☆ ヨガを最初に持込んだ天風
 中村天風著『成功の実現』を30数年前に読んで多くの人にも勧めてきた。
天風は初めて日本へヨガを取入れた人で、「積極一貫」の信念が、彼の全てを
現している。この教えを知り、信念の一つに取入れてから人生が大きく変わって
いったようだ。 〜そのの概要といえば〜
≪ 結核を治すため世界を飛び回り、「 世界一の大学者ですら助からないと
言うんだからもう駄目だ 」と、失望のどん底で「 せめて日本で死のう 」と
マルセイユの港を後にします が、偶然にエジプトで停泊中、船に同乗していた
ヨガの大聖人カリアッパ師にめぐり会う。
「おまえはまだ死ぬ運命にない。助かる方法がある。 私について来なさい。」 
その言葉に「サーテンリー。(かしこまりました。)」と一言答えて、行く
先も知らないのに天風はカリアッパ師一行について行く。このカリアッパ師は、
実は「カルマッパ・カキャブ・ドルジェ」(1871〜1922)で、ラマ教カルマ・
カギュ派の第十五世管長でありヨーガの大家だった。
吐血ばかりでやせ細り、死へ向かっていた中村天風はインドと東ネパールの
国境に位置するカンチェンジュンガ山麓のコーグ村で厳しい修行に入ります。
滝の前で瞑想したり、師に出された課題をひたすら考えたり……。
それは、生きるために行なう背水の陣のごとき修行。ヨーガは、悟りや奥義を
師から弟子に口で教える事はほとんどありません。 課題に関しての答えは、
自分で見つけ出さなければいけないのです。初めは、身体の調子にばかり
とらわれていた天風。
 師に「元気か?」と問われ、「どうも、調子がすぐれません。」と返す。
「私は、お前の体の状態を問うているのではない。」とカリアッパ師。
瞑想と師とのやりとりの中で天風は、身体ばかりを意識するのではなく、
「心の持ちよう」で生きていると、心身が変わってくる事を体得する。
やがて、インドの山奥で無の境地を悟った中村天風。それを悟ると、身体はみる
みる良くなっていった。≫

▼ それまでも、様ざまな精神論の本を読み、日常生活に取入れてきたが、
 これほど生々しい体験を背景に説いた論に驚いてしまった。
天風哲学の基本は“笑顔”。悲しい時、つらい時、そんなときは無理にでも笑顔
を、作ってみる。そうすれば自然と楽しくなってくるというのが、天風哲学の
根本にあります。おかしくもないときに、「アハハ」って笑うと、おかしくなる。
【 2005/06/30
  1549, 宇野千代
宇野千代が代表作「おはん」を書き終えた後に、一行も書けなくなってしまった。
そこへ中村天風
「今度ね、自分の頭の中に舞台をこしらえて、その中でいろいろ、あの女と
 この男とひっつけよう、この男とこの男とこうしようというふうに躍らせながら
 そいつを書いていったらいいだろう」
「出来ないと思うものはできない。出来ると信念することは、
 どんなことでも出来る」と言った。
「いい事聞いた!」宇野千代は、それいらいスランプを脱し、書く文章も変った
 という逸話がある。
この天風の言葉を、スットンと脳に入れてしまう彼女が凄い。 彼女は中村天風
の弟子であり、その教えの実践者である。天風の言葉が、彼女の中で血肉になって
明るく具体的に噛み砕いているところがよい。】
 6年前に改めて読んでおくべきだったが、机後ろの書棚にあったのに、手に取ら
なかったのは何故だろうか。平静を装っていただけで、動転していたのだろう。

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5606,恋愛心理学 〜? なぜ幼な顔に惹かれる?
