シネマ観賞 ~<HOKUSAI‘北斎’> ―2 ‹5月30日›

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   * あるブログの5つのポイント!
 この断絶のような時代に、全ての人にとって… ゼロからの出発になる。
なればこそ、浮世絵師のような、既存のモノを少し角度を変えて新たな視点を
考える時節が現時点。そこに非常識の視覚が必要になる。なる程、浮世絵ですか!
 
 ♦ 有るブログの、北斎からキャッチできる“学び”の5つのポイントとは。
≪【学び、その一】:時代のせいにするな! ただ「好き」を愚直に極めるべし
 【学び、その二】:才能は二の次、“継続”こそが最大の武器となる
【学び、その三】:ブレイクに年齢は関係なし! 探求心は年を取らない
【学び、その四】:権力に屈すな! 自分の居場所は自分で勝ち取る
【学び、その五】:限界を決めたら終わり! 真の作品は、国境も時代も越える
 北斎を見ていると、「限界を決めるのは自分」なのだとハッとさせられる。
諦めずに続けなければ、才能は花開かないし、誰かに見つけられることもない。
ただ、ひとたび世に出た作品は、時代や国境を超えてどこまでも届いてゆく。
北斎はLIFE誌の「この1000年で最も偉大な功績を残した100人」に選出され、
その代表作のあの波は大量生産の浮世絵版画にもかかわらず、オークションでは
1枚1.7億円の値がつくほど。自分の上限を決めずに研鑽を続けたことが、規格外
の未来を創り上げたのだ。インターネットが普及した現代は、より拡散が容易で、
多くの可能性が眠っている時代。「好き」を続ければ、あなたが「次の北斎」に
なれるもしれない! ≫
 ―
▼ 北斎の作品は …新たなカ・タ・チ造りの創造工学と似ている。 
…「好き」を見据えて大事にし、継続を武器に、探求心を持って、自分の立ち
位置を決め、限界を超えるまで突詰める。そこに莫大のエネルギーが宇宙の彼方
から流れ込み、空即是色の色が生まれてくる。 一神教アッラーの力同様に、
空即是色の般若のエネルギーが己の居場所に注ぎ込む。人生は、彼のような天才
にとって、道を突詰めるに…あまりに短すぎる。凡庸な者でも、短く感じるなら
天才なら尚のこと。 私の現世の宇宙旅行と同じ。 この世は、あまりに広く、
深く、熱く、冷たい。そして果てしない!
 
・・・・・・
7016,閑話小題 ~『7割経済』の時代!
2020年05月30日(土)
   * 7割経済
 一昨夜、3時間ほど寝室のロッキング・チェアで爆睡後、居間に行くと、
ニュースで「7割経済」という言葉が目に入ってきた。元に回復するのは無理
としても、何とか7割は戻したい。現在は2~3割でも…現業の店にしろ、イベント
にしろ何とかゼロから見直して、7割を確保する創業的出直しをするしかない。  
営業停止から、2ヶ月ぶりに第一歩から出直すには、相当の覚悟が必要だ。
動揺して何もしないより、まず第一歩が、この着想。この事態では、外食を
したいとか、何か購買したい気持ちが湧かなくなる。まず末端のアルバイト、
派遣社員が整理対象になり、次が社員。…まだ半減ならマシだが、1~2割まで
落ち込むと、心が折れてしまう。
この世知辛い中で実績を伸ばしていた一部の人ちを、一撃で叩き落として
しまった! 縮み上がった彼らの顔が目に浮かぶ。この3割、半減は
厳しい。国家の救済措置は短期対策。まだ初期段階というから、数年先の見通し
は全く立たない。
 
 この騒ぎがなかったら、大相撲が行われ、甲子園の高校野球プロ野球が、
開幕し、オリンピックに向けて機運が高まり、街中は活気に溢れていたのに…
何だ、このあり様は。マスク無しで歩くと異様な視線を向けられる。ランチを
食べに御店に入ることすら他人の目線が気になる。ウィンドウ・ショッピング
すらも商品に触れない。スーパーの店内放送は、「あらためて買う商品をメモ
して、立話をしないで、30分を目安に御帰り下さい!」と宣う。
…エンタメも、何もかもが中止か延期。映画館すら閉鎖。ショッピングモール
は生き場のない老人が彷徨い歩く。朝の散歩も、誰も歩いていない。巣篭りも、
ここまで影響するのかと思いやられる。

