* 今週のシネマ〜『インフェルノ
「今、世界の人口を半分にしないと人類は百年後には滅びると」信じる
悪役のアメリカ資産家と信望者たちと、大学教授との対決の物語。」 
20世紀は、戦争による数百万、数千万単位の大量殺戮が行われたが、
現代では不可能? それなら、細菌兵器で、半分、殺処分してしまえ、
という、随分、粗い理屈をダンテの神曲の中に見立て、信望するとは・・
 フィレンツェの美術館、イズタンブールのアヤソフィアなどを舞台に、
息つかせぬ立まわりが面白い。美術館の天井裏や、抜け道をフンダンに
駆け回るアクションに息をのむ思いで見入った。 〜映画紹介より〜
≪解説: ダン・ブラウン原作の世界的ヒット作『ダ・ヴィンチ・コード
『天使と悪魔』に続き、トム・ハンクスが三度、ハーバード大学教授の
 ロバート・ラングドンに扮したシリーズ第3弾。
ハーバード大学の宗教象徴学者ラングドン教授は、数日分の記憶を失った
状態で、フィレンツェの病院で目を覚ます。謎の襲撃者に狙われたラングドン
は、美しい女医シエナブルックスに助けられて病院を脱出。何者かから
追われる身となったラングドンシエナは、生物学者ゾブリストが人類増加
問題の解決策として恐ろしい伝染病を世界に広めようとしていることを知る。
そしてゾブリストが詩人ダンテの叙事詩神曲」の「地獄篇」になぞらえて
計画を実行していることに気づき、阻止するべく奔走するが……。

 〖今、このスイッチを押せば人類の半分が死ぬ。
  しかし、押さなければ人類は100年後に滅びる。
  全てはお前次第だ−』

▼「このまま科学が進歩を続けていくと、制御不能になり、人類が自滅する」
 という説がある。人工的にブラックホールや、人類を消滅可能な細菌兵器や、
原子炉をつくったり・・等々。急増する人口問題と、温暖化と、科学の飛躍的
進歩に、対応が遅れている。そのことが、現在の世界の混乱を招いている。
面白いが、考えさせる映画でもある。      評価 90点。

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5342,性欲が強すぎて困ります 〜身の下相談
2015年10月30日(金)
      ー身の下相談にお答えします =上野千鶴子
  * 社会学者の人生相談 ー性欲が強すぎて困ります
 男女も、この年頃は大問題。特に、受験勉強は、頭に血が集中するが、
はけ口がないため、そのまま身の下にエネルギーが集中してしまうため、
 悩みは深刻! 情報化で下ネタが幾らでも出回っている現在、大変だろう。
≪ ● 質問: ー性欲が強すぎて困ります相談者中学生男子15歳ー
 15歳の男子中学生です。ぼくの悩みは性欲が強すぎて、今年受験だというのに、
エッチなことばかり考えて勉強が手に付かないことです。単にそれだけであれば、
自分が困るだけなのですが、ぼくの場合は、学校の女子や通りがかりの女性を
襲ってしまいそうなほど、性欲を抑えきれないのです。 小学生時代から異性に
興味はありましたが、性欲の対象というよりは、単純に仲良くしたい程度の
気持ちしかありませんでした。しかし、こ
こ1年ほどで急に仲良くしたいという
興味の対象から、性の対象として意識し始めてしまい、授業中もいてもたっても
いられません。学校内で好きな女の子はいるのですが、その子だけでなく、
ちょっとでもかわいい女の子がいればすぐにムラムラとしてしまい、治まりが
つきません。毎日、自分で処理はしているのですが、どうしても本物の女の子の
体に触れてみたくてたまりません。このままいくと、欲望に負けてしまい、夜道
などで衝動的に女性を襲ってしまわないかと怖いです。こうした行為が犯罪で
あることは自覚しているのですが、自分の処理だけでは満足できません。
どうしたら、この欲望を抑えることができるのでしょうか? 教えてください。 
  ● 回答: 異性と付き合うのはめんどくさいこと
中学生ですか。朝日新聞を読んでいるんですか、しかも「悩みのるつぼ」の
読者ですか、末頼もしいですね。中学生って、アタマのなかがこの方面のこと
でいっぱいの時期ですねえ。むらむら、もやもや、勉強も手につかないって
気持ち、よくわかります。いえ、それがわかるようになったのは大人になって
から、元男の子たちに思春期の性欲について話を聞いたからです。
後になって同じ年代の男の子たちはあんなにはんもん煩悶していたのかと
初めて理解し、そして男って性欲にふりまわされる生きものなんだねえ…と
同情に堪えませんでした。男って謎じゃ。女にはわからないことだらけです。≫
▼ あの頃の性欲は、万人が?尋常ではない。特に試験勉強は、頭の血が、
 そのまま、下半身に直結するらしく? 禁欲は一種、拷問のようだった。
とはいえ、これだけは、どうもこうも! 

