昨夜は、中学校の同期会が長岡駅裏の居酒屋で開かれた。
13人出席。二次会は殿町で。 一次会、二次会ともども三千円。
夏の泊まり込みの同期会の予算のオーバー分の補助があったことと、
居酒屋のチラシが出ていて、その割引もあったようだが。
それにしても、女性たちの元気の良いこと。家には22時頃、到着。
引き上げ時間が少し早いため、二日酔いはなし。で、また12月1日に
忘年会をするという。これで、今年に入って4回目になる。年金暮らしで
大丈夫か心配になる。
・・・・・・
・・・・・・
3477, ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する
2010年10月02日(土)
「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」 鬼塚 英昭 著
ー内容紹介ー
読者よ、知るべし。この八百長恐慌は、第一にアメリカの解体を目標として遂行されたもので
あることを。そして金融マフィアの世界支配の第一歩がほぼ達成されたことを。私たちは微力である。
しかし、このまま、この八百長恐慌をただ黙殺していてもよいものなのか。ヨーロッパもアメリカ
同様に解体される。恐慌の津波は太平洋を越えて日本に襲いかかろうとしているのだ。
~~
この本によると「ロスチャイルド」が世界を牛耳っており、ロックフェラーさえ配下にして
いるという。東南アジアを、日本を、そしてアメリカを破壊し、今度は「中国」に目を向け、新しい
世界マネーの覇権を共有しようと図っており、その鎧が出るのが2012年という。
そのため中国は金(ゴールド)を買い増し、世界中の資源を買い漁っている。
ロスチャイルドを軸に、2012年に中国と仕掛ける新世界秩序を明確にしている。(中国に仕掛けた上で、
結果として主導権を握る)
この世界恐慌も仕組まれた八百長恐慌であり、アメリカ解体を目指し遂行されたものと知るべしという。
そして現在、ロスチャイルドによる金融の世界支配の第一歩がほぼ達成された。次は欧州もアメリカ同様
に解体される。恐慌の津波は太平洋を越えて現在日本に覆いかかってきている。まずは円高、そして次は
株安、その後、円安になる。その過程で、激安になった日本株の買い漁りを彼らは狙い定めている。
ドラッがーは「重要なのは既に起こった未来を確認することである」と述べているが、彼は起きた過去と
現在の中に、未来の姿が隠れているという。それからすると、近未来は一部の勝者が大多数の敗者を支配する
「人間つぶし」の暗い現象、資本主義に代わる共産主義に近い国家の姿であった。
そうと分かっていても日本人には、未来の子供に与える財産はないのである。結局、アメリカドルの
下落は最小に留まり、株価は少しだが高くなると著者は予測。 そしてアメリカの金融資本を握っている
ユダヤ人は、アメリカを二極化の強者は残す。金融資本主義者は、バブル崩壊で多大の利益を得るのである。
そのためにバブルをつくりあげ、潰すのである。1985年にプラザ合意で日本は内需を強要され、
バブルを強要された。 そして、ある時期に彼等の手で株式の暴落を誘導されていった。
それと同じことが、アメリカのサブプライム・ローンのバブルと、その崩壊、そして金融恐慌であった。
その刈り入れが2012年から本格的に始る。100年~250年に一度のバブル崩壊は、彼等のターゲット
だったという著者の意見は、過去の所業からみて、疑う余地がない。そうこう考えると、哀れなのが
現在の日本の現状。更に収奪されようとしている。
・・・・・・・・・
3102, かなしみの詩
2009年10月02日(金)
かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー 上條さなえ著
たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。
今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。 図書館の天使が導いたのだ。
「10歳の放浪記」では、その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の
「非情な虐めがあった」と書かれていた。
学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。
11歳といえば自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。 不幸な子供たちほど仲間への
虐めも辛らつになる。その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。 そこで、自然と本を手に
取るようになる。そして、そこで先生に手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。いのちなき砂の
かなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落ついのちなき砂のかなしさよ という言葉が、
さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。
かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し
この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。
そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。
山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」
「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った
かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し
山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。
食べ物にはね、うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると
思っているんだ」
「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。
とっても大切な味なんだ。早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」
私は俯いたまま涙をこぼした。わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。
~以下は、この本の紹介文~
昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。
愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、
そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、
渾身の自伝第2弾。 養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公・早苗は、
意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく
生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに
児童文学作家として立つ原点となる。
《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたし
は山下先生との出会いにより、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたし
の励みになったことでしょう。 友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。
また、わたしはホームレスの日々を経て、 強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》
後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに!
