<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
  * ヨクボウを客観視し、撃退する
 ヨクボウを撃退するのを良しとするのも問題あり。それを馬に例えて、
乗りこなして、目的地に到達すればよい。ヨクボウを飼いならせば、これほど
便利で面白いことはない。それこそ、「自分」から自由になる方法である。
著者が僧侶のため、ヨクボウを客観視し「自分」を突き放す必要もあろうが…
  〜その辺りから
≪ ヨクボーは人を駆り立てて、むくつけき粗暴な雰囲気へと染めていきます。
 のみならず、ヨクボーは、使うと減るどころか、潜在意識の中で増殖するので
あります。使うと増えちゃうのが、業(カルマ)の特徴なればなり。
 その恐るべきヨクボーをシラケさせてしまうためには、自分の中に棲み着いて
いるヨクボーをまじまじと観察してあげることが大切なり。自分が何かしようと
しているのを、他人がじろじろ観察していたら恥ずかしくなったり、シラケたり
して、やりたくなくなるもの。ヨクボーもそれに似て、他人事のように自分の心
をじろじろ眺め、ヨクボーに駆られている自分の心に「あ、恥ずかしい」と感じ
させてしまえばよし、他言せば、視姦さるることによりてヨクボーは恥じ入り、
シラケてゆく。
 この、自分を他人事のように眺めてみることで、感情が客観視されて落ち着く、
というプロセスをさらに効果的につくりあげたのが仏道の方法なのであります。
その技法を仏道では「念」を入れるとか、「念じる」とぞ申す。
「念」のやり方自体はきわめて単純。ヨクボーをはじめとする好ましからざる
気持ちが湧き出てきたる瞬間に、自分の中を観察し「あ、ヨクボーが生まれた」
と意識を集中してあげますならば、摩訶不思議にヨクボーはなりをひそめるもの
なのであります。 簡単ヨクボー撃退法。
 仏道の心理分析の立場から見ますなら、ヨクボーや他の様々な感情に流され
翻弄されるのは、実は、人がその感情にちゃんと意識的、自覚的でないときだけ。
「自分は怒ってる、怒ってる、怒ってる」と意識しながら、怒って人を殴れる
ような人はいませぬし、「私はヨクボーに流されてる、流されてる」と意識を
集中しながらヨクボーに流される人はいないもの。申さば、感情への集中力
あるいは観察力を養っていないから、感情は恥ずかしげもなく猛威をふるう
ものと存じ候ふ。(本文より)≫
▼ リタイアをしてから、沈黙が多くなっている。ここですき放題書いている
 ため、私の場合は、沈黙とは言わないか。それにしても、怒り心頭の場面が
 多いが、これもか返り矢でしかない。「元はこちら、そのまま結構」。
 <達磨さん ちょいとこちむけ世の中は 月花雪に酒に女だ>も 道理。
「自分」から自由になる沈黙入門 −4

       <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
   * お嬢さまことばのすすめ
 『お嬢さま系学校』出身の家内の御言葉に、結婚以来、何か威厳のような
威圧を受けてきた。 『畜生!』というと、『あらお下品な!』に、まず唖然。
(お下品言葉は実姉達も言わないが)。著者は、男でも、お嬢言葉は参考に
なるという。 学生時代の手形が「品性ある言葉使い」。
早大理事の自宅庭先にある25室の、今でいう「シェアハウス」のような寮は、
全国各地の様々な職の実家を持つ学生たちとの共同生活。片方通行の土間の
廊下に、木ドア一枚の仕切り。鍵はかかるが、誰かがドアを叩けば、入室を
断れない不文律があった。何れの実家も裕福そうだが、仕送りはカツカツ?で、
誰も金欠状態。私生活は、自炊・洗濯などの心配で精一杯だったが、二年半ば
頃から、それにも慣れ、学生時代の自由の面白さが出てくる。その頃、軽井沢
山荘のヘルパー仲間や、コンパ、合コンの日帰りバスツアーなどでの女子大生
との出会いの場があった。実践女子、共立女子、聖心女子大などの学生が身近
にいた。そこで吃驚したのが、実践女子、共立女子、聖心女子、立教の子女の
言葉使い。 何代か続いた家系の子女の言葉使いは、それはそれは… まさに
以下のお嬢さまことばの羅列。「ごめん遊ばせ」「ご機嫌よう、さようなら」
などお嬢言葉が日常会話に出る世界。「お兄様」「お父様」と「お」付である。
他人の評価、悪口、実家の話、個人の自慢は絶対タブー。卒業と同時に入った
流通業の生現場の、カジュアルで、清潔感ある艶っぽさに、優しい女性たち
