閑話小題 ~年賀葉書の最終日に
* 今日が締切日…?
◉ クリスマスといえば、毎年、年賀葉書を書上げてポストへ!
数日前に家内が留守ということで、居間で数時間、集中して書上げた。
年々、対象数が少なくなり、何やら寂しい気がするようになってきた。今年は、
週4回のスポーツジムと、週一のシネマ館通い以外で、ほぼ誰に会うこともなく、
閉じ籠りが多くなっていた、そこにコロナ禍。 一種、自閉症的でもあるが、
全く、苦痛が無いのが我ながら驚き。 9月には自転車が転倒し、眼下を1・5㎝
ほど切って、来春先まで、ポタリングを中断した。…それもあって少し肥え気味
だが、それも、せいぜい2キロの増加。
◉ このコロナ禍の中で、クリスマスソングが聞えてこない。年末年始の浮付いた
空気感も全く無し。一般大衆は、その時々の…共同幻想の御祭りに踊らされて
いたと気づいてしまった意義は大きい。 もし連合いがポックリ亡くなり、子供
が巣立った家で、年末、年始を過ごして気づく侘しさは、こんなものか…
人間は温みがあればこそ、ぬくぬくと生きられる。 「幸せ=温み」ですか!
で、今朝のパソコン前は寒む!!
◉ スポーツジム内が閑散としている。私が欠かさず参加しているエアロヨガ?も、
比例して参加者が減っている。 ~インストラクター曰く~
このジム以外が全滅で 週に10以上あったヨガコースも、ここの3つだけ。
ヨガ仲間は、転職か、廃業が次々と… 特に店舗を持ったヨガ教室は全滅…
先が見えないのが悩みのストレスのタネ。 ~見え隠れするのは経営者の悩み。
開店以来…10年近いため、元は取れたため、最悪ではないだろうから、問題は
「最短3年、最長7年間の凌ぎ」である。 社員にしてもボーナス、給料の切実な
問題がある。 経営も個人にしろ、何ごとも、万一の蓄えが有るか、否か。
準備無しの人ほど、他者の長年かけたエネルギーが見えないから始末が悪い。
世間人の境目は、その辺りになる。得体のしれない犬コロが、当所なく彷徨う。
・・・・・・
6859,読書日記 ~マインド・リーディングの「道具箱」
2019年12月25日(水)
〈『心を上手に透視する方法』トルステン・ハーフェナー著〉 * たった一言で、その場を沈黙させる法
この本はマインド・リーディングの『道具箱』の紹介の本である。
会場には数百人の観客で、テーブルに12名のパネラー。 隣の人しか話が出来
ない状態の中の圧巻の一言…
『一つ、すごくプライベートな質問をしていいですか?』…
一瞬にして私のテーブルは静まり返った。 人は雑踏の中で聞えてくる会話で、
自分の名前を聞き取る。自分の名前と、プライベートな質問は同じくらい興味が
あるからだ。いま思いついた話題… 何度も書いてきたが
〈独身時代のこと、女性職場の何処の世界にもNO1の女性が存在する。その時に
私が使った秘術は… さて何でしょう? まあ、黙っていた方が心に残るから。〉
エッと思うでしょう。その答えなど、あるわけがない。せいぜい〈距離を置き、
ああ可愛いなと思っていれば、気持ちが通う〉というぐらい。 ただ、非常に
興味を持たせる質問になる。私の浅知恵で「4人の姉がいて、一応、粒よりでね、
貴女のような人がいると懐かしくてね…」ぐらい。、これも 私の創作になるが、
本気でなければ、何でもいえる。まずは人畜無害。次は称賛。三度目は優しさ。
そして気楽さ… コンビニに似ているが。 これを若い女性は求めている。
―
* 運の良い人悪い人
ヘンリー・フォードは、こう述べている。
<あなたは、自分が何かがとても上手にできると思うが、全然できないと思うが、
どちらも正しい」 要するに思考パターンの問題。
英国のリチャード・ワイズマンも、自分が幸運カ、不運かは本当に偶然か?
