つれづれに
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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=tK-ybojrLWg
今日、金曜日はシネマの日。『ハンガー・ゲーム Ⅱ』を見てきた。
ネットの評価は、良くなかったが、内容は非常に面白い。
で、今年は53回目になった。平均、週一回以上、行ったことになる。
http://www.hungergames.jp/
・・・・・・
1729, 流通再編成
2005年12月27日(火)
(*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが
傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
これで、7兆数千億の規模になり、
世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
これで国内でイオンと二大流通グループを構成することになる。
アメリカのセブンイレブン本社も買収しているから、
世界の流通として質からみても
遜色ない流通グループになる。
~~旦_(-ω-`。)
イオン・グループはホームセンターやドラッグストアー、
SMのマックスバリューや、デベロッパーのイオンモールなど
郊外型の小売業業態を多く持っており、
セブン&アイにない一般消費者に向けて低価格を目指している。
反面、駅前型GMS型の店舗のおおいセブン&アイは、
その業態変更に大きなエネルギーを裂かなくてはならない
ハンデがある。
果して、この統合がプラスかマイナスかは評価は違ってくる。
私の評価は、イオン有利と判断するが、
西武百貨店の購入金額が2000億は安い買物?ではある。
百貨店では、まともな商品戦略を持っているのは
「伊勢丹」だけというから、ヨーカ堂のシステムが入れば
勝ち組に入る可能性もある。
見ている分には面白いが、当事者は血みどろだろう。
(。・ω・)ノ ジャ!
・・・・・・・
・・・・・・・
2004年12月27日(月)
1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。
また父が、東京女子医大病院で手術をした時、隣のベッドの人の話も
M資金に似た話を父にしていた。
「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
以前、潰れかかったミニゼネコンの社長から「M資金のルートがあるが、
興味があるか?」と、聞かれたことがあった。
のっけから相手にしてなかったので、相手は直ぐ諦めたが。
「検索」でM資金で検索して調べてみたら、面白い内容が次々と出てきた。
往年の二枚目俳優の田宮二郎も、騙され自殺をしていたことを初めて知った。
「M資金」は第二次大戦後に、日本に占領行政を行ったGHQ(連合国軍総司令部)の
経済科学局長だったマッカートの秘密資金と言われ、
その頭文字からM資金といわれている。
戦後の巨額詐欺事件で何度も登場している
戦後50年以上に渡って現在も進行中の古典的詐欺である。
「ある秘密資金があり、それを将来有望な貴社に低金利で融資したい。
しかしその資金を運用する為には様々な事前工作の必要があるので、
その工作資金を支払っていただけないか?」といった類の詐欺話である。
50年以上にわたって被害が後を絶たないのは何故なのか?
それは「ホントにM資金ってのがあるらしい・・・」
という噂がまだ蔓延しているからだ。
「なぜこんなことにだまされたのか」と思うが、
資金に困り、融資がのどから手が出るほど欲しい人にとっては、
絶望の中に光明を見た思いだろう。
それだけに悪質だ 。
関東圏だけでも、数万人がこれで生活しているという話を聞いたことがある。
ーその具体的詐欺の内容は
「実は、巨額の隠し資産があるのですが、
それを信用のある企業の方に低利でお貸しして、
企業の発展ひいては国家の発展を目指そうと言う制度があります。」
数億~数百億円を利子数%で融資してくれるという(サラ金で借りると20%位)。
「そんないい話しが」と疑っていると、
「財界の大物」風のご老人や、「大物政治家の秘書」を名乗る好青年、
「旧皇族」を名乗るやんごとなき身分の人?に会わせてくれたりもします。