との段差があまりにも…。 言葉と意識の大きな段差に慣れるまでの一時期、
奇妙な感覚になってしまった。 カジッタラ?駄目よ、とはいえ… TPOSが
整えすぎている。姉4人の基準があったため、抱え込む?ことはなかった。 
  〜「お嬢さまことば」をネット検索すると〜
《 ・わたくし =私。
 ・〜遊ばす =「ごめん遊ばせ」
・あら  =驚きの言葉。「あらあら、こんなに服を汚しちまつて」
・いいこと =いいですか。「今度あなたのお家に遊びに行つてもいいこと?」
・お〜 =「おズボン」「おりぼん」「お花」「おつもり」「およしなさい」
・〜さま =「お母様」「ごもつともさま」
・〜さん =「人参さん」「おばかさん」「お茶目さん」
・随分ねえ=ひどい事を表す表現。「わたくしを点取り虫だなんて、随分ねえ」
・〜ちやま =親愛感を込めた叮嚀語。「伯母ちやま」
・なくって? =ないですか?(疑問形)
 なくってよ =ないのよ
・まあ = 「〜嫌だわ」
・まし =「ませ」のなまり。叮嚀な依頼。
・モチ =「もちろん」を縮めた語。女学生の流行り言葉。
 「一緒に行きませう」「モチ(もちろん)よ」
・よくつてよ、よろしくつてよ いいですよ
・〜わ = 〜です。〜だ。決意や主張、驚き等を表す。
 「私待つわ」「まあ嫌だわ」            》
――
▼ 言葉使いに関して、社会人になるまで厳しく躾けられていた。
 しかし、実社会に出たころから流通関係などのサービス業の現場にいた
こともあってか、かなり痛んでしまった。それでも標準並み?
出所が城下町で、『おれ』『お前』を普段使うが、都会の学生間ではタブー。
ギョッとした顔で、厳重注意をされた。『男はつらいよ』の主人公が、美人の
お嬢さま好み。その言葉使いの段差を巧みに利用し笑いを誘うが、成るほど、
言葉から滲み出る魅力は大きい。
 『御免あそばせ、お腹がゆるいので、御不浄に行きますか』
人は時には、誰も知らないところに行きたがるもの。
『あらら、良くってよ』だってさ。<朱に交われば赤くなる>というが。
『それではご機嫌よろしく!』  何かホノボノとしてきた。

・・・・・・
5430,閑話小題 〜腰痛をおしての除雪作業2時間!
2016年01月27日(水)
   * 甘利経済相の汚職問題、これ、おかしくないか?
 明らかにアメリカとのTPP交渉で宗主国の尾っぽを踏んだ見返りの
謀略? たまたま、日曜の夜に放映された冷戦時代のCIAとKGBの謀略の
秘密映像の録画を、昨日、見たが、時もぴったり。見せしめのたの計画? 
甘利というだけ、‘あまり’にも無防備。
   * 腰痛をおしての除雪作業2時間!
 積雪が1mあり、一昨日、スポーツジムに出かけようとしたが、
駐車場の出入口は除雪をしないと、外出は無理。そこで、ジムのトレーニン
替わりの除雪と割切ることにした。 除雪も結構、面白いが、しかし腰痛には
要注意い! 仕方がない、痛むなら痛めと、恐々始めた。道路の除雪した雪が、
幅7〜8mはある駐車場の出入り口に1m以上もあるため、除雪に2時間を
要した。その後、出入りに余裕をもたせるため、あと1時間は、要すると判明。
 腰痛もあり、かって2時間の除雪経験は初めて。昨日あたりに腰痛が出る
のでは、と不安だったが、今のところ大丈夫。 ヨガと、エアロビの効果が
あったのか。 元もと腰痛は、昭和38年の「長岡三八豪雪」で、長岡高校の
校舎の除雪で痛めたもの。 雪道をジムへの道すがらユックリと運転したが、
雪道は凸凹で、後でみたら、後部は擦った傷跡がシッカリとついていた。
気をつけても、つくのはつく。
   * 70からは、診療負担が2割に減額
 新しい健康保険証が送られてきた。70歳からの診療負担が3割から
2割負担に減額と、あった。ただ、それだけの話だが、切替日が今月末、
「週末の歯科の予約、来週に変更すれば一割御得!」と、家内が睨む。

・・・・・・
5066,閑話小題 〜何気ない一日の使い方
2015年01月27日(火)
   * つれづれに ー何気ない一日の使い方
 ― ご隠居生活に入って、あと二ヶ月で4年になる。家内は専業主婦歴42年。
 その生態が見えてくる。毎日のように、医院、スポーツジム、お友達とお茶、
 スーパーやショッピングセンターに外出。ふと姿が見えないと、200m先の
 スーパーに夕方の値下げ品を探しに出かけている。こういう隙間時間の使い
 方は、私の10倍以上のキャリアが成せる技。とにかく足が軽い。
 で、昨日も、一昨日に続いて、年二回の恒例の乗り放題の格安切符で東京に! 
