閑話小題 ~75歳ですか~

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    * 年を重ねる度に感じることは
 腰痛もあり、後期高齢者になった感慨を味わっている余裕がなかった。
その数ヶ月前から腰痛が始まり、何とも辛い日々が始まっていた。これが、
独り暮らしと考えたら背筋が凍りつくのだろう。 なる程、高齢者用の施設が
存在そるのは解る。神様同様、在らねばならない機能である。そろそろ本気に
なって考えねばならない時節ということか。義兄の一人が施設に入居したとか。
それには先立つ諸費用が必要になる。地獄の沙汰も金次第とは、正にこのこと!
 ――
    * 免許証の書換も事なきをえて…
 心配していた普通自動車の免許証の書換も無事に終え、すこし、気持ちが
落ち着いてきた。‘人生こそ、大事業’と身に沁みて思う日々になった。
YouTubeの自由投稿動画の御蔭で、この年齢で知る世界の隅ずみの光景。
何とも、儚く、かつ味わいを感じる。世界は驚きに満ちていることが多い。
その大部分を知らないで、人生を終える。
 人生の終番にはパンデミックという天地がヒックリかえる現象も… 
それも一年間で、これ程まで世界が変わってしまった。ある意味、人災とも
言えなくもないが…
 4年前にアメリカが、白人第一主義者のトランプを大統領に選出され、
これが「縁」として、「因」としての、細菌の攻撃を許す起因になった。
中国の初動のミスもあるが、その功罪はあまりに大きい。

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6914,映画観賞 ~『京町ロワイヤル』
2020年02月18日(火)
   * 贋作づくり
 戦前までの実家の商売が骨董店だった。 終戦後から衣料量販店に鞍替え後は、
骨董収集を趣味にしていたため、幼児の頃から父親に連れられ、昔・仲の骨董店に、
茶道具や仏像などを見せられながら育った。 本物を見続けると、贋物の真偽の
見極めが培われるのは確かだが、それでも、御宝鑑定で、時どき外れる。
 骨董の世界は、「贋物を掴まされる方が悪い」というのが罷り通る世界。
そこに贋作づくりの土壌が出てくる。面白そうなのがないので、これを見ること
にしたが、やはり素人向け!だが面白かった。     評価:80点
   
  =サイトの内容紹介より=
【◉ 犯罪映画の中でも軽めのケイパー・フィルム、また巧みな話術や贋物を使い
 金品を騙し取るコンゲームものは、欧米で根強い人気を保つサブジャンルだが、
日本ではさほどコンスタントに作られているわけではない。 
 今回で2作目の「嘘八百」シリーズは、そうした洋画のサブジャンルの型を借り
つつも、茶器を中心とする骨董趣味を加え、鼠小僧に代表される義賊の伝統も
受け継ぎ、日本ならではの“コンゲーム・コメディ”を確立しつつある。
 ◉「スティング」や「オーシャンズ」シリーズなどの賊たちはたいてい伊達者
で洗練されているのに対し、中井貴一佐々木蔵之介の垢抜けない、やぼったい
 感じが邦画の喜劇に似合い、親近感がわく。1作目の成功を受けてか広末涼子
筆頭に新顔の俳優陣も多彩に。主役2人と広末の恋のさや当てで娯楽色が増した。
居酒屋「土竜」に集う贋作師3人組(坂田利夫、木下ほうか、宇野祥平)が 
今回もいい味を添えている。】
 ―
【 ◉ 茶番劇: 前回もだけど、今回も何もかもが中途半端に終わり、
 悪人達の悪事を白日の下にさらす事に至らず、結局茶番劇でしたね。
中井・佐々木達が悪人達の悪事を暴くテレビの生放送も実際のところ、
お茶の間に届けていないんでしょう。せっかくいいキャストが一堂に会し、
ベストを尽くして頑張ったのに、いろいろ残念】

 ―
▼ 海外ツアーに参加すると、主要都市では、美術館、考古博物館がコースの
 入っている。これも回数を重ねると、何時の間にか目が肥えてくる。
欧米は、国家や財閥系の資産家は、御宝を惜しみなく積極的に公開する。 
国宝モノは、人類の遺産という概念が刷り込まれていることもある。
それらを見続けていると、贋作や、二流品が、直感的に解ること。としても、
一流の作り手の模写は、当人の味が加わり、それなりの作品になる。
一流画家は、まずは模写から、その基礎能力を築いていく。趣向にも買取り、
それを楽しむタイプと、見るだけで充分の人がいる。としても、贋作づくりの
世界も深いようだ。一番、恐ろしいのは素人の自信。相手は手練手管。
ドッコイショと持上げて、次はヒネリ倒してくる。

