閑話小題 ~人生の出口戦略

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   * 出口戦略
 ネットサーフィンで、<出口戦略(exit strategy)>の言葉が引っ掛った。
あと一年で、私も後期高齢者の仲間入り、同期の男たちの3割は鬼籍に入った。
それぞれの死に様があるが、彼らに人生の出口戦略が有ったか、否か。
  ~ネット検索によると~
【 軍事用語で戦場から兵を引き揚げる際、人命や物資の損失を最小限に抑える
 ための撤退作戦。 ベトナム戦争時にアメリカ国防総省内で使用されたのが
この語の始まりとされている。転じて、金融緩和や財政支出によって景気が浮揚
したと判断し、金融引締め、財政支出削減に転換することをさす経済政策用語と
して頻繁に使用されている。市場に大きなショックを与えず、持続的な経済成長
へ導くよう軟着陸させることが優れた出口戦略であるとされ、誤ると景気は後退、
ふたたび金融緩和、財政支出拡大に舵(かじ)を取らざるを得なくなる。
2000年代の日本は出口戦略につまずくことが多く、そのことがデフレ経済の
長期化を招いたとされている… 】
 ―
▼ 出口戦略といえば、51歳で88歳の母親を見送ったあと、還暦までの9年間で
 30年分を前倒し、圧縮して生きる決めて、このブログを開設し、秘異郷旅行を
一段、ギアアップして生きたのが、私の『出口戦略』になっていた。還暦には、
独りで、心の中で『万歳』と叫んでいた。次は、事業清算になるが、きれい
サッパリ過ぎてフワフワした気分。これも出口戦略の一環? 太平洋戦争から
バブルと、その崩壊以降、何とか破綻に至らず、インフレ経済からの出口戦略で、
軟着陸出来そう? それともパンデミックで、オリンピックの中止で、日本経済
が大混乱…も無きにもあらず。 この一週間が見もの!
 
・・・・・・
6534閑話小論 ~映画評・『否定と肯定
2019年02月03日(日)
   * ある映画批評
 映画といえば、昨日、録画をしていた映画『否定と肯定』が面白い。
<「ホローコースト」が元もと無かったと主張する学者が、それを批判をした
学者を訴えた裁判の物語。> 戦勝国ユダヤが、ホローコーストを
デッチあげと堂々と論陣をはる学者。日本の保守系?の政治評論家も、一時期、
同調?し非難を浴びていたが。ナチ肯定論学者の偏見?が、あまりに極論過ぎ… 
収容所の生残りの証人に対する罵倒も酷い。 腕の収容者ナンバーに対し、
「それで、どの位、稼いだ?」「収容所など、後で偽造したもの。勝者側の
でっち上げ」と論をたてる。裁判所前には、ネオナチ党のグループと、被害者
などの反ナチのグループが裁判関係者に罵声を投げかける。訴えられた弁護側は
ヒロインに、「相手にすれば同じ目線に引きずり降ろされる」と無言を要求する。
  ~Amazon 評論~
【 ホロコーストの“真実"をめぐって、女性歴史学者はどう闘ったのか
 インタビュールームにリップシュタットが入ると一瞬で空気が明るくなった。
「通訳が間に入ると、私のユーモアがうまく発揮できないわ」と笑う歴史学者は、
17年前、世界中が注目する世紀の裁判に出廷した。 彼女は著書
ホロコーストの真実』の中で、イギリス人歴史学者D・アーヴィングを
ホロコースト否定論者であり、極右派である」と書き、名誉毀損で訴えられた。
