【賢者の言葉】 
         ショーン・スティーブンソンの言葉
         トニー・シェイの言葉
         ビル・ハリスの言葉
         エブン・ペーガンの言葉
        ★F.W.デクラークの言葉
         ダライ・ラマ方法14世の言葉
  * 『この10年間で「1万年分の変化」が起きている』
                   〜F.W.デクラークの言葉
 まず思うことは、『本当かいな?』『そんな馬鹿な!』。しかし、
少し考えてみれば解ること。 10年程前に、郊外に次々と乱立した、
『ショッピング・モール』が、ネット通販と宅配の普及のため閉鎖を始めた。
その旗振りの一つが、コンビ二のファミリーマートに吸収合併?をされた。
 そういう私の事業の低プライスホテルも、ビジネス客が、不景気のため、
二時間日帰り圏内となり、ネット普及の煽りも重なり、呆気なく整理に至った。
これは全く想定外だったが、一万年分の変化の最中と思えば諦めもつく。 
 70歳の年齢から見えてくる。世界の激しい変化は、何とも奇妙で、面白い。
 ≪【アマゾンの概要】
  この10年間で、人類の1万年間分の変化に匹敵するものがある。
 それは、人が取り扱う情報の量。 今のインターネットシステムでは、
 約2秒間に20万テラバイトの情報が行き交う。この情報量は、世界一
 の情報量を誇る、米国議会図書館に貯蔵されている情報量と一緒。
 そして、人が扱う情報量は5年おきに倍増している。
 メール、フェイスブックツイッター、このブログもインターネットの
 中にある1つの情報。 昔では知り得なかった事が、今は検索をすれば、
 簡単に情報を入手できる。 だからこそ、本当に現在必要とする情報は
 どんなものなのか?かを意識しておく必要がある。》
 《 必要とする情報に、意識がなくインターネットやYouTubeを見てしまうと、
  結局、その時に興味があることをダラダラとみて、時間だけが過ぎ去って
 しまうことがあり、余計な情報に流されてしまう。これからも情報量が
 増えてくるだろう。その時に情報に踊らされることがなく、自分が必要とする
 情報を選択していく。その為にも、自分のビジョンを持つことが、これからの
 時代は大切な事だと思う。》
▼<今世紀に入って私たち社会が経験した変化は一万年分の変化より大きい>
 というが、一万年前といえば、天変異変で人類は大きな岐路に立たされ、
自ら種を植え、家畜を始めた時代。そして人類がアラスカの海峡を越え、
初めてアメリカ大陸に到達したころ。その後、5千年を経て文明が生まれた。
その農業・牧畜革命に比する象徴の情報端末が、『スマートフォン』。
これで、10年あまりのうち、現実社会を覆う、『ネット社会』が構築された。
これで、「一万年分の変化」が起こったと言っても過言ではない。それに
世界の現実社会が、全く、なす術がないのが、現在の世界の混乱の原因である。
だから、そう簡単に、世界が平穏に戻ることはない。それと時を同じくして、
天変地異が生じている。権力者は、それを機会に戦争を始めたくなる。 
 暗い時代の到来である。イタリアは2024年のオリンピックの招致の立候補を
辞退した。当り前といえば当り前のこと。 で、日本は、馬鹿騒ぎで… 
 < あふぉ、違うねん、パーやねん >  何か自分のことのようである。

・・・・・・
5309,閑話小題 〜人生について
2015年09月27日(日)
   * つれづれに 人生について
 この年齢になればこそ、‘人生について’の格言の示唆が身に沁みる。
老いの人生問題は決して甘くないが、豊富な経験があるため、青年期とは
味わいが違ってくる。過去は変えられないが、解釈、受止め方は変えられる。
人生は、私たちがそれが何かを知った時点で、その大部分が過ぎている。
精一杯生きた行蔵を、諦念を持って愛おしく振りかえるに人生訓はよい。
 人生の何たるものかを知るには、一人の一生では無理だから、格言が必要。
結局、いかに世間から超越できる時間を持てるかどうかになるが、各人各様
にあるのが、人生である。 〜心の琴線に触れた幾つかを取り上げる。
 ――
・【人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが
  その人間に疲れたのだと思えば間違いはない。〜ジョージ・サンダース】
△ ‘成るほど’である。人生に疲れたは、壮年の人のいうこと。
 老年には、誰もが生老病死の問題に直面し疲れ果てている。
 老人に慢性のウツ症、ウツ病はない。誰もが、際どい局面にいるからだ。
 『百里の道は九十九里をもって半ばとす』というが!