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4977,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 〜?
2014年10月30日(木)
  * 人生も旅行もゲームも、難問の解決過程を味わうこと!
 ゲームとは、仮に障害を幾つかつくり、条件と、約束事を決め、
目標達成をすること。ツアーの行先を地区ごとに埋めることをゲーム感覚にし
30年近く、様々な出来事があった。トラベル(旅)の語源がトラブルの難問を
乗り越えるプロセス自体が楽しみになっていく。 創業で、幾つかの難題を障害
と見立て、乗越えてきたことが、旅行にも生かされていた。
ツアーの49回の内わけとして、欧州15回。中東、アフリカ10回。
インド・パキスタンを含めたアジア7回。ハワイなど南太平洋6回。
南北アメリカ11回になるが、それぞれの地域の空白を埋めるのもゲーム感覚。
 一回のツアーには、普段のトラブルの殆どが全て出てきて、楽ではないが、
ゲームで、それを楽しまないと二度と行きたくなってしまう。最近は、家内の
意向で欧州が多い。南米、南アフリカパキスタンシルクロードなどの最果て
の地から日本を見ると、日本は最果ての地。すべからく行先に辿りつくのが
目的でなく、途中に起こる様々の経験全てを味わうことが目的になる。
特に飛行機の行き帰りと、目的先の移動中のバスの車中を楽しめるかがポイント。
アランの幸福論に、「憂鬱の人に言いたいことはただ一つ。
『遠くをごらんなさい』」がある。憂鬱な人が殆どみんな、読みすぎ!人の目
(心)はこんな近距離を長く見ていられるようには出来ていない。広々とした
空間に目(心)を向けてこそ、人間は安らぐのである。夜空の星や水平線を
眺めている時、目(心)は、まったく、くつろいを得ている」がある。
この言葉が遠く旅する目的を言い表している。 贅沢なライフワークだが、
それ一つに絞り、何とか続けられたことが、人生の様々な難問を乗越える支えに
なってきた。人生ゲームというキッズがあるが、難問が高いほど面白いのは、
深淵の意味が含まれている。死んでしまえば、それまでよ!死んで花実が咲く
ものか!である。 大部分を占める世間様という人たちと一線を画すこと、
それには、良い芸術作品、大自然の神秘、良書を浴びなくてはならない。
その前に立ちはだかる難問を乗り越えるゲーム化が、人生のゲーム化である。
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4610, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー2
2013年10月30日(水)
   「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著)
 * 雨がもたらす感動 《その時々の感情に合わせて》
    〜私がいったところはどこも一人の詩人が私より先に立ち寄っていた。
                      (シグムンド・フロイト)〜
 この本には俳句が多く引用してある。イメージを簡潔に、生き生きと彷彿
させるに俳句がピッタリだからという。成るほど、雨の日に一人、部屋で読んで
いると、どの俳句も身に染みてくる。冒頭に、「その時の、感情に合わせて」
と、以下の俳句などの一節が書かれていた。
  ー慈悲
 慈悲は強いられ 行なうものではない。慈悲は天から降りそそぐ 
恋みの雨のように大地を閏すもの。 シェークスピアヴェニスの商人
  ー融和する愛
 こんなふうに、夏の雨ぱ私たちの 心にしっかと棲みつく。
