つれづれに

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 昨日のシネマは、『空母いぶき』。 評価:90点は邦画としては高い。
台湾と、フィリッピン辺りの、北朝鮮を想定した無法国家が、沖縄の島
に漁船を大挙して押し寄せ、次が軍艦と潜水艦で攻撃してくる筋書。 
これ、アメリカ人が見たら、嘲笑するだろうが… 
 そうこう考えると、侵略かどうかは別として、アメリカは自国民の
血を多く流してきた現実がある。押し付けられた平和主義も、考え直す
時節になっているが、与えられた平和主義の甘さが、骨の髄まである。





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4819,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー2
2014年05月25日(日)
   * 学生時代編 ー後編 
      ー欧州旅行と武澤ゼミー
③ レポート提出の一年後の三期生の夏休みに、一月間の欧州旅行に参加することになる。ゴールデン
 ウィークの軽井沢の山荘で、アルバイト仲間数人と話している中で、渡航経験と予定のないのが私だけ。
 その頃、友人に「『世界旅行研究会』というクラブが主催する世界一周のツアーに行かないか」と誘われて
 いたことを思い出し、自分も!と決心。そして二ヶ月後の旅行になる。 そこで欧州文化やアルプスなど
 大自然に圧倒され、小さな自分の殻が粉々に打ち崩される。これが、私の人生を大きく変える一因になった。
 訪問先の欧州の文化と文明、豊かさ、に圧倒されてしまった。今までの学生長屋の一室と、授業と、
 クラブ仲間だけの世界とは全く違う、広い、深い世界を垣間見て、帰国後の半年間は自失呆然・・ 
 欧州参加で親しくなったメンバーも、これまでと全く別世界の人たち。派手で、陽気な、優しい、都会的
 センスに満ちた人たち。毎日の生活費のチマチマした家計簿をつけていた自分が嫌になり、仕送り分の全てを
 使い切る! せっかくの青春、可能な限り学び、遊び、行動すると心に決める。それは現在も?
④ その翌年の最終年に、友人の紹介で絶妙なタイミングで武澤ゼミに入る。そこも、私と格段上の知識
 レベルの世界。その時、武澤ゼミが厳しいことで知られていて、希望者が少ないことなど知る由もなかった。
 そこで、一年かけ、知識の絶対量が少ないこと心底、思い知ることになり、卒業時には激しい躁鬱?に
 なりかけていた。武澤ゼミとの出会で、この40数年間、一日2~4時間の独学習慣をつくるきっかけに
 なって、現在も、それが続いている。そして、この程度! 
⑤ 忘れてならないのは、24人の全国から集まった色いろな大学の共同生活である。今でいう、シェア
 ハウスそのもの。共同トイレ、炊事場、洗濯場で、長屋のように細く長く分割した部屋の生活である。
 それぞれの個性豊かな生態がリアルに、丁度良い距離で見えてくる。それも安保騒動で騒然とした1960年代
 後半、人を知る上で面白くないはずがない。学生時代で良いのは、自分の実家のことを表立てるのはタブー。
 一人の人間としての裸付き合いが出来ること。
⑥ この頃、流通革命の必要性を唱え、ダイエー西友などの新興勢力の理論的背景になっていた渥美俊一
 の存在を知る。当時、『販売革新』という雑誌で知ったが、流通革命を卒論のテーマにし、一連のシリーズ
 本を必死に読んだもの。暗黒の大陸といわれた、流通の世界の合理化には、メーカが主導した経路の百貨店、
 一般小売店から、全く違った太いバイパスが必要と、セルフ方式の大型スーパーと、チェーン店の先進国
 アメリカの流通システムの日本導入を声高々に唱えていた。実家が商家だったこともあり、自分が学ぶ道は、
 暗黒の世界の中での科学化と直感。そこで、合併前のジャスコ岡田屋に入社を決めることになる。

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4452, 早朝座禅 -3
2013年05月25日(土)             
   * 座禅とヨガの呼吸法      「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での永平寺。近くでは悠久山の
曹洞宗・堅正寺で、禅室で独り座禅を組んだこともあった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んで
いた。禅僧からみればド素人の野狐禅だが、青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考えると、
自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ整理をしていたことになる。 進路が定まらない
20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし行き先を考えていた。雲頓庵では新井石龍禅師から直接、
姿勢の正し方、呼吸の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、禅定に近づく
には、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。基本は鼻から1、2、3と10秒
数えて吸い、5秒間止め、10秒かけて吐き出す。そして5秒止め・・・を繰り返す。 実際にやれば分かるが、
これが息が続かない。これに対し著者の座禅の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。
それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、体の中の空気を全部吐き
 だす感じで、吐ききってください。吐ききれば、自然に吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていく
為めの方法で、一から十まで数える。ヒト~で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ~で長く深く吐き、
ツで吸います。これを、何回も繰り返すのです。呼く息は、自分の気海丹田に吐きかけるように、そして
数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切です。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、少し息を止め、吐きを
長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、腹に空気を溜めて膨らませます。
 そして腹から空気を押しだすように、鼻からゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、
お腹がぺたんこになるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐くイメージ。
 *胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。ラジオ体操の深呼吸などが
胸式呼吸になる。】
 基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。30年前からの早朝の散歩と
ミニサイクリングで、深呼吸は身にはついているが、新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸を
する習慣をすれば、その必要もないが。
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4078, 老いの見本帳ーダークサイト -2
2012年05月25日(金)
   * 序章 初老期と不安  ー?   「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
 人生で一番大切な時期は50歳代と思って、悔いの残らないように過ごした。今から振り返ってみて、
良かったと思っている。「残り20~30年分を10年に凝縮して生きる」と、本気で。60歳を過ぎて、
気持ちが非常に楽になったことはいうもでもない。「老いの不安」からウツに陥り、初老にさしかかり
医者から貰ったハッピードラッグで薬中に陥った人がいる。 それは惨憺たるもの。
  ー ここで「惰性から離れる不安=初老期の不安」を表している。
≪・・ となれば、定年とは惰性の喪失、マンネリの終わりということになるだろう。もちろん新たな
 惰性が始まることにはなろうが、その前に、よるべなさや心細さを痛感し、生きる意味といった類の
根源的問題が脳裏をかすめることになる。そのような事態を先取りして想像し、自分で自分を追い詰め、
自壊するかのように五十代半ばにして「うつ」に陥っていくケースはかなり多い気がする。
 しかも実際に定年に直面すれば、予想外の雑用や成り行きでどうにか乗り切ってしまったりすることの
ほうが案外普通ではないだろうか。老いそのものよりも、想像力や予兆によって我々は老いに脅かされる。
それはホラー映画の構造と相似しでいる。お酒落というよりは「若作り」に励む中年男性が増えたような
印象がわたしにはあるが、それはたんに異性にモテたいとか一目置かれたいとかの皮相的な理由ではなく、
老いという未知なるものへ対する護符にも似た魔術的効能が求められているからだろう。老いることの
ネガティブな側面は、健康や金銭面で弱者になりかねないことと、世間から置き去りにされかねない不安、
死への接近といったことであろうか。必要不可欠な人物という立場から退場することへの寂しさ、敬して
遠ざけられがちなことへのもどかしさ、切実な無力感といったこともあるかもしれない。核家族化によって、
老人なりの役割分担を与えられなくなってきていることも問題だろう。そうなると老人は青年や中年の劣化
バージョンということになりかねない。男性、ことにサラリーマンは定年と老いとの同義化と、それを先取り
した不安が問題となっている。若作りというどこか滑稽な振る舞いにも、シリアスな意味が込められている。≫
▼ 初老期の人間の姿をシリアスに浮かび上がらせた内容である。「老人は青年や中年の劣化バージョン」は、
 言いえて妙である。ひと足先に定年をむかえた人が先年、「暇を持て余すと思っていたが、実際は毎日
やることがある」と言った意味が最近分かってきた。人生は最大限に生きるべき、それが老いへの準備になる。
年齢に従って劣化を劣化として受け入れるしかない。起承転々・・いや転倒
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3712, ジャズについて -7
2011年05月25日(水)
  モダン・ジャズの誕生 ー?       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ■ 四〇年代、ジャズの常識を打ち破った「モダン・ジャズ」の誕生!  P-195
   ▽ "踊る音楽"から"鑑賞する音楽"へ ーまったく新しい「ビバップ」とは?
