閑話小題 ~左右別々の靴を履く人
* 初めて見てみた
先日のスポーツジムでのこと。10人の人が円形の5台のマシーンと、
交互におかれたステップ台を、インストラクターの掛声の下に25分で一周する
「イージーライン」というエアロがある。これと、エアロ・ヨガをベースに、
ウォーキング・マシ―ンと、足腰を鍛えるプログラムを組合わせ参加している。
その「イージーライン」で、40歳位の男の会員が、左右別のスポーツ靴を履い
ていた。それを見かねたインストラクターが、注意すると、「解ってます!」と。
頭が変かどうかは判断できなかったが、知人と普通に会話をしていたので、そう
でも、なさそう。履き違えてきたか、はたまた…如何して? まあ、雑談!
―
* 参院選挙、まさか立憲民主党など
リベラル派の政党は、以前の失敗からみて危な過ぎるし、安倍・自民党は、
あの低たらく。 野党は危険過ぎるし、さてと!…
<地元参院議員は野党にして、全国区は維新の党か、それとも改憲・賛成で仕方
なく自民党に>が、この数年の投票の判断基準になっている。 改憲は必要だが、
あの談合体質の自民党は考えもの…としても、取って付けた落下傘女と、失言男
の2者択一とは、あまりに酷い。 刈羽原発の火の消え、北陸新幹線開通で、
「幹」から「枝」に成り下がった越後には、こんなものですか。
「恒産あって、恒心あり」からすると、これはこれで!
~そこで、長屋の皆様に久々に登場してもらいます~
寅さん: じゃあ誰なら良いというのかね。
熊さん: 篠田元新潟市長なら?
八ちゃん: 新鮮味がないね。毒にも薬にもならないよ。
大家: 今じゃあ、政治家は割に合わないからね。直に袋叩きで失墜だもの。
寅: 参院だもの、誰も同じなら、この二者択一でも悪くないんじゃないか?
熊: としても寂しいね。
八ちゃん: 女だよ、それも地元出身で花のある人。野党が、そう、女だった。
花はないが。 とすると、野党が勝利するのかな?
大家: イメージが汚れてないしね。としても、県のため働いてくれるイメージも
全く見当たらないね。大たい、「この程度の問題」として、とワシ等をバカに
して振ってきたね。こうなると自虐ですか、ったく。選挙直前もあり、ここで!
八ちゃん: 中央からみれば、所詮は裏日本でしかないんだよ。心理距離は北海道!
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6334,映画鑑賞 『30年後の同窓会』
2018年07月17日(火)
金曜のシネマ観賞予定を土曜に切替え、『30年後の同窓会』をみてきた。
評価は85点。 内容といえば、奥さんを一年前に、一人息子を二日前に亡くした
男が、ベトナム戦争仲間だった二人の同期生に、葬式に立ち会ってほしいと依頼
するところから話が始まる。 この随想日記の丁度良いネタ…
私的には、10年単位で開かれてきた学園の「同期会」がある。これが盛上る。
20年目から始まり、50年目の5回で行われる。来年が最終の50年目になる。
前回は前泊をしてクラブ仲間7~8人と銀座で祝杯を上げた。二日がかりである。
まず来年、健全に出席するのが、当面の目標…。前回、話題になったのが物故者。
来年は、無事、健康であれば充分の年齢。そして、永遠の別れになる。
~この映画のブログの解説によると
≪ 「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレイター監督が、
「さらば冬のかもめ」でも知られるダリル・ポニックサンの小説を原作に、
30年ぶりに再会した男たちの再生の旅路を描いたロードムービー。
男ひとりで酒浸りになりながらバーを営むサルと、過去を捨てて牧師となった
ミューラーのもとに、ある日、30年音信不通だった旧友のドクが突然現れる。
ドクは1年前に妻に先立たれ、2日前に遠い地イラクで息子が戦死したことを
2人に打ち明け、死んだ息子を故郷に連れ帰る旅に同行してほしいと依頼する。
30年前のある事件で大きく人生が変わってしまっていた3人は、ともに旅をし、
語り合うことで、人生に再び輝きを取り戻していく。主人公の3人を、いずれも
アカデミー主演男優賞にノミネートされた経験を持つ実力派が演じる。≫
―
▼ 三人の年齢の設定が50代前半。私より20歳は若いが、この3人が殊のほか
老けている。私より、20歳も年配?と背筋が寒くなる思いがした。しかし、
これが現実。70歳の峠をこえて二年半経過したが、早朝のチャリ散策と、ジム
で2~3時間の運動量を確保している割に日々の身体の衰えは尋常でない。
まだ食欲と、TV、ネットサーフィンなどへの知的好奇心は旺盛だが…
< 子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ、来た道、行く道、
通り道。通り直しのきかぬ道… >は、他人事であったが、それが吾身とは。
50歳代の10年近く、捨身で「残存30年分を遣り尽くしたことが、一番の成果と
実感する日々。しかし、いま一つ! 20歳代、とりわけ学生時代を高度成長
経済の時代を背景とした恵まれ、充実して過ごせたことが人生の宝である。
それと、深く考えずに、『装置産業』を選択して、有り余る閑静な
「いま、ここ、わたし」(永遠)を、十二分に享受できたこと。直に泣くことに
なるとしても、<本当に、こんなんで良いんでしょうか!>と思えば、そうなる。
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4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方
2012年07月17日(火)
♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」
~『定年後 ー豊かに生きるための知恵』加藤仁著
著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人
を超えているという。「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演
『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。
しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。「定年後の人生こそ、
自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己
本位の生き方に大きなヒントがある、という言葉が痛いほど分かる。
定年後は自己本位への第一歩から始まる。
ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪*「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして
好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の
人間のように立ち竦んでしまったのです。・・そのころ、明治33年、33歳の
時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。
そして1年が過ぎ、苦悩が極まった時に、あることに気づきます。
自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」
や不安の根本原因だったのではないかということです。(私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらを
でたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついた
のです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、
後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似
をさすのです。(~中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に
吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりといいたいくらいごろごろして
いました。(~中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識と
いってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしい
ものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。
「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで「他人本位」が
自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」
から脱出する鍵を握っていると考える。つまり、外から無批判に「鵜呑み」
で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、
丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、
それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなり
ました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(~中略) その時、私の不安は
まったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を
告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、
次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
心を安んずることができるのでしょう。(~中略)もし途中で霧か靄
のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、
ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。
(~中略)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、
どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで
行ければ、ここに俺の尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見に
なって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから
申し上げるのです』(同前)≫
▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院
での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったので
あって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
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3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑
だったようだ。ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。 以下の
フロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 1909年3月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。
そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」という有名な事件が起ぎた。
「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。1909年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、
通例は精神的な悩みのある思春期の人と関連があることがあきらかになった。
そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされる
という説が生まれた。ユングはこの説を信じ、ボルターガイスト活動を
「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていた
とき、突然本棚から大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。
「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明する
ために、しばらくすると、もう一度音がすることを今予言します」。
ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後
ユングに出した一通の手紙から判断して、フロイトは半分以上納得したらしい。
しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。そこで彼は、なんらかの
自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が
熱くなるのを感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。
フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の木材から起こっただけの
ことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、
今日では不可能である。】
▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身について
いた時期があった。(偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。
この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が薄れて
しまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議
というのが哲学。実際に、そのとおりである。
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4505, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー5
2013年07月17日(水)
『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
死んでいくにも準備が必要である。それが具体的に分かりやすく書いてある。
筆者の主催の「死を考える集い」から生まれたのだろうが、分かりやすい。
私も年内には、幾つか選び、実施するつもりである。あまり気持ちが良くないが、
死に装束、骨壷、棺桶、位牌は通販で取り寄せることができるし、戒名は自ら
つくってあるので、書き込めばよい。遺言も、このコーナーで書いたこと、
そのものになるが。ブログをネット上の墓場と想定して書いているので、
別に必要がない。 問題は物の整理だが、「物」より「こと」を重視して
きた事もあり、物は殆どない。会社も消滅、自宅は家内名義。
一番、重要なのが、「事前指示書」である。
* 「自分の死を考える」ための具体的な行動十五カ条
1.遺影を撮る 2.遺言を認(したた)める
3.別れの手紙、録音、録画を準備する
4.「余命6カ月」を想定して、したいことの優先順位を書き出す
5.死装束を誂える 6.骨壷を用意する
7.棺桶を手に入れる(入ってみる) 8.事前指示書を完成する
9.献体、臓器提供の手続きをする 10.墓地、霊園を手に入れる
11.戒名をもらう 12.散骨の手続きをする
13.人生の節目に“生前葬パーティー”を行う
14.事あるごとに家族や周囲と「死」について語る 15.物の整理をする
ひとつひとつの項目に対して自分なりの答えを出して、具体的に行動すことで
死がより身近なものになります。死がより身近になるということは、生がより
身近になるということでもあります。
▼ 特別養護老人ホームの医師になって四百人近い老人の死に立ち会った
体験から、著者は「自然死」の本当の姿を知らない現代医療の本質的問題点
をついている。 同時に「私たちも患者のひとりになり得る」医療に対し、
“まともな”あるべき姿はどうあるべきか、死をどうとらえるべきか?
