閑話小題 ~「おばさん」の話 ―3

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    * こてこての「大阪のおばちゃん」
 「おばさん」といえば、「大阪のおばさん」に代表されるこてこての
「唯我独尊」の塊りの女性。 「えげつなさ」が、その最たる特徴。
だが憎めなさも兼ね備えてある。その中和したところが「おばさん」。
  ~ ネット検索をすると
《 ・見たことのないような派手な服装
 ・基本はママチャリに乗ってお買い物。
 <カゴの中には大根や白菜など、スーパーで購入した物がたくさん
 入っていることが多い。大阪市内は平坦な道が多いため、ママチャリ
 でも楽に移動ができます。>
・自転車のベルはフル活用
・安く買えたことを自慢する
・お世話好き
・ポケットティッシュがそこらじゅうに
・会話は漫才のよう
・飴玉は飴ちゃん
 <飴ちゃんは大阪のおばちゃんのコミュニケーションツール>
・行けたら行くわ
 <気が進まないお誘いに対して「行けたら行くわ」と言う。
  他府県の人からすると、他に予定が入っていなければ来てくれるもの
  と勘違いをする。同じような使い方で、「できたらやるわ」もある。
・ファッションといえば虎柄。また原色が好き
・いつも陽気で世話好き。口汚い聞えよがしの悪態。

▼ 上記の特徴の要素の多くを、「おばさん」がもっている。
 大阪は昔から商人の町。商売人は明るいコミュニケーションが必要。
 その中にあって、大阪のおばちゃんは憎めない明るい存在。目に浮かぶ。
「好かれ、嫌われの塀の上の住人」だが、そこは何処か憎めない関西人
の特徴を磨いてある。…そして「意地悪ばあさん」に知らぬ間にあいなる。

・・・・・・
6281,閑話小題 ~ビデオ撮影の恐ろしさ ー4
2018年05月25日(金)
  * 監督・コーチサイドから(架空対談)
ポン督: 何で、こんなに騒がれるのか? アメフト部は集団格闘技。
   ドツキのぶつかり合いの世界で、如何に潰すのが 隠れテーマだろう。
  綺麗ごとは誰にも言えるがね。そこで優勝するには、短期、中期的に
相手を負傷させる、それもQB(クオータ・バック)を狙うのは当然だ。
  問題は、ドサクサに紛れてやり、証拠を残さないことさ。 理事長がさ、
 暴力団と懇意でね。まさか、録画に撮られていたとは、運が無かったのさ。
 執行猶予の付いた有罪で、後は野となれ山となれか。
ポンコチ: トップの息のかかった人から、一切を被ってと暗に言われてきたが、
  自分の生命の危機がね… ここは地の果てナイジェリア。都会としても、
  特殊社会だもの。結局、俺が背負うしかないのかな。消されるよりマシか。
  でも、あまりに過酷で受止められないよ、これは。日頃、選手に根性論を
  しつこく説いてきたのに、立場が逆転さ。
颯太: 20歳そこそこの学生が、自らを露出して単独の記者会見だろう。 
  そうでもしないと、負傷した相手に詫びたことにならないとね。それに対し、
  本学の常務がさ、あの無様な言訳、そりゃ、OB、在校生は怒るわ。
ポン太: 誰も言わないけどさ、負傷した学生、3週間になるじゃない。
  退院した頃だろう。アメフトなら、負傷は付きもの。ここまで騒ぐのも。
  問題になっているのが日大の体質と、アメフトの王者の驕りでしょう。
ポン督: 男らしくないというけど私でも、あれは行き過ぎと思うよ。
  他人事に聞こえるけどね。でも表立たたなかったら、良くやった行為か?
颯太: その日か、翌日に謝りに行けば、何でもない日常の出来事だったのに。
  何もしないから、こうなったんだ。それが日大の体質なら、起こるべきして
  起こった問題だね。自分でも、何か憂鬱になるよ。この事件は。これじゃあ、
  マスコミの餌食さ。自民党には丁度良い、目くらましさ。何か日大と、自民
  体質が酷似しているな。ポピュリズムの最たるマスコミの攻撃対象の分散に…。
ポンコチ: 今までは、監督にヘバリツイテ顔色を見て、少し先読みをして、
  判断すればよかったが、誰も何も言ってくれないし、仲間の態度は一変、
  あとは、自分の先々を考え、独りで判断していかなければならないのか。
  今さら、宅上犬の私には難行苦行
颯太: 丁度良い、試練ですね。でも、分かるよ、実力格上の宿敵の関学
  相手だもの。実際のところ、似た者同士さ。
ポン督: 見ている分には面白いだろうが、自分がブラックナイトとなると…
  八つぁん、如何だった、7年間のそれは…
八つぁん: それは気分は最悪だが、あなたとはレベルが違うよ。いや、落差が。
  一つ間違えると、あんたは前科者だもの。でも、私も経済社会では、そんな
  もんだが… 創業準備から、シェルターを組みこんでいたし、幼児の頃から、
  街の真中で、生々しい夜逃げ話を聞いていたからね。そりゃ、残酷なもの。
ポン督: 兎にも角にも、去年の優勝は良かった。しかし、その代償がこれか!
  万事塞翁が馬って、これかと…  実は暗殺が怖いね。この数年で、数十人が、
  怒り狂って辞めっていったからね。それと口封じ。
颯太: これを読んでいて、リアル過ぎて、他人事でも恐ろしいし、憂鬱さ。
ポンコチ: この流れからして、私が自殺かベストになるじゃないですか。
  でも言っておくけど、楽になるのは分かっているがね、自殺はしないよ。
ポン督: それと、PI PI。 政府筋からすると… もっと延焼した方がね。
  とにかく、この国は程度の低いポピリズムが過度に浸透しているしね。
ポンコチ: でも、叩けば幾らでも埃が出てくるじゃないですか、貴方からは。
ポン督: … …