ーーーーー
2283, 10歳の放浪記
才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が
溢れてしまった。昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。10歳の時、父親が
事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、その後児童福祉施設を経て、
後に小学校教員になった経歴を持つ。その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。
あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実に
ひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。高度経済成長期の昭和35年の頃の、
学校に行けなかった1年間の生活を淡々と描写してある。父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしを
していた彼女を支えてくれたのは、街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の
人々である。弱者に対して優しかった時代であった。そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、
東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳
だったその日暮らしの父親と2人、やむなくのホームレス生活だった。10歳という年で、道に
お金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、パチンコをする。。
(字数制限のためカット 2010年10月2日)
・・・・・・・・・・
2737, 1929年の世界恐慌とは?
2008年10月02日(木)
昨日の毎日新聞の「なるほどドリ」質問、というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融
危機を対比して説明している。これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産
ラッシュで、三年で失業者が4人に1人の割合になり、これが世界第二次大戦につながっていった。
この「世界恐慌」に酷似している、というから恐ろしい。ともにバブル崩壊が引き金!
という。29年の世界恐慌に詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が
大きく性質が悪い」とコメント。
~~~~
なるほどドリ 株価が大変なことになっているね。
記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、
史上最大の下げ幅でした。 グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は
「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に状況が似てきたとの懸念も出す。
Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。
A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした
世界の金融危機と、その後の長期的な不況を指しています。
Q 今と似てるの?
A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後
の特需や工業化による空前の好景気でダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。今回もダウ
平均は過去3年で2割以上、住宅価格は5年で倍に上昇しています。「株と住宅は上がり続ける」
と過剰な投資を膨らませた金融機関が、急落によって巨額の損失を抱えたのです。
Q 恐慌でどうなったの?
A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展して銀行が相次いで破綻し、米国内の銀行の数
は約半分に減りました。融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の
全労働者の4分のーが失業しました。 影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安は
ドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。
Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの?
A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、
29日に35兆円の追加資金供給をしました。 金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の
枠組みも不十分だった29年当時とは違い危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。「暗黒の月曜日
(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は大量の資金供給で危機を抑え込みました。
Q 安心していいのかな。
A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。
「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。
~~~
現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。
朝起きると、欧米発のニュースで「マサカ」の事件が待っている。出来ることなら、楽観的な
レベルで終わって欲しいが、そうはいかないだろう。まずは、弱いところから大きな影響が出る。
・・・・・・・・
2007年10月02日(火)
2373, 人は60歳で何をしたか -2
「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 ー読書日記
ある月刊誌が贈呈として昨日、会社に送ってきた。 そこに作家の新井満が寄稿していた文章が
「60歳以降に何をすべきか」というテーマ。よくある偶然の一致であるが、それにしても不思議。
ーまずは、その内容をコピーしてみようー (百楽ーケイアイ出版)
*以前、禅宗の高僧と対談をしたとき「座右の銘は何ですか」ときかれ、互いに色紙に書くことになった。
お坊さんは、たしか「誠」だった。で、私は「余命7日と想え 何をなして何をなさざるべきか」と書いた。
余命10年と思うと、まだ余裕があるから、死と生について真剣に考えるのはもう少し先にしよう、と
なってしまうが、余命7日と想うと、本当にすべきことと、する必要でないことを区別せざるを
得なくなるでしょう。そうすると生き方も変わってくる。「死を考えることは、生を考えること」だと
いうのは、このことなんです。(中略・・・) 私は若い頃から死と隣り合わせで生きてきましたから、
から生を考えるというのは当然のことなんです。今年の春に自由訳の『老子」という本を出しました。
60歳になったら、どう生きるべきかという内容です。老子という人物は2500年前の伝説的な哲学者ですが、
その思想は難解中の難解といわれています。私はその思想を、無謀と知りつつ4つに分類しました。
一つ無欲、二つ目は謙虚、三つ目は不浄の徳、つまり争わないこと。4つ目は貢献の徳、社会貢献です。
老子で有名なのは「上善如水」。水のように生きるのが最高のライフスタイルだといっています。
水ほど自己主張しないものはない。丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。
こんな町に従順で弱々しいのに最終的には岩をも砕いてしまう。万物を潤し、万物に恵みを与えながら、
決して威張ることなく、常に謙虚だ。人間はこの水のように生きるべきだ、というのが老子の基本的な
え方です。この水の生き方はとても参考になります。それに基いづ明いて、私は人生3期説を考えました。
人生、90歳まで生きるとしましょうか。それを30年ずつで区切ってみる。
・最初の30年は、自分探しの時代。
・30歳から60歳までは探した自分を実現する自己実現の時代。
・60歳以降は、自分や家族以外の人間、あるいは人間以外の命のために何が出来るか考える時代。
つまり老子の分類でいえば、人生の晩年は社会貢献の徳を実現しようという提案です。
これは、あくまで理想論ですがね。
ーーーーーー
以上であるが、三期説にしても、5期説にても、その説を立てる論で幾らでも理屈はつく。
5期説とするなら~20歳、40歳、60歳、80歳、80歳以上の五期に分けることができるが、
三期説の方が解りやすい。三期説で考えると、一番大切な時期は三期目ということになる。
人生の収穫期ということになり、一番に充実した日々になる。一番良くないのは、何も考えないこと。
何も考えないと、どうなるのか? あの8~9割の方の群れている老人達。 表面は楽しそうだが、
心の空虚は群れていては埋めることはできない。 ところで、「人は60歳で何をしたか」藤原治・著
で取上げている人たちは、その後も、二期を続けた人たちである、そうすると荒井満とは少し違ってくる。
片方は世に、それなりのことを達成した人と、凡人は分けて考えるべきか?
