つれづれに

2007/07/12
2291, 10歳の放浪記 -3    。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を紹介したが、これは深い意味が含まれている。
この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が
取りあげられている。辞書でトラウマを調べると、「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)
と外的原因(侵襲破壊的)がある。」とある。特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。
癒し系の本には、その時の自分を思い出して、イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の
治療になる、とある。ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの
「10歳の放浪記」をドラマ仕立て観て、感動し、この随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。
先日の日曜日に近くの図書館のファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。
 諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
  ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー
四月になると、暖かい日が続いたので、早苗は母が買ってくれた半コートを父のボストンバッグにしまった。
父は数日にわたって、風邪で熱を出していた。早苗は天井を向いている父の横で、算数の計算ドリルをしていた。
「なこちゃん」父が目を開けた。「ン?」早苗が父の顔をのぞきこむと、「死のうか…」とポヅリとつぶやいた。
「やだ。まだ、マティー二を飲んでないもん」早苗は首をふった。
(映画館で見た、マティーニを飲むことを夢みていたのだ)
「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ」 父の言葉がショックだった。

早苗は大きな溜め息をはくと、外に飛び出た。姉は、東京の巣鴨だときいていた。姉なら、なんとかお金を
貸してくれるだろうと思ったが、電車賃がなかった。早苗は歩く道々に、お金が落ちていないか目を
皿のようにして探した。駅前の通りを歩いていると、パチンコ店の中から『軍艦マーチ』の曲がきこえてきた。
早苗がその曲につられるようにして、店内を見ると、銀色の玉が一つ、二つ、床に落ちているのが見えた。 
ここで稼ぐしかない。

ドアを開けると、耳をつんざくような軍艦マーチ一の曲と、チン、ジャラ、ジャラという音が聞こえてきた。
床に落ちている玉を探し求めて、何個かの玉を握りしめた。人に怪しまれないように、早苗はおばあさんの
隣を探して座った。そうすれば、祖母と孫だと入は思うだろうと考えた。

早苗は・おばあさんのやり方を見た。パチンコ台の右わきの小さな穴に玉を入れて、
バネを右手の親指で掃せばいいのだとわかった。早苗はゆっくり玉を入れた。そして、ゆっくりとバネを押した。
力が弱すぎたのか、玉はパチンコ台のくぎにも届かず下に落ちていった。二つ目はバネを押す力が強すぎて、
台のくぎの外側を大きく回って下に落ちた。早苗は深呼吸した。三つ目がようやく、台のてっぺんにある
くぎで囲まれた小さな穴に入ろうとして、くぎにはじかれて下に落ちた。(ここをねらえばいいんだ)
早苗は四つ目を、はじいた。四つ目の玉はてっぺんの穴に吸いこまれるようにストンと落ちた。
チン、ジャラ、ジャラという音とともに、台の受け皿に玉が出てきた。早苗はホッとして、五つ目を入れた。
すると右わきの穴の途中に玉が引かって止まった。早苗が小さな声で「あっれ」と言うと、隣のおばあさんが、
「上についてるブザーを抑しな」と教えてくれた。

早笛が思い切ってブザーを押すと、台の後ろから、ニキビがたくさんある若い男の店員が顔を出した。
そして、体を乗り出して台の扉を開けると、引っかかっていた玉を下に押してくれた。
それから、早苗を見て、「どうしたの?」ときいた。早苗は、「どうしたの?」という言葉を、
「どうして子どもが一人で来てるの?」という意味にとって、「お父さんが病気で」と、
小さな声で言った。そのあと、早苗の台は、まるで壊れたように玉が出てきた。
「あんた、上手だね」隣のおばあさんが手を止めて、早苗の指つかいを見た。早苗は、
バチンコ台の玉が出るようしてくれているお兄さんの秀が迷惑にならないよう、必死にうった。
 ーーーー                    
   実際の経験だから、人を引きつけるのだろう。              
   戦争体験は、もっともっと凄い体験をしたのだろう。
   地元長岡は空襲を受け焼け野原、両親から色いろ聞いてきたが・・・・
   それでも、国を守るためには戦わなければならない!それが現実である。
     戦争放棄だと、この国は!  
     気違い国家の隣にいて、それから金を貰っていた政党が今も闊歩して、
     戦争反対だという!歴史上、これだけノウテンキな国はないだろう! -つづく
                         ヾ(。´・ェ・`。)Byeヾ
2007/07/05
2284, 10歳の放浪記 -2            *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
    この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。
     その内容がユニークである。
    「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。
     彼女らを嫌わないでください。
     彼女たちは誰からも愛されなくなってしまったのです。
     誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。
     先生の仕事は子供を愛することです。人を愛することです。
     その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、
     まず自分を愛せなくてはなりません」    という言葉が何とも説得力があった。

一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた自分に、男の先生が
「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。
その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。
 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。
ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに
生きなくてはいけない」 これも、自己否定からくる良心からの説得力のある言葉である。
「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。まず親が『幸せ』と
感じなければ子どもも幸せになれない。それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」
「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。色いろな経験から、そうしなくては
ならなくなったのです」の言葉が重い。
最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、
あの揺れ動いていた時期の日々を。誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されて
しまったような不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も大きな節目となる。
そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?
壮烈な戦場がある。そこには虐めと、虐められるギリギリ中ので、人間としてのベースがつくられる。

彼女のような経験は特殊だが、しかし大きく揺れる時期でもある。
一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。

10歳の子供が、ケネディーの 
「国家が何を自分にしてくれるかより、国家のために自分が何ができるかを問え」
を「親」に切り替えるとは、 驚きである。   (* ̄∀ ̄)**SeeYou