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6549,読書日記 ~すべての悩みは対人関係
2019年02月18日(月)
        『アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』小倉広・著
   * 一つ皮剥きゃホンダラホイホイ!
 またまたアドラーである。19・20世紀が、フロイトユングが潮流なら、
21世紀の混沌とした時代はアドラーである。これまでアドラーについて幾つか
書いてきた。彼は、フロイトユングに並ぶ心理学者で、<過去に縛られること
なく、未来を変えることができる>の未来志向がベースにある。
  ~ 面白い個所を抜粋すると
≪ アドラーは、言いました。
<たった一人で住んでいる世捨て人のような人さえも、実は他人の目を気にする>
ある村に世俗的な欲望を捨てた仙人のような人がいた。彼は村に住むことを拒否。
山の中に掘っ建て小屋を造って自給自足で住んでいた。村人と交流することに
意味を感じなかった。
 ある日、その村が大火事になり、村は荒れ果て、人々はその土地を捨てて、
他の土地に移住することになり、大移住をしたのです。すると驚いたことに、
その仙人のような男までもが移住して、新しい村を見渡せる新たな山に引越した。
実は世捨て人のような人は、人間関係を捨てたのではなく、「世俗の欲望」を
捨てた仙人のように『清らか』で『優れた』であると村人から思われたかった
だけだった。「観客」がいない場所で生きることに堪えられないかったのです。
『最近ウツっぽい』『忙しくて休みが取れない』など、内面の悩みに思え
言葉も、すべて対人関係の問題に起因している。
――
・人間であるということは、劣等感を持つということ
           ・・・劣等感と優越性追求について
・「強く見せる」努力をするな。「強くなる」努力をせよ
           ・・・優越コンプレックスについて
・「弱さ」を武器にしても人生は変わらない
           ・・・劣等コンプレックスについて
・勇気がない人は「特別」であろうとする。
 勇気がある人は「普通」であろうとする
           ・・・勇気について
・あらゆる過ちは「共同体感覚の欠如」に起因する
           ・・・共同体感覚について
・激しい感情を使う人は強い劣等感がある
           ・・・感情について
・あなたには貢献する能力があり価値がある
           ・・・勇気づけについて
・ひとつのことができれば他のこともできる
           ・・・自己変革について   ≫
――
▼ アドラーについての読書録を書いていた筈とHP内検索をかけると、
あるある。真面目に、真剣に取上げている。暗く、混沌の時代であればこそ
未来志向のベースが必要になる。すべての悩みは
対人関係にあり、それは3つの課題にありと… 
 1つ目が「仕事の課題」
 2つ目が「交友の課題」
 3つ目が「愛の課題」
フランクル心理学の3つ価値に似ている。
 1つ目が、「創造価値」
 2つ目が、「体験価値」
 3つ目が、「態度価値」 
<良く働き、良く遊び、良く学ぶ> の3つの切口。
 フランクも、少しアドラーをパクった? 
より納得できるのは、フランクだが… 