ただ生き方を考える上では、藤原治の方が参考になるが。
・・・・・・・・
2006年10月02日(月)
2008, 「私」のための現代思想 -6
(。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
ー 先に概要を説明しておくと、
明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。
ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、
そして家を建て・・」という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく
説明してある。現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は
「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。
各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」
を究極的に生きることになる。
ーーー
第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか -2
(以下、字数の関係上中間カット08年10月2日)
・・・・・・・・・・
2005年10月02日(日)
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
(字数制限のためカット2009年10月02日)
・・・・・・・・
2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール-2
(以下、字数の関係上カット08年10月2日)
・・・・・・・
2003年10月02日(木)
911, 恥ずかしい話
・・・・・・・
537, 緩慢なる自殺
- 2002年10月02日(水)
十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今でも
その忠告を守っている。
ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
・缶ジュースも毒そのものー冷やすと甘味が薄れる為、甘味料を異常に入れてある。
特にコーラは要注意、どうしても仕方なく飲みたいときは スポーツ飲料にすること
・インスタント物も可能か限り口にしないこと、やむをえない時は冷凍食品にする事。
・内臓ものも口にしないことー焼き鳥とか、レバ焼き。 ラーメンもたまに食べるのはいいが、
常食にしないこと-中華そばの汁は骨とかでダシをとってある。
・マヨネーズも危ない。今は動物性から植物性に変わっているが、ドレッシングがよい。
今考えてみて、それを実行してつくづくよかったと思う。今の人を土葬にしても骨が腐ら
ないためにそのまま残るという。防腐剤のためだ。 長岡のあるホテルの人から聞いた話だが
「裁判調停の為長期で泊っていた母と子が数ヶ月間、3食カップヌードルを食べていた」と
聞いたことがある。 聞いただけでゾッとした。
農家は農薬を使っている現状を知っている為、自分達の口に入れる作物は無農薬しか口にしない
という話を聞いたことがある。こうなるとエログロの話だが実際のところそれに近いのだろう。
今になって狂牛病が大問題になっているが、知る人ぞしる話である。
「それでも世界で一番長寿なのだから心配することはない」というのは見当違いで、それは
今のお年寄りの話。そういう食品を若いときに口にしてない。今の30~40歳以下の人は
その保障はない。「インスタント物」「缶物」「砂糖などの糖分」は口に入れないことだ。
そうしないと緩慢なる自殺になる。
・・・・・・・
[168] 忘れられないあのお店-1
2001/10/02
このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。
初めてのデートで入った店とか、初めて一人で入った店とかのことだ。これをキーワードに
過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくる。考えていたら予想を超えて、全く違う
思いが底より湧き出してきた。それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。
要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。 私が3歳の時に
親が当時ビルを建設をはじめた。その時に仮店輔で木造の家を、厚生会館(前は公会堂)の前
に引越した。家の下に、丸たんぼうを入れて移動したのだ。個人の申請として全国で初めての
ビル建設だったという。 昭和24~25年の頃で、その時のことをハッキリと覚えている。
ビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の記憶! 今の緊張感の数倍あった!
当時の方が圧縮された生々しさが有った。あの白壁の匂い!そして三階への引越し。
四階に従業員のねぐらと倉庫。子供ながら色いろあった。それが(トップページの倉蔵の写真)
の中にある。考えてみても、異常体験だった。でも刺激的で悲しくもあり楽しい毎日であった。
10人の家族と20人以上の従業員の戦場のような毎日!そのまま描写したら、面白い小説に
なるような日々の連続であった。 もし高いというなら、古本屋かブックオフで買えばよい。
それでも高いというなら、図書館がある。主知主義ではないが人間として生まれてきたから
には、知る事が最も優先されべき権利であり義務でもある。知れば知るほど知らない事が
増えてくる。 知っただけその周囲の未知の部分が増えるからだ。