2016年07月21日(木)        
           『美人の正体』〜越智啓太著 
   * なぜ幼な顔が重要なのか
 美人顔には、小型犬の幼顔系と、シェパードのような大型犬の丹精顔がある。
幼な顔の無垢性を求める男の心理に何故か納得する。今では、耳にしないが、
「カマトト」という言葉があった。 アニメの美少女は額が広く、目は異常に
大きく、口と顎は小さい。胸は異常に大きく、腰は小さく、脚は長い。これが
男心を擽るようだ。幼顔の女性は、このモデルを目指し変装、いや化粧をする。
 何とことはない、男は、その変装にコロリと騙される。 〜その辺りから〜
≪ 他の男の子を自分の子供として育てる危険回避の方法の一つは、
 なるべく若い個体を配偶者として選択することです。相手の年齢が若ければ
若いほど、性的な経験が少なく、それゆえ自分が配偶者として相手を選択した
場合に、すでに相手が妊娠している可能性は低くなります。とくに相手がまだ
性的な経験がまったくない場合、妊娠している可能性はないので、男性として
自分以外の子どもを育ててしまう可能性はより低くなります。このようなこと
から、若い性経験のない女性を配偶者として選好するという行動が男性側には
進化してきた可能性があります。では、若い個体は何を手がかりに探し出せば
よいのでしょうか。ここで手がかりとされるのが顔なのです。我々が他人の
年齢を判断するときにもつとも重要な手がかりになるのは顔です。
 ある程度の年齢までは顔の構造が手がかりになりますし、また一定の年齢
以上になると肌の質感、しわや白髪などによって年齢を判断します。
 これらのことから、男性は、顔が若く見える個体、すなわち幼型化特徴を
持った顔を魅力的だと思うようになったのだと考えられます。
 確かに、女性は化粧にずいぶん時間をかけますが、そこで行われるのは
肌の質感を若くし(赤ちゃんのような肌にする)、しわを隠すことや、白髪を
染めることです。これは、まさに老化を隠して自分を若く見せるための方法で
あり、これによって女性を魅力的に変身できるわけです。
 平均化に加えて目が大きく、顔の下半分が小さいという幼型化という条件が、
特に女性の外見的魅力を向上させるためには重要である。そして、なぜ重要に
なってくるかといえば、それは女性を配偶者として選択する男性が確実に
自分の遺伝子を残すために、女性が若いことが重要な意味を持っているから
だという可能性が示されました。≫
▼ 「清潔感7割、色気3割」が、理想というが、清潔感はリスクが低いと
 いう潜在意識のなせる業。メイドカフェの魅力も、近いものがある?
それより、内的魅力を磨けというが、男など、そんなことより、短期的には、
まず美的外形に惹かれる。それにしても、女性の異性に対する視線の反応は
異様なぐらい強い。だから、何があっても、まずは褒めること。出来ないなら、
心の底で、「光輝いているね!」と思ってやること。 

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5241,窃盗専門の「泥棒刑事」 −?
2015年07月21日(火)
           『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * 被害届を拒む女性。そして孤独で寂しい泥棒たち
 何か、内容が下ネタになるが、話題としては面白い。そういうこと!
