<「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著>
   * 人生楽しいかい?
 『人生は楽しいかい?』の問いかけが題名の本。
現在の私に、そう問われれば、『た・の・し・い』である。 
両親から、「事業でも、趣味でも、遊びになるまで徹すれば楽しめる」と
常日頃から教わってきた。それが可能かどうかを見極めて、一度、始めたら、
徹することと… 。リタイア後に、この指令そのままのように、スケジュール
を立て、毎日を過ごしている。そうでもしてないとバランスを崩し、炎上する
自らの弱さを知るため。これらの指令は現実そのもの。老いの知恵でもある。
SJのヨガを5年4ヶ月、合計千回以上、参加してきたが、この指令の多くが
ヨガに重なる。 毎日を楽しくなければ、大元からグラツクほど、過去の否定
材料が山積みにある上に、老化現象である。外的炎上はあっても、内的炎上は
直接、老人性ウツに直結する。
  〜アマゾンの内容紹介より〜
≪世界各国の教育、医療、軍事、セキュリティ関係者が注目するロシア武術
「システマ」。本書はストーリー形式で、その独特のメソッドを伝えるもの。
 うだつの上がらないサラリーマンの僕が出会った謎のロシア人“ゲオ”。
小太りで一見パッとしないゲオが僕に伝えてくれたのは、ロシア特殊部隊で
 生まれた「人生を変える方法」だった――。
 【システマとは?】 冷戦後のロシア発! 
アメリカ、ヨーロッパ、中東、アジアの45か国、250以上の団体で実践。
世界各国の教育、医療、軍事、セキュリティ、関係者が絶賛する人間能力
開放メソッド。
  プロローグ 出会い
 [本書の使い方]
【指令1】「よかったこと」に目を向ける
【指令2】ゆっくりやる
【指令3】知る
【指令4】距離を測る
【指令5】呼吸する
【指令6】姿勢を整える
【指令7】視点を動かす
【指令8】限界に触れる
【指令9】最悪を想定する
【指令10】動き続ける
【指令11】力む
【指令12】成功体験を忘れる
【指令13】相手を観察する
【指令14】衝突をコントロールする
【指令15】分かち合う
【指令16】任せる
【指令17】生きろ        ≫

▼ 15年間の準備期間と、実業30年、計45年間は、上記そのままを、自らに
 指令し、実践してきたようなもの。誰も助けてはくれない現実の中、自演
自作で前に向かって歩くしかない。「そんなこと、全員が、そうしているじゃ
ないか!今さらじゃない!」 といえば、そのとおり。「楽しい」かどうかは、
解釈の問題。要は目的と目標を明確にして、計画をたて、歩んでいるかどうか。
楽しくしていれば、楽しいことが寄ってくる。
<動き続けよ、湖面のように静かに> 現実から目を逸さず、逃げないこと。
「正・中心・一点・無」の心構えで立向かうこと。泣いても笑っても、
同じ人生。笑って楽しまなくては。「楽しむ」のは天性もあるが、第二の天性、
習慣化でも身につけることが可能。次回から、それぞれの指令を取上てみる。
 静かに、問題の中心を見続けて、動き続けること。悪貨に染まらないこと。
悪貨なら、染まりようがないか? …「ところで、昨日は楽しかったか?」か。
「早朝の自転車散歩に、午前中のTVドラマに、SJも、夕刻の大相撲TV観戦に…」
上げればキリがない。楽しいことを意識をして探し出したからである。

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5596,閑話小題 〜庭石、売ってもらえませんか
2016年07月11日(月)
 * 庭の石、売らないか
 一昨日、家内が出かけた後に、70歳半ばの土建屋の親方風の訪問者。
玄関先の「赤石」を指差し、『お宅の庭を以前から、見せてもらっていたが、
これなどの庭石を、売ってもらえませんか?』と言う。 そんなことは、
いまだかつて無かったこと。 瞬時に、『そういう意思は全くありません』と
断ったが、その後、30分ほどしてから『失礼もいいとこ!』と、怒りが
起きてきた。お金が窮したと思ってのことか、嫌がらせか! 流石、ここは
城下町・長岡の世界。 こういうのを「石ぶつけ」という。 乗ってきて、
その価値を知らなければ、ただほどの値段で買い叩く。可愛いものだが。
  * 欧米世界は、女性がトップの座に
 英国首相は、メイ氏とレッドソムの女性候補一騎打ちに、結果はいかに。
米国では、大統領候補クリントンが有利。フランスでは極右のルペンが
首相の座を狙っている。また、ドイツの現首相がメルケンである。
米国経済界の女性トップとして、イエレンFRB議長の存在がある。
また先日、イタリアの主都ローマで市長選が行われ、ビルジニア・ラッジ
当選し、ローマ市長となった。この勢いだと、東京都知事も、小池氏が勝利し
そうな空気にある。 ロシア、中国は、組み易しと喜んでいるだろうが。
一時代前には考えられない現象である。
   * 参院選挙で
 参院選挙。 二つの区分のうち、一つは民進党の議員に、もう一つは
維新の党に投票をした。アベノミクスには反対だが、改憲には賛成。
で、とちらを優先か? といえば、改憲。で、二つに分けた。今の内に、
改憲だけはしておかないと!