裁判で勝つには、「ホロコーストは事実だ」と法廷で証明するしかない。
かくして、ポーランドでもドイツでもなく、イギリスにおいて「ナチスによる
大量虐殺はあったのか」を判断する裁判が行われることになる。
 その経緯を認(したた)めたのが本書『否定と肯定』である。ユダヤ人としての
出自、弁護士選びでの逡巡、狂騒するマスコミ、著名映画監督からの金銭的援助の
オファー、さらには法廷に立つアーヴィングが着たストライプのスーツ、ランチで
弁護士が食べたまずいサンドウィッチの話まで。記述はこれでもかというほど詳細だ。
「解説するのではなく、一連のすべてを書いて、読者に判断して欲しかった」
詳細な記述が臨場感をもたらし、情景が目に見えるようで、読物として面白い。
近年、ホロコースト否定に限らず、「歴史修正」や「オルタナティブファクト
(事実に対するもうひとつの事実)」を奉じる動きが世界中で見られるようになった。
「物事を捉えるには『事実』『意見』そして『嘘』の3つの見方があります。
例えば、第二次世界大戦があったことは『事実』。そこで大量殺人は起きていない
というのがホロコースト否定論者の『意見』。個人的な意見を持つことは自由ですが、
事実と混同すると、それは『嘘』になるのです。昨今の歴史修正論者はカギ十字
付きの制服を着ません。あたかも羊の皮を着た狼のように。白人優越主義者は
おしゃれなプレッピー風ファッションで、『白人のアイデンティティを祝福させて
ください』などといいます。これを私はエスナショナリズムだと思い、危険に
感じています。今後、白人優越主義者が行進するとき、彼らはわかりやすい旗など
振らないでしょう」
否定と肯定』は執筆中からすでに映画化のオファーがあったが、いよいよ
現実のものとなった。リップシュタット役を演じたのはイギリス人実力派女優
レイチェル・ワイズ。 映画は、原作の詳細な記述が、よく生かされており、
非常にリアルな作品となった。
      評者:「週刊文春」編集部(週刊文春 2017.11.30 号掲載) 】
――
▼ ここで、<「物事を捉えるには『事実』『意見』そして『嘘』の3つの見方
 がある>と。世間話という御伽話の幻想の中で生きている人たちの問題点が、
『嘘』が、伝播の過程で下ぶれを起こすこと、尾ひれはひれが数知れずつく。
それが『事実』を変容され、『意見』に大きく左右する。『事実』と下系の
『意見』が一致して、『嘘』に比重が移動する傾向になる。フェイクが、恰も
『事実』と混同し、『真実』に変容していく。 500mの神様に取り込まれ、
一生を、その溝沼のヘドロに沈んでしまう。これは、別に地元だけでなく、世界
一般にいえること。「何も知らないということが、何をモタラスか理解できない。
人生の晩年に差掛り「知らなかった恐ろしさ」に愕然とする。何はともあれ、
読書をつづけて、自分の頭で判断する努力は、自分自身しか出来ない! 
ヘドロの沼のボウフラ。まず、その自覚が第一歩。 それってのは私のこと?
「人間も、人生も流体。固体ではない」というが、この激変の時代にあって。
時々刻々と、変化せざるを得ない。ヘドロ化とは、新たな潮流から取残された
半端な濃厚な部分。19年分の過去文を流し読みをすると、それが見えてくる。
恐ろしいかなである。『真理』『真実』『事実』『現実』『嘘』。何でしょう、
これらの言葉は? これらを銜えたハイエナ、いや古狐が、今日も走り回る!

