閑話小題 ~ 首相職の過酷

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   * 首相職が過酷と聞いていたが…
 職業の中で、政治家が一番過酷とは聞いていた。私が過ごしたが学生時代の寮
について、ここで幾つかテーマにしてきた。(…後でコピペ)
今でいうシェア・ハウスである。そこには、全国から政治家を目指す玉石混合の
学生が寄宿していた。先日亡くなった渡部恒三氏もいたという。御上りが、世界
を知るには理想的環境で、なかなか刺激的! としても、その風情は江戸;明治
時代の長屋の世界。人間性が丸出しに曝される。それが面白い! 卒業したものの
社会に馴染めず、毎日のように会社帰りに誰かの部屋に立寄る人が多く存在する。
それ姿勢だけで、底が割れているが、自分が見えなくなっている。
<何ごとも変化を受入れて、己を変えるべし!>と、そこで学ぶことになる。
手弁当で政治家の私設秘書をしていると、「凌ぎ」が大問題。未亡人のヒモや、
実家からの仕送りで何とか生活をしている。 隙さえあれば、ネクタイとか、
ワイシャツ、小物が消えている。年数回の合コンのバスツアーで、知りあった
女性との下ネタとか、初めて入ったキャバレーの体験談とか、耳年増になる。
登行すれば、ミッション系の御品の良い連中。その格差が何とも面白い!
  
   話題を本筋に戻す! 
 地方に住んでいたら、絶対に知ることが出来ない各地の住人が、生々しく
共同生活をしている。まず知ったのは<政治家は、3つの看板、基盤が必要!>
その理想像を虚像として自らを演出していく。その前に、それが可能な教養を
ベースに持つこと! 本屋には、下校時に立寄り彷徨うこと! 友人の選定に
気をつけること。自分の核たる格言を持つこと! 学生時代に与えられた
自由時間を無駄にしない事! 要するに人生の砂場で…それまで縛られてきた
因縁から自らを解き放つことを独学で実行すること! 都会出身の友人や、
地方出身のアパート暮らしの人たちには、この生活が奇異に映り、羨ましい
ようだった。幼児の頃から大家族の末っ子で、放っておかれた生活環境にあった
空気を読むことが、この生活に慣れると生きてくる。…首相職の一端を垣間
聞いたのが、私の知人の娘が日航のチーフアテンダントで、小泉首相
専門世話焼き。 座っている3~4席の後部座席で待機して、雑用をする。
ところが、10数時間、死んだように身動きもせず眠りこけていたとか!
世界から預かった国家を守ることが、まず求められる。

 元大阪市長で弁護士の橋下徹氏が19日、「ゴゴスマ~GoGo Smile」
に生出演し、大阪府知事時代の激務の思い出を語った。
大阪府知事大阪市長を務めたが「知事・市長の時ですら、全身じんましん。
シャツの上から無意識にかきむしってたら、シャツが真っ赤っかになったりとか、
血でね。家に帰れば全身がこわばって、ダンゴムシみたいになって伸びないんです」
とあまりの激務に体調に異変をきたしていたことを告白。「知事・市長ですら
そうなんですから、首相ともなれば、とんでもない精神的・身体的負担がある
わけでね。そこを分かった上で批判しないと」と分別を持って声を上げることを
勧めた。】  生臭い利権の中で、蠢く政治家が、全職業で一番過酷という。

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2015年08月31日(水)
5647,「家、ついて行っていいですか」

   * ぬいぐるみに話かける男
 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという
より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。
先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。
ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した
ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。
「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。
都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い
人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・

≪ 20代後半の男。
 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが
あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を
重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに
今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中
とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので
洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。
そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり
することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、
話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、
1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない
こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、
昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。
他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」
だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ
もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に
とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。
捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。
 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。
ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと
思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん
じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって
いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して
ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか?
キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫
 ―
▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、
「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、
この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の
中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から
自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、
都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように
書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に
ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。 
何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する 。


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6742,読書日記 ~『科学者が解く「老人」のウソ』 ―1
2019年08月31日(土)
   * 娑婆は、生きていてナンボのもんじゃ! 
           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >

