閑話小題 ~シネマ観賞の感想 ー②

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   * 御笑い中国・国内戦争
◉ これを書いて気づいたのが、これは反・大陸系中国人の視点から創り上げた
 娯楽映画! 北朝鮮の大陸間核ミサイルによる脅しも、背後に中国を控えて
いればのパフォーマンス。 ミニサイズのドローン部隊を編成してコロナ菌を
バラまけば、現在の北朝鮮の医療体制不備の現状では、そこまでよの話。
あそこまで過激なパフォーマンスが必要かというというと、強請りに異常に
反応する為効果が充分。
 
◉ 先日の朝日新聞・二面の「幸福の科学」の出版広告で、
・このコロナ禍は、中国が仕掛けた戦争と…
・第六、第七の大波が、間違いなく襲いくると宣っている。
 中国にとって、既に戦時下にある。アメリカは、それに気づいてアフガン撤退
を強行し、その刃先を東京オリンピックの終了を待って… 来年は、北京の冬季
オリンピック開催の為、派手なパフォーマンスは無理となれば、年末まで、あと
4ヶ月もあって、アメリカなど欧米の空母がアジアまで遠征で、軍事訓練となる。

◉ 国内は、総選挙と、総裁選挙に向け、まっしぐら。本命は岸田というが…
 安倍の失政のツケの後始末という難題も残っている。ただ、選挙に勝ちたい
だけの陣笠代議士が大部分とくれば、河野、高市早苗のせんもありか。見ている
分には面白いで済まされるが、これだけは、今日明日と生きているサービス業、
飲食業にとっては大問題。この大断層は、あと30年は続く… さほど甘くはない。

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7115,閑話小題 ~失うものは何もない ―3 
2020年09月06日(日)
   * <ああ、面白かった!良かった!>
「老いるということは… 失うものが何もない状態になること」と、自覚
出来る時節になった。 <行けー>は「三途の川」であり、その先の宝の山は
「永遠の無」になる。何のことはない、生前に無に戻るだけ! 現世も永遠の中
のチリそのもの。ただし濃厚か否か? 現世に残っている錯覚も妄想でしかない。
哲学も、宗教も、それを教えている。…大部分が、気づかずプツン!
 般若心経が、まさに、それを透かすように解明している。失うものは、元もと
何も無い! 要は気づき! <色即是空、空即是色>である。
 
 <ああ、面白かった!良かった!>と、その時に思えるか否か。
それには、数知れぬほどの感動と、感激体験を浴びるようにしないと!
その蓄積が磁力になって、更なる感動、感激を呼寄せる。何ゆえに、それが
出来ないか…? 日常に埋没するためである。 舟底に日常、常識という牡蠣が
ビッシリと絡み、舟を重くする。それを取さるには、更なる感動・感激体験を
するしかない。私たちにあるのは、<いま、ここ、わたし>の垂直に切り立った
永遠しかない! その積み重ねが、それぞれの自分である。
感動、感激には他者はない!対象と一体になっているからである。 それには、
心を空にして(牡蠣を削ぎ落して)おかないと、何も気づかず通り過ごす!
永遠に通じる真理とは、純で、瞬間しか見えない心の有りよう。
それに触れんとすれば、自ら磨くしかない! 

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6748,読書日記 ~「魂の」思想史 ―3 
2019年09月06日(金)
             <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
  * 「万物は数である」 …古代ギリシャのある教団
 何とまあ、この重苦しく、深いテーマを、一つずつ掘下げている。
  ~その概要をまとめると~
≪ 古今東西、多くの人が夜空を見上げて人や神々の霊魂を想像してきた。
 それまでの古代ギリシャの霊魂感は、『何やらもやもやした決まった形のない
もの』だった。 Bc570年頃;南イタリアに出現したピュタゴラス教団の人々は、
霊魂の不滅、そして輪廻転生から霊魂の解説を唱えた。もやもやした自然状態
に戻すことではなく、全く逆。 <肉体と魂が共存して区別がつかない曖昧な
状態は、魂が肉体の穢れに染まる悪しき事態と認めていた。
 魂の不滅はもはや疑う余地のないことであり、輪廻転生も同じ事態と彼らは
いう。しかし魂が或る肉体の死後に収まってしまうのは、その穢れゆえに望ま
しくなく、解脱が必要と考えた。彼らにとって、魂は肉体の墓場でしか
なく、いわゆる肉体即墓説です。魂の優位を見てとる二元論である。
 この二元論は、プラトンの哲学に合流し、キリスト教に受継がれ、中世の
スコラ哲学に、17世紀のデカルト哲学の基礎と受継がれていく。
しかしニーチェが、この歴史の厚みを意識して、これを履かえそうとする。
 
