閑話小題 ~YouTubeネタ

    * 毎日、YouTubeを数時間はみている…
 現在の私にとって、YouTubeは、社会の窓である。映像で、人気順にランダム
に羅列されるのだから面白くない訳がない。 その都度、シリーズがあって、
それぞれの世界に嵌りこむ。
 先日は、沖縄と、名古屋の暴走族の映像。これは欧米社会では成り立たない! 
欧米社会は住民が捉えてリンチをかけるが、日本は別。 住民に、あまりにも
優しい社会が存在して、規制強化は権力の横暴と騒ぎたてる。 ギャラリーが、
パトカーの前に立ちふさがり、追跡を妨害すると、優しく?停車する。
 欧米では、個人対神の関係で、個人責任で轢き殺されても非難されないため、
パトカーが、平然と撥ねる!(それぞれ、拳銃を所持しているため、甘い判断が
不可能もあるが…) としても、国内は甘すぎ! 無知の若者は、野生動物と
同じ! 法律の厳格化は、必要! 何やら消滅直前の社会党が、その甘さの元凶
だったが、その党も自然解消。 自民党も酷いが、野党はモット悪いことは、
国会中継を見れば分る。この100年に一度のコロナ禍の大災害を、イカレタ国民
には、理解できない。自由投稿の映像は、様々な角度で世界の現場の実態を
私たちに投げかける。YouTubeは、その新鮮なネタを直接、投げかけるため、
私たちの日常を角度をかえた合せ鏡になる。

 

 

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閑話小題~  レビンソンの発達理論とは ―1

           2020年02月08日(土)

       レビンソンの発達期(発達段階)と発達課題
   * 人生の四季
 人生の節目時について、これまで多くのテーマにしてきた。
今さらの感もあるが、多く知るほど、興味が増していく。
 このレビンソンの発達理論も面白い。人生を重ねると、その辺りが
節目になっている。 魔物に襲われて窮地に立たされていた。
精神的、肉体的、社会的に体質の変り目のため、人生の選択が迫られる
面白味があった。 この節目を打たないと、脱皮の出来ない蛇になる。
 
