つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=Ujwod-vqyqA&feature=endscreen
http://www.youtube.com/watch?v=ZFaV0WpizGs


阿波野青畝の
 端居して濁世なかなかおもしろや 

 最近の私の心境のようだ。 
特に政治向きや、経済の潮流が透けてみえるようだ。
小さな事業という立場の偏見から開放され、娑婆を内海、外海と
鳥瞰してみると、これが面白い。 48回の秘・異郷ツアーが、
自分の小さな異質さを合わせ鏡で自覚させてくれている。
一回ごとに端居の異郷で、私たちの社会の異質さを見てきたから、
尚いえる。 娑婆娑婆、シャバシャバ!である。 
 いや、車馬車馬か、人生は!






999,
人間って何の為に生きているの?
2003年12月29日(月)
昨日、TVで「男はつらいよ」を見ていたら、「人間って何の為に生きているの?」という質問に
「『ああ~、生きていて良かった!』と思う為に生きている」という寅さんの言葉が良い。
刹那的な言葉であると同時に,複雑な思いが残る。「ああ~、生きていないほうが良かったのに!」
と思いざるを得ないような背景があるからこそ、この言葉の重みが出るのだ。
 また、柴又の住職が「寅さんの言葉を借りて仏様は話しているんだよ。
仏様は愚か者を、むしろ愛しているようだ」という言葉に監督の思い入れを感じた。
  ところで、この質問を自分に投げかけられた何と答えるだろうか?
「飯食って、糞して、死ぬだけ」という名僧・暁烏敏の言葉が思い浮かぶ反面、
「よく遊び、よく学び、よく働くこと」が私の答えになる。
死ぬ時に、「ア~よい人生だった!」と思えるかどうかだ。

 哲学とか何とか難しいことを言っているが、突き詰めればこの問題になる。
「自分の人生は何だったのか?」=「人間って何の為に生きているの?」
しか究極はない。「生老病死」という大問題を乗り越えた果てに
「あ~生きていて良かった!」と言えてこそ人生を勝ち取ったことになる。
 そういえば母や叔母から、この言葉を聞いたことがあった。
叔母の場合足を切断するかしないかの瀬戸際に、あわや信濃川に投身自殺をしそうになって
思いとどまった。その後切断しないで済んだが、その直後に法事で聞いた話である。
絶望の果てに、この言葉がある。
 暁烏敏といえば「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」の歌がよい。

・・・・・・・
2002年12月29日(日)
625, 朝鮮戦争の不安

来年の一月下旬にアメリカのイラク攻撃は避けられない情勢になってきた。
攻撃に入れば時間の問題で早期に片付くだろうが、あまりにもあっけなく終わった場合や、
直前にイラクにクーデターが起きた場合の方が日本にとって問題である。
そのエネルギーをそのまま北朝鮮に向けられるからだ。
北朝鮮が間接的に日本にテロを仕掛ける事で牽制をしてくる可能性がある。
すでに自衛隊ではシュミレーションで原発への攻撃に対する作戦を想定しているという。
北朝鮮は脅しと嘘で周囲から物資や資金を脅し取ってきた国家。
それが不可能になった時に最後の賭けに出てきた時の暴発が恐ろしい。

柏崎原発をかかえている新潟は一番攻撃されやすい。
多くの工作員と武器も日本に入っているというから、北の工作員のテロの格好の攻撃対象になる。
アメリカのアメニティーの代表のデズニーランドもテロとして宣伝効果があるだろう。
全く防御という面で丸裸だ。そうでもないのに死に瀕している日本経済が破滅のきっかけに
ならねばよいが。これも現実味をおびてきた。来年は世界中がかなり緊迫した状況になるだろう。
アフガンやテロやイスラエルの問題でも対岸の火事であったが、来年からは直接わが身に迫る
問題が目白押しになってくる。借入の多い装置産業の当社など景気に左右するからキビシイ状況に
なる可能性がある。今までが恵まれすぎていたと割り切るしかないのか。
 
・・・・・
2001年12月29日(土)
284、[大倒産時代]

大倒産時代
今年四月に出版された、帝国バンクの情報部長の「大倒産」
を図書館から借りてきて読んでみて、その深刻さに改めて驚いた。
そのサブ表題が、今年から来年にかけて、過去最大の倒産ラッシュに
襲われるという。今年はこの表題ほどでなかった?から来年がそのしわ寄せ
が大きくなるのではと不安になってきた。100万社の倒産予備軍控えているという。
今年2万社が倒産しているが、その予備軍の二割から三割が、この数年で倒産するとしたら、
一年で5万社あたりになる。考えただけで背筋が寒くなる。
データーから読むとそう考えざるを得ないという。
まずは来年4月のペイオフの第一弾、そしてその翌年四月の第二段と控えている。

今もそれに近いが、倒産が日常茶飯事になりつつある。身近にマイカルが、新潟鉄工が、
新潟中央銀行が倒産したが、それが日常になり驚かない時代に入ってきた。
それが飛び火して身近の火事にならないという保障がない時代である。
誰もが未体験ゾーンに入ってしまった感が出てきた。とくに今まで溜まっていた膿が来年一挙に
出ようとしている。この本によると、「放漫経営による倒産」は死語に成ってしまったという。
「不況倒産」がほとんどという。この波は新構造不況業種を洗い、名門・老舗企業を飲みこんでいく。
発火点は地方都市より始まり、大都会へと荒れ狂うという。
その典型が長岡市であり、新潟市に思えて仕方がない。公共工事が多く占めている新潟県
直撃そのものである。その中で経営者はケチ、ガンコ、ムクチが必要要素とか。
それにしてもそこまできたか!というのが実感である。

........
ある時間の断片
 12月29日 1968年
今朝5時に長岡に到着する。バスで帰るのは初めてである。6時に就寝、11時に起床する。
12時まで裏に住む正子さんと話をする。昼飯を食べた後に本を読む。昨夜、この日記を
書くために頭を使いすぎたようだ。あまり頭を使うと否定的な気分になってしまう。
楽観的に自分を置いておかなくてはならない。今の私は悲観的になってはならないのだ。
楽観的面から悲観を引っ張りあげなくてはならない。夜になって父が帰ってくる。
何か話していてもシックリいかない。寝る前に年賀はがきを書いて午前1時に寝る。
このところ、親しい石川とも、深井とも、佐藤とも、兼古ともギクシャクしている。
いま上手くいっているのは川崎位のものだ。何か焦って友人達と摩擦を起こしている。
個人主義といいながら、エゴになっているのではないか。