 ピュタゴラス教団の解く解脱とは、最終的には輪廻転生の移り行きから
魂を救い出すことでした。しかしそれには、常日頃から、魂を肉体の穢れた
発想から浄めておくことが大切と彼らな考えたため。 
 その一つとして「宇宙の音楽」に理性を耳そばだてるという実践があった。
この教団は、宗教だけでなく、数学、音楽、天文学にも探求心を発揮し、
幾つもの発見や教説を残している。「ドレミファソラシド」を発見したのが、
ギリシャピタゴラスだと。それも、それは音楽というよりも「数学」として
の発見で、まったく関係ないように見える「数字」と「音楽」とが実は密接に
関わりあっているとは驚き。 ≫
                            ~つづく 
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6385,読書日記 ~『無敵のソクラテス』 
2018年09月06日(木)
   * 悩むな、考えろ!
 この言葉は、池田晶子の『無敵のソクラテス』の表紙の帯にあった言葉。
「悩むということは、問題に対して混乱した状態。問題の中心点のエネルギー
が混乱をしている状態。考えるとは、その原因を探り、整理をし、解決する
プロセス。その為には、蓄積された知識のベースが必要? とすると、既に
遅すぎる? いや、遅くはない。一冊の哲学入門書を見つけて、繰返し
自問自答をすればよいが、良い環境にないと途中で放り出すことになる。
‘考える’とは、「正・中心・一点・無」で、問題を絞り込んでいくこと。
‘悩む’のは、それが出来ずに混乱している状態。

 今まで生きてきて実感する悪いことの最たることが「ストレス!」。
早々に亡くなった人の死因がガンによるが、大部分がストレス蓄積による
成人病。 問題は生活習慣に、早朝の運動を如何に埋めこんでおくかだ。
ストレス解消を怠ると、その毒が外に向かう。それでも、外部に向けること
が可能なら良いが。良い人の型に入りこんでしまうと「悪い人」の役割が
こなせない。これも、長年かけた習慣が必要。
『悩め、悩め、もっと悩め。そうすれば考えざるをえなくなるさ!』と
考えることもできる。長生きも良いが、その質の問題がある。

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6019,閑話小題 ~人間は「使い捨てカメラ」である
2017年09月06日(水)
   * 人間は「使い捨てカメラ」である
 ジャーナリストの大江瞬の「人間・使い捨てカメラ・論」が面白い。
≪ 12、24、36枚撮りのカメラは、写し終えると、そのまま現像所に送られる。
その後、カメラは解体され、フィルムだけが取りだされる。写し撮られた元の
風景は、カメラが製造される以前からあったもので、カメラがスクラップした
後も、そのまま残る。現像されたフィルムに、ピンボケだったり、何も写って
なかったら、その人の人生は虚しく終わったのかもしれない。風景は残り、人間
だけが入れ替わる。… かつての音楽を聴きながら、そのアーティストたちは、
みんな死んだ人たちである。女性歌手ならデビュー当時の溌剌とした若さから、
美しさの絶頂の20代、アラフォー、ファイブの熟女となり亡くなる前の魔女の
ような姿まで、その折々の歌声とともに記録映画・音声として残されるのは残酷
だが、それも偉大な芸術家の勲章である。… ≫
――
▼ デジカメが出来た現在、「使い捨てカメラ」をあまり見かけなくなった。
 そこで考えたのが、「人間はデジカメラである・論」。
<デジカメの進化で、気楽に、安価で、何処でも写真が撮れ、一枚のSDに数千枚
の鮮明の写真を撮りおくことが可能になった。ビデオも可能のモノもある。
そして、ブログに記念として残せる。書くことより、撮影しネットにアップする
媒体が人間の役割になっている。その写真が美しいほど、本人が薄れていく。
本人にとって、それで充分に満足。そのネット上の蓄積が、同じ嗜好の価値と
して円熟し、成長していく。カメラ、記録媒体は、止まることなく進化する。
これが人間にもいえるのでは?> 
 世界も、そこに生きる人間も刻一刻と変わっていく。カメラの機能も、それを
映し出すテレビやPCなどの媒体も人間の5感を遥かに超えて写し出す。それが、
進化し続けて止まらない。対象を一度、高性能のマシーンを通して見れるのも、
科学の恩恵。何か、本筋から大きく逸れたが。 これからすると、
「よりデジタル機能を多様すべし」になる。 仮想世界は、刺激的で面白い!