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6170,読書日記 ~生命にとっての知と、人工頭脳 -3
2018年02月03日(土)
              <『人工知能の哲学』松田雄馬著>
   * フィルターバブルとは
<インターネットで、利用者が好ましいと思う情報ばかりが選択的に提示されて
しまう現象。サーチエンジンなどの学習機能によって、利用者の望む情報が優先
され、望まない情報から遠ざけられることにより、自身の作り出したフィルター
で泡(バブル)のように包まれて、思想的に社会から孤立するさまを表す。
米国の活動家イーライ=パリサーが自著で用いた造語。>
 Yahoo!で商品を検索すると、検索した商品と、関連商品が次々と表示される。
便利は便利だが、Yahoo!のブログにも同様なことが起きるため、閲覧する第三者
にまで知られることになる。これを購買戦略に個々に応召したのが‘パーソナライ
ゼーション’。 ~ネット辞書によると
<パーソナライゼーションとは、顧客が望む時間、場所、方法で直接顧客に訴え
かけるコンテンツとエクスペリエンスを提供するための戦略と戦術のこと。
消費者が購入プロセスの主導権を握るようになるにつれ、パーソナライゼーション
は成功への要件となりました。>

 40数年前に、11年ぶりに地元にUターンをしてきた時に直感したのが、この
「フィルターバブル」の臭気である。多かれ少なかれUターン時に受ける故郷の
味だが。閉鎖的社会の城下町の長岡藩という分厚い文化の壁に囲まれて、思想的
にも社会的にも孤立した世界を構成している。 江戸時代から営々と続いた閉鎖
社会自らが生み出したフィルターで生じた泡で囲まれた大いなる?藩社会。
大いなる田舎といえば名古屋が、それに近いというが… 
 逆に商売上のリサーチからすれば、簡単に入りこめる世界でもある。
老舗とかいう地方豪族が営々と築いてきた人間関係を探ればよい。そこには、
うって付の文化の世界がある。茶道、華道、そして地域社会ある、ロータリー、
ライオンズや、出身校の集まりに下っ端から入り込めみ、臭気を身に付ける。
10年、いや5年もすれば立派なインサイダーに一員に成長すれば快適な社会だ。
 私の選択はアウトサイダーだが、リタイア後からして、性格からして、正解と
確信している。幸い、Uターンから42年経過するが、30年間は新潟通いのため、
泡の臭気は、最小で済んだ?が。地元の親戚の葬祭冠婚の集いに参加する度に… 
 アウトサイダーは、常に身を正しておかなければならないが、実際は逆。
で、こうしたツマラナイ文章を書いている。‘金儲けの神様’の異名をとった
直木賞作家の邱永漢が、『出身地で事業を興すな、やむを得ない時は、一切の
付き合いを断て』と宣っていた。「地元の常識は、一歩出れば非常識である」と、
言いたかった。 
 人間は、誰でも「自身で作り出したフィルターで泡のように包まれて、思想的
に社会から孤立する傾向」にある。まず気の弱い者が、虐めで自滅。群れをなす。
その大人版の群れが、世間。その構成員が世間人。問題は、眼に見えない縛り。
 ここで、数十回も述べているが。 しかし地元密着の、例えば電器屋の生き方
もある。 セブンイレブンを30年近く経営している学生時代の友人が、
「最近、近所の見守りまでしている」という。それはそれで、生きがいになって
重荷でないという。インサイダーも、止まらず進化していれば、決して泡は発生
しない。逆に、独りで泡に囲まれているのはアウトサイダーもある。 孤高を
気どって、綺麗ごとを求めている貴乃花親方?。いや、私もか。
寂しく、独りで彷徨っています。

・熊さん: ったく、如何でもいいだろう。俺なんぞ、泡踊りの熊さんって、
  言われてるよ。その何が悪いんだ。いらぬお世話さ。知らない強さもあるよ。
・寅: ただ黙ってりゃいいことを、グダグダと。娑婆では、それぞれ、知って
  いることしか、知らないんだから… そうだろう。八つぁんよ!
・大家さん: 八つぁんは、自分がバカだから、他人までバカと思いたいんだよ。
・八つぁん: そうじゃないよ。バカに耐えられないから、自虐的に書いてるの。
  それにしても、急に熊さんが登場してくるとはね?
・熊さん: 見ちゃいられないよ。俺より遥かにバカをみると! 
・寅さん: 熊さんほど、バカじゃないよ。熊さんは純朴バカ、俺はヒネタバカ。
  八つぁんは、バカぶっているバカ。
・大家さん: 寅さんも良いこというね。
・八つぁん: 瘋癲の寅じゃないけど、バカにバカというのが本当のバカだよ。