それとも、不運と幸運の人が実際に存在するか大々的に調査をした。
~その結果は
≪「運が良い人は、運がない人より、チャンスによく気づくことが導き出された。
私たちの思考は私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに、幸運か不運の
ドチラかを引寄せるのである。」 さらにこうかいている。
「楽観的な人は前向きでエネルギッシュで、新たな機会や経験にオープン。
一方で運がない人は、控えめで頼りなく心配そうな反応を示し、目の前の機会を
見つけて活かそうという気がないようだった」≫
――
▼ 9年近く前に会社清算してから、面白い現象が多々あった。
人生に運ある人の一群と、逆に運のない一群の差が、そのまま、私への対応に
違って出ていた。会社と個人を明確に分けて、個人補償を一切外しておいたため、
持家を、そのまま維持し、そこで生活可能で住む(済む)ことができた。
幸運の一群には、それが理解でき、逆の一群には、それが理解できない知能範囲。
まずは、自分の気持ちの切替をして、生活習慣も変えた。当然、幸運グループの
一群は、それが見えているが、悪運の一群には、理解出来はしない。 その観察
をしているだけで、心に余裕が持てたのである。心底から軽蔑してくる相手には、
私も同じ心で対処する。それが、その人の限界であり、その外側がみえない。
逆に現業が上手くいって、息子に引き継がせることより、こと個人の側から
みれば、自己清算が、より幸運だったかも? という視点の存在に気づいた。
内側の視線も、考え方ひとつで、幸・不運が決まる不思議さの実感。
・・・・・:
6495,つれづれに哲学 ~内的自由と外的自由の違いは何? ー2
2018年12月25日(火)
* 自由って、奥行きが深すぎる!
卒業時に誓った「一日、最低二時間の読書習慣」が、考えてみたら、
自由時間の確保そのものだった。実社会に飛び出した直後に、現実社会での
フィールドワークで得た情報管理として、カード型日記を始めていた。
創造工学の川喜多のカード 日記 。それを小型の分類ボックスに挟み込み、
その後、貯まった分を分類の大型封筒に、輪ゴムで括り入れる。面白そうな
新聞・雑誌の記事は2枚のカードのホチッキスでファイル状にして挟み込む。
現在の、この随想日記の原型である。≪…≫の部分が、これ。以前はコピペ
をしていたが、今では、ワザワザ手打ちにすることが多い。そこで考えること
になるからである。 この堅苦しい?行為は、日常を切取ることで、雑念や、
雑事を整理する役目になっていた。しかし、当時は、その行為が御宅的感覚
になり(今でも、そうか?)、1年で、封筒の全てを捨ててしまった。
(勿論、後年に公開した)もう2度と読返すことがない記録を何でまた?と。
その苦い経験もあって、現在は、同月同日分を、連日、コピペして流し読みを
している。この習慣自体が自分の心を不自由にしている?のか、逆に時間枠
から解放する役割になっているか… 半々である。
ネット検索で「自由とは何?」と入れると、面白いのが多々あった。
― ~コピペ…~
〔 幕末期、英語のリバティが「自由」と訳されました。自由の「由」には
いろいろ意味があります。よりどころ、理由、いわれ、口実、趣旨、事情、
手段、縁、風情…。これらの単語の前に「自らの」とつけると面白いです。
自らのよりどころ、自らの口実、自らの事情、自らの風情…。
幕末の人々がリバティという言葉を必死で考えた様子が伝わります。
現代、自由は保証されています。 でも、私たちはなぜ自由を実感できない
のでしょうか? 人間的欲望をそこにすべて託しているからじゃないのか。
自由という言葉には複雑な罠が張り巡らされています。
「俺は自由だ。なんだってできる」と誰かが叫びます。しかしこれは大間違い。
自在と自由を混同しているにすぎません。もともと、リバティは「自在」と翻訳
されたのですが、微妙に違うということになって、「自由」に落ち着きました。
自在とは、たとえば「相手を自分の意のままに操る」ということ。
これは独裁と一緒、みんなが自在を実践すれば世界は成り立ちません。
「自由」はむしろその対極にあるのかもしれない。
この限りある世界で相手との関係性を考え抜いた上で、思慮分別を伴って
自らの「由」を探ること。 〕
―
―
▼ 当時のボックス日記帳は、創造工学の川喜田 二郎 の本から発案したこと。
18年前からの、この随想日記は、そのクラウド版。『分類』の中の「検索」
にキーワードを入れると、過去の記事が、時系列に表記される。これで
当時の2度と日の眼にあたることがない?問題が解決をした。私は利用をした
ことがないが、グーグルのメールにコピペをしてクラウド化して、キーワード
で呼び込む使い方があるようだ。現実社会を覆ってしまったネット社会は、
自由の枠を限りなく広めてくれた。パソコン、大型TVで、毎日のように見る
YouTubeなどの映像世界は、連日のように、「心」いや『魂』を日常世界から
解放してくれる。<何何、オーバー過ぎる表現?> ならばYouTubeで、
【マッターホルン ムササビスーツ】 【マッターホルン ドローン】
【闘牛 街中】 【ドローンレース】 でも入れてみたら良い。あと、
【世界のクリスマス 鮮明画面】 【ライオンとバッファロウの死闘】
寝室に籠って下界から隔離していることもあるが…
これにゴーグルを身に着け、アルプスの山をドローンで飛ばしたら、これ程、
面白い体験はない。内的自由と、外的自由の境目にバーチャルで気楽に立てる?