・・・・・・
5184,世間の捨て方 ー①
2015年05月25日(月)
         『世間の捨て方』ひろさちや
 常日頃から〈『世間』という妄想と、その害毒〉について何度も論じて
きた。それを、この前書きで、そのまま、理路整然と書いてあった。
 20歳で、創業的人生を選択した時から、悪くいえば「自己中心」の生き方に
徹してきた。大部分の人が、何か得体の知れない模範的良い人を求め、他人の
視線を気にして日常を過ごしていた。そんなものは、転勤か、転職をすれば、
何とことはなく過ぎ去っていく事象でしかない。そして、人生の最終になり、
その妄想に気づいて慌てふためく。いや、気づきもしない人が大部分だろう。
そして、やらなかった後悔、出来なかった後悔に涙する。 以前、取上げた、
ある担任の先生が私に吐露をした、「自分には人生が無かった!両親とも教員で、
自分も教員を半ば強制的に歩んできた。定年になった現在も、90歳になっても
健在だが、何事も無い人生ほど詰まらないものはない!」と、かなり強い
初老性鬱病の前段階。一番身近な親たる「世間」の犠牲者である。
  ~まえがき~より
≪ 「俺はどんな女も口説き落とせる」と豪語する男がいました。ところが
 彼は、ある女性から肘鉄を食らった。「きみも失敗することがあるんだね」
と言う友人に、彼はこう言いました。「なあに、あれは女じゃなかった」
 こういう人を世間では「自己中心」と呼ぶようです。
では、「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」
だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。
無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。
 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と・・
「世間の人から褒められる人間になりなさい」「立派な人になりなさい」と
教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていたのです。
しんどい生き方ですね。よく考えてみてください。世間の「期待」に応えると
いっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか? 場合によって違っています。とすると、あなたが
企業の「期待」に応えるためには、場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。 疲れますよ。そんなことをしていると、
人間失格になってしまいます。だから、世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ
悩んでいる人間です。いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせて
いたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も
予測できません。とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。
「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
たとえば、学校の試験において、かりにあなたが不合格点をつけられたら、
「あんな問題を出すなんて、教師がまちがっている」と言えるぐらいの人間が
いちばんいいのです。あなたが働きやすい場所でなければ、それは会社が悪い
のです。会社の管理職は、あなたがもっと働きやすい組織形態に会社を変える
必要があります。そう思えるようになるのが「自己中心」の生き方です。
 本当にお先真っ暗な時代です。こんな時代を生きるには、世間に気兼ね
していてはだめですよ。だって、世間のほうがどうしてよいか分からず、
われわれに気兼ねしているのです。わたしは、いまの時代をそのように
読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、
われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰も言わなかった
ことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。・・ ≫
▼ 母親が亡くなった財産分与の話合いの時に、姉四人が、私に
『何で特別に、アナタだけが、学生時代から、何ごとも自由に許されて、
したい放題。私たちは両親の監視下で、何にも出来なかった。あまりに
理不尽過ぎる。特に父親は厳しすぎた。しかし、あなたに甘い』と、
あたかも、私が父親であるかのような怒りをぶつけていた。厳しかった
父の姿を見てきたこともあり、両親を含めた「世間様」とは、心の奥で
一線を隔した内省的な性格になっていた。 で、このザマだが、自由に?
生きられた充実感は、何ものにも勝る。今日は、「ひろさちや」の過去分
の読書日記を、以下にコピーした。 改めて読んでも、納得する内容。
――
2007/02/15
2144, 「狂い」のすすめ -1 
       (~Q~;)  おはよう~~ファ~  サム!
閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・一期は夢 ただ狂え」
を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
まさに何時も、ここで書いていることである。
私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、団塊の世代
マニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。
人生に意味など無い、生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。
あるのは「いま ここ」だけ! 
   ーまずは、その概要からー       
                     ー読書日記
                  著者:ひろさちや :集英社
 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。
狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
自分を楽しく生きようと呼びかける。
     ー表紙裏の内容紹介ー
 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。
世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。
当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。
そうすれば、かえってまともになれるからです。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく
生きましょう。「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術は
ここにあるのです。
 