お決まりのパターンである。
「○○社が急成長した陰には、M資金の経済的後押しがあったからだ。」とか、
「ヤマシタ資金の一部が、プラチナインゴットの形で市場に出回りだした。」
「今まで捕まった連中は詐欺だよ。でも、ホントのM資金は捕まる筈がないから
表に出てこないモンだ。」
「低利子で融資する代わりに、利子を先払いして欲しい」とか
「確実に融資できるように根回しするので、いくらか包んで欲しい」
と言ってくる。
数億~数百億円の融資ですから、利子や包むものもそれなりの金額
(数百万円~数億円)が当然必要になってくる。
藁(わら)にもすがりたい人は、用意周到な仕掛けについ信じてしまう。
その利子や根回し金を渡してしまう。
「マーカットの隠し資産」は既にメジャーになっているため、
亜流が多く存在し、山下財宝説、徳川埋蔵金説、華僑資金説をつくってくる。
さらに「薔薇十字団極東全権大使」、「サウジアラビアの王族」、
「ロスチャイルド家」「マルタ騎士団国」等を名乗って近寄ってくることが多いとか。
戦後に書かれた小説が元ネタであるのだが・・・
その小説自体が「事実を元に書かれた」事になってたりするからタチが悪い。
この50年間、あらゆる期間をとおして絶えることなく、。
ロッキード事件の最中に問題化した全日空社長の「大庭念書」をはじめ大日本インキ、
富士製鉄、神戸製鋼、東急建設、明電舎、丸善石油、TBS、特殊製紙、日産自動車や、
ヤオハン、俳優田宮二郎の猟銃自殺など多くの企業人が自殺したり失脚した背後に、
M資金の存在がとりざたされた。
あるHPの具体的な手口が生々しく面白いので、コピーしておきます。
ーM資金
「M資金」、戦後この言葉を新聞、TVで何回聞いた事だろう、まさか私に持ちかけられるとは
思いもしなかった。
中門造り民家を求めての何回目かの秋田方面への撮影行、久しぶりに夜行列車で行く事にしたが、
うっかり者の私が9時と11時を勘違いして2時間遅く上野駅に付いた時には寝台列車は
もうとっくに出た後、車掌さんにお願いして、グリーン車ならなんとかと言う事で
ヤット乗ることが出来た。
発車するとすぐ、隣の一見紳士風の人が話し掛けて来た
「君、この席が何だか知っているかね?この席は国会議員が急に地元へ帰る時の為に
常に開けて置くんだよ、よく取れたね」
「へーそうですか」感心して聞いていると、次々と話や質問が出て、
やがて私が東京で会社を経営し趣味で民家を撮って居る事が分かると風向きが変わってきた。
「今日は〇〇君(当時の総理大臣)と会っての帰りでね、面白い話が進んでいるんだよ、」
それから延々と続いた話を要約すると、
南方の然る国(数千の島々からなる国)の大統領一族の極秘の計画でその国で密かに発見された、
世界の石油事情を一変させる巨大油田の開発で、日本では〇〇君とその周辺の数人しか
知らないご極秘の計画だそうだ。
何枚も地図を広げて熱心に話す紳士の口からは極秘と言う言葉が何回も飛び出して来た、
開発は旧日本軍が隠した巨大な資金が当てられるが、開発会社に投資しないか、
と言うお話である。
「私は数千人の人を使って来て、人間を見る目がある、一目で貴方ならと感じた」
有り難い事である。
明日早くからの撮影のため早く眠りたいが、〇〇君、△△君、ⅩⅩ君など
有名政治家の名前を連発し、かなり精密な地図、計画図を拾数枚も広げて語る紳士風に
何時間も付き合ってしまった。
この人は一体何なのだろう、一国の総理と他国の大統領が計画する極秘の事業を
夜汽車で隣に座った見知らぬ人間にペラペラ話し、事業への参加を勧める、
こんな事で人を騙せるのか?聞いて居るうちに益々冷静になり、世に言うM資金に騙される人、
そして騙す人、そちらの方へ興味が行ってしまい、じっくり観察させて頂いた。
バッリとした服装、〇〇君、ⅩⅩ君の名前を気軽に挙げながら、権威の重さを示す話し方、
夜汽車の中では場所が悪かったが、気の利いた料亭の奥座敷などで話されたら、もしかしたら
乗せられてしまったかもしれない巧みな話ではあった。
その後巨大油田の話やそれで詐欺にあったと言う新聞記事を見ないから紳士風の計画は
失敗した様だ、あんなに一所懸命だったのに少し気の毒の様な気もした。
ーー
以上ですが、自分だけは絶対に大丈夫という人ほど、引っかかりやすいという。
あの田宮二郎がM資金が原因で猟銃自殺だったとは!
