閑話小題 ~ 怖ろしい現実を、目の前に突きつけられて

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   * 御笑いの現実社会は…
◉ この一年で… これまで日本の現実社会の日常業務では、大した仕事をして
 ないかった現実が表面化してしまった。パンデミックで在宅勤務が炙り出した
現実は、実は大部分がテレワークで代替え可能な中学・高校生並みの仕事しか
してなかった現実が炙り出されてきたということになる。 
 45年前の実家の御家騒動で、姉夫婦が、ベテラン従業員6人を束ねて 別会社
をつくり、兄と私、母親の辞任を迫ったことがあった。後で知ったのが、結婚
当初から、その計画があり、その為の配役が両親、兄と、私だった。ただ、只管、
時節の到来を待っていたが、父親のガン末期が分った時に、父親が突然、財産の
生前贈与をして、それを防いで亡くなったいった。 その時に、父はこっそり、
『御前のためだ、あとは自分で守れ!』と耳打ちをしていた。 実兄と母親は、
何も知らない蚊帳の外。 ことある事に、義兄が『自分は性善説論者』と綺麗事
を語っていたが、節々に、何やら危ない予兆を感じていた。 
 …学生時代に『孫子の兵法』『六韜三略』に、その辺の戦略、戦術を詳細に
論じているのを我がこととして読んでいたのが幸いし、何とか窮地を乗越えた。
 大家族は、毎日が刺激的で、小説というより漫画的世界であった。そして、
それが未遂に終わると、今度は知人、友人、元従業員、地銀、第二地銀に刃の
向きが変わっていった。気の毒なのが… 元従業員たち。家族はバラバラ!
 としても、一時期は、有難い助太刀の役割を十分に果たしていたから、
何おかいわんや! しかし敗者の立場と、気持ちが分らないと、こうなる!
 勝てば官軍 負ければ賊軍! 弱肉強食! とは、よくいったもの。

現実はリアルで、娑婆というに相応しいところでもある。
日本中の、このコロナ禍(現代版疫病)の悲鳴がリアルに聞こえてくる。

◉ 居酒屋、小料理屋を例に取れば、大した味ではないものを、先入観で、美味
 しいと想いこんで、仰仰しい内装とパフォ―マンスで、高額な料金を払って満足
していた現実が表立ってきた。 その一つが、解りやすいので例にとるとピザ料理。
イタリアなどで修業してきた西欧カブレの男が、郊外でピザと、パスタの専門店を
開店して10年、なかなかの味で評判だが… 今では『ピザハット』『ピザーラ
ドミノ・ピザ』で焼きたての宅配が可能。あのガストが宅配を始めた。
不振だった、タクシー業界も、特別立法で…宅配可能に。スーパー買物業務の
買物サービスも開始を始めた。日本のような、御堅い権益を持つ国も、この
パンデミックは、何でもありになる。

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6986, 閑話小題~ 年齢を重ねるにつれて
2020年04月30日(木)
    * 御隠居生活を重ねるにつれて…
◉ 兄から電話が入ると、‘姉か従兄の死亡の知らせ?’とドッキとする。
先日は千葉に住む三人の姉の一人から「新型コロナは大丈夫かと連絡が入ったが、
如何だ?」の内容。最近の想念は昔の苦い想い出が多い。血気の多い20歳、30歳
頃の軋轢。 けっこう毒の多い言葉を吐いてきたため、怨まれてきた。それさえ
なければ折角の学びも、善行も?台無しと、何度も言われてきた。この毒があれば
こその私と嘯いても、致命的なことが、あまりに多い。
 
◉ 65歳時に順調と想えた事業人生を終えた。碁盤の白石が一斉に黒に替わった
感覚である。そこから、人生を振返ると、様ざまな、己の所業の裏表がクッキリ
と見えてくる。これこそが人生最大の収穫。後悔もなし、残ったのが行蔵のみ。
何事も受止め方次第。問題は充実していたかどうか。<想いこみさ、人生は>。
どん底にこそ人生の妙味がある。

◉ 毎日のように、この新型コロナについて書いている。 書けど尽きない程、
事態は深刻で、あたかも戦時下のようだ。…リタイした御隠居の身なればこそ、
心労は少ないが、明日になれば一転の可能性がある。県内は、今のところ少ない
が、潜在的保菌者は多いのだろう。人口移動の少ない城下町で、保菌者となれば、
差別、嫌がらせは辛辣になる。柏崎・刈羽原発で、数名の保菌者が出て、責任者
の御詫び会見があった。別に悪いことをしてないのみ、何ゆえに謝る必要がある
のか。要するに風潮が、そうさせている。サービス、三次産業の従事者は、仕事
そのものが命がけ。