余命1年と言われた後、カナダの合法地区の??ツアーを探して… 冗談!
魂の解放とは如何なるものか? 「死こそ魂の解放」というが、ならば自殺
の可否の倫理問題になる。生きたままの開放感。至高体験! 大自然の邂逅で
何度か経験したが… それはそれは! もう一つ、南アフリカのザンビアの
鉄橋からの100mのバンジージャンプ。息が出来ないほどの恐怖から、次の一瞬
の落下の最中の開放感。生きたままの死の瞬時の実感とは、あれだったのか!
自由は、死際の刹那の一瞬に姿が現われ出てくる? 楽しみ? とんでもない!
その前に、老化の悲劇の問題が待っている。
・・・・・・
6130,読書日記 ~「続・下流老人」
2017年12月25日(月)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 2016/12>
図書館の「返却コーナー」で見つけ、以前、読んだ本の続編とは知らずに、
借りてきた。一年前に発刊になっているが、以前、前編を読んだ記憶があった
ため、HP内検索をしたところ一年半前に書いていた。改めて読返すと、他人事
の問題ではない。夫婦間で、「節約はあなた、浪費は家内」の格差が歴然に…。
しかし私が欠けると同時に?…だが、自宅を売却すれば、何とかなると嘯くが。
私が子供の頃の定年が55歳だったが、長寿化に伴い、現在は65歳。それが契約
形態を変え70歳になろうとしている。景気停滞の中、皺寄せは「下流老人」に。
「親の因果が子に報う」の通り、親の不甲斐なさ、そのままが、子孫に受け
継がれていく。これで朝鮮戦争が起きて、攻撃の矢面になれば、日本全体が
激しく損傷する。 北朝鮮の漂流漁船の実態のニュースもあるのだろうが、
クリスマス・ソングがTVから殆ど聞こえてこない。
「クリスマスと年末休暇の帰省」に名を借りたソウルからの脱出を終えた来年
早々の攻撃の可能性が無いとはいえない現実味が。とすると「一億総下流化」も。
命をかけた大量難民が、大挙、到来の可能性が現実味を帯びてきた。
価値観が全く違う彼らが… 現在の欧州に近い問題が身近に生じることに。
下流老人より遥かに疲弊した難民問題に、打消されることになる。
内容紹介
≪ 下流老人は、過労老人へ――
「死ぬ直前まで働く」社会がはじまる!!
