映画評 ~『ジョーカー』 -2

 

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    * 人間の悪の原点とは
 
 重く、息苦しく感じるのは、人間の原罪を目の当たりにする内容だから。
誰もが内に秘める狂気が何かをキッカケに呆気なく爆発する。ヒットラー
しろ、スターリンも、こういう狂気を秘めていた。多かれ少なかれ人間には、
傷があり、それが膿んで心を歪めている。 ジョーカーこと「アーサー」は、
心優しさが、実は自分を苦しめさせている。恐ろしいのは、このピエロの
殺人鬼に底辺の人たちが喝采の浴びせ、英雄視されること。人生を真面に生きる
ことは、「狂気」に生きることか? 一人の人間の中には、生命誕生以来の
経験が刻まれている。弱肉強食の結果、それぞれが特徴を生かした結果が、
現時点の自分が存在している。我々は、この小さな肉体の中に、知識という
情報を詰め込まれて、満ち溢れた欲望で窒息しそうに生きている。ある意味、
既に生まれ落ちた時から人生が決まっている。問題は母親。「親の顔が見て
みたい」…それである。
   ~ネットに、要所をついた評論があった~

≪ ジョーカーは父親の暴力によって笑病を発症したと記載しましたが、
 この事実が明らかになるのは劇終盤。のちのジョーカーこと「アーサー」
は、年老いた母と二人暮らしをしています。
 この母は市議選に立候補した「トーマス・ウェイン」に過去、仕えていたこと
があり、ウェインから援助をしてもらいたいと、たびたび彼に手紙を送っています。
トーマス・ウェインは、のちのバットマンであるブルースの父です。
 中盤にさしかかり、母親がトーマスに宛てた手紙をアーサーは盗み見しました。
そこには、トーマスと母の間にできた子供がアーサーで、アーサーはトーマスの
息子であることが記載されており、アーサーは驚愕すると同時に激怒。
母を問い詰めて母からトーマスの息子である旨を聞き出します。
自分はトーマスの息子だと知ったアーサーは、トーマスのもとへ行きますが、
トーマスから「いかれ女がいう戯言である」「母親と関係を持ったことはない」
「お前はあの女の養子だ」と殴られ、追い返されてしまいました。

 トーマスから母親が精神病院に入院していたことを聞いたアーサーは、
トーマスが言っていたことが本当かどうか、病院で記録を確かめます。
その記録には、
・アーサーが母と血のつながりのない養子であること
・アーサーは母の恋人の暴力で頭部に損傷を受けたこと(これが原因で笑病に
 なったとは記載されていませんが、おそらくこれが原因)
・母がそれを全く止めなかった(ネグレクト)
・父は本当にトーマスではなかったなど…知りたくもない事実が記載されていた。

また、衝撃の事実が判明したころアーサーが付き合っていたと思っていた相手も、
アーサーが薬の副作用で幻覚を見ていただけで付き合っておらず、彼は独り
ぼっちであることを思い知らされる。仕事もリストラされ、信じていた母に
裏切られ、全てをなくしてしまったアーサーはジョーカーにならざるを得な
かったのかもしれません……。

 結局ジョーカーは再度つかまり、精神病棟にいれられてしまいます。
しかし、面談が終わり、部屋から出てきて廊下を歩くジョーカーの足跡は血に
染まっていました。このことから、ジョーカーは誰かを殺し、病棟から出よう
としている?のではないかと思わせる終わり方をしています。 ≫

 ―
▼ 暴発殺人から始まった異常殺戮の当人に感情移入に入っている自分に
 驚いてしまう。 ~ジョーカーとは。
1 しゃれや冗談をいつも言う人。道化者。
2 トランプで、道化師の絵などが描いてある番外の札。最高の切り札、または
 手元にない札の代用として使う。「ばばをひく」の「ばば」。
あたりの悪い「はは」を「ババ」とは、これ如何に? 人生には、どん底
幾回か陥ることが… その時の、気分が、このジョーカーを貫いていた心地か。
 アーサーの「病気故に笑うことをコントロール出来ない」という症状。
笑いが止まらくなって狂い死ぬケースも。一気飲みをして泥酔した同僚が、笑い
だして、死ぬのではないかと…ゲラゲラと笑いが止まらなくて、本当に苦しそう
だった。最後は疲れて寝入ってしまって事なきをえた。 それまで付いていたも
全てが、その時に落ちた? 

