< しまった! 「失敗の心理」を科学する
       ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
   * 「最初の答え」にこだわるな
 人は、いかに考えないで、流され生きているかの一つが、最初の答えに拘り、
 それによって大きく判断を間違え、人世の道を間違えてしまうこと。行動の
「行」には、判断の意味があるというが、最初の印象のみで、意外と判断を
 してしまう。「誠実そうな人」と「誠実な人」と、「優しそうな女性」と、
「優しい女性」は違う。これからして、間違った判断をしてしまう。
≪ 人は第一印象に強く左右されることは周知の事実である。 ――
 それが正しいか、誤りか関係なく、たとえばテストを受けていて答えを選び、
その後、答えを変えようか迷った経験が誰にでもある。多くは最初の答えに、
こだわる。まず4人にうち、3人が変更するより、最初の答えを通す方を信じる。
大学教授も学生と同じ考えだ。解答を変えると点数が良くなると答えたのは僅か
に16%である。だが、人生によくあることだが、多数派は間違っている。
変更はたいてい誤答から正答で、答えを変えた人は、総じ点数を上げた。…(略) 
一般に人は「不作為」よりも「行為」に対して大きな責任を感じる。
 誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯す方を
選ぶ。というのも、不作為は受け身の出来事と見られがちだからだ。自分は
何もしなかった、だからその結果に対する責任は小さい、というわけだ。
1600人の学生の実験の結果、先ほどの結果と同じく、答えを誤答から正解に
変えた学生は、変えなかった学生に二対一の比で上回った。もっと重要なことは、
実験後の学生との面談から、明らかになったのは、正答を誤答に変える予感は、
誤答から正答に変え損ねる予感より大きな後悔をもたらしていた。つまり、
何もしない方が、何かをして後悔しないで済む、ということだ。どのみち誤答
してしまうとしても。 ≫
 ――
▼ この「失敗の心理」の教訓は<人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ 
 「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ。>ということ。
こういう人たちを「畜群」という。信念がないため群れたがる。世間様の虚構、
虚言に縛られ一生を終える人たち。 自分は違うと思っても、誰も同じ穴の
ムジナ。問題は失敗の程度。 行動を起こせば充実感が残る。マイナスの結果
でも行動を起こした分のエネルギーがいる。このエネルギー放出の精神に
及ぼす効果の実感は当人しか実感できない。数年前のテーマが、文脈として
丁度よく続く。
――
2013/08/16
閑話小題 ーつまらん男 〜?  
   * つまらん男とは、どういう人か哲学してみようか!
 そこで、その「つまらん男」とは、どういう人か、少し考えみる。
 頭に浮かんだ‘(我が内なる)あの人たち’の顔を思い出し羅列すると…
・親や身近な人、地域社会の価値観を疑いもせず、ただひたすら追求している人。
・挫折をした経験が少なく、小さな社会のお山の大将で、その世界の価値観に
 合わないヨソ者を目の敵にする人。
・夢や目標を持つことなく、ただ現実に溺れ、埋没した人生しか生きてない人。
・傷つくことを極端に恐れ、それ故に何事も決心できず、その憂さを他人の
 批難で晴らすしかない人。
・烏合の衆で、群れることしかしらず、孤独、孤立を恐れ、仲間の顔色を
 うかがうしかない人。群れた思考ゼロの老人・中年・青年、サラリーマン…。
 「群れとは何人以上か?」の答えに「5人以上」があるが、「一匹狼以外、
 すべて群れだよ」というのもある。これからフット思いついたのが「自分以外、
 すべて、つまらない男よ!」がこれ、言い得て妙。 
 あの皆の衆の心底に、これがある。
・それでは、「つまらなくない人はいるか?」というと、幾らでもいる。
 自分が、つまらない男と少しでも思ったら、少しは「つまらなくない男」。
  何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が
 定年退職時の同級会の二次会での対話。
《「堀井よ、俺の悩みを聞いてくれ! 俺には俺の人生が無かった。
  両親とも教師で、当たり前のように教員になった。現在、両親とも90歳
 近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視されているよう
で生涯を通して自立できなかった。何時も自問自答で『私自身の人生は無かった
のでは?』が付いてまわり現在に至った。 あるのは二人への憎しみだけ。
この苦しみは並大抵でない・・ 》
 初老性鬱症の典型事例。 赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて
疑わない「あの方たち」こそ、「つまらない人」。自分の姿が見えてないため。
欝になるには、それなりの多くの原因がある。 先生にとって両親は、「影」。
人生には、それぞれの現象、節目がある。それは、多面体であり、光の当て方で、
白にも黒にも、黄金にも変わりうる。中学の担任は、初老性鬱症もあって、
影両親の価値の刷り込み 牢獄の捉われに、気付いただけ。両親の過剰な愛の
牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを持つべきであった。
その世界は、その加熱から自身を守ってくれる。 そのことに気づく教養の蓄積
が足りなかっただけ。 それでも、気づいただけでも、良かった。 少くとも、
群て慰め合っている「あれらより」遥かにまし。 先生の両親への憎しみは、
ポンティーと、その師のフッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題。
自分の人生の節目での選択、それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。
避けて通っていたのである。ある意味で、万人が抱えている深刻、かつ根源的
悩みになる。それすら分からず紋付袴の紋章を競っている、それも人生だが。
 「つまらん男、それは私」と、つくづく実感している。 が、日々が、面白い!