間近に迫った「一億総老後崩壊」。それに抗おうと、必死に働く高齢者。
思い描いた老後は消え、体も心も極限まですりへる社会がおとずれる。
「年収400万でも将来、下流に!?」というショッキングな内容で、老若男女、
全世代から反響のあった前著から1年半。 本作では「高齢者の労働と貧困」
をテーマに、日本人の9割が他人事ではない「死ぬ直前まで働く」現実を報告。
そのうえで、前著の反省をふまえ「どうすれば下流化しないか」という
“解決策"を徹底的に書いた。明らかに深刻化する日本の老後、一億総下流化
を防ぐには、もうこの道しかない! 粉骨砕身の書き下ろし。
(本書でいう下流老人とは「生活保護基準相当で暮らす高齢者、
およびその恐れがある高齢者」のことである)
――目次――
●第1章 深刻化する下流老人
貧困大国化する日本
〈1・深刻化する「収入の少なさ」〉
年金収入のボリュームゾーンは6万~7万円
高齢期の収入は下がる一方
〈2・深刻化する「貯蓄の少なさ」〉
「ゆとりはないが、どうにかなる」という思い込みの怖さ
〈3・深刻化する「つながりの希薄さ」〉
大量の「孤独死予備軍」
「豊かな日本」をつくった男たちの末路
一億総〝疲弊〞社会がはじまる ほか
●第2章 生きるために、働く老後
――死ぬまですり減る、体と心――
【ケース1】年金だけでは暮らせず、80歳近くなっても働く酒井さん(仮名)
【ケース2】50代で会社をリストラされ、コンビニで働く田坂さん(仮名)
【ケース3】 親の介護費・医療費を支払うために働く60代後半の野見山さん(仮名)
【ケース4】40歳近い子どもと孫を養うために働く70代の吉岡さん(仮名)
【ケース5】地方に暮らしながら月5万円で生活する江藤さん(仮名)
●第3章 誰もが陥る「死ぬまで働く」という生き方
――なぜ、高齢者は働かざるを得ないのか――
日本では、高齢者も「働きすぎ」
「生きがいのために働く」はウソ
死ぬまで不安に駆り立てられる社会
高齢者が働く理由1 下がり続ける年金受給額
高齢者が働く理由2 上がり続ける介護保険料
高齢者が働く理由3 上がり続ける生活費
〈1雇用・労働をめぐる問題〉〈2家族をめぐる問題〉〈3地方をめぐる問題〉
〝過労老人〞による事件・事故の増加 ほか
●第4章 日本の老後はカネ次第
――不気味な顔をみせる格差社会――
「最後の10年」を、どう生き延びるか?
「殺してほしかった」と嘆く高齢者
高額すぎる有料老人ホーム
介護付き高級ホテルと〝上流老人″
膨らむ家族の負担と責任 ほか
●第5章 下流老人を救うカネはどこにある?
――これから「財源」の話をしよう――
「カネがないから我慢しろ」という強力なロジック
政治家に対する異常な不信感
税アレルギーの日本人
不公平感が生み出す世代間対立
他人を救えば自分が死ぬ?
「全員が受益者」の社会をつくる
“all for one"ではなく、“all for all"
なぜ「弱者救済」を嫌悪してしまうのか
日本の民主主義を取り戻すために ほか
●第6章 一億総下流化を防ぐ解決策
――持続可能な未来 ~ 子ども世代へ――
「脱商品化」の社会へ
働き方も大きく変わる
権利は誰かがくれるものではない
「できること」ではなく「必要なこと」を考える
信じて、声をあげ続ける ほか
発刊後半年で20万部を突破し、流行語にもなった『下流老人』は、
一般に金持ちと思われていた高齢者の貧困を“発見"した。
続く本書では、ますます深刻化する現状を辿りつつ、自分が下流化
にならないための「解決策」を提示する。
―――
―――
藤田孝典 (著)
2016/04/11
下流老人 ー③
『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 』で、「下流老人」の用語を
提示をした藤田孝典 が、その定義を、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、
およびその恐れのある高齢者」とした。 既に貧困老人は700万人に及んで
おり、相対的貧困率は22%、高齢者の4~5人に1人の割合だが、その少し
多めの人を入れると、3人に1人となると。お金は天下のまわりものだが、
愚痴を言いたいのも分かる。 ~著者のレポートによると、
