<「20歳からの人生の考え方」外山滋比古著>
* 平面思考と球面思考
41年前から長岡駅裏に住んでいる。そのうち5年前まの31年間は新潟駅前の
事業のため、新幹線通勤で二つの市を跨いだ生活をしてきた。地方暮しでは、
丁度良い職住分離になっていた。 それが今では城下町での肩身が狭い日々。
新幹線は、大河の急流に例えられる別世界。それが長岡だけの住居の生活は、
球面から平面的になった感覚にある。その対策として、毎日、早朝の信濃川の
2つの大橋を一周する一時間のポタリングと、2時間のスポーツジムの運動と、
週一回の映画館通いと、年一回の旅行を入れているが、年齢もあってか、
その世界の狭さが息苦しい。 苔ならまだしも、垢・錆の問題が切実。
≪ イギリスのコトワザに"A rolling stone gathers on moss."
ロックバンド「ローリングストーンズ」の由来となった言葉です。
「ころがる石は苔を付けない」
これは、背景として、苔は美しいモノという考えがあるから、
転職や引っ越しを繰り返しすぎると、ロクなものにならない、という意味。
これはイギリス人にとっては常識で、わざわざことわざの意味は考えない。
戦後アメリカ人が日本にやってきた時、英語に詳しい日本人が、それまで
知っていた意味と違う事に気付き、驚いた。アメリカでは、逆に優秀な人は、
いつも活動的で、変なものが付着しない。同じ所にじっとしていると、
苔つまり垢や錆が付く、という意味である。
日本では「所変われば品変わる」ということで、辞書には両方の意味が併記
されている。英国人も米国人も、平面思考をとっている。自分たちが考えている
ことが正しい。それ以外は間違いという立場を無意識にとっている。
自分たちの考えに合わないのは、間違いとしてかたずける。
日本人は、意識はしてないが、球面思考の立場をとっている。
ところ変われば品変わるで、同じ言葉が全く違った意味を持つことを容認する。
それが球面思考である。
人類は比較的小さなところに定住していた。遠くのことはよく分からない
から平面思考で生きてきた。地球は平板でなく立体であることは何百年前にも
発見されたが、ひとりひとりの生活では、依然として、土地は平板と信じて
きたのである。大西洋アトランティックの向こうは断崖、絶壁になっていると、
中世の人は信じていた。世界は地球で丸いということを感覚的、実感的に
とらえるのは容易でない。その点、日本人は西欧より早く、平面思考から
解放される可能性を持っている。≫
▼ 二つの市を跨ぐことで、何とか、平面思考に陥らないよう過ごしてきた。
しかし、条件(原因)が平面になれば、平面思考になって当然だが、今さら
生き方を変えられない。とはいえリタイアの身。球面思考も、平面思考も、
大して変わりはしない。ヘドロ化対策は、ソリストに徹するしかないが。
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5322,閑話小題 ー5年前に、10年の余生と想定して
2015年10月10日(土)
* 老いの恐ろしさ
数日前のポタリングの帰路、信号が赤に変わったのに、ボ〜ッとして何か
勘違いしたのか、そのまま車道に進入をしてしまった。何で車が向かって
走ってくるのだろう?としか、考えられないとは。 直後に気づいたため、
事なきだったが、これまで二度、車で赤信号に気づかず、そのままつき切った
ことがあったが、二日酔いと、旅先で疲れが原因だった。今回は老いだろうか。
魔が差し事故にあうときとは、こんなもの。
70歳以上の免許書換え前の講習会で、「交通事故の当事者は3分2が65歳
以上の高齢者。老いによる注意緩慢が原因です。」と聞かされた。
毎朝一時間、冬期を除き年に8ヶ月、6年以上走ってきたが、来年春先から、、
週末の二日間に切り替えるべきか。
* 5年前に、あと10年の余生と想定して
65歳の節目で、あと10年の75歳辺りが寿命と、気楽に考え5年近く。
間もなく半分が経過する。10年前は一昔に感じるが、5年はアッという間。
とすると、もう残された時間も直ぐにくる。数ヶ月後に70歳になるが、
父は、この年にガンが見つかり、一年後に亡くなった。 死についての
知識が皆無だったこともあり、死の恐怖に悶絶をしていた。誰もが、
直面する恐怖。その凍りついた空気は、そのまま周囲に伝わってきた。
老いと死の問題は、人類の永遠のテーマ。 70歳を過ぎると、背後からの
漠然とした不安から、前側に移動し迫ってくるという。ここにきて、長生き
をしたいとか、後悔の念が少いのは意外。好きなように生きたためだろう。
いざ直面すると、違うのだろう。 5年は何とか?だが、10年は?