だれかの心と鼓動を合わせ打つ生まれ変わった心のように。
             ミュリエル・バリュベル「優雅なハリネズミ
  ー孤独ー  
秋雨や夕餉の箸の手くらがり      永井荷風
  ー情熱
情熱とは感情的には朝露にとっての雨 水蒸気にとっては水のようなもの  
                  ジョセフ・ジュベール
  ー別れ
白露や 死んでゆく日も帯締めて    三橋鷹女
  ー再会
夕立もやみたる頃の迎へ傘       高橋淡路女
  ー辛さ
五月雨や上野の山も見飽きたり     正岡子規
  ー優しさ
初時雨猿も小蓑をほしげなり      松尾芭蕉
  ー存在の驚き
はるさめの暮れなんとしてけふも有   与謝野蕪村
  ー喜び
タ立が洗っていった茄子をもぐ     種田山頭火  
  ー哀愁
タ時雨蚕ひそみ音に愁う哉       与謝野蕪村
▼ 雨は、どちらかといえば陰鬱的な気持ちに私たちをさそう。
しかし、雨がもたさす憂鬱、退屈、孤独感の中から何にもにも代え難い
感情が湧き出てくる。そして静かにエネルギーが満ちてくる。
童謡《 あめあめふれふれ母さんが ジャノメでお迎えうれしいな、
ピッチピッチ チャップチャップ ラン ランラン。》が、
心の奥から聞こえてきた。
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4235, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー8
2012年10月30日(火)                       
           ー「ルーツ大全」インフォペディア編より
● グレルの語源
<グレルの語源は平安時代の「貝合わせ」という遊びからきている。
ハマグリの貝殻を二つに分け、ピッタリ合うものを探す遊びである。
これが意外と難しくてナカナカあわない。ここから、しっくりこないことを
ハマグリの倒語、ハマ・グリ ー>グリ・ハマとなり、そのうちグレだけ残って
動詞化し「グレル」になった。この言葉、江戸時代には一般に使われていた>
▼ 最近、あまりグレルという言葉を聞かなくなった。ここで知るまで、
 愚連隊のグレからきていると思っていたが、愚連隊の愚連が、グレの当て語
だった。青少年期にグレタの者に、全うな?人生を過ごしたのは少ない。 
人生の基本が出来てないのは、その後で立て直すのは難しい。
10歳で人生の限界が決まってしまう説がある。
     〜〜
● へべれけの語源はギリシャ神話から
 べろんべろんに酔った状態を「へべれけになる」というが、飲みすぎて
正体を無くした状態にピッタシである。一説によるが、ゼウスの娘にちなんだ
へーべ・エリュケーションからきている。エリュケーションは、お酌をする
という意味になっている。オリンポスでは、へーベがお酌をするのが習わしで、
若くて美しい美人。しかも、ゼウスの娘なら、つい杯を重ねてしまう。
神々は前後の境なく酔いつぶれてしまう。「へーべ」「レリュケーション」
すなわち「へべれけ」という言葉が生まれた。他にも、「へ」と「べ」の
区別がつかなくなり、へべれけが生まれたという説がある。
▼「へ」と「べ」の見境がつかない説もよいが、女神へーべの酌で神々が
 泥酔した説も面白い。飲み屋のネタに丁度良い。スナックに行くのは、
へーべを求めて酔いたいためだ。へーべはいないが、へーべ風はいる。
居酒屋で酔った後に行くのは、幻想を求めるため。 
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3870, 品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らねぇ!