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4341, イタリア人と日本人、どっちがバカ?
2013年02月03日(日)
「イタリア人と日本人、どっちがバカ? 」ファブリツィオ・グラッセッリ(著)
   * 「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」
 日本在住のイタリア人が書いた本だが、なかなか面白い。イタリアは、北と南
では民度が大きく違っていて、著者も、その一人だが、北イタリアはドイツを
しのぐといも言われる。 南イタリアは北の植民地的存在で・・ 首都圏と、
他の地方とかいう日本の感覚に似ている。最近の日本は欧州のPIIGSと同じ
レベルか、その下にまで成り下がってきた。まず、ーアマゾン~内容紹介ーより
《 アメリカ型経済を真似て、私の国はメチャクチャです」。在日20年以上の
イタリア人建築家ファブリツィオ・グラッセッリは、こう語ります。 敗戦後
の奇跡的な復興から、近年の政治・経済・社会の劣化、教育制度の危機、
アメリカ主導のグローバリゼーションまで長い歴史を誇りながらも、今では
「立派な」借金大国である日伊両国には多くの共通点が存在します。国家破産
に向かう今日のイタリアは、明日の日本の姿なのでしょうか。架空のイタリア人
一家(ビアンキ一家)。ミラノの工場で働き、賃金カットの危機にある
ビアンキ氏と憧れの国日本にやって来るニートでオタクの息子。彼らを主人公
にストーリーが展開し、かの国で今、何が起きているかを描くとともに、日本
を少しでも良い国にするための、ウィットに富んだ提言を行っている。》  
 ー 要所を抜粋してみる ー
・「北イタリアだけを取り出してみれば、その経済の成長力や生産性の
 高さは、ドイツよりも上で、事実上「ヨーロッパ随一」であることが、
 よく言われます」(30頁)。
・「お互いがギブ・アンド・テイクの関係で成り立つこうした縁故関係を、
 イタリアでは「クリエンテリズモ」と言います。そしてイタリア人の
 社会は、この縁故関係をもとにした、無数のいわば「利権集団」の集まり
 から成り立っています」(38頁)。
・「イタリアは、近代国家建設の時点で、南イタリアを「絶対に」必要
 としていました。・・・ それは、一種の「コロニアリズム」=植民地主義
 だったと言って良いでしょう」(70頁)。
・「今もなお、イタリア人が「あまり働かない」国民であるというイメージが
 根強く残っているのは、はっきり言って「偏見」でしかありません。それは、
 ヨーロッパの労働者について調べた具体的な統計にも、はっきり表れている」
・「ベルルスコーニは ・・・ イタリアの政治の仕組みを、アメリカ型の
 「新自由主義」に変えること、そして、イタリアの経済を本格的に
 「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込んで行ったわけ。 
 ・・ にもかかわらず、その政策遂行に当たって、ローマ政界の政治システム
 に頼らざるを得なかったのです。・・ 結果、ベルルスコーニは、彼のバック
 についていた勢力から見限られ、首相の座を降りることになった」(178頁)。
・「彼らにとって、プライオリティーの最上位にあるのは、
 「国際金融システムを、健全に保つこと」です」(189頁)。
・「バブル経済の興隆と崩壊、そしてその後の「空白の20年」と言われる
 時代に、一番大きく変わってしまったものは、日本人のメンタリティー
 だと私は思います」(207~8頁)。
▼ 青の洞窟内でイタリアの船頭が、カンツォーネの歌の合間に、
「がんばれ日本」と言っているのをTVでみた。北が南を植民地化しているのを、
この本で初めて知った。その視点からみて、日本も首都圏が日本を支配している。
ということは「地方は首都圏の御荷物」であり、「南イタリア人と、日本の地方人、
どっちがバカ?」の質問になる。その首都圏も8年以内に100%、直下型地震がある
・・「人からコンクリート」は、埼玉周辺の副都心造りが最重要になる。
何がオリンピックか! まだ高度成長期のバイアスが罹っている石原。 
戦後日本のバイアス(偏見)そのもの。
・・・・・・
5073,閑話小題 ~夜明けのスキャット 
2015年02月03日(火)
   * 夜明けのスキャット 
――前日の夜半(2時半位) 半睡状態の中、淡い金色の球体を思い浮かべ、
その中に入り横たわるイメージを持ったいた。暫くすると、20歳代半ばの
金沢時代にスリップをしていた。何故か、金沢時代の写真が一枚も残ってない。
境遇的には、どん底だったが、そこは金沢。人間関係も華やかで、職場も美人が
多く、楽しい面白い時間を過ごしていた。夢の中の人達は、さらに光り輝いて
いた。一番辛い時ほど、裏腹に楽しいことが張り付いている。それから40数年
後に、こんな夢を見るとは、そろそろ危なくなってきたか? 当時は、
「嫌なこと3つに良かったこと1つ」だったが、だから、輝くのだろう。
それにしても、ほぼ忘れていた当時の人たちの姿形が、映像として輝き現れ
出るとは、脳は不思議である。
――で、今朝方の夢は恐ろしい物語。半睡の中、同じように金色の球体に
入って暫くすると、丸の内の大きなオフィスビルのロビーに、誰か二人と
居た。ところが、トイレに行きたくなって、外に出たが、見つからないため、
戻ってきたが、二人が見つからない。そこでビル内を探していると、
小さな部屋がある。そこに一人の男が居て、『何で自分が、こんな部屋に
居なければならないのだ!』と叫びながら出て行った。どうも、閑職に
追いやられたようだ。そこで、再び探し回ると、違った部屋に入った。
そこに10人位の人が、ノウネクタイのYシャツで、並んで立っている。
机は有るが、椅子がない。そこは退職を促すタコ部屋。
 その内の一人が突然、『謝って元に戻してもらいたい!』と叫び、
入口にいくと、自動的にドアが開き、出て行った。監視カメラがあって、
外出を認めれば出れるようだ。その後、数人が出て行った。
そこに、昼休時に数人の女性がジャケットを持ってきた。寒いらしい。
オフィスビルを探しまわった結果、そこで、サラリーマン残酷物語を
垣間見たみた夢だった。
――何ゆえに、こんな夢を見たのか? その直後、考えてみたがサッパリ
分からない。あの10人がうな垂れた暗い部屋!何だった? それぞれ、
色いろあったのだろうし、辞められないのだ。実際は、これより酷いはず! 
――今になって気づいたが、前日の夢と関連付ければ、当時の私のドン底の
心象風景が、この10人と同じ? 夢は結構、複雑な己を自分に提示する。
夢分析とは、成るほどこれか!前段(前日分)が、光、輝き。後段が、
その背景の暗闇の物語。ビル内を探し回って見たものは、当時の自分の姿。
とすると、あのジャケットを差し入れしてくれたのは? 辛いほど、
人には優しくなる。 同時に、人から優しくされる。これが娑婆!

 

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