つれづれに

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今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=jyce1BJytAs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1_PnIZPawCE&feature=related

 今朝は一転して大雨、スコールのような、地元では珍しい降り方である。
暑さのため、ダムなどの貯水もかれ出した矢先、丁度よい天候でもある。



ー 随想日記の同月同日のカット分 ー

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1252, オーストリア旅行記ー3
2004年09月06日(月)
  ーシェーンブルン宮殿
シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。その名を持つこの宮殿は、女帝マリア・テレージアを
はじめ、その娘マリ-・アントワネット、皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、
パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。そのきらびやかな部屋からは、
華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。
 その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
 1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に居室として
使用していた部屋である。18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの写実的な
タベストリーが部屋を飾ってあった。
マリー・アントワネットの部屋
 マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで
 殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。
・鏡の間
 1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージア
 の前で初の御前演奏を行なった場所である。
 そこで演奏後、けつまずいたモーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。
・漆の間
 マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに金で描かれた花鳥や
東洋的な風景が壁一面に覆っていた。そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの
肖像画が飾られていた。そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。
ー聖シュテファン寺院 Stephansdom
 市内中心部にある大きな教会。
塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。エレベーターで、その屋根の上まで
昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から
 国立オペラ座あたりまでをぶらぶらと歩いてみた。
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2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ
 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の2時間番組を放送していた。
昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が
残っており丁度よいタイミングであった。(感想文は後にコピー)
 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた内容の濃いものであった。
アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と愛を歌い続けてきた。
バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。その隅々までタンゴの一部に
なっているようである。パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、
そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。 その時パリにやってきていた
カシミール・アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。
それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話が残っている。
 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに、
世界中の踊りや歌を携えて船乗りたちがながれてきた。そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊り。
キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い出来上がっていった。
執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。
 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。変な気取りを全て捨てて
鳥のように誘惑しあう姿が美しい。男女が身体を離して踊るのではない。
二人は密着しあって一つになる踊りである。彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、
出会いの場が多い。ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)
で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。
全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、それがアルゼンチンタンゴである。

ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。
スペインのフラメンコは一人踊りか、集団で踊るかだ。
それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
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ータンゴの歴史
 タンゴがうまれたのは今からおよそ130年位前のブエノスアイレスの場末といわれる。
ジャズよりもずっと昔からタンゴが存在していたことになる。タンゴを生んだのは
プエノスアイレスにやつてきたイタリア系とスペイン系の移民たち、自然に生きてきた
牧童ガウチョ、黒人の子孫たち、それも社会生活からハミ出してしまったやくざ者たちである。
 彼らが自分たちの娯楽として作り出したダンス音楽がタンゴとなったのだ。
だからタンゴにはそれぞれが生れ故郷で親しんできた昔楽が入り込んでいるし、
望郷を思わせる哀愁あるメランコリックなメロヂィーを持っているのである。
 タンゴが他の地域へとひろまり始めたのが1920年代。きっかけはそれまで
ダンス音楽だつたタンゴに「歌」という表現形式が現れたことといわれる。
それから楽譜産業、レコード産業の発展も大きく貢献した。
それと並行してパリを中心にしてタンゴは世界的流行を見せ始める。
 その後はアメリ力の映画や音楽に押されてしまうが、1940年代に復活、
フアン・ドミン」・ペロン大統領とその妻エビータのナショナリステイツクな
政策も助けとなって第二の黄金期を迎える。
 1950年代後半から経済悪化にともない、小編成グループが増加、
アストル・ピアソラを中心とした現代タンコ・への歩みもスタートする。
 今、アルゼンチン・タンゴ・界では昔からのスタイルも、
現代的なスタイルも、男性歌手も女性歌手もあり、ダンサ一も数多く活
躍し、とてもパラエティに富んだ趣味、芸術に発展したのである。
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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
 アルゼンチンタンゴがすばらしい!
昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士
が女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。その踊りが西欧の人達に
認められていった。従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショー。
 お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。この旅を締めくくるに最高のイベントであった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
この旅行は心に多くのものを残してくれた。
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2002年09月06日(金)
511,こころの添削
「文章を添削することは心を添削することだ。その人の心が添削されないかぎりは
その人の文章も添削されようがない」
       ー藤村藤村の「初学者のために」より
なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが
自分自身である。思っていることを書き出して、添削を続けていると
心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。
そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。
文章の上達は「量を書くことと添削しかない」と立花隆が書いていたが、そのとおりである!
添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提になっている自分の視線・視点を治す事だ。
言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!
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人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」
これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。ものを書くことも然りと、
田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
なるほどと思ったと同時に、文を書くとき本当にそう考えていただろうか?
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「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。
なるほど、そのとおりである。毎日書き続けていてそう実感する。
「こんなことを知っているぞ」とか「こんな経験したことがあるぞ」とかだ。
それでは外に何を書けといえばいいのか?やはりその類のことしか実際のところない。
勝手に書いて、公開しているんだからと開き直るしかない。何か書いている原動力が自慢話とは、
それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」

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2001年09月06日(木)
[135] 熊
熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、その向こうに家がある」
さあ貴方はどうする。「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」

木は理想。
池はセックス。
家は-実家ー昔の思い出ー田舎に帰って実家の商売の手伝いーなど
ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。
これが人間の姿だそうだ。熊は何かーもちろん現実そのものだが、自分の影か父親か。
この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。
この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。
「何処かの家の外に熊がいる、いつのまにか家の一階にいる、そのうちドアの
外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。
どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。