を問うている。そして50~60歳代になったら、近代医療と関わるな、
まだ末期ガンを幸運と捉え死んだほうが良策という。
以下の去年の同月同日の内容が関連している。
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5967,人生楽しいかい? -6
2017年07月17日(月)
<「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著>
【指令14】衝突をコントロールする
【指令15】分かち合う
【指令16】任せる
【指令17】生きろ
* 【指令14】衝突をコントロールする
~神様は、弱い人間には、それなりの試練しか与えない。しかし、
力のある人間には必ず、それに見合った大きな試練が訪れる。
一流は相手の力を受け流す。そして、超一流は、触れた瞬間、相手の
敵意を癒す。
どんな人の中にも活用されない膨大なパワーや自発性、スピード、精度
が備わっている。力みと恐怖(否定的感情)を取り除けば、強力な性質が
目覚め、成長し、あらゆる対立で優位に立てる。
―
* 【指令15】分かち合う
~人生をかけて取り組み仕事というのは、長編小説の何百倍の分厚い
本をよむようなもの。
―
* 【指令16】任せる
~指示を出すときは、「自分で判断する余地を残す…」。
自分で判断し、行動することにより、人の能力は最大限に発揮される。
これは、前の「分かち合う」とセット。細かい指示を出さず、大まかな
目標だけを共有する。あとは、自分の裁量でがんばる。但し、情報は共有
する。互いに批判や責め立てず。
―
* 【指令17】生きろ
人が生きている、ということは、人間らしく、清々しく生きていることだ。
「生きること」を全力で楽しむこと。
―
▼ システマの教えは、人生の基本だが、両親の生き様の後姿から、
「何事も楽しくなるまで徹底しろ」を学んできた。楽しいと思えれば、あとは
儲けものと思える。たった一度の人生、「人間らしく、清々しく生きなければ、
生れてきた甲斐がない」と思って生きるかいないとでは、雲泥の差ができる。
それにしても、その逆の生き方の人が多く見かけるが…
・・・・・・
5602,恋愛心理学 ~④ 「美人=性格が良い論・悪い論」
2016年07月17日(日)
『美人の正体』~越智啓太著
* 「美人=性格が良い論・悪い論」
・「美人=性格が悪い」論には、妬みと「天は二物を与えず」的世界観がある。
多くの人は「神様は平等であり、すべての人に等しく才能を与えているのだ」
という、幻想を信じたいと心の底から思っているため、「美人は性格悪い」と
考えたい側面がある。明治時代の「修身」の教科書には「美人は往年、気驕り
心緩みて、却って、人間高尚の徳を失ふにいたるものなきにあらず・・」とある。
明治時代に芸者上がりで「容姿は美しいが、家柄が良くない」という女性が、
社会的地位があり、経済的に裕福な男性と結婚して社会的な地位を上げたという、
いわゆる「玉の輿」現象が発生していた。これに脅威をおぼえたのが、社会的に
高い地位の女性で、顔姿が、良くない女性たちは、あまり良い気持ちを持たな
かったため、美人に対してネガティブな噂を流したという論がある。
・同じ女性をメークアップした状態と、逆にメイクダウンした状態で、実験
参加者に見せた結果、メイクアップした状態の方を「やさしく」「好感が持て」
「陽気」「落着いていて」「チャーミングで」「ファッショナブルで」
「きちんとしていて」「ロマンチックで」あると認知されることが分かった。
土曜日のバラエティーに、普通の主婦をファッショナブルに変身させる番組が
あるが、上記の内容そのものである。
私が、これまで若い女性と接してきた感想は、圧倒的に「美人=性格良い」論。
そして著者の研究結果も、それを示している。美しい人は、善の循環で、プラス
が蓄積されていて、それそのままが顔と全身など美容に現れ出ていることが多い。
5年以上通っているスポーツジムの女インストラクターに、顕著に現れている。
第二の皮膚といわれるファッションのセンスに、それが加わる。 ~つづく