-面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、
  エコノミック・アニマル、すなわち畜生の生き方をしています。
  日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、
  裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
  そして、どちらが幸せでしょうか!?
  わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。
  だから楽なんです。ところがわれわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か
  味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、
 《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
  と言われています。この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
*『わたしたちは、人間を商品価値、機能価値で測ってはいけません。
  機能価値は相対的に変化します。
  勤勉な人間の方が怠け者より機能価値が高いようにおもわれますが、
  その機能価値は他者との縁によって一時的に付加されているものであって
  絶対的なものではありません。
  従って、人間の価値は、「存在価値」で論じられるべきであって、
  その存在価値を測る物差しは、「仏の物差し」「神の物差し」
  でなければなりません。それは目盛のない物差し「測らない物差し」
  なのです。』
= 要約をすると=
 ー大多数である弱者が世間(=強者)の奴隷とならないためには、
  世間(強者)が『常識』としている(それはしばしば強者の都合で変わる)
  ことがらを信用しないことである。
  だがまともに闘おうとしても勝てっこないので、むしろ世間(強者)から
 『狂っている』とみなされるようにすれば、世間(強者)も遠慮してくれるで
  あろう(いつ噛み付かれるか恐れるからだ)。
  今の世間(強者)の方が狂っているのだから、その常識の中で
 『狂っている』ということは逆にまともといえる。ーということだ。  
  
 少し強者でなければ実際は難しいがね!
-今回はこの本の大筋の面白そうなところを書いたが、
 次回は、狂ってみせる対象の世間様からのアップスケールについて、
 主観を込めて書いてみる。世間はバカが多いからね!
 なら、もっとバカになっていればよいだけじゃないかい?
 そのままがバカだから、バカになることもないか!
              つづく ¥(*^_^*)\ バイバイ
―――
2006/02/02
1766, こころの羅針盤(コンパス) -1
                     -読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。
その幾つかを抜粋してみる。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 まずは、
「こころの震えを感じるとき」
 ─まえがきに代えて─      五木寛之
「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。
「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様だろう。
「こころ」という言い方がなあ、と苦笑する人もいるだろうし、
「こころ」に羅針盤なんていらねえよ、と、そっぽを向く人もいるにちがいない。
 しかし、本のタイトルなど、本当はどうでもいい事なのだ。
「題名いろいろ」と、歌いとばしてもらっても一向にかまわない。
とりあえずここにギュウギュウづめになっている三十篇の文章を、
どこからでもいい、パッとぺージを開いたところから読みはじめてごらんなさい。