・・・・・・・
・・・・・・・
2003年12月27日(土)
997,「 私の死亡記事」-2
この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。
あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。
宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、
そして自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に
書くのも面白い挑戦でもある。
ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子
として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。
実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。
一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。
両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。
27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。
実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。
実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて
客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。
その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくが、バブルの時代に買い取り方式
に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ
丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と
長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって翌日死んでいるのを発見される。
誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に
皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。
享年57歳。
葬儀、告別式は本人の希望でなし。
・・・・・・・・・
2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事 」
‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!
各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である。」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。
まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては
意外と自己正当化しているのが可笑しい。
-私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳
(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
ただし身内のみで。
近じか真面目に書いてみよう。
・・・・・・・・
「私の死亡記事
出版社: 文芸春秋
ーレビュー
新聞の社会面に載る「死亡記事」。
それが、本人自らの筆によって書かれたとしたら…。
そんな発想から書かれた本書には、細川護煕、岸田秀、田辺聖子、渡辺えり子ら
著名人102名の空想上の死亡記事が著者本人によって記されている。
味気ない客観的業績の記録や経歴だけでなく、著者自身の視点から見た、
これまでの強烈な生き様や輝かしい業績への途、これから築くであろう架空の人生、
希望あふれる業績(予定)の数々が、手紙や俳句など形式にかかわらず、
見開き1ページで著してある。
何より、墓碑銘や死の描写などの創作的要素が多く盛り込まれた各々の文章が
共通しておもしろい。
著者各人の自由発想によって、「これが自分らしい死に方である」というくだりが
ドラマチックだったり、失笑を買うものであったりと創造性豊かな死に様が
描かれているのだ。また、「海に遺骨を撒く」、「風葬にする…」など自分なりの
墓標を立てたいという希望が多く、その主義主張が興味深い。
しかし、「死」を読んでいるはずが、読むうちに執筆者の「生」を感じ取れるのは
なぜだろう? 自身の「死」を想定することによって書かれた各人の死亡記事の根底には、
これから続くであろう「生」への希望、今まで生きてきた「生」への悔悟、自身の「生」
に深くかかわった人々への思いが流れていることに読者は気づくに違いない。
本書は創作された「死」の物語として楽しみ、「生」を省みる機会を読者に
与えてくれる。(青山浩子)
出版社/著者からの内容紹介
筒井康隆、若者グループと乱闘し撲殺さる!
──阿川弘之、桐野夏生、妹尾河童、細川護熙、渡邉恒雄ら百二名が記した「自らの死」
ー目次
御挨拶(阿川弘之)
とうとう最後まで(阿川佐和子)
いまだ死せず(阿刀田高)
愛犬稟に何の便りもなく(阿部謹也)
友人医師の一言を鵜呑みにした末に(安部譲二)
絶版男、熊に食われる(嵐山光三郎)
「歩く百科事典」逝く(荒俣宏)
趣味は嫉妬(安野光雅)
じゃんけんで負けて俳句に出会ったの(池田澄子)
御挨拶(阿川弘之)
とうとう最後まで(阿川佐和子)
いまだ死せず(阿刀田高)
愛犬稟に何の便りもなく(阿部謹也)
友人医師の一言を鵜呑みにした末に(安部譲二)
絶版男、熊に食われる(嵐山光三郎)
「歩く百科事典」逝く(荒俣宏)
趣味は嫉妬(安野光雅)
じゃんけんで負けて俳句に出会ったの(池田澄子)
そばつゆ(池部良)
〔ほか〕
・・・・・・・・
・・・・・・・・
2002年12月27日(金)
623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。
感想はとにかく画面がきれいだ。
明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。
会社のパソコンの入れ替えを利用して大体2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。
今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。
当たりであった。
画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。
まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも
遠からじという感じがする。あと二年経ったらもっと凄い内容に
なっているのは間違いがないだろう。
恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。
不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信
できるのが売り出されるという。
5~6分のものを3本まで可能といっていた。
面白い時代だ!