2011年10月30日(日)
 映画監督の山本晋也の、ある雑誌の手記にあった言葉だが、
言い得て妙である。 〜まずは、その概略を書いてみる。
≪ 小学校1、2年生の頃、友達と「鞍馬天狗」のかかっていた映画が
 見たくて、トイレの窓から友達4人と侵入したが、支配人に捕まった。
「先に入った友達がいるはずと、教えれば許す」という条件を出されたが、
「友達はいません、僕一人です」と言い通した。そのため警察に突き出され、
父親が引き取りにきた帰り道に、引っ叩かれた後に「ろくでもねえことを
しやがって、でも、お前さん、友達を売らなかったてぇのは、偉い。
品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らなぇっていうからな。
覚えてけ!」「品行」という言葉の意味は、大人が使っていたので何となく
分かったが、「品性」という言葉の意味は暫くわからなかった。ただ、
その中で、親父が友達を売らなかったことを褒めてくれた雰囲気は伝わった。
自分は成人映画を撮り続けて250本になる。その上に、深夜番組で風俗
レポーターを21年もやったが、一度として歌舞伎町で浮遊したことはない。
それもこれも、親父の、この江戸弁がきいている。 ≫ 
▼ 事業を40年近く携わってきて最後は、この結果に終わった。
 色いろあったが、法律はスピード違反なら10キロオーバーまで。
綺麗ごとだけでは済まされないのが事業だが、その辺のことは守ってきた。
何事も契約は遵守。心にとってやましいことは、やらない信念は持ってきた。
この倒産劇で多く非難をされたと思うが、自分では結果に対し納得している
ので冷静でいられた。確かに品行は良いとはいえないが、品性が悪いとは
思ったことはない。いや、酒癖が悪いから、第三者からみたら最低の品性か。
国家の品格」、「女性の品格」とかいう類の本では、品性の部分では、ほぼ
カバーをしていた。そこでは自己確立が出来ているかどうかが、問われている。 
人を悪し様に言っている人たち、陰口しか言えない人たちの、劣性などが羅列
してある。もっとも立場変われば、見方が全く違う。誰も自分にはあると
思っているが、実はないのが品性。大たい2ランク上の自己評価をするから、
お笑い。自嘲?それもこれも比較の問題になる・・今さら品性と言われても!
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3505, フューチャリスト宣言 ー3
2010年10月30日(土)
  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
  * 楽しくてしょうがないというやつしか勝てない
  ー まずは、茂木の日米の教育の基本的考え方の違いから ー
 茂木:日本の教育では基本的に「範囲」があって、『正しい範囲』を
押さえた人が最終的に大学入試に受かる。ところがアメリカの高等教育は違う。
・・アメリカの教育は最初から偶有性(何が起こるか分からない)の海の中に
生徒たちを放り込むしかない。とにか「自分の好きなことを勝手にやりなさい」
と。しかし個々人が好きな方向にとんがるとは言っても、やはり何らかの基準が
ないと困るので、ナショナル.ミニマムとしてSAT(大学進学適性試験)がある。
基本的に放し飼いなので、最低限のベーシックな問題しか出さない。
日本の大学入試みたいに、囲い込まれた世界で人工的な受験技術を磨く必要は
まったくなくて、それぞれが勝手な方向に突き進んでいるので、共通項としては
ミニマムにならざるをえない。ともかく、僕は公式的な正しい範囲なんて本来
ありえないと思っています。だから、日本の教育の本質は「談合」であると思う。
・・(略)つまりアメリカでは、とんがらせる方向というのは人によって異なる。
たとえば人によって、それこそ高校の時から量子力学まで進めるかもしれないし、
歴史を深く掘り下げたいという人もいるかもしれない。それに対し、日本は、
ここまでの範囲しか勉強をしてはダメといって人工的に競争をさせようとする。 
どちらが良いかは、アメリカが良い。・(略)それでも「とんがっていいんだよ」
ということが、最近では感覚として受け容れられてきた気がしてきた。
▼ アメリカの教育システムがベストという訳ではないが、私がミッション系
 の大学に入って感じたことは、小学校、中学校、高校から一貫教育できた
連中の自由闊達さに、まず驚かされた。他の都会育ちもいるが、地方の連中が、
あてがわれた受験勉強(大学進学適正試験)に多くのエネルギーを奪われている
うちに、彼らはジャズバンドに、ゴルフに、服飾に、遊びに、自由の空気を
満喫していたのである。現在考えてみて、その差があまりに大きかった。
当時は、それほど感じなかったが。それで「とんがるように生きてきた」が、
このザマ。先が歪んでいたから?・・ でも、とんがると、娑婆は面白くなる。
その自由闊達が社会に出たとき、そのまま世渡りにプラスになっている。
それぞれ一長一短はあるが、グローバル化は、「とんがり」が求められる。 
実は、心の奥は毎日が面白くて仕方がない? いや、そうでもない? 
「面白くなき世を、面白く」の意味が、歳を重ねていく上でシミジミと
分かりかけてきた、ということ!