「人間いろいろ」「文章もいろいろ」、こんなに各人各様でいいのかしら、と、
あっけにとられる位に個性的な書き手のオンパレードである。
声に出して笑ったり、ため息をついたり、なるほどなあとうなづいたりと、
私自身、人生を三十回生きたような感じがした。
 才気あり、含蓄あり、厭味あり、教養あり、風格ありと、
活字を読む楽しみこの一冊につきると言えば、
いささか香具師の口上めいてくる。
羅針盤の針は必ずしも一点を指すわけではない。
 実際に磁石を使ってトレッキングしたかたなら経験がおありだろう。
震える針は揺れ動きながらも、最後は落ち着くところに収まる。
この三十篇の文章は、右へ左へと跳びはねながら、
最後は或る一点に読む人を導く。
 それは「こころ」という実体など、じつはどこにもない、
という乾いた真実である。
私たちが「こころ」と信じているものは、存在する人間の影にすぎない。
ひとりひとりの性格や体型が異なるように、
その影も異なったかたちをしている。
 私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。
ここに集められた文章のすべてに、その確かな意志がひそんでいる。

 そのことが感じられたとき、震える私たちの「こころ」は、
それぞれの一点にむけて収斂するにちがいない。
ここにあるのは、そのような力を秘めた見事な文章ばかりなのである。
                        
ー評ー                        
 作家は、どうしてこのような上手い文章を書けるのか、
その博識に驚かされ、ただ感じ入るだけだ!
                     つづく
――――
2015/02/15
真の友人 ー楽しく生きる一日一話 ~③       
   * 真の友人    【本日「いいかげん」日和 】ひろさちや (著)

 

 

 

閑話小題 ~「おばさん」の話 ―3

    * こてこての「大阪のおばちゃん」
 「おばさん」といえば、「大阪のおばさん」に代表されるこてこての
「唯我独尊」の塊りの女性。 「えげつなさ」が、その最たる特徴。
だが憎めなさも兼ね備えてある。その中和したところが「おばさん」。
  ~ ネット検索をすると
《 ・見たことのないような派手な服装
 ・基本はママチャリに乗ってお買い物。
 <カゴの中には大根や白菜など、スーパーで購入した物がたくさん
 入っていることが多い。大阪市内は平坦な道が多いため、ママチャリ
 でも楽に移動ができます。>
・自転車のベルはフル活用
・安く買えたことを自慢する
・お世話好き
・ポケットティッシュがそこらじゅうに
・会話は漫才のよう
・飴玉は飴ちゃん
 <飴ちゃんは大阪のおばちゃんのコミュニケーションツール>
・行けたら行くわ
 <気が進まないお誘いに対して「行けたら行くわ」と言う。
  他府県の人からすると、他に予定が入っていなければ来てくれるもの
  と勘違いをする。同じような使い方で、「できたらやるわ」もある。
・ファッションといえば虎柄。また原色が好き
・いつも陽気で世話好き。口汚い聞えよがしの悪態。

▼ 上記の特徴の要素の多くを、「おばさん」がもっている。
 大阪は昔から商人の町。商売人は明るいコミュニケーションが必要。
 その中にあって、大阪のおばちゃんは憎めない明るい存在。目に浮かぶ。
「好かれ、嫌われの塀の上の住人」だが、そこは何処か憎めない関西人
の特徴を磨いてある。…そして「意地悪ばあさん」に知らぬ間にあいなる。