 この理論の目新しいのは、過渡期を重なること。
   ~ その概要とは… ~
≪ レビンソンは以下のように人生を4つに分けました。
1.児童期と青年期(0~22歳)
2.成人前期(17~45歳)
    ・成人への過渡期     (17~22歳)
    ・おとなの世界へ入る時期 (22~28歳)
    ・30歳の過渡期      (28~33歳)
    ・一家を構える時期    (33~40歳)
3.中年期(40~65歳)
    ・人生半ばの過渡期    (40~45歳)
    ・中年に入る時期     (45~50歳)
    ・50歳の過渡期      (50~55歳)
    ・中年の最盛期      (55~60歳)
4.老年期(60歳~)
 ――
 レビンソンのライフサイクルは、
成人前期~中年期の人生後半に重点が置かれていることがポイント。
4~5年ごとに転換期が存在しそれはそれぞれの個人が、その時期に生活の
パターンや人生設計が変わることと関連します。
この生活のパターンや人生設計は【生活構造】と表現されていますが
この生活構造を変える時が、危機的な時期になります。
レビンソンによると、同じ生活構造は7年以上続かないとされています。
☆ 7年・・・どこかで出てきた区切りの年数と重なります。
 この危機的な時期の中でも【人生半ばの過渡期(40~45歳)】は男性に
とって急激な変化といわれています。
これに対してゲイル シーヒィ(Gail Sheehy)は、女性はもう少し早い35歳
ごろから中年期の危機が始まるとしています。
 ―
▼ こうしてみると、人生は『やるべき時節に、やるべきことを、すべき』
 ことが理解できる。特に男には、それが必要ということ。他者の生き方を
云々することなど、もってのほか。まずは己の節目を打つしかないことが分る。
 ひと事で、ないが。大学にもよるが、「成人への過渡期」に社会に入る前の
過渡期に<猶予期間>があった方がいい。遊び、働き、学びの世界を俯瞰する
ためにも。人生は思いのほかの広く、深く、味があることを知るにも。
                            ~つづく                      
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6539,読書日記 ~人生における読書の効能 ~2
2019年02月08日(金)
             『本を読む人だけが手にするもの』藤原和博(著)
   * 第1章の『本を読むと、何が得か?』
 育った実家が商売屋だったことも含めて本を読む環境になかった。
それでも、その気になれば市営図書館とか、校内図書館で読書もあったが、
遊び優先で、思いもよらぬこと。中学に入ったと同時にTVが家庭生活に入り、
野球や、アメリカものドラマに釘付け。高校時代に読んだのは、小田実
『何でも見てやろう』と『愛と誠を見つめて』。そして大学受験に失敗した
どん底の中で読んだ、『新約聖書』。少なければこそ、心の底まで響く感動
を覚えていた。そして、25人の今でいう、シェアハウスのような寮生活。
 直に知ることになったのが、読書量の絶対的格差。それと大学の同期生との
知識とセンスの格差。ただ、黙って聞き役になるしかない現実に茫然と…
まずは日本文学の森鴎外夏目漱石志賀直哉川端康成などの文豪の全集を
集中して読むことと、世界のポピュラーを聴く生活。そこに寮生活の醍醐味の
小宴会で、先輩諸氏の薫陶とか… そのどれもかもが、新鮮で衝撃の強いもの
ばかり、中学、高校時代の受験生活が、あまりに自分の世界を小さくしていた
かを思い知ることに。 それが都会暮らしの学生の最も重要なことだろうが、
寮生活の、学園生活が、それを効率よい触媒になっていた。これに1~2年が
合気道」と、夏、春には軽井沢山荘のヘルパーのアルバイト。 3年は、
「欧州周遊1ヶ月のツアー」への参加。4年は、週2回、2時間の「武澤ゼミ」
の参加。そして卒論と… 田舎の純朴の受験校上がりなればこそ、余白が
大きいほど、ドップリと浸かることが出来た。それと、余りある閑の中での
茶店での、底の浅い議論も、自分の底を知るうえで、この上ない環境。
誰もかもが、これまで会ったことがない人種。その経験話の多彩なこと。
『俺の親父、不動産屋をしてるんだけど、いま刑務所に入ってるんだ』とか、
『この夏休みに、地元の知り合いと出来てしまって… それが初体験だった』
『大学を卒業と同時に、カナダに留学して、一度、外から自分を見てから、
 人生を考えるつもり。このまま平凡なまま終えたくない』
『県会議員になりたいが、秘書のアルバイトをしてみて、自信が無くなった。
 そりゃ、酷い世界。 選挙で勝つためには「地盤」「看板」「鞄」の3バン
 が必要。そのどの一つも無いのが、如何すりゃいいか分からない。』
とか、成るほど、これが娑婆世界と知らされる日々。何が「本を読む人だけが
手にすもの」かであるが、それを言っちゃあ、後が続かない。
――
  ~ 一章の概要から ~
≪ ・ここで、パチンコをしない2人のうちの1人に、次に携帯ゲームもしない
 4人に1人に、そして、それを読書に向けると8人に1人の人材に成れると! 
 4年前のデータだが、学生の47・5%が一ヶ月に一冊も本を読まないという。
 なら成人なら、さらに低い?
・読書は、著書を通して「個人的リアル体験」が味わえる手段と
 ラジオなどの受動的インプットと違い、「アクティブ・ラーニング」。
 言葉を頼りに想像力をかきたてる効果がある。
・その上に、読書によって、「集中力」と「バランス感覚」が身に付く。
・また読書は世界観を広げる役割がある。世界観の広がりは、様々な視点で
 物事や他者を見ることが出来るようになる。読書を続けておかないと、
 私たちは、何も考えず、平々凡々に過ごすと、自ずと、視野狭窄に陥る。
・読書は、人生のステージを上げてくれる。
・人間たるゆえんの3つの触媒は、『読書』『遊び』『芸術』である。
 これらを経験し、沈殿させることで脳内に回路が強化され、それら
 が繋がり、脳の電磁波がより強力になっていく。
・著書は作家の「脳のかけら」。読者は、そのカケラを自分の脳につなげる
 ことが出来る。 ≫

▼ 50数年にわたり、一日、2~3時間は読書をつづけてきた。その割には大した
 実績を上げることが出来なかったが、それも内面的は大きん収穫を得てきた
充実感はある。自分の信念と、直感と、それを自動的に論理構成出来るベース
は出来たが? TVで訳の分からないコメントを瞬時に判別可能になっていると
思ってきたが、それも現在は思いこみでしかなかったのでは?と足元がぐらつき、
孤独感が強くなる。 ここで、人間たるゆえんの3つの触媒が、『読書』『遊び』
『芸術』という。 そこから生まれる『感動』『至高体験』『永遠との邂逅』。
同じ人生、可能な限り豊かな経験を引寄せて、充実させたいもの。 もう充分? 
いや、まだまだ! 内的余白は真っ白。 今までの経験、知識は、染み、汚れ!
  