 ――
・【思った通りの人生ではなかった。
  しかし、よかったとなら言える人生だったかもしれない。
                  〜アルセーヌ・メルセデス・ヒロコ】
△ これまで、大方は、『自分は不幸な人生だった』と悲観していると
  思っていたが、どうも、そうではないようだ。
 『そこそこ、幸福な人生な人生だった!』と、思っているらしい。
  傍からみた私が、現に不幸の結末の典型? しかし、実は!である。
 ――
〜孤独の問題も、人生論では欠かせない問題。 誰もが最期は孤独死で終わる。
・【孤独に歩め…悪をなさず求めるところ少なく…林の中の象のように〜仏陀
 【我々はみな真理のために闘っている。 だから孤独なのだ。 寂しいのだ。
  しかし、だから強くなれるのだ。           〜イプセン
・【真の幸福は孤独なくしてはありえない。 堕天使が神を裏切ったのは、
  天使たちの知らない孤独を望んだために違いない。  〜チェーホフ
・【最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。
  人間は最高のものを決して共存しない。
  幸福になろうとする人はまず孤独であれ。    〜ハーマーリング】
△ うつ病は、独り遊びの苦手の人に多い。躁と欝は「禍福は糾える縄の如し」
  のように交互に密着している。孤独も、群蓄本能も、同じように・・
・・・・・・
4944,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ ー1
2014年09月27日(土)
   * 「なんでも鑑定団」
 熱狂的ファンでもないが、好きな番組である。骨董の世界は奥行きは深く、広く、
果てしない。私の実家が江戸末期からの骨董商の分家で、父は、その分家の二代目。
当時の地元名士様に的を絞った、上客を多く持っていたが、太平洋戦争で骨董販売
では生活が成り立たず、父が戦中、戦後にかけ、転業した後、終戦後、衣料量販店
で大当て、骨董を趣味として、買い手としての収集家になっていた。 
それもあって、幼児の頃から父に連れられ、昔の仲間だった骨董店などに連れて
いかれていた。そのお陰で、知らずと骨董の真贋を見分ける目がついていた。 
良いものを見続けると、贋物が感覚的に分かってくる。 (これ人間にもいえるが) 
更に20数年、世界中の美術館を見てまわったことも目を養ていった。
美術館は古今東西の超一流の骨董品の展示場である。 ーネットによるとー
《 1994年4月19日放送開始。テレビ東京系から放送中。元々は、島田紳助が過去
に司会をしていた深夜番組「EXテレビ」の「家宝鑑定ショー」がルーツ。
・・・ 様々な人が持っている「お宝」を、専門家(主に古美術品やアンティー
ショップの経営者が中心)が鑑定し、値段付けを行う。意外なものが高価な鑑定
結果を得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという
意外性や、鑑定物に対する蘊蓄が堪能できるのが特徴。鑑定の結果、埋もれて
いた芸術家や芸術作品が発見されたこともあった。・・ 
本番組からいわゆる鑑定ブーム、骨董品ブームが起きたが、何でも金銭で
換算してしまう点や、美術品をパフォーマンスで見せる点などを苦々しく
感じている美術関係者もいる。
 しかし、依頼品にまつわる人々の熱かったり切なかったりする思い入れや、
鑑定結果に一喜一憂する依頼人の表情などは人間味にあふれ、鑑定を単なる
金銭的評価に終わらせていない。また、鑑定結果が出る前には、これから
鑑定する依頼品に対する予備知識の解説が入る。そこでは、製作者の生い立ち、
歴史的背景などのほか、作風、作品の見方、味わい方などが紹介される。
このために文化史、美術史などにおける教養番組としての側面も持ち、
その観点から当番組を楽しむ視聴者も多いと言われる。・・・ 》
▼ 子供の頃から、両親の日常の会話の中心が、何時も骨董の話。
 そこで購入した骨董品を二人で楽しそうに眺めていた。部屋の中では、
常に骨董品が季節ごとに変わる。その環境が当たり前の世界であった。
母親が亡くなった時の相続で、兄が倉庫に溢れていた骨董品。私は現在
住んでいる自宅だった。で、あの骨董の山、どうなったか?不動産も実売に
なると半値だから、他人事ではない。実際、事業も・・ 
 売り家と唐様で書く三代目!『 努力して築き上げた家産も孫の代になる
と遊び暮らして使い果たし、ついに家まで売りに出す。しかも「売り家」
札は その道楽ぶりを物語ってしゃれた唐様の書体で書いてある」ということ。
『この随想日記そのものが、唐様そのもの?どの道、宇宙のゴミ、同じこと』
と、バカがいう。『同じバカなら、踊りゃなソン』と、更にいう。
その目で「何でも鑑定団」を見ると、同類憐れむで面白い!