・・・・・・
6281,閑話小題 ~ビデオ撮影の恐ろしさ ー4
2018年05月25日(金)
  * 監督・コーチサイドから(架空対談)
ポン督: 何で、こんなに騒がれるのか? アメフト部は集団格闘技。
   ドツキのぶつかり合いの世界で、如何に潰すのが 隠れテーマだろう。
  綺麗ごとは誰にも言えるがね。そこで優勝するには、短期、中期的に
相手を負傷させる、それもQB(クオータ・バック)を狙うのは当然だ。
  問題は、ドサクサに紛れてやり、証拠を残さないことさ。 理事長がさ、
 暴力団と懇意でね。まさか、録画に撮られていたとは、運が無かったのさ。
 執行猶予の付いた有罪で、後は野となれ山となれか。
ポンコチ: トップの息のかかった人から、一切を被ってと暗に言われてきたが、
  自分の生命の危機がね… ここは地の果てナイジェリア。都会としても、
  特殊社会だもの。結局、俺が背負うしかないのかな。消されるよりマシか。
  でも、あまりに過酷で受止められないよ、これは。日頃、選手に根性論を
  しつこく説いてきたのに、立場が逆転さ。
颯太: 20歳そこそこの学生が、自らを露出して単独の記者会見だろう。 
  そうでもしないと、負傷した相手に詫びたことにならないとね。それに対し、
  本学の常務がさ、あの無様な言訳、そりゃ、OB、在校生は怒るわ。
ポン太: 誰も言わないけどさ、負傷した学生、3週間になるじゃない。
  退院した頃だろう。アメフトなら、負傷は付きもの。ここまで騒ぐのも。
  問題になっているのが日大の体質と、アメフトの王者の驕りでしょう。
ポン督: 男らしくないというけど私でも、あれは行き過ぎと思うよ。
  他人事に聞こえるけどね。でも表立たたなかったら、良くやった行為か?
颯太: その日か、翌日に謝りに行けば、何でもない日常の出来事だったのに。
  何もしないから、こうなったんだ。それが日大の体質なら、起こるべきして
  起こった問題だね。自分でも、何か憂鬱になるよ。この事件は。これじゃあ、
  マスコミの餌食さ。自民党には丁度良い、目くらましさ。何か日大と、自民
  体質が酷似しているな。ポピュリズムの最たるマスコミの攻撃対象の分散に…。
ポンコチ: 今までは、監督にヘバリツイテ顔色を見て、少し先読みをして、
  判断すればよかったが、誰も何も言ってくれないし、仲間の態度は一変、
  あとは、自分の先々を考え、独りで判断していかなければならないのか。
  今さら、宅上犬の私には難行苦行
颯太: 丁度良い、試練ですね。でも、分かるよ、実力格上の宿敵の関学
  相手だもの。実際のところ、似た者同士さ。
ポン督: 見ている分には面白いだろうが、自分がブラックナイトとなると…
  八つぁん、如何だった、7年間のそれは…
八つぁん: それは気分は最悪だが、あなたとはレベルが違うよ。いや、落差が。
  一つ間違えると、あんたは前科者だもの。でも、私も経済社会では、そんな
  もんだが… 創業準備から、シェルターを組みこんでいたし、幼児の頃から、
  街の真中で、生々しい夜逃げ話を聞いていたからね。そりゃ、残酷なもの。
ポン督: 兎にも角にも、去年の優勝は良かった。しかし、その代償がこれか!
  万事塞翁が馬って、これかと…  実は暗殺が怖いね。この数年で、数十人が、
  怒り狂って辞めっていったからね。それと口封じ。
颯太: これを読んでいて、リアル過ぎて、他人事でも恐ろしいし、憂鬱さ。
ポンコチ: この流れからして、私が自殺かベストになるじゃないですか。
  でも言っておくけど、楽になるのは分かっているがね、自殺はしないよ。
ポン督: それと、PI PI。 政府筋からすると… もっと延焼した方がね。
  とにかく、この国は程度の低いポピリズムが過度に浸透しているしね。
ポンコチ: でも、叩けば幾らでも埃が出てくるじゃないですか、貴方からは。
ポン督: … …

