つれづれに

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今日のYoutube

 昨日の昼は、シネマ、夜は飲み会。結局、三軒、ハシゴをして
22時に帰ってきた。 季節の変わり目の腰痛が、この数日前から
出たので、腰痛ベルトをつけたところ、半分は軽減。何とか出かけることが、
できた。 今日の、ヨガは大事をとって、中止。

 今朝は、曇り空の中、自転車散歩の出ようとした直前、
雨が降ってきたため急遽、中止。降らなくとも、休んだ方が良かった。


・・・・・・
2764 ,ウォール街の魔女
2008年10月29日(水)

  【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である!
  関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、
 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。
 
  ーまずは、そのコピーから
 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーン。
 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、
 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。
 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する
  第六感のようなものを持っていた。 銀行の破綻や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、
  稼ぎまくった。さらに、大富豪にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。
 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。
  食事は安いレストランですまし、安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。
  読んだ新聞は息子に売りにいかせ、その息子がケガをしたときは、治療代をケチり
  片足を切断させられた。
 ▼モノを作って売るわけではない。「金」だけを信じ、投機と吝嗇とで巨万の富を築く。
 「魔女」的な部分を除けば彼女もこの街の典型的な住人だったのだろう。そのウォール街
  が今、集中砲火を浴びている。言うまでもなく世界の金融危機の発信地としてである。
 ▼特に株など買ったことがなく、毎日コツコツ働いているだけという米国人の反発は強い。
 「何で税金で奴(やつ)らの失敗の尻ぬぐいを」となるからだ。
  そこらの空気を察して、投票日が迫った大統領選の両候補ともウォール街を「強欲」
  と非難しているそうだ。
 ▼国際的にも金融市場の改革を求める声が強い。
  だがへティの時代から投資家たちの「強欲」が世界の経済を動かしてきたのも事実だ。
  それを封じては世界経済そのものが破綻する。問題は投資する側とされる側との信頼
  をどう取り戻すかなのだろう。
  ーーー               (産経新聞 10月25日)
  ジェイ・ナッシュという女性を笑うことは出来ない。資本主義の原型そのもの。
 事業の出発点は似たようなことを強いられる。 まずは種銭を大事に扱わないと失敗する。
 アメリカ資本主義帝国の崩壊の原点をみるのに、丁度よい人物を取り上げている。
 それにしても上手い文章を書くものだ! そして、面白い人物がいるものだ。
  先日観たDVDの「天国の門」の娼婦の館の御婦人に似ていた。
 「言葉を除けば、あと残るのは愛情? それとも金? 空気と同じで無いと死んで
 しまうのはドチラ?」 彼女なら、こう言っただろう! 自由も、平等(差別)も、
 愛情も、9割は金で買える(替える)から、狂うのである。
  成るほど、人間は狂った猿というが・・・

 ・・・・・・・・・
2007年10月29日(月)
2400, こころの旅 ー4
                (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu!
   *まわり道*
 神谷八重子の「こころの旅」ー第六章に青年期の「まわり道」について書いてあった。
同じようなことが、立花隆の文章にあった。「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を
蓄積するかで人生が決まってくる」と。 誰もが直線的な人生より、まわり道をする。 
が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。行ったきりの人生もあるが・・・  
精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な事例。一つや二つは、迷路の迷い込み
七転八倒した経験は人知れず持つのが人生である。お伽噺や神話は、その理想の物語
として我々に提示される。 まわり道こそ、物語なのである。 
その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、しかし真実と夢があった!
   
