閑話小題 ~本当にやるの… だったら?

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   * 先ほど、見た夢とは…
 ◉ 昨夜半というより、先ほどの起き際の夢の話。
新潟駅前の30年間、実業していた時、それも後半の頃か…
30人位の宴会が終わり、業者と二次会に繰り出したリアルな内容。
地元・長岡の家に帰る新幹線を気にしつつ二次会の店を探している場面。
そこには、既に亡くなっている取引先の人が居る。<ああ懐かしい>と
思うが、その先は憶えてない。自主廃業は、それでよいが、仲間内の宴会の
愉しみは皆無。まあ、面白かった。 一応、表立った場面では日々が面白くて
仕方なかった。35~65歳の実業生活は、私にとっての人生のハイライト、
とりわけ、45歳までの10年間が高台の世界。周辺からみたら鼻持ちのならない、
嫌な男だっただろう。これも、無いよりは良いと、気を取りなおして考える
のも「バカは死ななきゃ治らないの一興かと… 
 ―
  ◉ 本当にやるの… ならば
 東京オリンピック、本当にやるの… 実行するなら、TV視聴観客が地峡上に
数知れず。TV視聴者が現場感覚で注目しやすい面白い内容に総力をあげて編集
すれば良い。 あれだけ、会場造りに資金を入れたのであれば、参加選手の
過去の演技、競技を紹介した 日本の得意の分野… 時代はリモートの時代。
ネタはスポーツの最高の得意技を…ドローンなどリモートを駆使した技術を
披露すれば良い。まだ、間に合うか…其の位のことは当然、し尽している筈か?

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7025,閑話小題 ~根深い人種差別の問題
2020年06月08日(月)
        <言ってはいけない 残酷すぎる現実>より 
   * 黒人少年が生き延びるたった一つの方法
 米ミネソタ州ミネアポリス市で黒人男性ジョージ・フロイド氏が白人警官
に首を圧迫され、死亡した事件があった。白人の有色人種に対する米国内の
偏見は、日本人には想像を絶するほど強い。(これは、欧州でもいえるが…)
 
≪ ボーイスカウトのキャンプ場での黒人と白人少年の明らかな違いの研究。
 特に黒人少年の集団には、歴然としたルールがある。
・一つは、白人の子供とつき合ってはならない
・二つ目は、白人少年がするような(ガリ勉)で、良い成績をとらないこと。
 また白人・黒人が供に学ぶ意識調査で、
白人の子供は「黒人は勉強のことなど、どうでもいいと思っており、
黒人の子供は、「白人がガリ勉野郎で、俺たちとは違う」と…
 問題児の厚生プログラムでの成功例…ある黒人少年のケースをあげている。
その少年ラリーは、成績不振で、バスケットボール部に入れず、友人3人は
麻薬絡みで殺された。しかし幸運なことに、ニューメキシコ州の小さな町の、
中流家庭の白人家庭の子供たちしかいない学校。そこで好きなバスケット部
に入り『白人しかいない田舎」のヒーローになり、居場所を見つけた。
ラリーが変わったのは、白人しかいなかったこと。もし一人でもいたら、
黒人世界から抜け出せなかった。 しかし、白人世界では、彼らのように
振るわなかったら、生き延びられなかった。
白人・黒人混在の学校では、互いに同調圧力が働き、黒人少年は意図的に
学ばなくなる。白人女子は、「ばかな可愛いい女」でなければ、友だち
グループに加えて貰えない。 ≫
 ―
▼ これに親の貧富の問題も絡み、何とも複雑なのがアメリカ社会。
 白人警官が逮捕時に、過剰圧力をかけるのも、何代も続いた背景がある。
その上に、前大統領が黒人で、その反感から白人優位主義のトランプを
大統領に選出、その先端の白人警官が、黒人を絞め殺す事件。その怒りが
一挙に燃え上るのは当然。トランプの再選には、中国との軋轢を露出する
しかない。これでは、何が起きても不思議ではない。この時節…主要国の
トップの顔ぶれがあまりに悪い。
 