 9年前から御隠居の身分で、然したる変化があるでなし! それでも、
この現象を堅実に目にすると、恐ろしさに寒気がする。リーマンショックと、
東北大震災のダブルパンチで、会社清算で、事業を終えた。そのショックは、
はかりなく大きかったが、それでも、このパンデミックは惨憺たるもの。
国内在住の人たちには、まだ何が起きたか気づいてないようだ。100年前の
スペイン風邪と、第一次、二次大戦と同じくらいの超特大のブラックスワン
の到来。銀行閉鎖など資産凍結も有りうる事態。
 
 …要するに、想像力が無いため、実感として考えられない。 それでも、
北イタリア、フランス、スペインの惨状がTV画面を通して放映され少しは、
理解できても… まだまだ。9年前の事態に、そのまま、引き戻された感覚。
薄笑いを浮かべていた、御仁たちにも同じような災害が直撃したにも関わらず、
まだ想像力が働かない。恐らく、数年後に死期が来るのだろうが… 
第二次世界大戦直後に生まれて、このパンデミックの拡大過程で人生を終える
のも一興かもしれない。

 後記: 過去の同月・同日の文章を振返った今、気づいた! 
      今日は父親の命日だ!

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5919,閑話小題 ~今日は父の44周の命日
2017年05月30日(火)
   * 今日は父の43周の命日
 今日は父親の命日。はや44周年になる。現在の私の年齢で余命一年の末期癌
が発見され、予告通りに亡くなった。その間、千葉市郊外の飲食ビルの立上げの
ため、実家で同居していたが、死の恐怖と戦う姿は実に壮絶だった。
 そのシリアスな日々の中で多くのことを学んだ。 前ぶりなく、突然襲って
くる死神。その前で人間は全く無防備のため、独り灼熱砂漠の真中に立たされた
旅人のように生への渇望に悶絶する。半面、人間の持つ、神秘的な力も現れ出る。
生きるとは、愛とは、死ぬとは、行蔵とは、創業とは如何なることかを、最後の
炎の輝きの中から、まさに‘業を授かる’一年の授業をさせて貰った。その後の
人生の大きな糧になっていた。最後に残るのは、「両親の温み」である。
 温みだけはタップリ残っているが…  さて墓参りだ!

   * 大相撲5月場所総括
白鵬が1年ぶりの優勝に13回目の全勝で自己記録を更新して終えた。
表彰式で「ただいま帰ってきました。国歌を久しぶりに歌えて最高の気持ち」
と嬉しそうだった。 次の目標は、あと二回の40回の優勝記録。
・さらに、関脇の高安が大関昇進を決めた。フィリピン人の母親を持つハーフ。
色々なこともあるようだが、横綱の可能性を持った逸材。あとは怪我をするか、
しないか、の問題。
・さらに、若手の学生相撲上がりの、北勝富士、正力、御嶽海、宇良、石浦
輝などが活躍した。地元の新入幕の豊山が、大負けをして再び十両になる。
一年間は、実戦の中で揉まれ土台をしっかり再構築をした方がよい。