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2015年07月11日(土)
思いが人生をつくる ー? 最もやっかいな‘スピリチュアルなプライド’
        『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン
   * もっとやっかいな‘スピリチュアルなプライド’
 人間は程度の差があるにせよ、多かれ少なかれ、‘知的プライド’も、
‘スピリチュアルなプライド’を持っている。 問題になっている「IS」
 の原理主義をみれば、極端なプライドが浮び上がって見えてくる。
 それは、ユダヤ教キリスト教も同じこと。 〜その理由とは〜
≪・「知的プライド」より、もっとやっかいなのが「スピリチュアルなプライド」。 
 なぜならこのプライドは、「知的プライド」よりもあいまいで、なおかつ人を
 容易にだますからです。「スピリチュアルなプライド」が、同じ信仰をもたない
 人に対して「救われない存在」というレッテルを貼るのです。「スピリチュアルな
 プライド」をもつ人が、「世界はおかしい、すべてさかさまだ。私たちが社会を
 正さなければいけない。私たちだけが、スピリチュアルな信仰を啓発することが
 できる」という発言をするのです。
・しかし世界は、このような人が生まれる前から存在していましたし、
 彼らの信仰する宗教が現れる前に存在していたという事実はどう説明するので
 しょう? 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」というスローガンは、
 明らかに受け入れがたいものです。この「人を混乱させる」スピリチュアルな
 プライドを排除しましょう! すべての宗教は善であり、神の道を純粋に説いて
 いるはずなのです。私たち人間はすべて、人生の灯りを探求しており、また
 自分たちの灯りに従って生きているのです。そして一番の理想は、その灯り
 のみに従うこと。すぐ他人よりも優れている人は、すべての人に奉仕しなければ
 いけません。「知的プライド」を克服する良い方法は、「私たちは無知である」
 と知ることで膨大な量の知識、無限の世界、そして私たちが想像もつかない
 ような概念のことを考えるのです! ≫
▼ 「自分よりも他人をもっと尊重しましょう」は、一見、素晴らしい言葉。
 「自分と同じように他人を尊重しましょう」が正しい。出来ないなら、まず
フリをすればよい。人は概ね一ランク〜二ランクは自分を買い被っている。
問題は、自覚できるか出来ないか。出来ないと、他人の揚げ足をとって、
鬱憤を晴らすしかない。だから、世には争いが絶えない。しかし、これなくして
人は生きられない時がある。生きる灯り、これは経験と知識を通し得るしかない。
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4866,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー34
2014年07月11日(金)
   * 開業前の戸惑い
 店の先頭に立った切った張ったの千葉・長岡の8年間の生活から、今度は、
小さいが社長の立場。御客との直接接点がゼロになってしまった。しかし、準備
期間の一年は、開業直前までは何もかも独りである。学校に新卒、職安には中途
採用、リクルートには東京まで管理職の募集に行かなければならないが、それら
は長岡で経験済み。前宣伝も広告代理店と打ち合わせ、ホテルの備品の購入の
全てを自ら決定していく。それらが、直前に集中するため、加熱状態になるが、
それが面白い? 既存の組織があれば、それぞれの部門の責任者を決め、一つ
ずつ対話をしながら決定していくのが、それが無い場合、独り言を口に出して
決めていく。開設準備室のベニア板一枚、隔てたゼネコンの現場事務所の主任が、
それが何とも不気味だと注意もされた。8年ぶりの今回も、独りからの出発。
 この慣れには、3〜6ヶ月は、かかるが、戸惑が先にたつ。 全て、置いた
環境が自分を慣れさせる。ホテル開業の数週間前に、学生ショップの開店。
その後、ホテル開業になる。 その間に、色いろなことがあった。
ある30歳前後の女性が、開設事務所に履歴書を持って訪ねてきた。
『私は古町で、学生ショップの会社の事務をしている。ある長岡の問屋の方から、
貴方のことを聞いているが、貴方の経営戦略が面白そうなので、是非、事務に
雇って欲しい』という。私にすれば『エッ何?』の小説のような話。
『商道徳上、いくら何でも、それは出来ないでしょう』といっても、なかなか
引き下がらない。最後は引下がったが、今度は『私が立場上、駄目なら親友が
働きたいというので、駄目もとで、面接だけでも!』と、本人を連れてきた。
それが品が、この上ない上流階級?ふうの御婦人。 私を余程の凄腕と勘違い
をしているよう。なるほど、長岡と新潟だけでも、これだけ割りきりが違うと、
思い知った。 もう一つ、開業直前、地元紙に〈学生ショップを併設した面白い
ホテル〉の見出しで、記事を書いて貰った。掲載された当日の夕方、自宅に一本
の電話、『私は三条駅前で学生服を販売している者だが、貴方のアイデア
ホテル開業を羨ましく思う。間違いなく成功するでしょう・・』と、一方的な話。
何と答えてよいか分からず、「はい、そうですか、有難うございます」と、
丁重に答えるしかなかった。15年の準備期間を経た立ち上げ。 その戦略を
褒めてもらったり、押しかけが来たり! 世の中は、面白いもの。
その間には、前の会社の、ある社員が訪ねてきて『会社がピンク色?に染まり、
誰一人、真剣に仕入れをしない。あるのは男女間の噂話。このままでは会社が
潰れてしまう。クーデターを起こすので戻って欲しい!』と必死の訴え! 
私も命を張った大勝負の時節!で、断ったが、これ、誰にも言わなかった秘話。
その数ヶ月後、会社の危機を議論をした翌日、心不全で亡くなっていた、という。
彼の口癖が『とにかく、この会社が好き!』だった。何とも哀く気の毒な出来事
だった。 この頃から、姉夫婦の立ち上げた会社の不調の噂も流れてきていた。 
商売は常時戦場!決して生易しくない。
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4499, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー2
2013年07月11日(木)