 昨日は、孫の顔をみて、予めネットで調べていたホットスポットを回った後、
 大宮まで長野新幹線に乗って、上越新幹線に乗り換えて帰ってきたという。
 やはり乗っている人種?が上越新幹線と、ちょっと違うとか。東京の名所は、
 どこもかしこも外国人だらけ!というのは、この数年で入国者が二倍になった
 から、そうだろうが。ところで、ご隠居生活は社会からのドロップアウト
 元もとアウトサイダーを標榜していたので、疎外感とか、戸惑いは殆どない。
 日常の生活習慣を決め、大方、その通りに、こなしているからである。
 読書と、ネットで、知らない事を知る時間があるのが良い。
 ― 20時過ぎに就寝し、夜半の0〜1時に目が覚め、4時位まで、顕在意識と、
 潜在意識が混濁した半睡状態の中にいるが、これは機中の座席の時間帯と
 同じような感覚だが、濃さが薄い。 最近、週に4回はSJでヨガで、
 死体のポーズを、最後の5分間していることも、その時間帯の意識に影響を
 しているのだろか。死体になったつもりで宇宙を漂うポーズ。
 ― 最近になって、当り前のことが、当り前に思えるようなってきた。
 思い込みの深さと、その軽さの自覚? 最後の結果が、格好が悪かった
 ことが、多くの気づきを喚起してくれているようだ。逆に言えば、大方は、
 その自覚を経験していない。だから、それが面白い。
 思い込みの深さと、その軽さの自覚のなさ! 
 ― ちなみの思うことは、両親の有難さ。これだけで、充分に
 生まれてきて良かったと実感できる。八人兄姉の末っ子で、孫のような
 感覚だったのだろう。とにかく、優しかった。現在、小中学校の同級生を
 思いやると、芸者置屋の子、戦災で孤児になってお寺の養子とか、
 継母のためヒネタ子や、小さな居酒屋の2Fに住んでいた子とか、戦争
 の爪あとが、そのまま子供を直撃していた。それにしても、貧しかった。
  〜6年前の同月同日分を見たら、偶然だが、以下の内容があった。
――――
2854, 格差世襲  −2
2009年01月27日(火)
リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。
・特に教育方針に違いが表れている。
「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む
リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」
「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、
子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 
(字数制限のためカット 2012年1月27日)
――
2853, 格差世襲  −1
2009年01月26日(月)
ー 貧困とは溜めのない状態 ー
格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木)
階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。
他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、
半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。
 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。
 (字数制限のためカット 2016年1月27日)
・・・・・・
4701,閑話小題 ー夕方がいちばん楽しめるとき!
2014年01月27日(月)
  * 残照の中で! 「日の名残りカズオイシグロ
<2167, 「日の名残り」読書日記 2007/03/10 >の、
 老執事が旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がよい!
「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。
だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろ
を振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。
何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。
わしを見てごらん。引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたも
わしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」
 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー
「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。足を伸ばして、
のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらん。
夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」 男が立ち去ってから20分ほど
になります。私はここに残り、いまの瞬間を ー桟橋のあかりが点燈するのをー 
待ってました。~~(-。-;)y-~~. さきほど申し上げましたが、楽しみを求めて
この桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。
その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、
多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間かもしれません。
では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された
時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。  
 ――                              
「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える
能力だと言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発された
だけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人
にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。
ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、
中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの
職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。
外部の出来事には ーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしく
とも、動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るようにー 執事職を
身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえごろつき
相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、
自ら脱ごうと思ったとき意外にはなく、それは自分が完全に一人のときに
限られます。まさに『品格』の問題なのです。」
▼ これを書いた7年前と、色いろあった現在では、味わいが違っている。 
 御隠居生活という夕方では、前向きな気持ちで、残された時間を最大限
楽しむこと。私のように、最後は、この様な終り方で、うわべが剥げ落ち、
中の演技者の生の私がむき出しになった状態でも、楽しみだけは充分ある。 
自分に誠実にあることしか頼るすべなく、独り立ち竦み、残照で世界を眺め
直し、湧き出てきたきた言葉は?  肯定、肯定、絶対肯定。
そして、人生万歳! である。 ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ 
ヾ(_ _)ノ モヒトツ ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪ <ー kryaΣ(´д ` メ)アホダー!!