 その時、アーサーのジョーカーが、トランプ大統領に重ねってみえた

のは、これ如何に!

 

 ・・・・・・
6429,読書日記 ~魔法の器
2018年10月20日(土)
           『バーカウンターは人生の勉強机である』島地勝彦著
   * 騙されと思って、この器で飲んでみてくれ
 もう10数年も経とうか、ラジウム岩盤浴が持て囃された時期があった。
知人の2人が実際に<ラジウム岩盤施設をオープンしたが、一人は倒産、他の
一人は?… 成功したという話は入っていない。一時期、ホテル内にと考えた
ときもあったが、止めてよかった。 結局はブームと共に殆ど話題にならなく
なっていった。 しかし、玉川温泉は定期的にマスコミに取上げられている。
末期ガンの最期の聖地? 同病相憐れむ癒しも兼ねている。 
著者が『騙されと思って、この器で飲んでみてくれ』とは… 。

≪ …さて今宵は何を持ってきてくれるかわくわくしていると、冷い風と同時に
 山岡さんが現われた。
・「マスターの好きなボート・エレンを持ってきましたよ。魔法の器とね。」… 
「この陶器は、名古屋の陶芸家、中村公之さんとのコラボで制作したウィスキー
専用の器。地球を思い起こらせるやや球形のフォルムと、ビートなどの土の
ニュアンスに絡めて『アース』と命名したんだ。これだけ薄く繊細に焼くのは
至難の業で、このボート・エレンに、まずいいつものグラスで飲み、その後
この器に入れ替えて飲んでみてください」
・「たしかにまろやかになった気する。ビートの香りも立ってくるね」
・「この器はお茶を飲む茶碗と一緒で土でできている。常滑焼で有名な愛知県の
常滑の土でしてね。土の性質、焼成の仕方で化学変化を起こしているかもしれ
ないし、とにかく肉眼ではみえないけれど、底が網の目のようになっていて、
そこで濾過されているようです」
・「マイケル・ジャクソンが考案したので飲んだことがあるが、こんな変化は
はじめてだ。」 … ≫

▼ 一時期、ラジウム岩石でつくられた「コーヒーカップ」と「盃」を使用
 していたが、破損などで消失した。確かに味は一ランク美味しくなっていた。 
現在も毎夜、ピンポン球の大きさのラジウム石を左手薬指に括り付け寝ている。
(数年ごとに始めたり、止めたりを繰返し)現在は左手薬指輪ゴム巻き健康法
を実施したのを切っ掛けに再び開始している。枕元のベッドボードに吊るして、
深夜に目が覚めた時に握ると、その後の寝入りが早くなる。 著者の器も
ラジウムを含んだ上位のものか… 。

・・・・・・
6064,閑話小題 ~負と、正のエネルギー
2017年10月20日(金)
  * 負のエネルギーと、正のエネルギー
 何処の社会にも、より「負のエネルギー」を背負った人と、「正のエネルギ―」
を背負った人が存在する。「負のエネルギー」を背負った人は、負に呼応して
近づいてくる。己の負を他の負にチューニングをする技術は高度? 人生一般に
恵まれなかったダークなればこそ…。逆に「正のエネルギー」の強い人が存在する。
 NHKTV「グローズアップ現代」で、3人の高校野球スラッガーを特集していた。
彼らに見てとれたのが、強力な「正のエネルギー」。~NHKのブログによると…
【・清原和博の大会最多本塁打記録を塗り替えた広陵高校の中村奨成選手。
・甲子園出場は逃したものの、高校通算最多とされる本塁打数を更新した
 早稲田実業清宮幸太郎選手と、
・通算65号で清原の記録を超えた履正社・安田尚憲内野手
3人の超高校級スラッガーたちに見えてきたのは、親がかりの、たぐいまれなる
素質と努力がある。現代高校野球の劇的な「進化」。他に、両親や監督
の連携もあるが、「正のエネルギー」に満ちている。】
 素直で、前向きで、明るく、健康的な心身。「正のアドバンテージ」がベース
にある。 (幸福優位7つの法則ショーン・エイカー著)によると、
【 ハーバード大の優秀な一群への調査で、「ハピネス・アドバンテージ
(幸福優位性)は、「成功が幸せの周りを回るのであって、幸せの周りを成功が
回るのではないことを示すという「ロサダライン」の法則がある。
<心理学者であり、ビジネスコンサルタントであるマルシャル・ロサダが発見した
重要な数字。「2・90対1」。「メンバー間のポジティブな相互作用とネガティブ
な相互作用の比率」が最低でも「約3対1」の割合が必要。このライン以下だと、
チームの仕事ぶりは一気に落ち込む。調査では「6対1」が理想。ポジティブな
フィードバックとやり取りが、職場の生産性を上げ、業績を上げてくれる。】