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5554,閑話小題 ~父親の43周期に
2016年05月30日(月)
   * 父親の44周期に
 私も、父親の亡くなった年齢まで、あと一年になる。その一年前に胃癌の
大手術を受けて、余命一年と宣告されていた。現在の私の年齢で、余命一年の
宣告を受けたことになる。手術直後、急遽、金沢から帰ってきて、千葉市郊外
千城台ビルの建設計画に着手することになる。父親から直接、創業ノウハウ
を受継ぐ貴重な経験になっていた。
 父親は、年末年始と法事以外は、酒を一切に口にしなかった。大酒飲みの
からして、いつ、癌の余命宣言を受けても不思議ではない。新潟での事業を
立ち上げた頃の営業関係の多くが飲酒過剰?で倒れ、既に亡くなっている。 
で、私の死期を75歳にラインを引いたのは、あながち間違いでもない?
 毎年、飽きもせず、父親のことを書いているが、これが私の供養。父親が、
ハッキリした具体的行動指標になってくれたのが、私のアドバンテージになって
いたようだ。 事業も、最悪の想定を課して、平常から長年かけた準備をして
おくことの必要性も学ぶことが出来た。数十年ぶり学生時代の友人が、
『お前は、用心深かった。それと、曲がりそうになるが、直ぐに元に戻る!』
という。 用心深い両親は学歴が無かった分、必死に基礎教養を日常生活から
求めていた。趣味も、しかり。早寝、早起きも同じ。連合いへの別立て給与
の支給と別口座預金も、実家からの継続習慣。今回の事業整理の決断も、
本能的に幼児体験と、両親の教えのベースが働いたため。その辺の下衆の
想定とは? 違っている。父親にとっての太平洋戦争と、敗戦は、それまでの
価値観が根本から変わった一大イベント。 日本人は軍人が230万人、
一般人が80万人死亡したが、東北大震災の死者の150倍である。
 それでも、資産管理は、手堅くしており、何とか戦中、戦後の混乱期を、
何とか乗り越えていた。その幼児体験を、そのまま書けば、これほど面白い
舞台と物語はないはず。「すざましい!」の一言。 父親は二代目だが、私の、
この随想日記は、まさに悲しいかな、<売り家と唐様で書く三代目>の現代版
と自覚をしているが、実家文化のお陰で、何とか軟着陸をすることが出来た。
しかし、人生を十分に楽しんだことだけは、両親に負けてない。これ、負け犬
の遠吠えか! 45年の事業人生を十二分に楽しんだのだから、両親も許す?
「日々、是、口実」ということ! そういえば、母親に晩年に聞いた逸話。
<父親が徴兵されたが、肋膜で、除隊をされた。今さら、地元に帰れなく、
 東京の同業者の一間に、一年間、居候していたことがあった> という。
父は一切、その話をしなかったが、他人には言えない話は、誰にもある。
父親に魂を通して『これ、話してよいか』聞いたところ、
『娑婆のことは、娑婆で判断して良い。死んでしまえば、そこまで、
此方は、此方の世界がある。』という。そう悪いところではなさそうだ。
それも、これも妄想でしかないが。 さて、花を買って墓参りだ。

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5189,閑話小題 ~父親の42周期に
2015年05月30日(土)
   * 父親の42周期に
 毎年、父への想いを書いた内容を読み返すと、年齢ごとの思いを書くこと、
書き残しておくことの秘儀の意味が見えてくる。父親の亡くなった年齢に、
あと二年でなる。 余命が少ないことを悟って死ぬまでの生き様、死にざまを
通して多くのことを学ぶことが出来た。 死んでしまえば、いっさい無。
物や金を残したところで、あの世に持っていけるわけでなし、あるのは暗黒の
死の不安と、人生の後悔。死を前にすると、世間とかいう壁がうき上がってくる。
そして、それが如何に、他愛がないものと思えてくる。 あの超保守的な父が、
何を思ったか、『赤旗』をとって読み始めて、自民党批判を始めていた。
それと、死に関する予備知識の絶対量が必要ということも痛感した。しかし、
誰も『自分が死ぬ!』とは思わない。『他人は先、我はあと』と確信している。
あの時の父の激しい生への希求が直接伝わって、「当りまえの、先ある人生が
いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。
全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。
考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外
なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。
晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。
                           さて、墓参りだ! 
  * 久々のジョーク
・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」
 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」
 「アメリカンドッグさ。」
・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 
 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が
『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。
 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」
・・・・・・
4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期
2014年05月30日(金)
    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、
似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、
ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。
その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、
父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について
まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を
繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子
のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、
多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、
両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、
それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に
恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、
何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで
書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。
それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 
父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い
合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて
いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も
趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが
できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、
世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、
この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。
このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に
なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の
なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、
父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。