◉ 9年前から、近くのSC内のスポーツジムに通い1~2時間の運動量を保持してきた。
 ところが、この一連の騒ぎで、ジムが一時的?に閉鎖されて、困っている。
「身体は動かさなければ弱っていく」というが、「動ける範囲が動くべし」
動く行為は、自分自身から心がけないと不可能。 ジムの指導で、
<現在、動かしてる個所に意識を集中してください!そうすると
 効果が数倍は上がる>という。これがポイントのようだ。
<一週間、継続している運動を休むと、元に戻すに数ヶ月を要する!>は現在、
 実感していること。動ける内は動かないと。特に足の指先の管理は重要だ。
<ステイホーム>と言うが、近くの土手の運動までは、問題なし。

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2019年04月30日(火)
6619,閑話小題 ~平成の終り
   * 平成、最後の早朝に…
 今日で平成の年号が終わり、空気は少し変わることになる。昭和生まれ、
とりわけ団塊世代以上の世代は急に老け込んだ感覚になる。 平成から令和と、
昭和から平成への改元の意味と考え合わせると現時点の時代と、自分自身の立ち
位置が映し出されてくる。 あと2年足らずで、後期高齢者に区分され、自動車
免許証の返納を勧められるなど、ここで失われた過去の喪失感に遭遇する? 
 ―
 せっかく改元の前日。少し難しい話を。
フロイトが、途中で自らの理論を大きく転換。新しいモデルでは、
・人間の心は、心のコントロールセンターのような「自我」という部分と
・エロスやタナトスから出るエネルギーの集合体である「エス」というものと、
・無意識のうちの心に住みついた、自分の親がいろいろな形で命令を出している
 「超自我」という3つの要素からなると、唱えた。
この超自我というのが、普通の道徳感とはちょっと違っていて、エッチや、
これは不道徳な親にいえないことなどの意識レベルでブレーキになるもの。
フロイトのモデルでは、超自我というのが単なる道徳感ではなくて、無意識の
うちに身体や心を反応させる状態をいう。
 何でまた、こんな話をするかと言うと… 昭和と、平成を分けて、過去を
振返ると、究極で切り抜けた難題、この「超自我」が、その都度の判断と決断
で、自らを導いてくれていた。こういうのを血筋というのかも… よくぞ、
事なきをえて、切り抜けてきたとかと。 私の心の最後の拠りどころ… 
「後味の悪くなることは避ける」が、この「超自我」だろう。いや「自我」?
毎日、書き続けている、この随想日記、その日の分は、「自我」。過去の蓄積分
が「超自我」。早朝のポタリングと、大手大橋でヒキチャリをしながら、地球の
芯からエネルギー補充のイメージが「エス」への充電。それとSJでのヨガもそう。
成るほど、一応、理に適っているのか。シネマ館と自室でみる映画も「エス」。
 フロイトは、この「超自我」を振り払って、己が自由にならなくては!と
いうのが言いたいこと。振り払えなかったことが、老年の後悔? それとも、
振り払い過ぎた後悔が、あいまみえる心の葛藤? 老いは悲しい! 
出来なかった自分が悲しい顔をして、見つめてくる。それに、黙るしかない。
昭和の40数年は、「エス」に引きずられ。平成の30年は、超自我に… 
「自我」「エス」「超自我」ですか。今度、この3者が対話方式で、語り合せて
みますか。「熊」が自我。エスが「寅」で、大家が「超自我」とすると面白い?
とすると「八」は何?。 心、ここにあらずの「天使」? それとも「悪魔」?