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6658,閑話小題 ~つれづれに ―たまには息抜き…
2019年06月08日(土)
   * シリアスな内容が続いたので
 
このところ小難しい話が続いたので、今日はなか抜き。
  週の中心が木曜日で周っているような。
・月、火、水曜日が‘前半’でホップ。
・木曜日が‘なか日’で、ステップ。
・金、土、日曜日が‘後半’でジャンプ。
後半のジャンプの方が楽だが、ホップ、ステップも悪くない。
単調になりがちな日常で、何かリズムが必要。
ところで、何に向かってジャンプする? ストレス、退屈の向う側に
向かってですか。何にも残らないから良いんじゃないですか。

 一日単位のスケジュール。少し、きつめだが、慣れてしまえば、修行僧?
のようで… きつめは、私の基準の感覚では少し濃いめ。 いや、薄め。
あと一年半で後期高齢者、大年寄りに分類される御年頃。 
 ~私のライフワークを改めてみてみると~
 ・30年以上の秘・異郷を中心にしたツアー(52回)と、
 ・18年以上続けているブログで、「随想日記」のクラウドへの上奏と、
 ・ビデオレンタル(当初)、シネマ館通い、そしてWoWoWで年間、4~500本
  の映画とドラマ観賞。 TVドラマをいれると1万本?はゆうに超える。
  何のための人生かって… 所詮は、実人生も振返れば妄想じゃないかと。
 ・早朝の散歩が30年と、10年前に切替えたミニチャリ(ポタリング
 ・それと、居酒屋とカラオケスナック通い…
 ・そして、午前の読書習慣が、老後の精神を何とか正常に?保っている。

 地方都市で、摩擦を避け? 暢気に、生きると、この程度。内的自由の錯覚は
あったような。いや、石牢の囚人。微睡みの合間に、鉄格子の窓から天空を
みていたに過ぎなかったのか。私にとっての節目は満70歳。何かしら吹っ切れた
ような。あとは一方的に右下がりが大きくなっていく実感。 次が75歳まで
1年7ヶ月。
 
 たまには息抜きと思いきや、書き進むほど重くなる。いや、軽くなる!

後記: 書上げた後に、同月同日分を読返すと、『何だ…これは』という、
  重い内容に気楽に向き合っている自分にドッキリする。真面目くさって、
 何が面白いのだろう。 そう、『ひろしです』の一人自虐漫談そのもの。
「まあ、いいっか! 今さら。」 ところで、このフレーズ自体、テーマになる。

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2018年06月08日(金)
哲学の窓 ~「モナド」とは

   * 精神的存在の原子にあたる言葉、「モナド
 神の存在が深く信じられていた古代、中世には精神的存在の原子にあたる言葉
を語ることは、神への冒涜として論じられなかったのか。概念上の『点』としての
モナド』。そして『予定調和』で最善に導かれていく考えは、非常に面白い。
  ~『哲学用語図鑑』ーP120
≪ 世界を精神的存在と考えるなら、それらを分割していくことが可能になる。
ライプニッツは、この精神的存在の原子に相当する概念を、『モナド』と呼んだ。
そして、世界は、このモナドが調和しあって出来ていると考えた。彼によると、
「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされていると
いう考えを多元論という。
モナドは、原子論に似ているが、原子のような物質ではなく、概念上の「点」。
モナドは1つとして同じものはなく、互いに連絡し合う手段を持っていない。
モナドは窓を持たない」 すべてが神のプログラミング通り動くとされている。
精神を分割し、更に分割し、その上に分割した最小の点がモナドである。
モナドが世界を最善になるように予定調和で最善の世界を創るもので、世界は
偶然できたものではないと… 要するに楽観的に世界を捉えているのが特徴。
 ライプニッツにとって、世界はただ「ある」のではなく、神が最善の状態に
くだしたから、そう「なった」のです。これを「充足理由律」という。
 要するに、どんな出来事にも十分な理由がなければならないという原理。≫