・・・・・・
4577, 2050年の世界 ー8
2013年09月27日(金)
     「2050年の世界ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 2003年のビッグバン理論が観測で認定され、大きな境い目になった。 
宇宙衛星などの観測から宇宙が拡大しているにかかわらず、膨張が加速して
いることが分かった。膨張のためには他の宇宙から何かのエネルギーが、
注ぎ込まれなければ成り立たない。それが暗黒物質と暗黒エネルギーである。
現在、その発見に世界中の科学者が躍起になっている。
   第十七章 苦難を越え宇宙に進路を  ーのまとめ
・冷戦時代に予想されたフロンティアとしての有人飛行競争は終わりを告げ、
宇宙の商業利用の時代が来ている。 アメリカの全地球位置発見システム
(GPS)など人工衛星群の商業的価値は、2009年には1609億ドルにのぼり、
前年比11パーセント増の成長を達成。
アメリカが宇宙へ独自に有人飛行をすることをやめた反面、中国の台頭が
目立っている。中国は、2025年をめどに月着陸をめざしている。
しかし、これは米国が月着陸を果たしたときの世界的興奮と比べれば、
はるかに小さなニュースとなるだろ。
NASAは、小惑星への有人飛行を計画しているが、火星への有人飛行のほうが
はるかに、世界的インパクトが見込める。
・軍事的な宇宙利用の主眼は、引き続き情報収集という機能に集約される。
・民間会社による宇宙飛行はすでに実現しており、アメリカは宇宙探索の、
部分をそれらの会社にアウトソースしている。ヴァージン航空を率いる
リチャード・ブランソンは、ヤーキェリー計画のような弾道飛行によって
宇宙に出るサービスを提供する会社を始めているが、まだ一回あたりの費用が
二〇万ドルと高すぎる。民間会社による観光目的の宇宙飛行は、今後費用が
下がっていき、金持ちの娯楽の一部となるだろう。
・銀河の動きを説明するために、暗黒物質なるものが宇宙の五分の一を
占めなければならないことになっている。 その正体を知ることは、当面の
大きな宇宙探索の目的のひとつ。宇宙の膨張が速度を増していることが近年
観測されたが、それを説明するための暗黒エネルギーの正体も解明が待たれる。
・太陽系以外に生命の可能性のある惑星はいくつもあり、観測技術の
発達によって地球以外の生命の発見が今後なされるかも。
▼ ひと時代前には、他の宇宙などSF小説さえ取り上げなかった。
 それが10の500乗の別宇宙の存在の可能性が、実しやかに語られている。
宇宙の知識も、天文科学の進化で飛躍的に伸びている。40年前では、想像すら
できなかった別宇宙の存在に匹敵する新たな事実が発見されているだろうが・・
「人間を一の単位とすると、我々が住む宇宙が10の27乗の世界で、
ミクロではマイナス35乗の世界が我々の世界」という。言葉として、
マイナス35乗のミクロ物質が、どのように考えても私の頭では理解できない。
現在、暇を見つけては、そのイメージを持とうとするが、無理。
 もしか、持てたとしたら、どうだろう?お釈迦様より、遥かに超えた
何かを実感できるのでは? 137億光年の宇宙の果てが27乗の外の世界で、
逆にマイナス35乗の物質世界の合計62乗が私の世界? 理解不能
・・・・・・
4202, 閑話小題 ー危所に遊ぶ
2012年09月27日(木)
   * 危所に遊ぶ
 芭蕉の『俳諧問答』に「危所に遊ぶ」という言葉がある。 
危所は字のとおり危ない所だが、「名人は定跡から外れ、未知の分野
にも冒険心を持って飛び込み、そこで楽しむ」という意味がある。
が、他にも、「危ない所で遊ぶぐらいの心の余裕を忘れないこと」と、
「危ない所の先に宝が隠されている」という解釈もある。
事業の創業も、自分を一度、絶壁に追い詰め、そこから湧き出るエネルギーを
動力にする。 危所を見極め、そこに隠されたキーを見つけることがポイント。
ゲームとは危所(難関)を設定し、知恵で乗り越える遊び。難度の高い危所を
合理的に乗り越える域に達した人が名人になる。これは人生にもいえる。
生まれ、死ぬまでの間に難関が次々と立ち塞がってくる。人生を充実させる
には、その難関を最大のエネルギーを使い知恵にかえ乗り越えることにある。
これも「危所に遊ぶ」である。
   * 最近の私の言説は「悲観的すぎ?」
 この数年来、世界恐慌に突入直前という論調で書き続けている。
10年前に同じ位の悲観論で書いていても、今から振り返れば、その数倍も
酷い惨状になっている。まさか地元越後で大地震が二回も起き刈羽原発が破損。
上越新幹線もトンネル内で脱線。世界を見れば、アフガン、イラクアメリカが
攻撃し、政権を転覆。それに百年〜四百年に一度の経済震災のリーマンショック
更に東北大震災で二万人の死者と、津波による福島原発の最高7レベルの破損。
そして近将来には、リーマンショックによる世界恐慌が覆い尽くそうとしている。
この10年間の惨状の数倍規模の変動が起きるとすると、私が書いている内容
など、まだ甘い。 東北大災害が起こるまでは、心の何処かに首都圏か東海地区
の温和なところに終の住み家の憬れがあったが、今では考えられない。
更に、この秋口から年末にかけての恐慌への不安定材料が、あまりに多い。
これに中国が権力移譲期の混乱の隠れ蓑にするため、尖閣列島の領土問題を
大々的キャンペインを始めた。日本の政治の混乱を見抜いてのこと。
ドラッガーではないが、「断絶の時代」に本格的に入ったということ。
何事もなく、凡々とした時代より、断面が見れるだけ良いと思うしかないが・・
・・・・・
3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
2011年09月27日(火)
 二週間以上も前の話題になるが・・ 急に思い立ってシネマ 
『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。金曜日の少し早めの9時開始
だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーで
アフリカや南米、北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る
感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。手付かずの野生動物
の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で
生存の知恵が生まれてくる。TVのシリーズで放送した総集編だったが、
大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、
人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。ところでiPadのアプリを
みていたら、「Memory of coiors presented 
by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 
てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 
しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。
しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の
面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、引き込まれた。 
祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しい。