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018年04月30日(月)
6256,閑話小題 ~デ
   * つれづれに ~凡人の祭日
 4月29日の祭日には、毎年、「競馬の天皇賞」「全日本柔道選手権」と、
プロ野球」中継を楽しみにしている。 ところが、今年は日曜と重なり、
定番の「家について行ってイイですか」「お宝鑑定団」「そこまで言って委員会
新婚さんいらっしゃい!」が重なったため、12~18時まで、数本の番組を同時
進行で見ることにあいなった。集中できない欠点もあるが、これが、生中継と
なると、集中しやすいため、頭の切替が思いの外、出来る。WoWoWなどで、次々
と面白い映画や、ドラマ、ボクシング中継などを放送するため、早々に、見て
消すしかない。最近はDVDに移行して消してはいるが、それも溜まる一方。
 寝室に‘お籠り用’に大型TVを入れて一年あまり経過するが、DVD録画の
数年分の録画分300本の録り溜め分もあって、非常に快適な自游空間に、あい
なっている。で、どうするか?といえば、録り溜分の4~5本を同時進行で見る
ことで量を熟す。これも慣れ。で、昨日の柔道、プロ野球、競馬のライブなら、
お手のもの。さすがにゴルフ中継まで見る余裕はなかったが… 
だが、同時間帯に2本を録画していた。
 自分でも驚くのが、見ても見ても全然、飽きないこと。特に映画の世界は、
よくぞ考えつくものと驚きざるを得ないのが多い。 それと世界の重量級の
ボクシング。そして世界各地の大自然の光景。これこそ情報化の恩恵である。
 20時早々に就寝した後の深夜の1~2時に覚醒し、死者のポーズで、己の肉体
から離れる意識をもって、前日の触媒の情報を見つめ直す。その面白さも格別。
 そして、起床をし、パソコンの前に座り、これを書き加えた後に、チャリ
散歩に出ていく日々…。 成るほど、これが第二の、第三の人生ということか。

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2017年04月30日(日)
5889,閑話小題 ~愛人業とはね
   * 愛人業ですか
 先日、投資業を餌にした女詐欺師が逮捕され、取調官の「職業は?」に対する
返答が「愛人業」という。寝技で篭絡しながら騙す男を「さお師」というが、
女は、さしずめ、「つぼ師」と思いきや、その言葉はない。クラブのホステスや
ママは、半愛人関係を持つ客を何人か持ち、名刺に日付と暗号を入れておくとか。
  ~ネットで、供述を検索すると~
≪  ☆ 山邉容疑者「投資するつもりなかった」
「つなぎ融資の女王」と呼ばれた山邉節子容疑者の逮捕から1週間。
取り調べに対し、「金を投資にまわすつもりはなかった」と供述していることが
警察関係者への取材でわかりました。
山邉容疑者は70人以上から少なくとも7億円を集めたと見られています。
取り調べには素直に応じ、聞かれてもいないことをよくしゃべるといいます。
・「職業は?」(捜査員)
・「愛人業です」
 「美容整形のために合わせて800万円使いました」(山邉容疑者)
62歳の山邉容疑者は、タイでは交際相手に38歳と偽っていました。
地元・熊本で山邉容疑者を知る人は・・・
「色気たっぷりの男性に好かれるようなタイプだと思っていた。(交際相手の)
会社の玄関に畳ぐらいの大きいブロマイド、自分がきれいに写っている上半身と
全身の写真を貼っていたから、『おや!』って思った。女性としてきれいだから、
みんなに見てもらいたいのかなとは感じていた。近所の人もそう言っていた」
                        (山邉容疑者を知る人)
山邉容疑者は、熊本市内でかつて経営していたスナックで、客らの話を聞く
うちに犯行を思いついたといいます。元本保証や高い利息をうたい、口コミや
愛人を通して出資者を募っていました。しかし・・・
「7年ほど前に金を集め始めました。最初から投資したり貸したりするつもりは
ありませんでした。ここまで広がるとは思っていませんでした」(山邉容疑者)
投資話は全くのうそだったことを認める供述をしているというのです。≫
――
▼ その金も、なる手の「さお師」に篭絡されて吸いとられていた。
 事件が事件だけに被害者の映像が出てこない。篭絡した客に、ホステスが
スナック、クラブの出店をさせる手法は、何処にでもある話。海外にに逃げれば、
大丈夫だろうと踏んでのことだが、まさか、全国ニュースで、ここまで騒がれる
とは思ってもいなかったようだ。
 現職の頃、あるクラブのママに、「あの娘、店を持ちたいみたいで、旦那探し
をしているけど、あなた、どう?」と、囁かれたことがある。 これは最も危険
なケースで、暴力団系の金貸しに搾り取られるケース。土建屋など成金の泡踊り
の典型事例になる。 
<女の身体の真ん中へんに しんしょぶっちゃる穴がある>の都都逸がある…
父親の口癖に、<愛人だけは持つな!>があった。後後にツケがまわってくる
のを多く見てきたからだ。 聞くところによると、<女子大生の2~4年の定期
約款付で、20万だったが、今では不景気で15万まで下がっている>とか。
嘘か本当かどうかは定かでない。都会には、この手合いが幾らでもいるのだろう。 
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2016年04月30日(土)
若者よ、外に出よ! ー③ ~学生生活は人、人生の砂場遊び
  
   * 学生時代は、人生の砂場遊び~  
 古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震刈羽地震
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20~45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
――――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24~5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

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2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

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2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。