つれづれに

イメージ 1

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=v1wQfT6wQF0

一年過ぎることの早いこと、「 光陰矢のごとし 」である。
平原は、森林(現役時代)と違って、変化が少ないと言うことか。
それでも暇を持てあますことは、ほとんどないし、面白い日々である。
 しかし段々、老化していく肉体と精神に直に向き合っている自分がいる。
何か、自分の過去と現在の自分の対話を膝を突き合わせてしているような。
それと、夢がシビアになっている。すでに亡くなった人が夢にリアルに出てきて、
話しかけてくる。そういうのを浮かばれないで、私のところに彷徨い出てきたと
いうのだろうが・・ 




/////
2002年12月26日(木)
622, パタゴニア旅行記ー8

アルゼンチンとチリの民度の差を感じた。
特にアルゼンチンの汚職体質と民度の低さを。

一度アルゼンチンに入りペルノモリノ氷河などの氷河国立公園を
行った後にペルーに入った。
その出国にあたり国境警備をしている憲兵隊が、要求をしたこがない書類を
バスの運転手に要求してきた。これは暗にお金を要求していることだという。

拒否をした為に書類を取りにワザワザもとの街に戻り、4時間近くのロスを
してしまった。また再入国のときもにも同じような事があった。
アルゼンチンはそういう体質らしい。国境を越えると空気が全く変わったのだ。
ペルーは資源に恵まれていることも含めて民度の差が歴然としているのが
はっきり判った。

さらにアルゼンチンは国家が破綻をしている状態だった。
国家経済は破綻しているが、国民はドルの箪笥預金を持って自衛をしている。
自国の金よりドルが国内で主に流通しているという。
日本の数年先の姿に見えてきた。

昨日たまたま野口悠紀雄のホームページを見ていたら、全く同じ内容の
ことが書いてあった。あとでコピーしておく。

チリ・アルゼンチンと日本の物価の差は3倍であった。
賃金は10分の1である。そうすると豊かさの差は3倍ある。
実際そう思えた。
日本がデフレで騒いでいるが、まだまだ物価は外国に比べて3倍であることは
事実である。当分はデフレは収まらないだろう。

・・・・・・・・・・・
野口悠紀雄のホームページからー
日本とアルゼンチンの違いは何か?
答え:2年。
(すでにかなり膾炙(かいしゃ)している(特に、金融関係者のあいだで)。
原典が外国の雑誌なので、外国人に話しても多分ダメだろう。
もっとも、先日ある大使館の昼食会で話したら、かなり受けた。

なお、私の友人の指摘では、2 年というのは間違いで、正しくは 2 ヶ月だという。
そうだとすると、言うならいまのうちだ。

ある会合で、ある人(政策当局者)が、「アルゼンチンと比べるなんて、
けしからん。失礼だ」と息巻いていた。
私は、「本当に失礼ですよね。アルゼンチンに。」と言いいかけて、
危ないところで思いとどまった。
  
ー上記を説明するとー
2年というのは日本の将来の姿である。
アルゼンチンの失業率は30㌫であった。
日本の汚職は絶望的だ。
自?党と官僚と企業がつるんだ時間をかけた構造汚職だからだ。
アルゼンチン以下の日本に成り下がったか!!
・・・・・・・・
・・・・・・・・
2001年12月26日(水)

281、夢日記ー12

夢で景色のあまりの美しさに、よーく見ようとした瞬間消えてしまう。
誰も経験があると思う。

変わった夢にこんな夢がある。夢の中で瞑想をしていると、
自分の体がスーと浮き、部屋の天井の近くに漂っている。
さらに庭の辺りまで浮いている。
そして下をみて凄い経験をしている自分が信じられない!
浮遊しながらこういう自分が不思議と思っている夢である。

昨夜の夢は、かなり危ない夢であった。「酔って留置場に一晩泊まってきた」
と家内に起こされ説教されている夢であった。
夢の中だが誰かと飲んで後の記憶は全くないのだ。もちろん留置場など
泊まったことがないが、朝起きて記憶のないとき、そういわれてもしかたがない。
前日「男はつらいよ」のなかでそれに近い場面があったのが、
自分の酔っ払いの失敗と重なって夢になったと思うが。

夢は一日100分見るという。そうすると、一年で一ヶ月ちかく夢の世界にいるという。
一生で五年間以上夢を見ていることになる。そうするとそれを如何考えるかは重要だ。

それを記録して自分の潜在意識を覗き込むと、明せき夢(はっきり覚えている夢)
を見る頻度が多くなる。夢は自分の潜在意識の入り口でもある。

夢日記でよく覚えているのは、その直前に非日常の激しい経験をしたあとの
リアクションである。そう考えると他愛のないものとも思う。むしろ忘れてしまって
いる内容こそ深い自分の意識ではないか。

潜在意識下の戯曲化が夢であろう。

夢日記を書くこと、そしてそれを読み返すことは自分と潜在意識との対話になる。
難しくいえば顕在意識と潜在意識の対話といってよい。
・・・・・・・
・・・・・・・

ーある時間の断片
12月26日  1968年

11時起床。

午後から卒論のまとめ。
ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が贈ってくる。
その文面によると、2月21日から出社のようだ。
これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。
少し自分の気持を整理をしてみよう。
学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。
行くべき方向も見つけた。
自分の長所も欠点も把握した。そして自信もついた。
これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジを
することになる。そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくては
ならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。

 両親を見てみるがよい。
戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。
私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。
その為には、逆に自分の中に生きなくてはならないのだ。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。
私の中のそれを探し出していかなくてはならない。
石川にしても、外山にしても、河村にしても、それぞれが外から見ると
大きな宝石が見て取れる。もちろん自分にもそれに負けないものが
あるはずである。

 最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。
これは哲学的になってきたということだろう。
何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか
などである。纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。
少し考えすぎだ。