 昨今、100歳まで生きるとすると、2000万とか、6000万が必要とか、真面目
くさった議論が出ている。 少し考えれば大した意味の無い議論を、何とまあ。
「死んでしまえば、ハイそれまで」、一円もかかりはしない。足りなかったら、
市営アパートに入って、生活保護で生活をすればよい。
 数十年、家系を含めると100年スパンの家計体質の計画が必要なこと。
目先で何とかなるものでなし。老人社会は、それこそ社会主義のよう。
「皆で弱れば、怖くない」 死を前にして、万人平等の原則が強力に作用する。
 ここで、著者は、老後という言葉に惑わされている社会風潮を批判する。
著者は、<50歳までを生命としての人生、それ以降は人間としての自らの価値
をいかす人生と割切るべし>とする。50過ぎで中途半端に区切った我が人生。
50歳代の10年で30年分を圧縮をした生き方をした。 確かに手ごたえは充分
あったような。 還暦以降、13年以上も生きてきたが、あまりに情報化による
時代の進化が刺激的で面白い。 その実感とは…
 『娑婆は、生きて味わってナンボのもんじゃ!』 そう思うしか?

《  ~Amazonの内容紹介~
「人生が100年になる」という人類が今まで経験したことのない時代を迎えた今、
50歳からをどう生きるべきか、科学的に考えてみようという本です。
 「老化」の不安や「お金」の不安、「いつまで働くのか」「いつまで働けるのか」
という不安を抱えるすべての人に読んでほしい本です。
  人生100年時代
 いつからが老人なのか?
老化も寿命も定年も病も錯覚です。
武田先生が50歳からの人生のウソと矛盾を整理します。》

 ――
▼ 確かに、老後なんてありはしない。身近な(男)の場合、還暦で、4分の1は、
 鬼籍に入った。ということは、彼らには老後はなかった? 67歳で癌で倒れ、
1年後に亡くなった父親。死期を悟り、呻いた言葉が、「あと3年、生きたい!」。
その真意は、「小さな世界で、思い込みで、何も知らずに生きてきた。それが
何だったのか。それから離れて、より深く、広く、世界を味わってみたい。」。
 父には、その3年が、この妄想としての「老後」だった。 その意味で、
26,27歳の時節に、父の死に様から、多くのことを学ぶことが出来た。その父親
の死亡年齢より5年、生き長らえている。確かに、この5年は、人生の豊穣な収穫
が間違いなくあった。生活習慣と、行蔵の御宝のためだろう。
 ここで、「子狐」とか、「御世間様」とかに捉われ、現実社会に、ドップリと
浸かった人たちを批判しているのは、「それら老人(無知の人)が、あまりに
??… 生き方に対して語らずにいられないため。分厚い我が固定観念を彼ら
から見えてくるため。 この著書の内容とは、そういう人に向けた、説法。
「老人」=「病人」である。死にゆく老化は避けることはできない。 
「全てが死に逝く過程にある老化」は、生まれてきたが故に避けられない宿命。
安易に目を叛けるから不安になり、迷い、慌てる。
 …次回は、フォロアーなどの意見や、詳細の内容など…

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2018年08月31日(金)
6379,閑話小題 ~怒りの静め方

   * まあお暇なことで…
 創業となるとトラブルの連続。そこに嫉妬、妬みが加わる。
バブル華やかな頃、経営の神様と言われた故・邱永漢が、
『地元で事業を興すな。烏合の衆の中で革新(創業)をすること自体、
大きな無理がある。それぞれ代々の因縁で雁字搦め、絶対に避けるべし!』と。
 5年近く、実家の本店を引継いでみたビジネスを通してみた地元社会が、
邱永漢そのままの現実に、驚くやら、飽きれるやら。地元は私にとって限界。
で、邱永漢の論に従い、新潟駅で起業を始めることにしたが、これが正解。
長岡とは風土が全く違う開放された社会。長岡では、日本地図そのまま見るが、
新潟では180度ひっくりかえし日本海を背景に見る。これは、金沢でも同じ。

