2011年の花火

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 今日のYoutube

http://www.woopie.jp/video/watch/dbb7738254c61e8e

http://www.youtube.com/watch?v=g16EMoJskyE&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=vxXTunMLjl4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Y6w1Ph6qJnM

http://www.mapple.net/photos/I01500106901.htm

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Youtubeなどを見ると、良いビデオや写真が出ている。
まあ、自分が撮ることもこともないが、これも自分が撮ったそのことが、良いのである。


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2007年05月04日(金)
 2222, 平凡って幸せなの?  ー2
       ♪ヾ(*'ー')*'ー')*'ー')/" オッハヨウ!
平凡って幸せなの?という、何気ない家内の質問に、「そういえば、平凡など考えたことがないし、
平凡の日々を過ごしていながら、平凡を嫌って生きてきた自分に気がついた。」というのが本音である。
しかし過去を振り返ると、平凡な日々のなかにこそ人生の真実があったように思える。
しかし、これも縦に立ち上がっている、問題の陰に隠れてしまって記憶には残らない。
記憶に残らないということは、無に等しいと思いがちになってしまう。ただ合せ鏡で平凡の生き方をしている人を見ると、
やはり?とも、思ってしまうが。「平凡とは?」と検索をしたら、面白い質問に行き当たった。
 まずは、その部分を・・・
<平凡な生活に対する疑問>
「毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。毎日何も変化のない
暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・みなさんはどう思いますか? 」
ーー
この答えが、面白いので後にコピーしたが、平凡は一番身近の問題であり、過去には多くの人が名言を残している。
ところで平凡って何だろうか? 非凡とは何だろうか? 考えてみたら非常に難しい問題である。
「死んでしまえばよい」でなく「死んだも同然」と言えば良いのだ。「死んでしまえばよい」でなくては「釣り質問」
にはならないか? ところで、若い時に「こんな生活を送っていて良いのだろか?
もっと良い生き方が在るのじゃないか」と何時も思っていた。
今でも、「二度とない人生、悔いのない一日を過ごすよう心がける」が、
私の信条の一つである。これも「平凡の人生を否定する言葉」ではないか。
平凡に対する、テーゼ・アンチテーゼとして、自分で何時も問答をしなければならない問題である。
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*投票でベストアンサーに選ばれた回答
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「あなたのいう「平凡」=「変化がない」ですか? まずは平凡に生きてみてください。
こんなに難しいことはないでしょうから。平凡に生きていたいです。 」
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*ベストアンサー以外の回答
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「平凡こそ幸せです。どのような人生が、素晴らしく最高なんですか?
非凡に生きるってどういうこと? 忙しくで自分の時間も持てないくらいに仕事してるってこと?
平凡の中でも、充実した人生があります。もう少し年取ったらわかります。」
 ーー
「平凡な人間は死ねですか。まるでどこぞの独裁者ですね。自分がどれだけすばらしい人生を送っていらしゃるんですか。
人間一番不幸なことは自分の愚かさに気付かないことです。」
ーー
(字数制限のため、中間カット 2010年5月4日)
ーー
以上だが、なかなか含蓄がある答えが多い。平凡、非凡を何を持っていうのかという問題にもなるが、王陽明に影響を受けた
我が長岡藩の河井継之助は「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。
牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。」と凡庸の行きかたを
諌めている。平凡と凡庸は違うだろうが、平凡と「前に進めなくなる」ことは違う。その辺も、比較の問題でしかないが・・・ 
あらためて、平凡とは何だろう?何も考えないで、流されている人を質問者は問題にしたのだろう。
元々死んだも同然だから、責めること自体がナンセンスであると、言いたいのだろうが、前に進むとは何?
それが、どうした!という自問自答が出てくるが・・・
うまい飯喰って、笑って、クソたれて、寝る日々のどこが悪いのか?と言ってしまえば、それまでか!
                          ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