≪「泥棒には入られていません」「絶対に入られていません」と言いはり被害届
を出さない女性がいた。これは被害者のほうに何らかの事情があるのは確実だ。
あるとき、1人の空き巣を逮捕し余罪を追及していくと、100件以上の余罪。
被疑者を捜査用車両に乗せて「引当り捜査」を行う。私はその空き巣被疑者の
自供に基づき被害者宅を訪ね、「お宅に空き巣に入った、犯人を逮捕しています」
と、事情を説明に行くのだが、一件だけ「入られていない」という被害者がいた。
もちろん被害届も提出されていない。実際に空き巣に入られていても、被害額が
僅少であったり未遂であったりした場合は、面倒だなどの理由で警察にさえ届け
出ていないかたも時にはいる。それでも、引当り捜査で行くと、そのようなかた
でも、「忙しくて……、面倒で…」などと言いながらも協力してくれるもの。
しかし、この一件の被害者だけは「入られていない」の、1点張りである。
被害者が帰宅している時間帯にもう一度訪問した。20歳代前半の美人の女性。
「絶対に入られていません、何回言わせるんですか」と怒られてしまった。
そこで被疑者から再度の調べをしたところ、ある物が「机の引き出し」に入って
いたことが分かった。「大人のおもちゃ」であった。事情聴取を女性警察官に
任せることにした。何とか説得し被害届を提出してもらった記憶がある。
金額は6000円で。我々ドロ刑にとって、被害届1枚は「血の1滴」と言われる。 
 大人のおもちゃを持っていた被害者とは話はまったく別ものなのだが、
泥棒は基本的に孤独であり、さびしがり屋が多かった。泥棒は構ってくれる人
がいなくなることを非常に恐れる。孤独な生活を送っている泥棒は、逮捕された
後に取調べを受けるとき、人と人とのつながりを取り戻すかのように饒舌になる
者が多い。不思議と思われるかもしれないが、取調官と別れたくないがために、
やってもいないヤマ(事件)を自供する者さえいる。これを「空ヤマ」と言う。
 ・・たいていの泥棒は、シャバと刑務所の問を行き来している。そうした
泥棒というのは、寂しがり屋が多かった。泥棒稼業を送る彼らは、ほとんどが
一人暮らしで身寄りもなかった。彼らの多くは逮捕され刑務所生活を送る。
刑務所に入っても泥棒は馬鹿にされる存在でしかない。そして、2、3年の刑期
を終えて社会に出てくる。そのとき、彼らのほとんどはあまりお金を持たない。
刑務所では刑務作業に対して報奨金が支払われるが、刑期が2、3年の泥棒は、
刑期中に金を貯めることはほとんどできない。刑務作業で稼いだ金は出所後の
交通費で消えてしまうりだから手元には金はいくらもないのが通常である。
そこで、出所した常習者のほとんどが、更生施設などに身を寄せるしかない
のだが。そこも長続きしない。また、就職して働く者もいるが、給料などの
待遇もよいはずがない。月15万も稼げれば良いほうだろう。彼らは少し
働いて金ができると、たとえばスナックに出入りするようになる。
そうしているうちに、働いて得た金だけではとても足りなくなる・・ ≫
▼ ネットで『女性用大人の玩具』と検索したところ・・ 出るは出るは!
 今度、生まれるなら、老いたら機能不全?になる男でなく、女性ですか。
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4876,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー42
2014年07月21日(月)
   * 31年の新潟~長岡間の通勤
 老いた母親をおいたまま新潟に引越すわけにもいかず、31年間も新潟~長岡
を通勤になった。しかし、高速の乗物空間の往復一時間は読書の最適環境。
私の性格からみて地方の閉鎖性に同化されない為に、職住分離は必要である。
新幹線車内は一度、県外に出たような感覚になる。だから30年も続いた。
それと、機内や高速鉄道の車内は「ぼんやり時間」としてベスト空間でもある。
長岡住民の7〜8割が地元出身者だが、新潟は流入組7〜8割。僅か30分で
世界がまるで違う。それも慣れだが流動が少ないのは良くない。それは、この
三年間で、さらに実感している。排他的で、プライドが高く、烏合で、常に人の
目を伺う比較世界の傾向が強い。それも、外部からみれば越後・新潟の差異範囲。 
ところで、30年の新幹線交通費の総額は、マンションが一つ買えるほど。
全線開通直後、長距離通勤のための税制が変わり、経費で落すことが可能になった。
 何処も所属しないで済んだ代金とみればよい。酩酊しての乗り過ごしは8回。
そのうち3回は湯沢などに宿泊、スナックへ。今から考えると、冷汗もの。
そうこう振り返ると、やはり70歳前半が寿命? 今さら生き急ぐことも、
死に急ぐこともない。今や職住分離の職が無くなり、自宅中心の生活。
新幹線の代りが「ハリウッド映画」と、ポタリング。これで一度、生活圏から
出たような錯覚が、ストレスを最小にしてくれる。
   * スラスラと、思ったことを文章化出来る?