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5653,「家、ついて行ってイイですか?」 ー③
2016年09月06日(火)
 ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人
あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、
部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。
誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、
このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、
トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが
部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、
慣れるまでの1~2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、
帰宅恐怖症的になって、喫茶店で同類と群れていた。3連休以上はキツイらしい。
 しかし、この都会の孤独経験が貴重で良いのである。青年期の一時期、殻に
篭る生活が必要である。
 現在、書斎コーナーのパソコン横に、両親が残した小さな布袋と百万長者像、
ネパールの市場で買ったミニ仏像、マリア像、自然石の仏様の像、仏像を彫り
こんだ胡桃、ガラスの地球儀などが並べてある。息抜きに、撫ぜると、なぜか
気持ちが和む。それもあってか、ノイローゼや、落ち込みはホボ無い。 
数ヶ月前から、就寝時に、梅干大の大きさのラジウム石を握り眠っている。
真中に穴が開いており、そこに紐を通して、指に絡めているため、熟睡しても
転げ落ちない。数年前に、一年以上使っていたものだが、復活。ラジウムが手
から直接伝わり熟睡できる。岩盤浴に近い効果があるのか、気が充満してくる。 
 就寝用の「ラジウム握ぎ握ぎ」ということか。 終の入院には、これらを
持ちこみ、枕元に、小さなオボンに並べて、手にはラジウム石を握り締めて。
イメージは、亡くなった家族に囲まれたイメージを持ち、虚空を彷徨いながら。
――
  * 「ぬいぐるみに話かけるのは変ですか」に対する返答
≪ ~No.7 回答者:
こんにちは、いいんじゃないですかね~、私ならキモくもないしドン引きも
しません。私もお針は得意なので、修繕してあげたいです(笑)
 以前交際してた男性がそんな感じで。20代後半のとき、百貨店のおもちゃ
売り場においてあったオレンジ色の熊のぬいぐるみに一目ぼれ。4000円ほど
だったのですが、大のオトナ、しかも男が・・ と本人は熊を撫で回しながら
悶々と悩んでいましたが、「ほんならアタシがプレゼントしよか?」と提案
したところ、大喜びでした。幼稚園児の姪が「アレで遊びたい」とお願いしても、
ダメ! と触らせないくらいのかわいがりようです。 (彼の留守中に来て、
勝手に遊んでたらしいですが・笑) そこから何に目覚めたのか、古くなった
シャツや家族の洋服をリサイクルし、テディベア作りにハマリ始めました。
パソコンで型紙から起こして作るような凝りようです。ぬいぐるみ作家って、
結構男性もいるそうですよ。そんな彼も40を過ぎましたが、オレンジ色の熊に
「みかんちゃん」と名づけ、今でも大切に飾ってあるそうです。
そんな人もいるということで(笑) ≫
▼ アブラハムの創出したラージXの『神』は、この「ぬいぐるみ」に似ている。
 それを共同幻想化したアラーの神である。問題は、人種間に分裂した仲間割れ。
人間には共同幻想が必要。コスプレは、その人形になって楽しむこと。ホテルの
ロビーで、その集団に遭遇した時の驚き。若いから出来ること。 ハロウィンは、
それを祭りにして練り歩く行事。 数年前に行ったモントリオールが、その日で、
千人近い血だらけの殺人者の仮装行列に出会ったが、その面白かったこと!
人生の砂場の遊びは、深くて、味わい深いものがある。極限では、味わえない。
その先に何歩も踏み出さないと、それらとは出会えない。
「達磨さん、こちら向かんせ世の中は、雪月花(ゆきつきはな)に、酒と三味線」
【花見酒】 世の中は月雪花に酒と三味線 酒のない国に行きたき二日酔い、
      また三日目に帰りたくなる

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4923,パワレルな知性 ー1
2014年09月06日(土)
   * 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 ① 絶対に必要なもの、失ってはならぬもの
 ② あってもいいけどなくてもいいもの
 ③ なくてもいいもの
 ④ 絶対に不要なもの、あってはならないもの
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を
 いろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに
なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。
当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、
違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、
とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、
不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を
仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という
勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには
 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて
いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを
えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない>
とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。
そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 
「お金は、②、いや、①?」
――――
4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
 * 追われ追われて南米最南端 
        「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、
「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が
南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先
で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ
から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。
北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。
弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 
僻地の人間は、そのためか優しい。  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、
 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを
しましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない
 ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング
 海峡を渡るときに、風速5~10Mのいい風というのは西から吹く。 
 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、
 東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと
 言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら
 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物
 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと
 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。
 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。
 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も
 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。
 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。
 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか
 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を
 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。
 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき
 から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って
 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、
変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。
脱皮できない蛇は死ぬ。