その時、『死ぬのは死ぬ。助かるは助かる。ガタガタするな!
それにしても面白かった!』が、内語になるのか?
その時には、こんな事が書けないだろうから、今にうちに書いている。
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脳がよろこぶ話 ー4
2014年10月10日(金)
対談ー夏樹静子『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
* 脳という最大のミステリーを、文学と科学で読み解く
私も腰痛持ちで、その苦痛は、言葉では表現できない程辛い。
付き合いだして丁度50年になる。最後に一番辛かったのが、5年前のこと。
その時から本気になって幾つかの対策をしたのが功を奏して、今では、軽い
腰痛は年中続いているが、重いものは、あれ以来ない。更に、二年半前からの
週二回のヨガが、良いみたいである。しかし、少しでも身体を冷やすと、
直ぐにでも痛みが増してくる。
≪ 夏樹:脳より腰がミステリ!。(笑)
茂木:一時はイスにも座れなかったぐらいだったという。
夏樹: もう、イスが怖くて怖くて。イスに座れないというところから始まった
んです。ある朝、いつものとおり家族が出ていって、書斎に入って、さて仕事
をしようと思ってイスに座ったら、どうしても嫌だといわんばかりに。腰が
上体を支えるのが嫌だと言い出した。そういう感じで、座っていられなくて。
茂木:腰の反乱ですね。
夏樹:それから三年間というもの、ドクターショヅピングっていう言葉は
好きじゃないけど、いろんなところであらゆることを試したんです。
でも、注射も、薬も、東洋医学も、何ひとつ効かず、それどころか原因さえ
わからないもので、あきらめて、絶望的になって、家で寝ていたわけです。
イスに掛けられないし、立ってもいられない。一日中、ううっいたいといって
動けないような激痛も頻発して、異様な倦怠感もあって、鉄の甲羅を背負わ
されたみたいに、部屋を横切るのにも這って行くっていうぐらいでした。
もう万策尽きたと思っていたところに、主人の友人から紹介された心療内科
の先生がいらして、最初に先生が、私の話を二時間、聞き取ったんです。
茂木: おつらかったでしょう。
夏樹:先生がおっしゃるには、全部心因性なんだ、心が原因なんだと。
私は全然信用しなかった。張り切って仕事してきて、ストレスも何も感じて
なかったから、そんなはずはないって言ったんだけど、「あなたの潜在意識
は疲れ切って、休もうよ、休もうよと言っています」って。愚かな私が意識と
潜在意識の乖離に気が付かないから、とうとう潜在意識がこのままでは死んで
しまう。生体としてやっていけなくなるから、幻の病気をつくり出して、
そこに逃げ込んだ「疾病逃避」というんです。しかも、これだけ拗らせて
しまったら、ちょっとやそっとじゃ治りませんよ、もう小説書き辞めて、
一主婦として生きなさいと。私はもう、そのころになると、痛みとの戦いに
精も根も尽き果てたという感じで、「わかりました、もう断筆しまう」
と言ったら、じわじわと、本当に日一日と、二週間の絶食療法の三年間の
地獄の苦痛が、約三週間でまったく消えた。ずいぶん早く潜在意識が
折り合ぞくれたもんだと驚いたりもしたもんです。 ≫
▼ 座る姿勢と、精神的圧迫が、腰に集中していたことになる。
何か、事業から引退したと同時に、様々な神経症から、解放されたが、
それだけ、知らないうちに大きな重荷になっていたようだ。だから強がりで
なくて、後悔とか、挫折感は、ほぼ無く、何か毎日がスッキリしたような日々。
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4590, 閑話小題 ー謝罪あれこれ
2013年10月10日(木)
このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVの
ニュースで報道されている。そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という
映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。土下座は江戸時代の大名
行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため
武士がやらせた慣習。謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。
映画で、記者会見など頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど効果があると・・
さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。
ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より)
空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、
“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画『謝罪の王様』
でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が
気になってしまうのか。 専門家は、2000年以降、謝罪会見などで経営者の
土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、
相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。
“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。
(NHK説明より)
早速、プレビューを見てきました。ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマ
として今世紀最高を記録したこともあり、多くの方がご覧になったと思います。
その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。
企業の不祥事などで、社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目に
するようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という意味が
加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。
中には、土下座するまでもない場面で、土下座を強要させられることもある。
私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。
土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たような
そんな居心地の悪い気分になることも事実。番組を通して分かってくるのは、
ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座
することで、それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、
土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに向かうべきでは
ないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんの
こんな言葉です。「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いは
ありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください!
▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。
見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の被害者のように怒り、
呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も
変だが、見ている方も、明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、
本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。大場面なのに、殆ど
悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送
の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、
あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。
元もと罪の意識もないのだから救いようがない。
選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い!
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4215, 開国という強迫観念 ー2
2012年10月10日(水)
ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思
* 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か?
義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では
首都圏の大學か、地方大學に分けられる。一般的に都心の大学進学は、進歩的
文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識
と教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地を
つくるため。自由の立場で、世界を、社会を、人間を見つめるための猶予期間。
しかし、最も重要なことである。 ーその部分からー
≪「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型。戦後のいわゆる進歩的文化面は、
自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」
を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは
事実。彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。
では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全くそんなことはありません。
・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点
にやってき、その後は「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。
進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉
されていった。知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、
彼らは、彼らに都合のよい西洋思想や学問を取り入れて、それを「科学」と
いい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=
「専門的」=「先進的」であり、これに対し、「日本的思考」=「非科学的」=
「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」
「専門家」「先進的」の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」
「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と
同じ。この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に
立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という特権的立場を手に入れた。
・・(中略) この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を
開かないと、世界の潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、
必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、
「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。
それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式だったのではないか。
この「世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえてみよう。・・≫
▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が
果たしては特異で後進的か?を、問うている。それまでの欧米は、自分たちは
文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させる建前
で、世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。
日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、という刷込みではないかと、
著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。真の
支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い!
・・・・・
3850, ツレがうつになりまして −1
2011年10月10日(月)
「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。TVでも放映され
話題になったストーリー。ところで、もう亡くなってしまったが、前の会社の
取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に
暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。ところが20数年前の
バブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。その症状のまま営業や知人先
に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。
躁の時は、晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。
鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、再発の報告と相談
に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や
精神科学の本の言葉で、何とか危機を乗り越えてきた体験があるので、
痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは
≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいこと
ではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人はいないのと同じ。上司に
正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりに
すれば、それ以上悪くなることはないし回復は最短になる。とにかく拗らせない
で治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。
15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度は来ていたが、その都度、
初めに飛び込んでくるのは私のところ。欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから
状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが
山ほどある。しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時
入院をするようになっていた。会社は管理職からヒラになったが、最後まで
病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、
他人に危害を加えるかどうか。その辺はギリギリでセーブをしていた。
彼の場合、多くの友人がいて、それを見守って許してくれる人間性があった。
営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。その人も7年前に
癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。欝による失態も、
決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。
そういう経験があるので、この映画に感情移入をし、涙をしながら見入って
しまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。
足腰の関節が痛くなり、何らかの成人病が出てくる。 欝になるな!という方が
無理な話。その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、割り切り
きった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた
方が良いことになる。私は子供の頃から仏壇前のお経だった。
次回は、映画の感想文・・
・・・・・・・
3485, エッセイ脳 ー2
2010年10月10日(日)
「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)
ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー
・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。
「何を」にあたる部分がA、「どのように」にあたる部分がBになる。
単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは
読み手(公共)の納得の方が優先されなければならない。そのため、
「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先されなくては
ならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる
題材を探さなければならない。
・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていても
よい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。テーマに合わせて
題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。
これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、
抽象的だが題材は個別、具体的になる。
・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、
へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。「ある=起、ある=承、
へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして「へえっ〜=転」が、
書きたいことの中心。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、
言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。
したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。
驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを考えればよい。
他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。
したがって「転、起、承、結」の順になってくる。それはテーマが与えられ
ない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。
・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみ
の文、セリフ「 」に括られるもの、などある。これは小説でも同じである。
もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。
枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。
・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら
面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイこそ、エッセイの
エッセイの由縁である。セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、
さらに再現性がある。
・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。
必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」)を交えてもよい。
そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。
・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。
・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)
に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。
〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば
人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。