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
2001年12月27日(木)
282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。
必ずいるはずだと。山田太郎とか、小林恵子とか言う名前の人は
何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。
ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。
初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、
それはおかしいと思い止めた。
その話をある知人に話したら、
それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、
マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。本人もびっくりしていた。
堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。
第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。その社長の名が堀井だった。
鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分に
そっくりな男だった。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
ある時間の断片
12月27日 1968年
12時に起床する。
午後読書をする。
夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。
22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。
自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。
彼らに理想などあるものだろうか。
この溝はもう埋められない。
-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。
国会議員なら、もっと程度が??
・・・・・・・
・・・・・・・
ーある時間の断片
12月26日 1968年
11時起床。
午後から卒論のまとめ。
ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。
これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。
少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。
行くべき方向も見つけた。
自分の長所も欠点も把握した。そして自信もついた。
これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジを
することになる。そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくては
ならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
両親を見てみるがよい。
戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。
私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。
その為には、逆に自分の中に生きなくてはならないのだ。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。
私の中のそれを探し出していかなくてはならない。
石川にしても、外山にしても、河村にしても、それぞれが外から見ると
大きな宝石が見て取れる。もちろん自分にもそれに負けないものが
あるはずである。
最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。
何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのかなどである。
纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。
少し考えすぎだ。
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今日、金曜日はシネマの日。『ハンガー・ゲーム Ⅱ』を見てきた。
ネットの評価は、良くなかったが、内容は非常に面白い。
で、今年は53回目になった。平均、週一回以上、行ったことになる。
http://www.hungergames.jp/
・・・・・・
1729, 流通再編成
2005年12月27日(火)
(*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが
傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
これで、7兆数千億の規模になり、
世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
これで国内でイオンと二大流通グループを構成することになる。
アメリカのセブンイレブン本社も買収しているから、
世界の流通として質からみても
遜色ない流通グループになる。
~~旦_(-ω-`。)
イオン・グループはホームセンターやドラッグストアー、
SMのマックスバリューや、デベロッパーのイオンモールなど
郊外型の小売業業態を多く持っており、
セブン&アイにない一般消費者に向けて低価格を目指している。
反面、駅前型GMS型の店舗のおおいセブン&アイは、
その業態変更に大きなエネルギーを裂かなくてはならない
ハンデがある。
果して、この統合がプラスかマイナスかは評価は違ってくる。
私の評価は、イオン有利と判断するが、
西武百貨店の購入金額が2000億は安い買物?ではある。
百貨店では、まともな商品戦略を持っているのは
「伊勢丹」だけというから、ヨーカ堂のシステムが入れば
勝ち組に入る可能性もある。
見ている分には面白いが、当事者は血みどろだろう。
(。・ω・)ノ ジャ!