   『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』中村仁一著
  *「治療に関する思い込み度テスト」
「私たちの医療に対する信頼は思い込みでしかない」と著者は、医師の立場から
切り捨てている。私も変わっているので、このテストで○は2〜3つしかない。
現在の医療を信頼してはいけないということ。
特に老人は、病院にとって金のなる木。信頼するほど真逆の結果、
搾り取られるだけ!というのも、至極当然。その結果、何とか長生きした先が
特老というのも、極論とも思えない。還暦を過ぎたなら、病院でチューブで
繋がれる道でなく、自然死を選ぶのも一つの選択。 ーその辺りから抜粋ー
≪「医療の鉄則」があります。1、死にゆく自然の過程を邪魔しない 
1、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない今の医療現場では、この真逆
 が行われている。 私が主催する「自分の死を考える集い」の参加者に、
 以下のような「治療に関する思い込み度テスト(信頼度テスト)」を行なった。
�ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にかかる
�薬を飲まないことには病気はよくならない  �病名がつかないと不安             
�医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない 
�医者は病気のことなら何でもわかる     �病気は注射を打つほうが早くよくなる           
�よく検査するのは熱心な医者だ       �医者にあれこれ質問するのは失礼だ           
�医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれるはず
�大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる 
�入院するのなら大病院・大学病院が安心できる�外科の教授は手術がうまい           
�マスコミに登場する医者は名医だ      �医学博士は腕がいい              
�リハビリはすればするほど効果が出る
 いくつ◯がつきましたか? 奇人、変人の多い「集い」では、
 ○印がゼロがかなりでした。
�の説明は学術専門誌の編集長・インゲルハイム氏の言葉の引用です。
ニューイングランド・ジャーナル・メディシン」の編集長は「病気の80%は
医者にかかる必要がない、かかった方がいいのが10%強、かかったために悪い
結果になったのが10%弱」と言いました。4世紀半以上も前の話なのに、
今も反論がないそうです。病気を治す中心をなすのは、本人の自然治癒力です≫
▼ これでも日本の医療制度は世界一のレベル。病院とはいえ、経営システム
 が必要で、一番の利益になる老人に、可能な限りの医療を施すのも自然である。
問題は、当人の死に方の選択になる。そのためには、このような視点を知って
おくべきである。少しの延命のため、無用の苦痛を与えるのが果たして治療と
いえるのだろうか? 40年前に父が大手術の一年後に亡くなったが、亡くなる
一月ほど前にポツリ言った言葉が耳に残っている。「あれ程の苦痛なら手術を
しなかった!」と。悪性のガンは、どのみち助からない。なら、人間ドックも
手術も無用ということになる。医者が自然死を勧めるほど実態は薬漬け、
チューブつき。酒を飲んできた人は麻酔の効きが悪いというし・・
死に際の厳しさは、実際は壮絶だろうが、生き返って誰も証言しようがない。
生きているうち、楽しみ、味わうしかないのか。
・・・・・
4125, マネー大動乱
2012年07月11日(水)
     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」増田悦佐
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容。
著者の視点で日本国内のついての悲観論と、欧米や新興国についての楽観論に
対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる
部分を書き出して、それについて論じてみる。世界のマネーは動乱に入った。
 ー 第一章 アメリカは財務省ウォール街複合体に潰される?!
        〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセント
 を所有しており、次の19パーセントの人口が50.5パーセントを所有している。
要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める
貧困ライン(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人
が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。信じられないことだが、
生活保護フードスタンプ低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助
がなければ生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年
初頭で5パーセントだったのが、リーマンショックで10パーセントを一時期
超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策
が上手くいったかというと、そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、
労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から外れてしまっただけ。
・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。
これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の
 割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、2倍になった。全人口の上位
5分1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、
2007年には53%だった。言い換えれば、上位5分の1の富裕層の総額は、他の