・・・・・・
5184,世間の捨て方 ー①
2015年05月25日(月)
         『世間の捨て方』ひろさちや
 常日頃から〈『世間』という妄想と、その害毒〉について何度も論じて
きた。それを、この前書きで、そのまま、理路整然と書いてあった。
 20歳で、創業的人生を選択した時から、悪くいえば「自己中心」の生き方に
徹してきた。大部分の人が、何か得体の知れない模範的良い人を求め、他人の
視線を気にして日常を過ごしていた。そんなものは、転勤か、転職をすれば、
何とことはなく過ぎ去っていく事象でしかない。そして、人生の最終になり、
その妄想に気づいて慌てふためく。いや、気づきもしない人が大部分だろう。
そして、やらなかった後悔、出来なかった後悔に涙する。 以前、取上げた、
ある担任の先生が私に吐露をした、「自分には人生が無かった!両親とも教員で、
自分も教員を半ば強制的に歩んできた。定年になった現在も、90歳になっても
健在だが、何事も無い人生ほど詰まらないものはない!」と、かなり強い
初老性鬱病の前段階。一番身近な親たる「世間」の犠牲者である。
  ~まえがき~より
≪ 「俺はどんな女も口説き落とせる」と豪語する男がいました。ところが
 彼は、ある女性から肘鉄を食らった。「きみも失敗することがあるんだね」
と言う友人に、彼はこう言いました。「なあに、あれは女じゃなかった」
 こういう人を世間では「自己中心」と呼ぶようです。
では、「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」
だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。
無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。
 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と・・
「世間の人から褒められる人間になりなさい」「立派な人になりなさい」と
教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていたのです。
しんどい生き方ですね。よく考えてみてください。世間の「期待」に応えると
いっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか? 場合によって違っています。とすると、あなたが
企業の「期待」に応えるためには、場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。 疲れますよ。そんなことをしていると、
人間失格になってしまいます。だから、世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ
悩んでいる人間です。いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせて
いたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も
予測できません。とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。
「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
たとえば、学校の試験において、かりにあなたが不合格点をつけられたら、
「あんな問題を出すなんて、教師がまちがっている」と言えるぐらいの人間が
いちばんいいのです。あなたが働きやすい場所でなければ、それは会社が悪い
のです。会社の管理職は、あなたがもっと働きやすい組織形態に会社を変える
必要があります。そう思えるようになるのが「自己中心」の生き方です。
 本当にお先真っ暗な時代です。こんな時代を生きるには、世間に気兼ね
していてはだめですよ。だって、世間のほうがどうしてよいか分からず、
われわれに気兼ねしているのです。わたしは、いまの時代をそのように
読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、
われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰も言わなかった
ことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。・・ ≫
▼ 母親が亡くなった財産分与の話合いの時に、姉四人が、私に
『何で特別に、アナタだけが、学生時代から、何ごとも自由に許されて、
したい放題。私たちは両親の監視下で、何にも出来なかった。あまりに
理不尽過ぎる。特に父親は厳しすぎた。しかし、あなたに甘い』と、
あたかも、私が父親であるかのような怒りをぶつけていた。厳しかった
父の姿を見てきたこともあり、両親を含めた「世間様」とは、心の奥で
一線を隔した内省的な性格になっていた。 で、このザマだが、自由に?
生きられた充実感は、何ものにも勝る。今日は、「ひろさちや」の過去分
の読書日記を、以下にコピーした。 改めて読んでも、納得する内容。
――
2007/02/15
2144, 「狂い」のすすめ -1 
       (~Q~;)  おはよう~~ファ~  サム!
閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・一期は夢 ただ狂え」
を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
まさに何時も、ここで書いていることである。
私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、団塊の世代
マニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。
人生に意味など無い、生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。
あるのは「いま ここ」だけ! 
   ーまずは、その概要からー       
                     ー読書日記
                  著者:ひろさちや :集英社
 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。
狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
自分を楽しく生きようと呼びかける。
     ー表紙裏の内容紹介ー
 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。
世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。
当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。
そうすれば、かえってまともになれるからです。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく
生きましょう。「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術は
ここにあるのです。
 
