌になる。

ー今日の本にダイエー中内功の言葉が印象に残った。
「われ進むところ常に道なし,荒野の中独り道をつくる」