『ウフィツィ美術館』 09/08・10:40
  * ウフィツィ美術館の歴史
 映画の内容紹介のHPに、ウフィツィ美術館の歴史が簡潔にまとめてある。
そこには欧州文化の底知れぬ奥行きの広さと深さが垣間見れる。大英博物館
ルーブル美術館バチカン美術館などに、あれだけの名画を、国内外の万民に
公開している。ある意味、国力の誇示でもある。 〜HPより〜
≪ 登場する作品の多くが収められているウフィツィ美術館は、ロレンツォの
 傍系で、ひ孫にあたるコジモ1世(1519〜1574年)によって建設された行政庁舎
がもとになっている。コジモ1世は、画家・建築家であり、同時代の画家たちを
紹介した著書「芸術家列伝」でも知られるヴァザーリに設計を依頼、1580年に
それまで分散していた役所や裁判所などを一つにまとめた建物を完成させた。
 ウフィツィとは英語のオフィスである。このウフィツィでは1581年から建物の
一部で絵画や彫刻などが部分的に公開されており、近代的な美術館としては
ヨーロッパ最古と目されている。1743年、コジモ1世の末裔であり、メディチ家
最後の人間となったアンナ・マリア・ルイーザが死去する。彼女のもとには
メディチ家が300年にわたって蒐集してきた絵画、彫刻、宝石などの美術品が
残された。彼女の遺言により、これらの宝物はトスカーナ政府に寄付される。
 1769年、ウフィツィ美術館メディチ家のコレクションの一般公開が始まった。
以来約250年、今ではイタリアで質・量ともにトップクラスのコレクションを誇り、
世界でも最も多くの人が訪れる美術館となっている。
 本作には進行役として、ロレンツォ・デ・メディチ(1449〜1492年)が登場。
名優サイモン・メレルズが演ずる、この人物は何者か。 ロレンツォの祖父は
フィレンツェで「祖国の父」とうたわれたコジモ・イル・ヴェッキオ(1389〜
1464年)。 絶頂期のメディチ銀行を率いて建築家・芸術家を庇護した。
ロレンツォは病弱だった父の死に伴い、わずか20歳でメディチ家の当主となる。
政治・外交に長け、生前から「イル・マニーフィコ」(偉大なる)と呼ばれた。
哲学や芸術にも造詣が深く、ロレンツォの時代にヴェロッキオ、ボッティチェリ
レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロらが活躍している。
また彼はコジモが創設したプラトン・アカデミーに加わる。ボッティチェリ
絵に現われる新プラトン主義の意匠はプラトン・アカデミーで培われたものだ。
 ロレンツォの死後メディチ家は失脚、追放の憂き目を見る。ロレンツォ・イル
・マニーフィコがその称号の通り、真に偉大だったかどうかは見解の分かれる
ところだが、彼の死によってフィレンツェにおけるメディチ家の黄金時代が
ひとまず幕を下ろした。≫
▼ 500年近い歴史を持つ美術館に、ルネッサン時代の美術品が管理されている。
 欧米人だけでなく、人類の遺産でもある。当時の、メディチ家の当主が、
案内役で説明する設定が良い。彼が、若き日のミケランジェロを自邸に下宿
させ、集めた彫刻の飾られた庭園を開放し勉強させた逸話がある。悩んでいる
時間があったら、ネット上でも良いから、大自然、そして、一流の芸術品に
可能な限り触れること。その触媒から精神が清められていく。で、ないと!?

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5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー?
2015年09月17日(木)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 世界観をつくる
 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。
達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、
価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか?
そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、
自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、
その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。
  その世界観を分析、その作り方を提示している。
≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー
?信念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある
 ?ルールと価値観: 大切なものを実感する。ハードルを下げる
 ?上位2つのニーズ: 貢献と成長
 ?手段: ニーズを満たす行動
 ?主要な焦点: 外側に向けた焦点
 ?主要な質問: メリットの多い質問
 〜 上記を,説明すると 〜
? 信念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ
 ・・(中略)  多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、
「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の
 エネルギーを費やしている現実があります。
? ルールと価値観: 大切なものを実感するための「自分なりのルール」が
 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。
 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル
 を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、
 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証
? 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、
「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを
「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。
? 手段は、ニーズを満たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、
 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’
‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、
 望む雰囲気をつくり出す手法」です。
? 焦点を、内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから
 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する
 ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。
? メリットの多い質問: 弱気になった時、迷いが出た時、
 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の
 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫
▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での
 ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を
保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、
二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。
それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、
人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、
どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く!