・・・・・・
5455, 閑話小題 〜あれから、あと少しで5年
2016年02月21日(日)
   * あれから5年ですか!
 倒産といえは、身近の人に詐欺同様の手口で、次々と手形の連帯保証の
請け判を押してもらい、高利貸しから借りまくり、夜逃げか、保険をかけて
自殺のケースが多い。 私のケースのような余力を持って整理に入るケースは
少ない。そのため、資金繰りの経験を一切しないで済んだことに誰もが奇妙に
思って当然。振返ると、止め時は、あの一点のタイミング。駄目押しが偶然
起こった3・11の東北大震災。それで迷いが消えてしまった。
 倒産は、当事者と関係者にとって、大惨事。連鎖倒産とか、詐欺同然の借金
がなかったのは、その恐ろしさを知っていたため。 一年もしないうちに、
ホテル営業を引き継ぐ業者がいなかったら、テナントの入居者を連鎖倒産に
追いこんだかもしれない。倒産の釜の中は熱湯の地獄。だから、社会的にみて
前科に近いレッテルをはられて当然。2割弱を家内名義の給与にし、健康保険と、
厚生年金を40年かけ、それ以外を家内が預金にしていたのも、私と家内の実家
の家系(ハビタス)を含めた商売人の知恵を引継いでいたため。
 一点豪華主義のライフワークの「秘境・異郷ツアー」を除いた普段の生活が
豪奢でなかったことも、わが身を助けている。当時、うつ病にならない対策の
生活習慣を厳し目にたて、現在も淡々と続けている。それが慣れてくると、
快適で、面白く、結構楽しいのである。それでも、落込みが無くはないが、
比較的安定している。
 早朝の読書習慣と、インターネット、散歩(今はチャリ)などを、
一週間単位のスケジュールを淡々とこなす日々も慣れれば底深くなる。
5年といえば、大きな区切りになるが、問題は70歳を超えたこと。
本気で身辺整理に入らないと。とはいえ、最大の会社整理も済んでいる。
  (後記 〜で、以下の内容につづく。)
『 誰に愛され、誰を愛していたか。何を感謝されたか。
  確かに貴方が生きていたことを私は憶えています。 』
この言葉に近い祈りで、毎朝、この文章を書き上げた後、仏前で、
亡き両親と、兄、姉、恩師、恩人、友人の顔をリアルに思い浮かべている。
人は愛し愛され、憎み憎まれ、許し許され、感謝し感謝され、生きて死んで
いく。それで、いいんじゃないかと思う。よい人生だったとしみじみと思う。 
 空即是色である。 お後がよろしいようで! 書残すのは良いことだ。
・・・・・・
5091,閑話小題 〜『悼む人』が良かった!
2015年02月21日(土)
   * シネマ、 『悼む人』が良かった!