<・2014年の高齢社会白書によると、3千万円以上の預金を持っている
高齢者は25%もいるが、蓄えが十分と答えた人は、わずかに3・4%しか
いなかった。既に一割が安心して暮らせる水準だが、あとの9割は不安定の
状態におかれている。
・例えば、自営業で働いてきた夫婦の場合、二人の国民年金は、13万円。
税金などを引かれて10万そこそこなら、生活保護並みか、それ以下になる。
生涯平均年齢400万のサラリーマンをみると、厚生年金が16万、妻が
国民年金として、その加算が22万として、手取18~9万では、ほぼ生活
保護並み。夫が、ガン等の病になれば、即、困窮生活に入る危険がある。
・その上に、子供が失業をして実家に頼ってきた場合も、困窮理由になる。>
▼ 4人に1人が3000万の預金とは驚き。老人の貧富の格差があまりに大きい。
NHKや、民放のTVで、下流老人の厳しさの実態事例を放送しているが、
これは何処にも見られる話。 周辺を見渡すと、比較的豊かな人が多いが、
3分の1か、4分の1は、瀬戸際にあり、傍でみても、非常に厳しいのが分かる。
貧困老人問題が関心が持たれるのは、老後の貧困が、特殊な人ではなく、
平均的サラリーマン生活を送って来た人にも、近い将来現実になりつつある
ことがわかってきたため。 去年の6月30日に起きた71歳の老人による
新幹線車内でガソリンをかぶっての焼身事件。当人は、その月から年金だけの
生活になって、改めて受給額の少なさを実感し、不満を周囲に漏らし、自殺を
ほのめかしていたことが事件後に、明らかに。その年金受給額は月12万円。
居住していた杉並区の生活保護基準は14万4千円。年金受給額が生活保護
基準を下回っていた。それまで清掃業の仕事をしていたが、仕事がなくなり、
年金だけの生活。もっと少ないと生活保護を申請するケースが多いが、
12万は、生活保護基準を下回るが、極端にひどくはなく、普通の勤め人生活
を送ってきた人が、年金暮しで単身生活を送る標準的なケースという。
この老人は、将来を悲観してしまったのだろうが、特殊なケースではないと。
老いてからの貧乏は身に染るが、9割が、その淵とは… 老いた夫婦の場合、「
先に逝ったもの勝ち」も、あながち?
―――
2015/10/02
下流老人 ー② ~下流老人への転落
この数年来、団塊世代が年金生活に入ったこともあり、マスコミに扱われる
ことが多くなった。更に新幹線内で年金制度に対する抗議の焼身自殺もある。
今では、週に1~2度は、TVで極貧の『下流老人』をレポートをしている。
多くにとって、他人事ではない問題。私の場合が一歩間違えれば…
準備期間を入れると45年間心血をそそいだ事業が思いもよらないリーマン
ショックで成立たなくなった。それでも事業設計の段階から万一の備えを組み
こんでいたこともあり、何とか人並みの生活が維持している。 ところで、
ブログ内検索で調べてみたら、二ヶ月前、「下流老人」のテーマで扱っていた。
(後にコピー) ~最近みたTVでのアンケート~では、
・病気などで、大金の思わない支出
・離婚で、財産が消滅
・転職の失敗(思い上がり)
・頼れる家族がいないか、その家族がギリギリの年金に頼っている
・手持ちがあったが、気前良く使っているうち底をついてしまった
などなどの事例を生々しく映しだしている。
手持資金が底をついたが、あてが国民年金の一人暮らしで6~7万円では、
家賃で大半が消えてしまう。数ヶ月前に、中学校の「古希」の会があった。
会場が県境の湯沢で、二万円近くの会費のため、出席できる人は、限られる
ため、貯蓄、収入の余裕ある人が中心。そのため実態は見えないが、身近を
知る限り甘くはない。 TVで誰もが口を揃えて、「まさか自分が!」という。
私のケースでも、夫婦のどちらかが欠ければ、この大きな屋敷の一人住まいは
難しく、小さな家への住替えか、施設の入居の問題が出てくる。
団塊の世代は、終戦直後の最低の環境から、バブル崩壊まで35年間、
地球史上、稀なる7%の経済成長を続けた。これは奇跡中の奇跡の恵まれた
環境の中、そこで育った人生は幸せだったが、末路の気の毒な結果が、
『下流老人』。もっと気の毒なのが、その子供と孫。親の介護に、職も
全財産を注込んで呆然とする姿が、戦後世代間の全て問題を象徴する。