・・・・・・
4334, 自殺者増加の意外な要因
2013年01月27日(日)
 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。
去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる
思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を
重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという
隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、
ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 
自殺者の9割が該当するうつ病アルコール依存症統合失調症などの精神疾患
身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの
介入が、その防止につながる。
  ーこの記事をまとめるとー
○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。
○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。
○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。
○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、
  首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。
○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、
  5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの
  共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 
  また県民性もある。
○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と
  不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 
  ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに
  抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を
  評価するー住民気質が、必要。
▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて
 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。
目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。
後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに
多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを
兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。
≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他
 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から
一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、
自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! 
まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。
 ・・・・・・
3959, 閑話小題
2012年01月27日(金)
  * マイウェイ
 マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが
面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、
あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中
戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。
またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。
この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、
やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人
がいた。その男は朝鮮人で、日本兵ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に
奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、
凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 
当時の日本兵朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが
出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な
動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 
何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。
あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。
そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。
  * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス
 この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡
閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 
原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、
欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある
ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と
高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が
停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌
のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は
別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 
逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に
何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を
ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、
ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。
それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。
・・・・・・・・
3594, 教養とは何か?
2011年01月27日(木)
 これまで、何回か教養について書いてきた。一番に納得したのは
「18歳までに洗脳された思い込みから自由になるための知識と経験の蓄積」。 
塩野七生著の「生き方の演習」の中に次のような一節があった。これも面白い。
  「生き方の演習」 塩野七生著 P−45
≪ 立花隆さんが東大で「東大法学部の学生は教養がない」と言ったら、
 法学部の学生たちが、「先生、教養とは何ですか」と問い返したそうで、
それに怒って、彼の考える教養とは何かを『文藝春秋』にかいたんです。
立花隆さんは私の友人でもあり、たいへんに尊敬しておりますが、やはり考えが
違う時は違う。彼は「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、
これは、私に言わせると十九世紀的な教養の概念だと思うんです。十九世紀と
いうのは、ヨーロッパの有産階級ができ上がった時期。その人たちは有産階級
ですから、お金があって、家もあった。働く働かないにかかわらず裕福だった
わけです。そういう人たちが、「教養は役に立たないものである。しかし、
教養は大切である」っていうことを言っていたわけです。けれど、私の関心の的
である、それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。
たとえば、ルネサンス時代には、教養というものは役ところが、ルネサンス
時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに
盛んだったのが工房でした。ミケランジェロもそこで修業しているし、
レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつ
だけを専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手
ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、画家などの仕事にも
通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻でも、画家的な視点で
人間を見れば、また別の見方ができると考えたわけ。・・つまり彫刻では、
建築家は、彫金家ではどんなふうにするか、とすべてを押さえると、今度、
絵を描く時、それまでと違った絵か描けると、彼らは思ったわけです。
そういうルネッサンス時代の教養が、教養の原点だろうと考えるのです。
▼ 一つ穴を深く掘ろうとしたら、穴そのものを大きくするか、それなりの技術
 と道具が必要になる。ダ・ヴィンチが、あらゆる分野に精通していたのは有名
だが・・ 地球に何をするため生まれてきたか?の問いに、「世界を知るため、
その人しか創れないものを創ること、そして子孫を残すこと」と答えが出るが、
「その人しか残せないものを残したとしても、千年、一万年単位でみれば、
泡でしかない。それを悟ることが教養」が、今日の落ち!
・・・・・・
5431,人生で最も大切な技術 ー? 〜苦しみを最大限に利用する
2016年01月28日(木)
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 苦しみを最大限に利用する
 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。
父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 
ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み
をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか?
≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた
  カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。
【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛
 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。
心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。
私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で
燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福
を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ
この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを
理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、
肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを
発見させてくれるのである。】
 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。
逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、
心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。
こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる
のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない
だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に
受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、
というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応
を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと
失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、
シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに
何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫
▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、
 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き
出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、
『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔
で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕?