▼ 物理的存在の、原子は、古代哲学から取上げられていたが、精神的な
 最少単位については考えられなかった。そこでライプニッツが、初めて取上げ
注目された考え方。面白い考え方だが、人間に都合のよい神の楽観的傾向が見て
とれる。世界の知性が問われる現代。トランプ、金、習、プーチン、安倍…
何でしょうか? モナドの最小の『点』からして… モナドですか?
現代の国際政治を問うこと自体が、間違っている。 どうなるのでしょう。
「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされているはず」
なのに。

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4466, 余命半年 -4
2013年06月08日(土)
          「余命半年~満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 * 末期から死ぬまで   
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の
 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、
急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1~2週間前まではそれなりに元気
だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の
量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に
とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。
特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を
飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに
渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1~2週間前辺りまでに、
できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。
母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの
一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、
精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する
ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。
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5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい
2016年06月08日(水)
   * 私の住みたい社会       
 雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。
リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧?
のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も
肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に
近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした
6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・
サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で
コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。
これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。
他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。 
≪   ☆「私の住みたい社会」 青山文平: 
「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても
楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、
どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが
なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。
 しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した
楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ
よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い
て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、
年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると
言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが
なくても楽しめる社会」でしょう。
 私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車
さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念
ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は
数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った
ときは溜め息が出ました。どこをクルマで走っても、全域、自転車好きなら
よだれが出そうな道ばかりなのです。 ちなみに欧州では、日本ではすっかり
下火になってロードバイクに取って代わられた、クルマで言えばジーブタイプ
のマウンテンバイクもいまだに人気です。マウンテンバイクで走って楽しい
シングルトラックなどの道が、遠征などしなくとも、毎ヨ暮らしている町の
かたわらにあるからです。自転車造びが楽しいかどうかは道しだい。
自転車はいい道を楽しむ遊びであって、マウンテンバイクの不人気はそういう
道がないことを表しているのです。 ・・(中略)
「オカネがなくても楽しめる」遊びが、逆に消費を拡大させるかもしれません。
いま求められている遊びは、そういう深い遊びのような気がします。欧州には
キャナル.ツアー」という楽しみがあります。実は、欧州には網の目のように
運河が張り巡らされていて、その運河を使うだけで地中海から北海へ抜ける
ことが可能なのです。けっしてカネモチの遊びではなく、定年退職者の夫婦が、
キッチン・ベヅド付きの中古のボートがあれば、あと必要なのは燃料費と、
家にいてもかかる毎日の食費だけです。これまた、「カネがなくても楽しめる」
深い遊びなのです。そういう社会に私は住みたいのですが、いまの日本は、
さて、どうでしょうか。≫
▼ 一月あたり6000円のスポーツジムに、週一のシネマ館通いで月に5000円、
 月に一度の飲み会が10000円、読書の本題は近くの図書館が主で、ほぼゼロ。
毎朝のミニ・サイクリングがゼロ。パソコンとTV代が10000円で、酒と肴で
20000円で、大よそ合計5万円が、月あたりのお遊び代。これが「オカネが
なくても楽しんでいる生活」かどうか分からないが、満足をしている。
 振返ってみて、仕残してしまった悔いが少ないためか、遊ぶ金が欲しい、
何かが欲しいと思わないでいられるのが有難い。それぞれの時節に、充分
楽しんでいたのが大きい。家内の厚生年金受給が、こうなると大きい。
  ~で、以下の文章に、続いていく。
・・・・・・
5198,ライフサイクルより、ライフコースへ ~1
2015年06月08日(月)
  * 多様に選択される人生 
 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。
その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が
あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。
 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。
≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する
 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が
あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる
こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、
ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが
同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した
ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル
研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を
考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を
取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース
研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀
後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や
ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫
 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。
ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、
◎ ライフステージlife stage
 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面,
 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも,
 とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・
 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。
◎ ライフサイクルlife cycle
 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル
 においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業,
 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。
 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル
 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの
 批判もなされるようになった。
◎ ライフコースlife course
 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究
 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして
 これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。
 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を
 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう
 という研究意図があった。
ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。
私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を
生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。