-面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、
  エコノミック・アニマル、すなわち畜生の生き方をしています。
  日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、
  裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
  そして、どちらが幸せでしょうか!?
  わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。
  だから楽なんです。ところがわれわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か
  味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、
 《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
  と言われています。この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
*『わたしたちは、人間を商品価値、機能価値で測ってはいけません。
  機能価値は相対的に変化します。
  勤勉な人間の方が怠け者より機能価値が高いようにおもわれますが、
  その機能価値は他者との縁によって一時的に付加されているものであって
  絶対的なものではありません。
  従って、人間の価値は、「存在価値」で論じられるべきであって、
  その存在価値を測る物差しは、「仏の物差し」「神の物差し」
  でなければなりません。それは目盛のない物差し「測らない物差し」
  なのです。』
= 要約をすると=
 ー大多数である弱者が世間(=強者)の奴隷とならないためには、
  世間(強者)が『常識』としている(それはしばしば強者の都合で変わる)
  ことがらを信用しないことである。
  だがまともに闘おうとしても勝てっこないので、むしろ世間(強者)から
 『狂っている』とみなされるようにすれば、世間(強者)も遠慮してくれるで
  あろう(いつ噛み付かれるか恐れるからだ)。
  今の世間(強者)の方が狂っているのだから、その常識の中で
 『狂っている』ということは逆にまともといえる。ーということだ。  
  
 少し強者でなければ実際は難しいがね!
-今回はこの本の大筋の面白そうなところを書いたが、
 次回は、狂ってみせる対象の世間様からのアップスケールについて、
 主観を込めて書いてみる。世間はバカが多いからね!
 なら、もっとバカになっていればよいだけじゃないかい?
 そのままがバカだから、バカになることもないか!
              つづく ¥(*^_^*)\ バイバイ
―――
2006/02/02
1766, こころの羅針盤(コンパス) -1
                     -読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。
その幾つかを抜粋してみる。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 まずは、
「こころの震えを感じるとき」
 ─まえがきに代えて─      五木寛之
「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。
「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様だろう。
「こころ」という言い方がなあ、と苦笑する人もいるだろうし、
「こころ」に羅針盤なんていらねえよ、と、そっぽを向く人もいるにちがいない。
 しかし、本のタイトルなど、本当はどうでもいい事なのだ。
「題名いろいろ」と、歌いとばしてもらっても一向にかまわない。
とりあえずここにギュウギュウづめになっている三十篇の文章を、
どこからでもいい、パッとぺージを開いたところから読みはじめてごらんなさい。

「人間いろいろ」「文章もいろいろ」、こんなに各人各様でいいのかしら、と、
あっけにとられる位に個性的な書き手のオンパレードである。
声に出して笑ったり、ため息をついたり、なるほどなあとうなづいたりと、
私自身、人生を三十回生きたような感じがした。
 才気あり、含蓄あり、厭味あり、教養あり、風格ありと、
活字を読む楽しみこの一冊につきると言えば、
いささか香具師の口上めいてくる。
羅針盤の針は必ずしも一点を指すわけではない。
 実際に磁石を使ってトレッキングしたかたなら経験がおありだろう。
震える針は揺れ動きながらも、最後は落ち着くところに収まる。
この三十篇の文章は、右へ左へと跳びはねながら、
最後は或る一点に読む人を導く。
 それは「こころ」という実体など、じつはどこにもない、
という乾いた真実である。
私たちが「こころ」と信じているものは、存在する人間の影にすぎない。
ひとりひとりの性格や体型が異なるように、
その影も異なったかたちをしている。
 私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。
ここに集められた文章のすべてに、その確かな意志がひそんでいる。

 そのことが感じられたとき、震える私たちの「こころ」は、
それぞれの一点にむけて収斂するにちがいない。
ここにあるのは、そのような力を秘めた見事な文章ばかりなのである。
                        
ー評ー                        
 作家は、どうしてこのような上手い文章を書けるのか、
その博識に驚かされ、ただ感じ入るだけだ!
                     つづく