▼ この生活習慣や行動パターンが、豊かな人生への道になる。通ってるジムで、
 3月に一度は不快な事象で休みたくなる。 その時、内語で「少なくとも3倍は
プラス要素があるはず」と思い考えると、全く、その通り。何か判断を迫られ
たとき、この「3対1の法則」を当てはめると良い。とにかく、決断は先延ばし
にしたくなるが、後になるほど、数倍のエネルギーを要する。
 動物は狩るもの、狩られるものの両面がある。前者は失敗しても、次の機会が
あるが、後者は、そこで終わる。だから負の最悪事態にとらわれる。しかし、
何事も、より正のエネルギーを増やそうとすれば、より多くの負の危険を乗越え
なければ。 歪んだ老人や病的後ろ向きの人の歪んだヘドロのような視線。
その人自身と先祖が積重ねてきた「負の遺産」そのもの。 老いるにつれ、
この負の遺産である毒が溜まってくる。 このドブ掃除には、知らないこと、
面白そうなこと、好きなことをみつけ、自分に注ぎ込み続ける必要がある。
老いるとは無念だが避けて通れない独り道。だが宵の独り宴会?も、工夫で、
楽しくなるもの。 今の私は、スケジュールの御蔭で何とか、「6対1」を維持。
時々、3月に一度は大揺れ? になるが、せいぜい全治3日間。 この程度は、
平凡な日々のストレスに、丁度良い按配。
 ~追い書き~
これも偶然だが、面白いことに、文脈として去年の文章に丁度よく続く。
かくいう私も愚痴をつぶやく哀れな老人。
 
<恋はやさしい 野辺の花よ>から、<老いは悲し 野辺の愚痴よ>ですか。
――――
5697,閑話小題 ~愚痴言う老人
2016年10月20日(木)
  
   * 愚痴言う老人
 とある法事に出席する度に、いつも聞こえてくるのが、✖の愚痴と小言。
 不快だったこともあり、その幾つかを 記憶している。
・「後期高齢者の名前が気にくわない。」
 「免許証の返納も、私たちには嫌味としか聞こえない。」
  私も、あと4年になると解らないでもないが。
・「最近の若者はなってない。」 
 この言葉、数千年前のエジプトのピラミッドに書いてあった
 人類永遠のテーマの事実を知らないためか、平気で人前で言う。
 永遠のテーマといえば、旧約聖書の「カインとアベル」の、長男カインと
 父アダムとの親子対立。 最近、飲み会で、「長男と二世帯同居をしたが、
 これが大きな誤りだった。」と愚痴るから、「それ、旧約聖書にも出てくる、
 人類永遠のテーマで、タブーは元もと分かっていたこと。」と諭すと、
 「全く知らなかった!」と宣う。
・「昔は、本当に良かった。それにしても、生きづらい世の中だ。」
 この言葉は、老化状況をはかる物差の言葉、これを言いだしたら、
 認知症の初期?現象。
・今回の通夜では、「あの人、リタイアをして威張れなくなったので、
 その怒りを周囲にぶつけている。」これは、一線から退いた万人にいえる
 ため、誰も良い気持ちがしない。 特に私には?
そうこう、書きだしてみると、さほど酷い愚痴でもない? しかし70~80歳を
超えた愚痴は、毒を含んで生なましく語るため、聞こえた人の心に黒く残る。
 読書習慣なしで、「世間話」に明け暮れしてきた人生がうかがえる。
もしかして、ここで書いてきた怒りの籠った内容、こんなものでない?
老化は日々進んでいく。 問題は、その自覚と対策。今さら遅いか?
つくづく老いて思うことは、長年かけた教養の程度。下は見えても、上から
視線は見えないから始末が悪い。「・・ったく」と思うことが、あまりに多い。
こうして他者を批判するのは、所詮は、内なる己を、自分の仮身を語っている
に過ぎない。 4年前に、「老いの鬱屈」についての書評があった。
故人の家の法事で、この人の愚痴を聞いたことや、多くの半ボケ老人を
目の当たりにして、以下の本を図書館で見つけて、テーマにしたようだ。
―ー―
2012/06/04
老いの見本帳ーダークサイト -8
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いと鬱屈
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と
視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が固定化されているほど、
そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで一生
何も出来ないで死を間近にしたときに、その正体に初めて気づくのである。 
その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。
だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとで動じない」
人間になっていくこととは違うのだろうか。難儀なこと、つまり鬱陶しかったり
面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするような
ことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、
避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、
とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの
喜ばしい側面ではないかとわたしは思っていたのだった。 
 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々
の感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属
のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 
だから老人は欝屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら
難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても
鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには事欠かない。遅かれ早かれ、
この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである・・≫
▼「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺する
 のに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則。」
は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、
ますます濃くなっていく。この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。
これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。それならば老いは鬱屈するものと初め
から割り切って孤立していた方が良い?