事故現場で、地に躓き、右手を頭上に挙げ空中に漂う何かを捕らえるように
自分の胸へ運ぶ。左手を地面すれすれに下ろして大地の息吹をすくうかのように
胸へ運び、右手の上に重ねる。目を閉じて、何かを唱えるように唇を動かす青年…
『 誰に愛され、誰を愛していたか。何を感謝されたか。
  確かに貴方が生きていたことを私は憶えています。 』
悼むことは、愛を憶えておくことだ!どんな人にも、様々な愛のカタチがあると、
作家・天童荒太直木賞受賞作『悼む人』を堤 幸彦が映画化したもの。
 イスラム国とか、奇妙なテロ集団が殺伐とした殺人を公開している現在、
ベストのタイミングの内容である。 〜まず、映画サイトのブログより
≪ 天童が『悼む人』を書くに至った発端は、2001年、9・11同時多発テロ事件、
 およびそれに対する報復攻撃で多くの死者が出たことだった。これらの悲劇
だけではなく、世界は不条理な死に満ちあふれていることに改めて無力感を
おぼえた天童に、天啓のように死者を悼んで旅する人の着想が生まれた。
彼は実際に各地で亡くなった人を悼んで歩き、悼みの日記を三年にわたって記し、
その体験を元に2008年、『悼む人』を刊行した。そして2011年、日本は再び
大震災に見舞われ、我々は改めて不条理な死と向き合う事を余儀なくされた。
 人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。ふいに目の前から消えてしまった者に対して
誰もが抱く行き場のない思いをどうしたらいいのか。病や事故のような逃れよう
のないことであれ、殺人という加害者によることであれ、かけがえのない「生」
を損なわれた時、人は深く傷つき、苦しむ。静人は旅をしながら、「生」を
奪い奪われる人たちと出会っていく。母を見殺しにした父を憎む男。愛という
執着に囚われて夫を殺した女。末期癌療養に病院でなく自宅を選ぶ母親…。
静人自身も、大好きだった者の死を忘れるという行為に自らを責め続けていた。
「誰に愛され、愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか」
死者に対してこの3つを見つめ、記憶することで、逃れることのできない
「死」を、「愛」によって永遠の「生」に変える。これが、人のできる最善
なのではないか。静人の〈悼む〉行為はそう語りかけてくるようだ。
その「愛」の記憶は、見た人の数だけ無数にある。静人が黙々と死者を訪ね、
その愛の記憶をひもとき、呪文のように言葉にし、祈る姿を見ながら、観客は
個々の「愛の記憶」を呼び起こしていく。そして、自分は誰を、どんなふうに
愛し、誰かに、どんなふうに愛されたであろうか。また、これから誰を愛して
いくだろうか。そんな思いにも繋がっていく。≫   ー評価〜90点
▼ この映画を観ながら、そして、夜半、誰から愛され、愛し、感謝されたか、
 を考えさせられた。最近、思い出てくる記憶は、純粋な気持ちで、感謝された
シーンと、言葉である。その時は、何とも感じなかったことが、数十年の時を
超えて、フッと蘇ってくる。「ダカメ女の正体」の真逆の愛と感謝の照射!
・・・・・・
4726,シェールガス革命 ー3
2014年02月21日(金)
  * シェールガス革命の拡大で日本経済も大復活?
「石油危機で原油150ドルに!」という見出しを、あまり耳にしなくなったのは、
世界的不況に加えて、次のエネルギー源のシェールガス開発が進んでいるため、
その技術を日本が大きく担っていることは、あまり知られてない。 
  ーまずは、その辺りからー
《 米国では、急速にシェールガス社会へとシフトが進み投資ブームになって
 いるが、それを技術的な面で支ているのが日本。もっと言えば、日本の技術力
がなければ、アメリカのシェールガス社会へシフトは実現できないと言ってもよい。
大阪ガスアメリカのテキサス州で開発権益を取得。現時点で、シェールガス
本格的採掘は米国やカナダに限られているが、今後、急速に世界的規模で拡大
していくことになれば、日本がもつ圧倒的な技術力が世界市場で席巻することに
なるのは確実。さらには、シェールガス革命のメリットは、製造業の世界だけで
なく、日本の社会全体が享受できるようになる。石油よりはるかに安いシェール
ガスが手に入って、シェールガスを燃料とする火力発電が増えれば、電力の
供給価格は下がる。そうなれば、アメリカと同じように、日本の製造業の競争力
が高まるとともに、工場の国内回帰にもつながる。その結果、雇用も増え、
経済成長にも貢献することになるだろう。》
▼ アメリカ経済の復活は、日本にとっても大きなプラス要素だが、アメリ
 への属国化が、更に強くなる。タイミングが良かったのか悪かったのか、
東北大震災で原発安全神話が根こそぎ壊れてしまった。同じ危険なら、まだ
危険度の低い自然化石エネルギーへの選択に流れに変わろうとしている。
ということは、地球温暖化と、自然破壊がますます進むことになる。
人間は、自ら作りあげた文明で、自らを破壊する運命にある。最近、パキスタン
フンザの住民の写真を何枚か見たが、何とも純粋で綺麗な目をしているが、
それに比べ日本も含めた先進国の人たちの人相の悪いこと!
シェールガス革命の拡大で日本と世界経済も大復活」というより、
それが人類の未来にとって、最悪の結果になるのでは?