【 時代は第二次世界大戦(一九三九~一九四五)に突入。四一年の日米開戦によってアメリカは本格的な
 戦時体制に入り、ジャズメンの中にも召集を受ける人が出てくる。あわせて、歓楽街とりわけダンズホール
 への課税も強化され、スウィング・ジャズを支えたビッグ・バンドの維時は雛しくなる。 そうした状況
 の中で、ひと旗上げようと全米各地からニューヨークに集まってきたジャズメンは、ハーレムのミントン
 ・プレイ・ハウスやモンロー・アップタウン・ハウスなどのクラブで、店が閉店したあとも、夜な夜な 
 ジァム・セッション(独奏者が集まって即興演奏の腕比べをすること)を繰り返して腕を磨いた。
  小規模のコンボで演奏する彼らにとって、型通りのビッグ・バンド・スタイルのスゥィング・ジァズは、
 もはや古くさく物足りないものであったことはいうまでもない。いかにありきたりの形式を打破し、自分
 なりの新鮮な要素をジャズに注入するかという実験に彼らは腐心した。 こうして生まれたのが、
 「ビバップ」(もしくは単に「パップ」)と呼ばれる新しいスタイルである。 ジャャズにおけるビバップ
 スタイルとは、メロディー、リズム、ハーモニーすべてにわたって従来のジャズの常識を打ち破ったもの。
 なによりも驚くほどテンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化による
 ビートの細分化など、全体の音色はより硬質化し、フレーズ(即興演奏における音の連なりの聴こえ方)の
 多様性はいちだんと広がった。 
  ジャズの醍醐味の一つは、ソロによる即興演奏にある。たとえば、同じ曲を演奏するにしても、ソロの
 演奏の仕方によってまったく別な印象を与える。そのソロ演奏が不可欠となったのも、この時代といって
 いいだろう。もちろん、このビバップは、従来のニューオリンズ・ジャズやスウィング・ジャズの、ある
 意味では単純な‘ほのぼの’としたジャズを聴き慣れた耳には、複雑で"とんがった・印象を与えた。
 こうして、それまではもっぱら"踊るための音楽"だったジャズは、‘鑑賞する音楽’の色合いを強めていく。
 そしてそれは、大衆的な幅広い人気という面で、従来の輝きを失っていくことにもなるのだが、一方では、
 音楽としての芸術的真価を発揮し、熱心なファンを獲得することになる。 】
  ▼モダン・ジャズが第二次世界大戦の最中に生まれ、ビパップのスタイルに変わっていった。
 「全体の音色が硬質化し、テンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化
 によるビートの細分化が特徴」というと、訳も分からず聴いていたモダン・ジャズの特徴を、それまでの
 ジャズとの区別がつくようになる。 ジャムセッションという言葉は聞いたことがあるし、幾つかのバンド
 が次々と演奏を競うのもTVでみたことがある。あれがジャムセッションだったと、今回知った。 
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3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! -2
 2010年05月25日(火)
   (字数制限のためカット2012年5月25日)
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2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てが
モンゴル人である。大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリー
さが、日本人とは格段の差がある。今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。
草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入に
なるのもハングリーになる背景がある。朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る
限り一番強かったようだが。日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2~3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。自殺未遂が、
その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、
異常な数である。 一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺
の環境も暗くなると、何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
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2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
(字数制限のためカット2011年5月25日)
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 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。運動会の日の雨は、あいにく
の雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。こういう言葉が日本にあったのは、先日
読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ生きられるのである。
雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!