・・・・・・
5332,閑話小題 ~人生のリハビリ
2015年10月20日(火)
   * 人生のリハビリ
 会社清算から4年半になるが、現時点の実感は、その結果のリハビリより、
「創業の準備を含めた事業人生45年間で歪んでしまった異型の自分を一度
リセット、本来の人間性に戻すべく、再出発の日々を過ごしている」という
ところか。 資本主義という拝金主義から、一度離れて、地球上の大自然
身近な自然、文化・文明を見直し、せっかく訪れた地球を改めて見直し、
人生を振り返り、味わうために、現在の自由な時間を与えられていることに
気づくことだ。リセットは、こういうものか。 ある意味、人生で一番、
落ち着いた時である。異型があるから、今がある。
   * ぬるい幸福は人を駄目にする
 「ぬるい幸福は作家を駄目にする」という作家の言葉があるが、これは万人
にも言えること。そのぬるい幸福を私たち凡人が目指しているのだから・・
「そのどこが悪い!」といえば、それまでだが、その人は、そこまで。
人の一生は、常に変化する社会と、時代の中で、「変化、闘い、挑戦」が
間断なく押し寄せてくる。考えてみれば、ぬくい幸福などは束の間の幻想。
今が、その「ぬるい幸福」の時かも。しかし、その一瞬の味わいが、
人生の味になる。 今さら駄目でも何でもよい!ぬるさが一番である。

・・・・・・
4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後
2014年10月20日(月)
  * 4時間の熟睡後に
 以前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが
0時前後。一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝。
ところが起床の4時まで、半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと
長年かけ工夫している。臨床心理士によると、「布団の中の考え事は、たいてい
考えすぎ。とりあえず起きて、トイレや、水を飲んだりして体を動かすと良い」
という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、その時間を苦痛と
思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。それでも時に
不快いに思うと、煉獄につながれた状態?になる。「このボ~ッとして状態こそ、
最高!」と、心に言い聞かせていると、そう思えてくるから不思議。週2~3回
のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、大の字になり全身を脱力をして
横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っているイメージを
持つようにする。これを楽しめるかどうかが、問題でもある。
で、このところ一種の瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20~30回、寝返りをうつというが、
寝返りは、その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもある
という。成るほど、寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 
仰向けの姿勢が良いとされているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃から
とっている。胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発の
クッションと枕を使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
         「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 教養を培う~②  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する
授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、
学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、
良い教授、良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、
時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。
 主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 
学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに
関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の
内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、
翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、
論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの
根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、
コンピューターによる抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、
残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生
といえる。読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで
感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉学問のすすめ
および『福翁自伝』、山川菊栄武家の女性』、宮本常一『忘れられた日本人』、
無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』など。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、
それらがそこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の
大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った
新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしているのですか」と反問され、答えに
窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の
道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが
本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど手にした
ことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の
 硬さを感じ取っている。万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い
壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。
で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 
それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、
活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、
一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、
そのまま外に出るから恐ろしい!