・・・・・・
4359, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー3
2013年02月21日(木)    「残酷な世界で生き延びる・・」橘玲著    
 * 貨幣空間は、友達のいない世界    
 40年以上も事業の世界にいたため、貨幣世界にドップリと浸かっていた。
何はさておき事業を最優先にしないと、競争社会では生きていけない。
事業の性格上(装置産業)、人間関係の貸借表の資産を増やす必要がなく
楽だった側面がある。
 ー以下は、政治的空間と、貨幣空間の違いを明確に述べるー。
≪ 友人や知人の政治空間の基本は、敵を殺して権力を獲得する冷酷な
 パワーゲームだ。それに対して貨幣空間は、競争しつつ契約を尊重し、
相手を信頼するまったく別のゲームが行われている。人間社会には富を
獲得する手段として、�相手から奪う(権力ゲーム)�交易する(お金ゲーム)
という二つの方法がある。権力ゲームは複雑だが、お金ゲームはシンプルだ。
誰だってシンプルが良い。だから必然的に貨幣空間が政治空間を侵食していく。
また中間共同体では、それが顕著になる。それはPTAや自冶会、会社の
同期会のような「他人以上、友達未満」の人間関係の総称だ。しかし日本や
欧米社会では、貨幣空間の膨張により、共同体が急速に消滅しつつある。
そんな活動は、お金を払ってサービスを受ければよいというわけ。
貨幣空間があれば、それだけで十分という人が増えてきたのである。
それは、「友だちのいない世界」の出現で、愛情空間がダイレクトに貨幣空間
(市場)と向き合う新しい世界に生きるようになってきた。友人のいない世界
は、愛情空間は夫婦や親子、恋人単位に最小化し、人間関係はますます濃密で
複雑になっていく。かっての人間関係は村的な共同体に分散していたが、
いまでは極限られた一人か二人にすべての感情が集中している。・・・ ≫
▼ 現在、団かいの世代が定年になり、子供たちが巣立った家庭内では老夫婦の
 権力闘争で大変だろう。他人事でないが・・ これらからして、教養と、
ちょっとした小金を持って貨幣世界を独り生きるのがベストに思える。特に
歳を重ねると、残忍の愛憎空間は残酷である。とはいえ、弧族も辛いもの。
どちらも辛いなら、あとは選択の問題になる。貨幣空間もリッチかプアーかで、
全く違ってくる。「金に換えないものもある?そりゃ金額によるだけさ!」
という小話がある。「数百億の資産を残して死んでいくのと、それを全てを
面白可笑しく使い果たして死んでいくのと、どちらを選ぶ?」のの問いの答は、
その人による。私は後者を選ぶ。しかし愛憎空間、いや愛情空間に生きてきた
人は前者になる? 現に、一桁下げると自分自身の問題になる。 
で、「この結果!」という、落ちになる。父親は面白楽しく生き、資産を残し、
 それら全てを生前贈与をして死んでいった。お陰で人生を面白可笑しく
生きられた。 一度限りの人生。三度、万歳と感謝!
・・・・・・
3984, つれづれに ー地震
2012年02月21日(火)
  * 大地震後の数年は非常事態である
 地震学者によると「大地震後の数年間は非常事態という歴史的事実がある」
という。それも500年に一度の大地震は特に非常事態。噴火も厳重注意。
週刊誌の見出しが決して過激でないようだ。 歴史的大地震で日本の全体が
大きく歪んでしまい、その連動が起る前提で対策を取るべき事態である。 
特に東海、東南海、南海トラフ地震と関東直下地震が起こる可能性が高く、
今回の東北地震の規模に匹敵するという。その沿岸にある浜岡原発の休止も
やむを得ない。知れば知るほど、この東北大震災が大規模だったことが
分かってくる。それも津波による原子炉の破壊も加わったことも深刻。 
奇しくもリーマンショックで、500年にわたった欧米中心主義の終焉も
重なり恐慌前夜。その上に首都圏周辺で小さな地震が頻発し、5年で5割
前後の確率?で直下型地震が起こる可能性があるというから・・ 首都圏
在住の人は東海・東南海・南海地震か、直下地震が5年で5割の確率を前提
とし対処するのが筋。ということは、福島第一原子炉による放射能の影響を
加えると、幼児のいる家族は移住を考えるべきだが・・ あとは、勘?