 新潟市の本質は天領文化が故に、外海と表日本に向けて開かれている。
血筋、因縁など、アナザーワン。その事業を清算して住み心地良い?御屋敷で、
7年半前から御隠居暮し。そこで生じるのが城下町住人との感覚の違い? 
気持ちは地元を去った100%が外モノ。その一部の軋轢も一通り終わりつつ…?。
 長岡というより、地方は納豆のようなベタベタの人間関係。
地元は、小・中・高校の人間関係で済ませ、距離が置いていたのが幸い?。 
それでも平均、3~6ヶ月に一度は、何やらの「サイコパス」が一瞬の隙を
ついてくる。今では手慣れたもの、全身全霊でイメージで 打砕く。
これがストレス解消にうってつけ。‘その1~2年後に何かの巡り合わせで
因果?が現れるという物語にして…。あとは自然の成りゆき…。 これで
怒りが冷まる期間が二週間、1年後に完全忘却。ところが、その辺りに対象に
マイナーが具体的に現われ出る。それも罪悪感と後味の悪さが残らない範囲で。
これを「内的処理」として丁寧に実践。それが来年3月~8月に、めじろ押し。
どうなるのでしょうか? 私自身のカエリ矢の可能性も。
ところで、図書館で、『怒り~心の静め方』という本を借りてきた。
まあ、可愛らしい内容である。

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2017年08月31日(木)
6012.閑話小題 ~実際の長生きは苦しい
          ー新潮45 6月号・特集:私の寿命と人生
               『実際の長生きは苦しい』久坂部羊
   * 老衰は、そんな生やさしいものじゃない
 身につまされるテーマである。確かに、この年齢まで生きることが出来て
有難いと思っている。特に、20年来の本格的情報化社会への激変は、刺激的、
かつ劇的であった。ネット社会が現実社会の上を覆って別世界をつくったが、
これを目の当たりに出来たのは人類の一員として無上の喜びである。。
 逆に、医療効果で、寿命も延びてきたが、その影も浮び上がっている。
姉、兄、その連れあい、いとこ、など身内が70、80歳半ばに到達した。
痴呆症を含めた老々介護などの問題が直面している。長寿がめでたいのは過去
の話。他人事と思っていたが、古希を過ぎた現在、自分の問題にもなってきた。
― 
≪ 医師で作家の久坂部羊氏による「実際の長生きは苦しい」は高齢者医療に
 携わる氏の本音であり腑に落ちる内容である。元気のままで長生きできると
思っている人が多いがそれは夢想であり、実際は体が弱り機能が衰え、生き物
としてダメになっていくのを実感するのが長生きだという。
がんにせよ心臓・脳血管障害にせよ老化によるものなので自然の寿命なのである。
それをなまじ病院などに行けば無理やり死を遠ざけられ想定外の苦しみを味わう
ことになる。病院に1,2か月通っても良くならなければ医療は無力とあきらめた
ほうがいいという。≫

≪ メディアでは盛んに健康、アンチエイジングを謳っているけれど、高齢者
 医療の現場は大変なことになっている。「老衰」で死にたいと、多くの人は
思っているのではないだろうか。実際、私もそう思ってた。でも、久坂部さん
いわく、「老衰はそんな生やさしいものではない」と。確かに眠るように、と
言っても、よく最後は肺炎でとか聞くけれど、実際は息苦しいだろうし…。
どんなに死を恐れ、拒絶し、悲しんでいる人も死に顔は無表情だったという。
死はそんなに悪くないということ。≫

≪ … 死をどう考えていますか?
・久坂部: 私は死を全面否定しない。死は悲しいし、つらいし、苦しい。
 しかしそんな死にも良いところはある。そう考えることでバランスが取れる。
  … 高齢者の大半が病院にかかっていますが
・久坂部: 老人の病院通いは害が大きい。時間と労力、お金をかけて検査を
 重ねた結果、分かったのが治らないということだけだったりする。それなら
 何もしない方が有意義だ。老化が原因の病気に対し、医療は限界がある。
 病院に行けば治るというのは幻想です。≫

▼ いざ、自分に「余命半年」と告げられると、動転するようだ。長生きの
 リアルを知らない人が、長寿に憧れ、メルヘンの世界をイメージするが、
それは綺麗ごとに終始するメディアと、健康関連業者だけ。死ぬに死ねないで、
「健康法で、長年、散歩をしてきたが、あれが悪かった!」とさえ… 
「で、どうすればよいか?」というと、「自然な寿命を受入れること」。
現実問題としては、「病院に行かないこと」。
 医師として多くの看取りをしてきた著者が、<「死を受け入れることは
難しくない。いつも、死のことを考えていれば慣れるし「あきらめ」もつく。
ヤケクソではなく、「明らかに観る」という意味の「あきらめ」が必要>と。