 知人に「思ったままを毎日、書けるのが羨ましい!」と言われたことがある。 
読む方は、2〜3分だが、書き上げる方は、この程度の拙文でも、テーマのネタ
探しを含めたら2〜3時間は軽く掛かっている。これでである。しかし、書き
上げた達成感と、プレッシャーが丁度良い刺激になっている。その後、読返し、
書いている自分は何者?と、ドキッとすることもある。時間が過ぎると、書いた
時点の自分は、別人のような人。 吐いてしまった、書いてしまった言葉は、
二度と戻らない! 言葉は恐ろしいし、それを文章化して責任を持って公表する
のは、更に恐ろしい。そのままの自分の本音が、そのまま出てしまうからである。
そのため、早朝、何度も書き直す。それが考える訓練と、思考そのものになる。
「日々、是、口実」が、分かっていても?自嘲しながら続けている得体の
知れない自分は「何者だろう?」
・・・・・・
4509, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー7
2013年07月21日(日)
         『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 スポーツジムののヨガに週二回、百回以上も続けると、一寸とした動作も
ヨガ的になる。ポタリングの車上の姿勢と呼吸とか、起床の前の屈伸とか、
夜半に目が覚めた時の姿勢と呼吸とか、居間でTVを見ている合間の姿勢とかを、
意識するようになった。これが続けてきた一番の収穫。また早朝の30分の瞑想
も良い。この結果、夜半の半睡の状態も、瞑想のイメージを持つと、心穏やか
に不眠状況を受け入れることが出来るようになる。
  * 3日目ーA 正座から四つんばいになって・・
1、まず正座になって(踵を重ねない)両手を膝の上に自然に置いた自然体から、
  軽く御尻を浮かすようにして爪先を立てて、膝の前で床に手のひらをつく。
  短距離のスタートの姿勢だが、手のひらは地面にベッタリつける姿勢。
2、「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
  狼が吠えているように、顎を上げ、胸を開き、背骨をそらす。
3、そこから腰を入れ、手をつけたまま立ち膝になり、踵をつけたまま背中
  を丸める。額を膝につけて息を出し切る。
4、緩めて、元の正座に戻る。そこで軽く一呼吸をする。
5、もう一度、1,2の動作をした後、軽い呼吸をしながら、膝裏を伸ばし
  ながら尻を持ち上げる。横からみたら、三角形に見える姿勢である。
6、息を出しながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、
  眉間を見あがるようにして顎を上げる。犬や猫が、四つん這いで、背筋を
  伸ばしている姿である。
7、「軽く一息」を入れて緩めたら、ゆっくり息を出しながら、膝をつき、
  「基本単位」に戻す。
 ▼ 犬や猫が寝起きに、これをやっている。背中を丸めたり、反らしたり
  しているポーズである。動物が誰に教わることなく本能的に行う運動には、
  それなりの良さがある。
   * 3日目ーB 手の指を開く体位
1、正座に座り、親指と人差し指で朱印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と
  水平に手の平を上向きにする。 「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>
 「深い一呼吸」を入れながら、手指が反るぐらいに開き、息を止めて、少し、
 その状態を保つ。
2、ゆっくり息を出しながら、最初の基本体位に戻って、軽く一息をしたら、
  もう一度1,2を繰り返す。
3、1を行った後、手指を開いたまま息を止めて少し静止。息を止めたまま、
  ゆっくり親指から順に小指まで折り込んでいく。 最後に、親指を握りこむ
  ように「グー」でしっかり握る。
4、さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で
  開いていく。最後にしっかり開ききった上に、ゆっくり息を出しながら
 「基本体位」の朱印に戻って軽く一息。
5、再度、1、3,4を行う。  ポイントは、どの姿勢の場合でも背筋を
  ピンと伸ばすこと。
▼ ヨガ教室では、正座をして、深呼吸をしながら上に向け延ばした手を、
 逆の手で反らすことを毎回している。あとは、投げ出したフクラハギをバタ
バタ地面に叩くのも居間などで手軽に出来る。常に、小まめにマッサージと
屈伸をする習慣をつければ良いということ。
・・・・・・
4135, 閑話小題 ー父親のこと、など
2012年07月21日(土)
   * おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている
割に、話題の中心は世界情勢、特に世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。
百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に
目を凝らして見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 
現に到来した時の惨状は、10年〜20年以上にわたる長期的になり想像を絶した
になるだろう。現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。
しかし裏山に避難して海原をみると地平線の本体の大波は近づいているのがよく
分かる。眼下をみると、これまで通り人々は何も変わることない生活を送る人と、
海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。鈍い人は現実に大波が来ないと分から
ないのだ。ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが違うから難しい。
5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、目先の生命は
助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう 時どき週刊誌に、大津波の襲来と