・・・・・・・
・・・・・・・
2004年12月27日(月)
1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。
また父が、東京女子医大病院で手術をした時、隣のベッドの人の話も
M資金に似た話を父にしていた。
「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
以前、潰れかかったミニゼネコンの社長から「M資金のルートがあるが、
興味があるか?」と、聞かれたことがあった。
のっけから相手にしてなかったので、相手は直ぐ諦めたが。
「検索」でM資金で検索して調べてみたら、面白い内容が次々と出てきた。
往年の二枚目俳優の田宮二郎も、騙され自殺をしていたことを初めて知った。
「M資金」は第二次大戦後に、日本に占領行政を行ったGHQ(連合国軍総司令部)の
経済科学局長だったマッカートの秘密資金と言われ、
その頭文字からM資金といわれている。
戦後の巨額詐欺事件で何度も登場している
戦後50年以上に渡って現在も進行中の古典的詐欺である。
「ある秘密資金があり、それを将来有望な貴社に低金利で融資したい。
しかしその資金を運用する為には様々な事前工作の必要があるので、
その工作資金を支払っていただけないか?」といった類の詐欺話である。
50年以上にわたって被害が後を絶たないのは何故なのか?
それは「ホントにM資金ってのがあるらしい・・・」
という噂がまだ蔓延しているからだ。
「なぜこんなことにだまされたのか」と思うが、
資金に困り、融資がのどから手が出るほど欲しい人にとっては、
絶望の中に光明を見た思いだろう。
それだけに悪質だ 。
関東圏だけでも、数万人がこれで生活しているという話を聞いたことがある。
ーその具体的詐欺の内容は
「実は、巨額の隠し資産があるのですが、
それを信用のある企業の方に低利でお貸しして、
企業の発展ひいては国家の発展を目指そうと言う制度があります。」
数億~数百億円を利子数%で融資してくれるという(サラ金で借りると20%位)。
「そんないい話しが」と疑っていると、
「財界の大物」風のご老人や、「大物政治家の秘書」を名乗る好青年、
「旧皇族」を名乗るやんごとなき身分の人?に会わせてくれたりもします。
お決まりのパターンである。
「○○社が急成長した陰には、M資金の経済的後押しがあったからだ。」とか、
「ヤマシタ資金の一部が、プラチナインゴットの形で市場に出回りだした。」
「今まで捕まった連中は詐欺だよ。でも、ホントのM資金は捕まる筈がないから
表に出てこないモンだ。」
「低利子で融資する代わりに、利子を先払いして欲しい」とか
「確実に融資できるように根回しするので、いくらか包んで欲しい」
と言ってくる。
数億~数百億円の融資ですから、利子や包むものもそれなりの金額
(数百万円~数億円)が当然必要になってくる。
藁(わら)にもすがりたい人は、用意周到な仕掛けについ信じてしまう。
その利子や根回し金を渡してしまう。
「マーカットの隠し資産」は既にメジャーになっているため、
亜流が多く存在し、山下財宝説、徳川埋蔵金説、華僑資金説をつくってくる。
さらに「薔薇十字団極東全権大使」、「サウジアラビアの王族」、
「ロスチャイルド家」「マルタ騎士団国」等を名乗って近寄ってくることが多いとか。
戦後に書かれた小説が元ネタであるのだが・・・
その小説自体が「事実を元に書かれた」事になってたりするからタチが悪い。
この50年間、あらゆる期間をとおして絶えることなく、。
ロッキード事件の最中に問題化した全日空社長の「大庭念書」をはじめ大日本インキ、
富士製鉄、神戸製鋼、東急建設、明電舎、丸善石油、TBS、特殊製紙、日産自動車や、
ヤオハン、俳優田宮二郎の猟銃自殺など多くの企業人が自殺したり失脚した背後に、
M資金の存在がとりざたされた。
あるHPの具体的な手口が生々しく面白いので、コピーしておきます。
ーM資金
「M資金」、戦後この言葉を新聞、TVで何回聞いた事だろう、まさか私に持ちかけられるとは
思いもしなかった。
中門造り民家を求めての何回目かの秋田方面への撮影行、久しぶりに夜行列車で行く事にしたが、
うっかり者の私が9時と11時を勘違いして2時間遅く上野駅に付いた時には寝台列車は
もうとっくに出た後、車掌さんにお願いして、グリーン車ならなんとかと言う事で
ヤット乗ることが出来た。
発車するとすぐ、隣の一見紳士風の人が話し掛けて来た
「君、この席が何だか知っているかね?この席は国会議員が急に地元へ帰る時の為に
常に開けて置くんだよ、よく取れたね」
「へーそうですか」感心して聞いていると、次々と話や質問が出て、
やがて私が東京で会社を経営し趣味で民家を撮って居る事が分かると風向きが変わってきた。
「今日は〇〇君(当時の総理大臣)と会っての帰りでね、面白い話が進んでいるんだよ、」
それから延々と続いた話を要約すると、