は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている
日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が経験
したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。この、心の内外、精神と
肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 
 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。
娑婆は、それぞれが、それぞれの知識、経験しか見えないため成立っている。

・・・・・・
5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い
2015年01月28日(水)
  * つれづれに 〜雑念そのままに
― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。
 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。
― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。
 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、
餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、
ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、
枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした
起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。
枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求
不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。
―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。
 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く
あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに
30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。
今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。
この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で
見る限り、飛躍的進化の兆しはない。
―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、
「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。
次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ?
何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。
―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した
のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに
従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。
 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を
振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく!
恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*)

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4702,漂流者たち
2014年01月28日(火)
  * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ     
                  ー『散文』谷川俊太郎著より
  ーこれは全文であるー  
【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代)
                       の心境に似ている?】
《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の
ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。
むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく
知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を
考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。
それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、
生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、
ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を
造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、
牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい
んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、
こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく
生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、
正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念
の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて
いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは
今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の
中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと
あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。
彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港
からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい
若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、
おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに
いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康
であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば
このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、
わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。
そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。
エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世
にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。
 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない
だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を
求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛
の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、
若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。
おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》
▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を
 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。
仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と
他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望
がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった!
など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。
そして、今は家の中の漂流者?   (>_<)ゞ  (ノ_<。)うっ
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4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン
2013年01月28日(月)
   * ドラマ メイドインジャパン
 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 
三回シリーズの一回目。粗筋といえば 
≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命
 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。
財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏
に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業
タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、
現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫
 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニックソニー
シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。
10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では
28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと
サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前
の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、
時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。
それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから
恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは
私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、
付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、
ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻
を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、
何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラー
なったタブレットPCスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気
自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気
スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を
早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に
なるものなど、発想の転換カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、
中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。
制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。
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3960,ファイナル・クラッシュ ー7
2012年01月28日(土)
* 日本をいかに安楽死させるか ー  
  「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾
【2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクという
 名の小姿員会が開かれ、そこに日本の大使が呼ばれた。アメリカ議会では、
日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリカとしてどう対応すぺきかという
問題を公式に研究しているのである。誰がどう見ても、日本政府の財政破綻
防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の
津波が押し寄せてくる。その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から
切り離し、日本を安楽死させるか、そのためのメソッドを研究している。
 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を
聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、アメリカ政府では
すでに彼らなりの崩壊のシナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する
一環として日本の大使を呼んだのだろう。日本を単独で安楽死させる方法として、
どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債の格付けを一気に一〜
二段階下げてしまうやり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱。
しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後なら、日本国債がデフォルト
しても「やっぱりね」ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・
 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。
市場の国債の価格がそれだけ下がると、長期金利が上がってくる。
5%になったら何が起こるか。この金利は、世界的に見ればごく普通の金利
既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円のアップである。・・・ 
それは国債と同額の金額になる。】 
▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく
 政争に明け暮れるしかない日本。偶然だが、去年の今日(下記)に
「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。当時、そんなことより、
自分の会社が大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が出ている
内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、どっちにしても
同じ結果でしかなかったことも事実である。もう今さら国家天下でもないが・・ 
小高い中腹の山から大津波がよく見えるから、同じようなことを書いている。
金融関係のトップクラスの人たちは、一番よく分かっているが。何も言えない。

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3595, 閑話小題
2011年01月28日(金)
  * 危機感が無さ過ぎる日本
 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 
2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。
その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海
地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。
そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り
になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が
あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的
思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では
2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。
ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない?                     
 * 10人を11人の年金で賄う?
 先日の新聞記事を見て、目を疑った。
「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が
背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する
だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。
去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え
ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに
悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。
 * チュニジアの政変について
 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと
見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの
情報化が背景にある。その影響がアルジェリアリビア・エジプトにも波及、
暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国
連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融
恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。

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3230, 死は‘別れ’のとき
 2010年01月28日(木)
 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の
近藤さんの訃報が入ってきた。癌である。これで5人目、2割強が亡くなった。 
ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録を残した学者がいる。
岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身の臨終
の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り
組んだ人。癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことで致命的な癌。
あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書ク。
「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。昼はまだ良い。夜が問題だった、
夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた
私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を
もたげてきたことを知った。腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくない
という強烈な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、
そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、
私は身をもって知らされた。」 岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、 
・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、
・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。
≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、
 人はそれを耐えて、乗り越えてゆく。死はつらく悲しいことだが、それは人生に
いろいろある‘別れ’の一種に過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。
 今までの様々の ″別れ″と本質的に異ったものではないのではないか。 
普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、死に対しても心の
準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活ができる
と感じがする」≫ という。
〜〜
 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛が
あっただろう。もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を!