・・・・・・
6286,読書日記 ~かなえた望みは‘余韻’にすぎない ~1
2018年05月30日(水)
           『人工超知能が人類を超える』台場 時生(著)
   * 人工知能が人類を超える
 情報化社会の現在地を知るに丁度良い本である。現時点から人生を振返ると、
多くの節目があったが、
・父親が亡くなり、その直後に結婚、創業に踏み込んだ27、8歳と、
・母親が亡くなった51歳の頃。PCにWindows95が売出されて数年経った頃。
ネット社会の到来に、取残されないよう四苦八苦していた。
その数年後の2001年の春、近くにPC教室がオープン。個人HPの作成に入った。
時代も、会社も、私自身も何やしら大きな変り目にあることに気づいていた。
2001年は21世紀の幕開きの年で、ニュ―ヨークの9・11テロが、その道標になる。
 ムーアの法則<2年後に2.52倍、5年後に10.08倍、7年後に25.4倍、10年後
に101.6倍、15年後に1024.0倍、20年後に10000倍…> は止まることなく、
現在も続いている。そして、それが人工知能、ロボット化、タブレットPC
スマートフォンなど、身近な生活分野でも目立つようになってきた。
20年、いや10年前、現在のネット社会の有様や、ドローンを誰も予測でき
なった。逆に10年、20年後の予測は不可能だろう。
      
  《内容紹介》
人工知能の激しい開発競争と急速な進歩、その後にやって来る開発者(人間)を
嘲笑するかのような〝シンギュラリティ(技術的特異点)〟の世界。
シンギュラリティとは、科学技術進化のスピードが、人類の予測が不可能な
までに高速化する状況(その時点)を言い、それが2045年あたりに生じるとされる
ところから「2045年問題」とも呼ばれる。これは人類文明としての科学技術の
進歩が、人知を逸脱した特異な状況であり、「機械が人間の仕事を奪う」と
いったレベルをはるかに超える問題であるという議論もある。
 それは本当にやって来るのか? やって来たときに人類はどう生きるのか?
ロボット工学者が生物進化、技術進化に遡って説き起こす人類近未来の物語。
なお、「人工超知能」とは人間が製造した人工知能を超えた存在であり、
それは人工知能が作った人工知能、つまり機械が製造した機械のことを言う。
  
  《著者の言葉》
 本書は技術的特異点の問題を中心に、人類の未来のあり方を議論した本。
近年この問題に関連して、人工知能の開発の是非が議論されるようになってきた。
人工知能が人間の仕事を奪うのではないか、またさらには人工知能と人類が対立
するのではないか、という話がよく聞かれます。
 私は大学でロボット工学の研究に携わっていることもあり、以前から人工知能
ロボットと人間との関係性、またそれらが導入された後の社会について強い関心
をいだいてきました。本書はこの問題に対する私なりの答えをまとめたものです。
 本書の目的は「人類史と人工知能、ロボット、特異点の問題を一体的に捉え、
人類の過去から未来までを総括する」というものです。
人工知能、ロボット、特異点問題が私たちの未来に及ぼす影響、そこで生じる
 問題、解決策などをわかりやすく、広く一般の読者に伝える。
 人工知能、ロボット、特異点の問題は、文系・理系を問わず、あらゆる人間の問題。
 一説には、人工知能が社会にもたらす影響は、原子力技術以上だとも言われています。
人工知能、ロボット、特異点問題を考えるためには、人類や生物の進化史と
いった大きな観点から議論する必要がある私たちがこの問題と向き合う場合、
「人類700万年、さらには約40億年という生物の進化史から見た時に、特異点には
どのような意味があるのか?」、さらには「生物や人類の生きる意味は何なのか?」
「私たち人類の最終的な未来に何を求めるのか?」といった根源的な議論にまで立ち
返る必要があります。


▼ 私にとって幸運は、2001年5月に個人HPをたちあげ、17年、継続出来たこと。
 その結果、これをベースに、ネット社会のベースをつくれた。あくまで対自
としても、ベースになっている。書斎コーナーのPC前と、居間ではタブレットPC
新たな知識、経験そのままを、ネットに物語化しパッケージしてアップをすれば、
後は、内部検索で、それを気楽に拾えるのは私にとっては、革命的ツール。
何はともあれ、「しょうがない、これが私以外何ものではない」のだから。 

追: 同月同日分の過去文を貼りつけようとして気づいた。今日は父親の命日だ。
 45年経過した。時代も、私も、まるで変わってしまった。もう父親より三年も、
長生きをした。死ぬまぎをまで「あと三年生きたかった!」と、言っていたが…