5分の4所得を超えている。」とあった。現在の日本も、同じ傾向にある。
特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、
 日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。だいたい1・8%の
世帯が入るとか。50数世帯に一世帯というと、なる程、そうか?である。
身辺を見渡してみて、豊かそうな人は、その位は持っていそうである。
 そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
 ・・・・・・
3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から
始まっている。 ーまずは、その部分からー
【ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。
その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。彼は病院で酸素とカンフル注射で
生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が
一種の白熱光で取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう
光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。この状態でユングは、生と死の間
をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影を経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある
地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの砂漠や雪でおおわれた
ヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような
巨大な石の塊を見た。 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院
のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が結珈趺坐
の姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。 近づくにつれて、「私は、
あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。 私が目指したか、
欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、
消え去るか、私からはぎとられていった。それは、この上ない苦痛の過程だった」。
そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内
されたとき、「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様
だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た理由が突然
わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが
彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが自分の治療をしていた医者だという
ことがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの
寺院のあるところーの支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、
「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、
その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分はしぼらくの間死んで
いて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、
ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。その医者が古代の王の形をして
ユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている 
ー実際その医者の死が、彼自身の死の代わりになるのだろうーと信じた。
一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、
その医者は熱のために病床につき、その直後敗血症で死んだ。 ユングが、彼の
最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。「毎晩私は、もっとも純粋な
至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再び
やって来ると、今灰色の世界がその贈り物の箱をもってやって来る」と感じた
ものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。
ユングは幻影を、ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察と
みなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく現実的な
ものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。
それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が
 亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。しかし、その直後に
結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強
されていった。この感覚は他人に言っても信じてくれないことは
(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。
その中で、この文章である!