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5808,閑話小題 ~毎日が面白い! (後編)
2017年02月08日(水)
  * 毎日が面白い! ―まずは、ヨガ(後編)
 6年前に始めたが、何故か数度で止めてしまった。そして翌年、まず5回、
そして10回と意を決して再挑戦をして現在に至っている。平日・昼間コースの
ヨガの枠が5回ある。当初の週二の枠が、5回に増えたが、参加者も8割だったのが、
現在は、50人の定員が殆ぼ満タン状態。火・水は事前に予約チップを数時間前に
取りに行かなければならない。ヨガは、60~90分で、1200~1500円。
45分のため、700~800円とすると、私の場合、月に18回として、12000円になる。
 慣れるほど、自分以外の人たちが気にならなくなる。5年になるので、
600~700回は参加したことになる。ヨガは、心にも毒が溜まるのが自覚できる。
それを一刻の間に、少しでも吐出すことが出来る。最近、5年前とは体質が変化
した感がする。老いるとは、長年の心の毒が一人歩きをし、そのまま生老病死
の4苦として重く圧し掛かる。
 ポーズで、例えば『ガス抜きのポーズ』がある。仰向けになって曲げた両足
を両手で抱えるポーズとか。『ゴキブリのポーズ』で、仰向けで両手両足を
ゴキブリにように、ばたつかせるポーズとか。『立木(リツギ)のポース』で、
立ち木のように両手を頭の上に合わせて、ギリギリ上に伸ばすポーズとか、
顔をしかめたり、縦に伸ばしたり。犬や猫が背中を伸ばしたりするポーズが、
結構、面白い。これらを50人のポーズを一番後方から見ると、それは壮観。
――
2013/05/25
早朝座禅 
        「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
  * 座禅とヨガの呼吸法
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での
永平寺。近くでは悠久山の曹洞宗・堅正寺で、禅室で独り座禅を組んだことも
あった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んでいた。禅僧からみれば
ド素人の野狐禅だが、青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考える
と、自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ整理をしていた
ことになる。 進路が定まらない20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし
行き先を考えていた。雲頓庵では新井石龍禅師から直接、姿勢の正し方、呼吸
の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、
禅定に近づくには、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。 
基本は鼻から1、2、3と10秒数えて吸い、5秒間止め、10秒かけて吐き出す。
そして5秒止め… を繰り返す。 実際にやれば分かるが、この息が続かない。
これに対し著者の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。
それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、
 体の中の空気を全部吐きだす感じで、吐ききってください。吐ききれば、自然に
吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一~十まで数える。
 ヒト~で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ~で長く深く吐き、ツで
吸います。これを、何回も繰り返すのです。呼く息は、自分の気海丹田に吐き
かけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、
少し息を止め、吐きを長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、
 腹に空気を溜めて膨らませます。そして腹から空気を押しだすように、鼻から
 ゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、お腹がぺたんこに
 なるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐く
 イメージ。胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。
 ラジオ体操の深呼吸などが胸式呼吸になる。】
基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。
30年前からの早朝の散歩とミニサイクリングで、深呼吸は身にはついているが、
新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸をする習慣をすれば、
その必要もないが。
――
2013/05/16
ヨガと座禅の違い
 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回は超えているが、
回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に野狐禅だが、六日町
の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に広い禅室で独り座禅を
組んだことがあった。ただシーンとした中、「直ぐにでも止めようか」という気持
と戦いながらのたった独りの座禅は、永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に
叩かれる状況より辛い。誰もいないため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。
 ヨガで仰向けになり全身を弛緩する「死者のポーズ」があるが、これは座禅の
禅定に似ている。飛行機内の座席で、耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思い
を泡のように流していると、何かのゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間が
アッという間に過ぎてしまう。ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その
状況から仏の悟りに近づくことにある。
ーヨガと座禅の違いをネットで調た中で、納得にいった3つをコピーしてみるー
《人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら瞑想に
ふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと「軛(くびき)」という
ことで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが次第に神の力に人間を結びつける
ことを意味するようになり、その修行法として智慧、愛、行、瞑想が重視された。
一般にヨガと呼んでいるのは、このうちの瞑想による神人合一の方法である。
このヨガは紀元5世紀ごろには「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派
が独立してさかえ、完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。
このヨガの修行法が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながる。》
《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身)を
 整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これによって
初めて超自然的な力が得られ、対し禅は「禅定」に深くかかわり、静けさを求める。
禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の悟りを追体験して
”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。禅は「無」を標誘し功徳や
利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をすること。ヨガは神人合一して
身心の健康を増進させる。》
《ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの哲学書
にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える事で、心の
動きを抑制する方法として古くから用いられた。 後に、ヨーガ学派という哲学
集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと言われています。
そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として用いられ、釈尊も、
瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」という修行法として
確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド独特の修行法をアレンジ
したものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は同じであると言える。
違いと言えば、仏教における修行は、さとりを目指す為の方法であり、現代の
ヨガは、心身の健康維持のためのもの、という点でしょうか。座禅とヨガとの
関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を盛り込んだ、精神統一の方法で
ありますし、「禅」といいますのは、「禅定」つまり精神統一をし、真理を観察
することであって、「座禅」は座法や呼吸法を用いた「禅定」一つの方法ですから、
根本的な部分で同じ要素を持つものと言える。》
▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法
 に対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。
腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。
私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガの中に多くある。
手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ーを
見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、
これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。
60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。