日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 
カメラマンのRangelの説明文が、また良い。
≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・
 自分自身の人間性の反映。彼らは「私たち自身」です。≫ と。
ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に
知らしめる力がある。地球の素晴らしい秘境の大自然や、そこの住人が
昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、
リアルに記録してくれる。 それだけでない、手付かずの大自然の中には
野生の動物や、数多の植物が生きている。この東北大震災と福島原発の汚染は、
その正反対の近代科学がもたらした問題。 科学は両刃の刃である。 
顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじを検索すると
次のようにあった。
  『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、
 多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。肉眼では見えない細部の
撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。
ジャイロ式ステディカムによるグンカンドリ対アカハシネッタイチョウ
空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、
数々の生き物の珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、
ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。
特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキ
小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは捉えられない
ので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスロー
モーションでその生態を追うことが可能になった。この他にも、数多くの姿が
カメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが
協力して行なうダチョウ狩り。コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。
ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を
転がり落ち逃げる様子。木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。
ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。
だが、本作が伝えるのは、こういった映像の珍しさではなく、それらを
通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】
・・・・・・・
3472, 人生、よもやま話
2010年09月27日(月)
 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように
断片が頭によぎる。歳のせいだろう。現在、思い出してみても小説になる
ような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。
終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、
店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく犇いていた。そして、多くのドラマを
子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 
一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期に
なって初めて知った。這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、
そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。
夢のような日々。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 
幼稚園に入り、初めての友達ができた。そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 
忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、
人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を
肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、この猿を買ってくれないかという。
傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、
買って欲しいと父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペット
として、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の家庭の
ペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。その頃、家には白黒のコロ
という愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。今までは、その犬が人気者。 
しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をし大喧嘩をするのが子供心に面白い。
そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。
足や尻を思い切って噛むのである。そして歯形がつく程度から、出血をする
までになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なもの。
 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って
欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。二代目のタロウである。
これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。
メス猿を買いましてツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期
が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。
これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 
哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。