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2018/11/14
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ -3                
             <「生きづらさからの脱却」岸見一郎著>
   * 「価値低減傾向」と虐め
 本書で、虚栄心に満ちた人に見られる「価値低減傾向」について取上げている。
誰でも持っている内幕情報など覗き込み願望も、これ。‘子ぎつね’‘腹グロ’
と敬遠され、その場の空気が汚れる為、名前を出すことすらしない。自分に甘く、
他人に厳しくが、もっとも端的に現れるから始末が悪い。特に、これを営業ネタ
と活用をしているコテコテの小悪党。その毒は、対象の人間を自殺に追いやる程、
効果がある。当人が、どれ程、怨まれているか、全く気づかない。
人は短所の特徴で他人を呼ぶ傾向がある。 子供の頃から『アダナ』など、
自然と「価値低減傾向」をしているのである。
  ~この言葉をネット辞書で検索すると
≪ 優越感を持とうとするあまり、他人の価値を貶める発言や行為をする… 
 …いわゆるマウンティング。相手をケナすことで自分の価値を上げようとする
ものの、実際には相手をケナしたところでその人本人の価値が上がるわけでない。
ところが本人はそのことに気づいていないため、必死にそれを繰り返す。
優越感を持ちたい人は、家族や知人間で価値ある人間だと思われたい。
そして自分に価値が無ければ家族や仲間が離れてしまう恐怖を抱えている。
そのため家族や仲間が離れていかないよう、自分にそれだけの価値があると
思わせたい。しかし自分にそれほどの価値があると証明できないなら、家族や
仲間の価値を下げればいい…というNot-Self(自分らしくない状態)に陥る。≫
 ―
▼ 娑婆には、このコテコテの小キツネが面白いほど存在する。
 他人の不幸は蜜の味と、蜜を振りまいている輩たち。
『メシウマ』=「他人の不幸で今日も飯がうまい!」。
『メシマズ』=「人の不幸でメシが不味い!」と、粗探しを酒のツマミにする。
それが、「生きづらさを自ら生産していることに自ら気づかない。
アドラーは、この性を「価値低減傾向」と名づけ戒める。 
 ところで、私たち、これを自分の過去に対してしるのでは? 
青少年期頃の若気の至りのフラッシュからウジウジして… 酷いのになると、
痴呆症の悪例として、身近な人に、遥か昔の脚色をつけた窃盗などの妄想を
ぶつける。「価値低減傾向』より性質が悪い話を聞く。日本社会の特徴の一つ
に「同調圧力」の強さと「自尊意識の低さ」がある。自尊心が無いため、他者に
対する異質を取上げ、攻撃にまわる。その人のそれは、歪んだ自虐でもある。
 
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2018/11/12
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ -2 感動を使う!             
             <「生きづらさからの脱却」岸見一郎著>
   * アリストテレスの「原因論
       ~「質料因」「形相因」と、「起動因」
 社会や、物事の原因を簡明の読み解くに、解りやすい事例である。
≪ アリストテレスは、彫刻を例に原因を、次の4つに分類している。
・まず、青銅、大理石、粘土などがなければ兆候は出来ない。この場合、
 これらは、彫刻の「質料因」(何からできているか)である。
・次に、「形相因」(何であるか)。彫刻が何を現しているかということ。
 彫刻家は像を刻むに時に、何をつくろうかというイメージを持っている。
・原因の三つめは「起動因」(動がそこから始まる始現)である。
 父親が子供の始原であるように、彫刻家が彫刻の起動因である。
・さらにアリストテレスは、これらの他に、「目的因」(何のために成立
 したか)を考える。彫刻家が、彫刻を望まない限り、彫刻は存在しない。≫
 ―
   * アドラーの「原因」論
 ~ 感情も脳も、感動さえ使う、極意とは ~
≪ アドラーも、行動について「なぜ」と問う時、「原因」という言葉を使う。
アドラーは「なぜ」という問いによって、行動の「目的」を答えとして期待して
いる。「どこから」でなく、「どこへ」を問うのである。アドラーの「原因」は、
プラトンアリストテレスのいう4つの原因のうちの「目的因」である。…
アドラーは、他の原因は目的に従属していると考えた。
  ―使用の心理学―
 …またアドラー心理学は「所有(何が与えられているか)の心理学」でなく、
「所有(与えられたものをどう使うか)の心理学」である。人が置かれている
状況がそのまま人のありかたを決定するのではない。
『大切なのは、何が与えられているかでなく、与えられたものを如何使うか』
 … アドラーは、アリストテレス原因論にプラスして「目的」を加えた。
目的論とは、「善」を目指し、それを目的にしているという観点から行動や
症状などを理解することである。 脳を例えると、私と脳は別物であり、私が
脳を使うのであって、脳が私を使うのではない。脳は大事ではあるが、人が行動
する時、それによって目標を決める起源ではなく、脳が心を支配するわけでない。
【善を実現する目的のため、脳を使う。】のである。
  ―感情を使う―
感情もまた、我々を支配するのではなく、感情をある目的のため使うのである。
感情は意志の力によって左右する。交通事故で車をぶつけられた時に、男は
美人と意地悪そうな相手では全く対応が違ってくる。感情なぞ使い方で如何様に
良くも悪くもなる。ヒトラーは大衆煽動に怒りの力を利用した。怒りは、隠れた
エネルギーとして直接的になる。

▼「感情を使う」の論を考えていると、「感動をつかう」の言葉が類推された。
秘・異郷ツアーの旅先で、何度も何度も感動体験をする。その結果、脳に蓄積
された精神面でのデ・トックス(体内に溜まった有害な毒物を排出させること)
で、心というより、魂の解放を実感する。「感動を使う」こと、そのものになる。
早朝の一時間のミニ・チャリも、小さな感動の旅になる。目的は、デ・トックス
の「善」の自己実現。このブログの書き込みも一種のデ・トックスになっている。