南方の然る国(数千の島々からなる国)の大統領一族の極秘の計画でその国で密かに発見された、
世界の石油事情を一変させる巨大油田の開発で、日本では〇〇君とその周辺の数人しか
知らないご極秘の計画だそうだ。
何枚も地図を広げて熱心に話す紳士の口からは極秘と言う言葉が何回も飛び出して来た、
開発は旧日本軍が隠した巨大な資金が当てられるが、開発会社に投資しないか、
と言うお話である。
「私は数千人の人を使って来て、人間を見る目がある、一目で貴方ならと感じた」
有り難い事である。
明日早くからの撮影のため早く眠りたいが、〇〇君、△△君、ⅩⅩ君など
有名政治家の名前を連発し、かなり精密な地図、計画図を拾数枚も広げて語る紳士風に
何時間も付き合ってしまった。
この人は一体何なのだろう、一国の総理と他国の大統領が計画する極秘の事業を
夜汽車で隣に座った見知らぬ人間にペラペラ話し、事業への参加を勧める、
こんな事で人を騙せるのか?聞いて居るうちに益々冷静になり、世に言うM資金に騙される人、
そして騙す人、そちらの方へ興味が行ってしまい、じっくり観察させて頂いた。
バッリとした服装、〇〇君、ⅩⅩ君の名前を気軽に挙げながら、権威の重さを示す話し方、
夜汽車の中では場所が悪かったが、気の利いた料亭の奥座敷などで話されたら、もしかしたら
乗せられてしまったかもしれない巧みな話ではあった。
その後巨大油田の話やそれで詐欺にあったと言う新聞記事を見ないから紳士風の計画は
失敗した様だ、あんなに一所懸命だったのに少し気の毒の様な気もした。
ーー
以上ですが、自分だけは絶対に大丈夫という人ほど、引っかかりやすいという。
あの田宮二郎がM資金が原因で猟銃自殺だったとは!
・・・・・・・
・・・・・・・
2003年12月27日(土)
997,「 私の死亡記事」-2
この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。
あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。
宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、
そして自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に
書くのも面白い挑戦でもある。
ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子
として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。
実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。
一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。
両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。
27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。
実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。
実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて
客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。
その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくが、バブルの時代に買い取り方式
に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ
丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と
長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって翌日死んでいるのを発見される。
誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に
皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。
享年57歳。
葬儀、告別式は本人の希望でなし。
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2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事 」
‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!