 逆にまわり道のない人生は、そこに何の味わいがないだろう。中学校の担任が定年の
祝いの同級会の二次会で、「オレの人生はなかった! 両親が先生で、今も90歳近い
のに矍鑠としている。そして二人のコントロール下にある」という言葉が重く聞こえた。   
  ーp.121ー
 ・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。
 「運命」と当面のしごとが要求することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこ
から本来の道へ行く糸口があらわれてくることもある。あるいはまったく思いがけない
人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。けなげに目前の仕事に励んで
いる者は長い間見捨てられているわけではない。いずれにせよ、青年期にまわり道を
することは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、たとえもし
青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。
 人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 落伍者のように
みえた青年の中から、のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。
それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも多くの風景にせっし、多くの思いに
心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。 そのためにやっと「わが道」に
たどりついたとき、すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、
人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。・・・」
 ーー
 人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感する。 それも順境の時より、
境の時の方が有益だった。「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」
というが。佐藤優の文章が心を打つのは、決して奇麗事を書いているからではない、
留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていたからである。   
そこを「勉強の場」として、割り切ったからである。 
まわり道の中でこそ、個性ができるのである。
                      honnja ヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・
2006年10月29日(日)
2035, 躁鬱病について -3
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ

 世界には躁鬱病状態で芸術活動をつづけた人が多くいる。
ドイツの作家のゲーテが、その代表例である。
・18歳から亡くなる83歳まで、躁状態が八回、鬱状態が五回あった。
 当然、そう状態のときに創作活動が活発に行われた。
・ロシアの作家のトルストイも、82年間の人生の最後の30年間は、
 躁鬱を繰り返していた。鬱状態のときに、構想を練り、躁状態のときに、
 一挙に書き上げるというのが創作活動に必要なことかも知れない。
  そういえば、一番危ないのが「初老性うつ病」がある。60歳直後
 あたりにくる「うつ病」である。「自分の人生、果してこれでよかったのか?」
 という疑念と、老齢への体質の変わり目が、重なることが原因である。
 特に何も考えず、ただ平々凡々と生きてきた反動である。神様が「そういう人には、
 厳しくあたる」のも至極当然である。この時期に、それまでの無理がたたって、
 胃潰瘍、高血圧、癌、糖尿病など体内のホルモンや神経系が乱れる時期と重なり、
 それらが意欲の低下や、不眠症も加わり、うつ病になりやすくなる。 
 特に癌からなりやすくなり、四分の一にのぼるという。
 昔は、うつ病は「神経衰弱」と言われていた。見るところ、資産家など恵まれた
 環境に人はうつ病になる人は少ない。その対極にある、頭を使わない末端労働者の
二種類の人種も少ない。我がままを許される階層と、末端で生存欲求さえ
満たされればよい階層は、ノイローゼなど関係ないのである。その意味で中途半端
な人や、生真面目の人がなりやすい。 居直ってしまえばよいが、その居直る
ことが出来ない。それと女性が男性の二倍の確率になるのも特徴の一つ。 
発散する機会が半分以下?と、身体の構造の違いもある。
 「一人遊び」の出来る人は、ノイローゼになりにくい。独りの世界で、
ストレスを解消できるからである。それがライフワークであれば尚のこと良い。
ライフワークという自分の世界と、現実の世界を二つ以上もって、 その一つが
上手くいかないときは、他の世界に比重を移動させるバランス感覚を常に意識して
おけばよいが、それが出来ないから病気になってしまう。 心の風邪だから、
そういう人の傍に寄らないことだ。それも慢性ときているから、自分がかかった
と思ったら近寄らない気の使いも必要だ。           ー つづく
               (+●∀●)ノさいなら!
・・・・・・・・
2005年10月29日(土)
1670, 「全ての装備を知恵に置き換えること」-1
                     -読書日記
「全ての装備を 知恵に置き換えること」
図書館で何げなく借りてきた旅行記である。 著者は、まだ28歳の芸大の大学院生。
・高校の時にインドを旅して以来、世界中を旅するようになった。
・そして現在は、芸大の籍を置いて旅行中。
・北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト
「POLE TO ROLE]の旅をしたり、
・世界7大陸最高峰登頂を目指すとともに、
・大学院では人類学、民俗学などの領域に関心を持つ。
 プロとしての旅行探検家である。旅を続けるために大學に行き、大学院に行き、
本を出版している。秘境旅行をしていると、このような一人旅を