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2018/11/07
つれづれに哲学 ~アドラーから学ぶ               
          「生きづらさからの脱却」岸見一郎著
 * 今でもバカやってんだ!
  人生を10年スパンで振返りってみて、
・10歳までは明るい性格だったが、
・小5の頃からの十代は母親が重度の欝病と、直ぐ上の兄や同級生からの虐めや、
 受験勉強もあって、アドラーのいう‘嘆きの谷’暗い10年間に迷い込んでいた。
・20代の‘嘆きの谷’から外に向け一歩踏み出せたキッカケは、20歳の夏休みの
キリスト教倫理」の教授の夏休みの課題、【人生設計のレポートの提出】。
 まだ学生時代に馴染めず茫洋としていた私に、『将来設計、どうで生きる?』
 と、ナイフの切っ先を喉に突きつけられたようであった。 
その夏、学生寮のOBが夫婦でペアレント(管理人)をしている軽井沢の山荘で、
若い宿泊者や、ヘルパー仲間と夕食後に談笑し、様々な立ち位置や、生活環境を
話したり、聞きながら、ひと夏、自分の人生の方向を考えてみた。 いまから
考えると、最善の環境に引き付けられていた。様々な生き様が、学生仲間だけで
なく、一般社会の人たちの生の具体例の全てがヒントになっていた。
そこで得たのは、「自由に生きる!」「アイデンティティ(何もの?)」の問い。
 自由の第一歩が、「親からの自由」「血筋があればこそ、その人が存在する」。
都会生活に疲れ、癒しを求めてくる人の最初の質問は、『学生?社会人?』
『で、何処の学校、会社?』『どこの生まれで、実家は何している?』『趣味って
何?、クラブは何処に入ってるの?』が柱で、8割のレントゲン写真が出来上がる。
そこで、合せ鏡で自分の将来設計を考えた。あまりに丁度良いオープンハウスの
ような寮生活の上に、今度は、その垣根を超えた山荘で、様々な人種、それも
自由闊達な明るい未来を信じて笑っている人達。20歳は、孵化しようとする時節。
高度成長期の真只中、明るい未来が広がっていた。せっかく頂いた恵まれた立場
を活かすには、皮肉なことに両親の創業を間近で体験した修羅場の追体験の設計。
「創業を目指す」の柱が思い浮んだ。 その時、暗い神経質な性格の‘嘆きの谷’
から次の谷に踏み出した一歩であった。それぞれ人生の修羅場の時節でもある。
 その頃、母親に訪ねた、『どうして、こんなにしてまで働くの?』に、
『10人の家族が生きるに、人の何倍か稼ぐ必要があっただけ。それと、仕事の
拡大と同時に、人は成長するのよ!』 成るほどと実感した。
 家の事情で、急遽、Uターンで帰ってきた時に心に決めたのは、「嘆きの谷」
の人のこと。(当時は、この簡明な言葉を知らなかった) せっかく落とした、
重荷を、そのまま背負った、不吉な神に憑りつかれた悲観的過ぎる人たち。
他者の噂話、失敗に異常に反応し、その攻撃で無為の人生の鬱憤を晴らす。
 温暖化の影響もあり、以前ほどの積雪はないが、それでも一年の4分の1は
雪に閉ざされる。そのハンデを理由に何もしない不運を嘆く。その鬱憤たるや… 
問題は、鬱憤を他者に振り向け互いにヘドロに陥ってしまう悪循環に嵌りこむ人。 
 峠道には、‘嘆きの谷’だけでなく、‘喜びの池’もある。そこは森に覆い
隠された奥にあるため、一見、目立たない。それも、森に立ち入らない人には、
その存在に気づかない。隠れた池の近くに、「嘆きの谷」の道とは全く違う
ルートが存在する。その翌年、その道に初めて立入ってみた。 そこは
光り輝く別世界。それを哲学的に説いたのが、アドラー
‘嘆きの谷’の患者治療から、心理学を発展させたのが、フロイド、ユング。 
聞くところによると、そこにも抜け道があるそうな。ただし煉獄か地獄への小道。 
時に天国? それも、これも娑婆世界。 踊るか、踊らないか? 決めるのは、
おのれ独りで。