   * 今の政治はやるやる詐欺
 日本の二大政党政治というと聞こえが良いが、野党は政権を奪取するため
政権与党のマイナス面をとらえ綺麗事の政策を並べ立て、政権を取った時は、
よりよい政策を実行しますと約束をする。いざ政権を取リ実行段階になると、
それは野党時代の綺麗事。その妄想実現のため予算の散蒔きで凌ごうとし借金
の上乗せをする。その結果、国家収入の二倍の予算をたてざるを得なくなり、
現在は国家破綻一歩手前。 それでいて、その数分の一も実行できない
やるやる詐欺」。 もう限界に来ているが、野党側は、同じスタンスを
とるしか方策はない。しかし一番悪いのは騙される国民。ところで小沢一郎
「消費税の増税をしたら日本が危ない」と反対をしたが、冷えきった景気の
上に、企業もギリギリの経費節減の上の5%アップは実際に危ないコストアップ。
その上に、電気、ガスなどコストアップになれば民主党そのものが危ない
のではなく、日本が危ないのは本当だろう。 とはいえ、上げないと国家予算
が成り立たなくなる。要は、袋小路にドンドン追い込まれてしまった。
そのツケは弱者に集中してくる。
 ・・・・・・・
3619, 忘却の整理学 −4
2011年02月21日(月)
               「 忘却の整理学 」外山滋比著
  * 忘却はゴミ出しに似ている
 忘却は、ゴミ出しに似ている。この情報化の時代に必要としない情報は、
どんどん捨てた方がよい。そのままに放置しておくと神経に良くない。
「忘却不全症」は、大変なことになる。アメリカに過去の記憶を殆ど憶えて
いる女性がいるという。何歳の頃の日付をいうと、殆ど思い出す。
これは本人にとって非常に苦痛である。 自分を考えただけで、ゾッとする。
忘れるから生きていられる。忘却は不純、不要、よけいなことを洗い落として、
昇華、純化させる作用がある。フロイトは「人間には、嫌なことを忘れさせ、
良かったことを憶えている癖がある」といっている。海外旅行中は普段の
数倍の質量の経験をする。良いこと三分の二、嫌なこと三分の一の思いをする。
そこで嫌な思いを意識的に捨てることにしている。 帰路の飛行機や列車で、
連れ合いと良いことだけを少しオーバーに話し、マイナーの話は絶対にしない。
復習すれば記憶に残ることを経験上、知っているから記憶の調整をしてしまう。
その記憶のコントロールは非常に重要になる。人生でも、これが出来るかどうか。
人の悪口・陰口を趣味にしている人を見かける。他者批判は自分の影を言って
いる過ぎないことを知らないのだ。そのゴミが記憶に溜まって悪臭を放って
いる自分のことを。その辺に教養が出てくる。忘却のノウハウも教養になる。 
ところで痴呆症の現象では、明るいヘラヘラした人の方が多い。何割かは、
怒りの比重の大きい人がいる。性格もあるが、脳は最期は苦痛を与えないように
出来ているようだ。ボケたが勝ちか! 天然ボケもいるが。 若かりし頃に、
脳が加熱をしすぎて変になりかけた時、加熱で浮き上がってきた思いを、ノート
に書き出し、乗りこえたことがあった。これもゴミ出しの一つか。
比較的、文章を抵抗なく書けるのも、こういう経験がある。
 書く行為も、ゴミ出し? かいな。 自分では宝のつもりだが・・
 ・・・・・・・
3254, 大恐慌 入門  −2
2010年02月21日(日)
 ここで考えさせられる一文がある。P241)
< 古今東西、99%までの人が最終的に投資では儲かりません。
 1〜2年、仮に10年間儲けたにせよ予期せぬ変動やトレンドの変化に対応
できず、全て吐き出すのです。
*1980代には生保をはじめとする金融機関は大量の米国債保有していた
 ものの、急激な円高で損失を出した。
*1990年から始ったバブル崩壊では、大手銀行が持ち合いの株の大幅評価損で
 業績悪化もあいまって、公的資金の導入を余儀なくされた。2003年までの
 株式の暴落で年金基金の存続が危ぶまれ、数多くの年金が解散、やはり国民の
 財産だった株式を売却をした。これらは、外国人投資家が買い捲った。
【投資で儲けることができないのは、投資家が大きなトレンドの変化に対応
 できないということ】です。投資の世界では、トレンドが一方向、特に
 上げの時は比較的簡単なのです。 日本の1945年から1990年までの日本、
 または2003年から2008年までの世界の株式市場などです。 
 基本的に買って持っていればよいのです。
(字数制限のためカット 2012年 2月21日)