つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=mk7rkmSocFg

今朝方というより、夜半が嫌に冷え込む。
道路も、そのため凍りついて、車がノロノロ運転で、
街中が停滞している。TVで千葉でカヌーで15人が行方不明と騒いだが、
結局、死者は出なかった。 冬の最中では助からないケースが多いが、
不幸中の幸いである。

 この寒中に仏間の書斎コーナーで、このパソコンに向かうのもきつい。
電熱器に、電気アンカに、腰にホッカイロを巻いて、ダウンベストの上に
更に分厚いダウンジャケットを着て机に向かう。南極の越冬隊員のようだ。
気持ちを集中するに、この位のほうが良いが。

 どうも、安部新内閣の顔ぶれを見て、タイムマシーンで5年以上以前に
舞い戻った感がする。 麻生副総理が、まず良くない。民主党の三人と比べてみれば
そのことが見て取れる。 二人の総理時代の行蔵は、彼ら三人より、比較ならないほど
低い、と見てとれないか。 国債をばら撒いて、そうそう首になるだろうが、残された
国民の生活は、大打撃として直撃してくる。ハイパーインフレである。
目先一年は囃されるが、二年目に入るころから、その弊害が出てくるのでは?


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2003年12月27日(土)
997,「 私の死亡記事」-2

 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。
あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。
宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、
そして自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に
書くのも面白い挑戦でもある。

ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー

戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子
として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。
実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。
一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。

両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。
27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。
実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。

実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて
客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。
その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくが、バブルの時代に買い取り方式
に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ
丁度手がけた矢先であった。

酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と
長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって翌日死んでいるのを発見される。
誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に
皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。

享年57歳。
葬儀、告別式は本人の希望でなし。


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2001年08月13日(月)

[107] 「私の死亡記事 」
        ‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!
各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である。」

 そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。
まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては

意外と自己正当化しているのが可笑しい。 

 -私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳
(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
 ただし身内のみで。
近じか真面目に書いてみよう。
   
・・・・・・・・
 
「私の死亡記事
出版社: 文芸春秋
ーレビュー

新聞の社会面に載る「死亡記事」。
それが、本人自らの筆によって書かれたとしたら…。
そんな発想から書かれた本書には、細川護煕岸田秀田辺聖子渡辺えり子
著名人102名の空想上の死亡記事が著者本人によって記されている。
味気ない客観的業績の記録や経歴だけでなく、著者自身の視点から見た、
これまでの強烈な生き様や輝かしい業績への途、これから築くであろう架空の人生、
希望あふれる業績(予定)の数々が、手紙や俳句など形式にかかわらず、
見開き1ページで著してある。
何より、墓碑銘や死の描写などの創作的要素が多く盛り込まれた各々の文章が
共通しておもしろい。
著者各人の自由発想によって、「これが自分らしい死に方である」というくだりが
ドラマチックだったり、失笑を買うものであったりと創造性豊かな死に様が
描かれているのだ。また、「海に遺骨を撒く」、「風葬にする…」など自分なりの
墓標を立てたいという希望が多く、その主義主張が興味深い。

しかし、「死」を読んでいるはずが、読むうちに執筆者の「生」を感じ取れるのは
なぜだろう? 自身の「死」を想定することによって書かれた各人の死亡記事の根底には、
これから続くであろう「生」への希望、今まで生きてきた「生」への悔悟、自身の「生」
に深くかかわった人々への思いが流れていることに読者は気づくに違いない。
本書は創作された「死」の物語として楽しみ、「生」を省みる機会を読者に
与えてくれる。(青山浩子)

出版社/著者からの内容紹介
筒井康隆、若者グループと乱闘し撲殺さる!
──阿川弘之桐野夏生妹尾河童細川護熙渡邉恒雄ら百二名が記した「自らの死」

ー目次

御挨拶(阿川弘之)
とうとう最後まで(阿川佐和子)
いまだ死せず(阿刀田高)
愛犬稟に何の便りもなく(阿部謹也)
友人医師の一言を鵜呑みにした末に(安部譲二)
絶版男、熊に食われる(嵐山光三郎)
「歩く百科事典」逝く(荒俣宏)
趣味は嫉妬(安野光雅)
じゃんけんで負けて俳句に出会ったの(池田澄子)
御挨拶(阿川弘之)
とうとう最後まで(阿川佐和子)
いまだ死せず(阿刀田高)
愛犬稟に何の便りもなく(阿部謹也)
友人医師の一言を鵜呑みにした末に(安部譲二)
絶版男、熊に食われる(嵐山光三郎)
「歩く百科事典」逝く(荒俣宏)
趣味は嫉妬(安野光雅)
じゃんけんで負けて俳句に出会ったの(池田澄子)
そばつゆ(池部良)
〔ほか〕

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2002年12月27日(金)
623, 新しいパソコンについて

会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。
感想はとにかく画面がきれいだ。明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。
会社のパソコンの入れ替えを利用して大体2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。
今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。

当たりであった。画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。
まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも
遠からじという感じがする。あと二年経ったらもっと凄い内容に
なっているのは間違いがないだろう。
恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。
不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。

話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信
できるのが売り出されるという。
5~6分のものを3本まで可能といっていた。
面白い時代だ!

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2001年12月27日(木)
282、同姓同名

東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。
必ずいるはずだと。山田太郎とか、小林恵子とか言う名前の人は
何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。
ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。

初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、
それはおかしいと思い止めた。その話をある知人に話したら、
それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、
ラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。本人もびっくりしていた。

堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。
第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。その社長の名が堀井だった。
鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。

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ある時間の断片
12月27日  1968年

12時に起床する。
午後読書をする。
夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。
22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。
自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。
彼らに理想などあるものだろうか。
この溝はもう埋められない。

-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。
国会議員なら、もっと程度が?