対応策が見出しに掲載されるが、売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の
騒ぎとして見ている。しかし、NHKが特番で危機の深刻さを報じているので、
分かっているはずだが。また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在して
いる人が多い。彼等も二分していて、対策をとる人、とらない人がいる。
どっちにしても、この年齢になれば何があっても先が知れている。初めは、
戦争勃発による株式の暴落から始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? 
それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出す
ことが多くなっている。年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と
対比してしまう。 私が父親の42歳時の子供だったこともあり、私を特別視を
してくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。
父親の死は最大の子供へのプレゼントという話を聞いたことがある。自立をする
ためだ。その意味で26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミング。 
その頃から創業を始め、結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。
経験不足の身にとって一つ間違えると地獄のそれは、結果が直接、跳ね返って
くるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 
事業人生の40年間は、特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。
去年の節目から16ヶ月になるが、今だ解放感で空中を浮いているように気持ち
が軽くなっている。現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だになれないが、
後悔とか、未練は全くない。父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという
貸家は長岡の空襲で全て燃えてしまい一財産の殆んどを失い、そこから裸一貫
から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、当時の記憶は生まれた
数ヶ月後からハッキリと憶えている。変化変化の刺激的な日々だったから。
その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。
これでシリーズの録画、3、4、6、7をみたことになる。内容は団塊世代
現状の起承転結の転結そのもの。遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・
下流と見下された少女と、上流?家族の母親との対比の中で、下流、上流とか
いう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 この隠れテーマは、
「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう虚妄の実態を
面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた痛いげない少女の必死な姿を通し、
人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、
定年をむかえている団塊世代の家庭内に見られる実情。そこで、問われるのは、
「考える」ということ、定年までの準備の有無、そして、これまでの人生を
如何に生きてきたかである。あの家族の父親が自分、医者の娘というだけが誇り
の母親が家内、そして二人の息子を、あの二人の子供に重ねると、他人事でない? 
で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 
医者を偉そうに取り扱っているが、現在の医師の8割は技術者でしかない。
そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で
努力する姿勢、それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の
林真理子は表現したかったのだろう。蔑まされていた娘が独りで、医科大学
入って、医者の道を歩くところで、終わっている。それをバカバカしいと断念
する方が面白いのでは?と、思った。が、これはこれで良い。
「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人
たちが下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? こうなってくると、漫談
になってくる。ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 
その人たちの実家は玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、
誰もが着るもの、食べるものに無頓着であった。 親が自営業だった?から、
仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、ギリギリだった。むしろ、それを
全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど問題にしてなかった。 
日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、アメリカに次ぐ
豊かさを一時的に謳歌した。それが、この20年間で・・ 最後は東北大震災が
トドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
 米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされて
いるというが・・ 待っているのは、下流の宴か、やはり。 
  ーたまたま去年のテーマが、それであった。