各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である。」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。
まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては
意外と自己正当化しているのが可笑しい。
-私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳
(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
ただし身内のみで。
近じか真面目に書いてみよう。
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「私の死亡記事
出版社: 文芸春秋
ーレビュー
新聞の社会面に載る「死亡記事」。
それが、本人自らの筆によって書かれたとしたら…。
そんな発想から書かれた本書には、細川護煕、岸田秀、田辺聖子、渡辺えり子ら
著名人102名の空想上の死亡記事が著者本人によって記されている。
味気ない客観的業績の記録や経歴だけでなく、著者自身の視点から見た、
これまでの強烈な生き様や輝かしい業績への途、これから築くであろう架空の人生、
希望あふれる業績(予定)の数々が、手紙や俳句など形式にかかわらず、
見開き1ページで著してある。
何より、墓碑銘や死の描写などの創作的要素が多く盛り込まれた各々の文章が
共通しておもしろい。
著者各人の自由発想によって、「これが自分らしい死に方である」というくだりが
ドラマチックだったり、失笑を買うものであったりと創造性豊かな死に様が
描かれているのだ。また、「海に遺骨を撒く」、「風葬にする…」など自分なりの
墓標を立てたいという希望が多く、その主義主張が興味深い。
しかし、「死」を読んでいるはずが、読むうちに執筆者の「生」を感じ取れるのは
なぜだろう? 自身の「死」を想定することによって書かれた各人の死亡記事の根底には、
これから続くであろう「生」への希望、今まで生きてきた「生」への悔悟、自身の「生」
に深くかかわった人々への思いが流れていることに読者は気づくに違いない。
本書は創作された「死」の物語として楽しみ、「生」を省みる機会を読者に
与えてくれる。(青山浩子)
出版社/著者からの内容紹介
筒井康隆、若者グループと乱闘し撲殺さる!
──阿川弘之、桐野夏生、妹尾河童、細川護熙、渡邉恒雄ら百二名が記した「自らの死」
ー目次
御挨拶(阿川弘之)
とうとう最後まで(阿川佐和子)
いまだ死せず(阿刀田高)
愛犬稟に何の便りもなく(阿部謹也)
友人医師の一言を鵜呑みにした末に(安部譲二)
絶版男、熊に食われる(嵐山光三郎)
「歩く百科事典」逝く(荒俣宏)
趣味は嫉妬(安野光雅)
じゃんけんで負けて俳句に出会ったの(池田澄子)
御挨拶(阿川弘之)
とうとう最後まで(阿川佐和子)
いまだ死せず(阿刀田高)
愛犬稟に何の便りもなく(阿部謹也)
友人医師の一言を鵜呑みにした末に(安部譲二)
絶版男、熊に食われる(嵐山光三郎)
「歩く百科事典」逝く(荒俣宏)
趣味は嫉妬(安野光雅)
じゃんけんで負けて俳句に出会ったの(池田澄子)
そばつゆ(池部良)
〔ほか〕
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2002年12月27日(金)
623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。
感想はとにかく画面がきれいだ。
明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。
会社のパソコンの入れ替えを利用して大体2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。
今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。
当たりであった。
画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。
まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも
遠からじという感じがする。あと二年経ったらもっと凄い内容に
なっているのは間違いがないだろう。
恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。
不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信
できるのが売り出されるという。
5~6分のものを3本まで可能といっていた。
面白い時代だ!
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2001年12月27日(木)
282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。
必ずいるはずだと。山田太郎とか、小林恵子とか言う名前の人は
何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。
ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。
初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、
それはおかしいと思い止めた。
その話をある知人に話したら、
それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」とのこと。
それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、
マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。本人もびっくりしていた。
堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。
第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。その社長の名が堀井だった。
鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分に
そっくりな男だった。
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ある時間の断片
12月27日 1968年
12時に起床する。
午後読書をする。
夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。
22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。
自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。
彼らに理想などあるものだろうか。
この溝はもう埋められない。
-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。
国会議員なら、もっと程度が??
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ーある時間の断片
12月26日 1968年
11時起床。
午後から卒論のまとめ。
ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。
これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。
少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。
行くべき方向も見つけた。
自分の長所も欠点も把握した。そして自信もついた。
これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジを
することになる。そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくては
ならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。
両親を見てみるがよい。
戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。
私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。
その為には、逆に自分の中に生きなくてはならないのだ。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。
私の中のそれを探し出していかなくてはならない。
石川にしても、外山にしても、河村にしても、それぞれが外から見ると
大きな宝石が見て取れる。もちろん自分にもそれに負けないものが
あるはずである。
最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。
何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのかなどである。
纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。
少し考えすぎだ。