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4934,コトの本質 −4
2014年09月17日(水)
  * 二十世紀の共同幻想は破綻した   『コトの本質』松井孝典
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、
現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。
何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は
今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った
カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に
日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想
 あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後
といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を
規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 
現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想
に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する
ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって
問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること
ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、
それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために
生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味
(共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、
互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、
それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が
理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、
共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない
とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想
というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、
当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。
しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて
いる我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、
生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、
高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング
ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15
リーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。
20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、
面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。
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4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
       「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延(著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、
平均10年近くの介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うように
なってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが
人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。
そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、
悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていく
のだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述ー
  * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日は
 ー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。
その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ
猛暑の中、その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともに
ホテルに、チェックインした。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーン
という耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、
ごく短時間だが意識を失っていたという)。仕事柄、少しは脳のことを知って
いる私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった
と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分の
どこかで起こったのではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、
それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に
麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。
左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。 これはへたをすると、
ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…そんな不安さえ
頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない
私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気に
なっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的
には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットから
パスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた
カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうして
いる間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士
到着し(・・略) 救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか
窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前
を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が
読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、
どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に
かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、
極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、
あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に
思い浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で
意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、月並な
表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、
 救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。
状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく書きのこしている。
 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは
思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。
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4192, 呪いの時代 ー9
2012年09月17日(月)                        
 *「今、付き合っている人いる?」の意味 ー草食系男子とは何?  
                    「呪いの時代」内田樹著  
最近は合コンとかいうのがあり、気楽に結婚相手を探すシステムが出来ている。
それと、ネットの交流サイトで知り合い結婚に至るのも多い。何気なく
「今、付き合っている人いる?」と声をかけるのも、実は巧妙な意味がある。 
  ーその辺を抜粋ー
≪とりあえずは恋愛の局面において「傷つかないこと」があります。
 20年ほど前から「ロ説く」人が少なくなりました。それどころか「口説く」
という動詞自体がもう今の学生たちくらいの年齢では日常彙に含まれてない
かもしれません。じゃあ、学生諸君は、交際を求めて何というか。
「今、付き合っている人いる?」です。これは、きわめて巧妙に構築された
口説き文句」と思います。「今、付き合っている人いる?」という問いは、
一見すると客観的な事態についての価値中立的な問いのように見えます。
まるで、「今、雨降ってる?」とか「今、6時過ぎた?」と訊いているように
誰でも口にできるし、誰でもイエス・ノーで即答できるように作文されている。
まだ知り合ったばかりでお互いをよく知ないもの同士が、色いろあたりさわり
のないことを話しているうちに話題も尽きてしまい、ふっと訊いてみた。
そういうふうなカジュアルな問いのようにみえる。あたかもその問いに対する
相手からの返答に自分はとりわけ関心があるわでがないけど、ちょっと聞いて
みただけなんだけどと言わんばかりである。「今、付き合っている人いる?」
の問いに、仮に、「うん、いるよ」と即答されても、「ああ、そうなんだ。
ふ〜ん、でさ、キミ、音楽聴く?」というふうに、そんなことオレ的に関係
ないけどさ」的に修羅場から逃走できます。「いないよ」といえば、
「それなら自分と付き合わない?」と、いきなり具体的性行動レベルに切り
替えられる。「今、付き合っている人いる?」という問いを発する人は、
その言葉が性的アプローチであるかどうかの決定権を自分の側に留保している。
だから、「いるよ」という答られた場合は「この問いはただの社交的問いである」
と言い抜け、「いないよ」という答えが得た場合は「この答えは私に対する
性的関心の表明である」という解釈ににじり寄る。「キミが好きだ」という
告白に対しては、言われた側には無数の答え方があります。言葉で答えても
いいし、鼻で笑ってもいいし、背中を向けて歩き去ってもいいし、何も聞え
なかったふりをしてもいい(これはよくあるリアクション)。・・・ ≫
▼ スナックやキャバクラなどで日常、会話されているポピュラーな言葉だが、
 直ぐに思い浮かぶのは、「あんた美人だね!」「最近、シネマで何か見た?」
「オーラが漂っているね」「あなたの為に、この場があるような存在だね」とか
がある。以前、女性の職場にいたときは、浅知恵で「三度褒め」を心掛けていた。
意外と異性は直接褒めないためか、三度目がポイント。少し軽いが誰にも
言っていれば変な誤解は受けない。言葉は相手を有頂天にも激怒もさせる。
最近は、褒めたことがない。 
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3827,  集団爆笑 ー木曜五限の地理公民ー
2011年09月17日(土)          (『ザ・万歩計』万城目学著)
 人生では思わないハプニングで爆笑の渦に巻き込まれることがある。
   以下は、ある随想にあったもの、思わず噴出した。
【 高見は一風変わった授業を進める教師だった。とにかく生徒を当てまくる。
 次回までに解いてこい、と指定した範囲の問題を徹底し当てまくる。
彼は中学生の本質を、的確に見極めていた。甘い顔をして、放っておいたら
どこまでも勉強せず、授業中、昼寝するだけ、という性悪説を信奉していた。
そして、その考えはおおむね正しかった。・・答えが間違っていると床に正座。
次に後ろの席の生徒が立つ。答えられない。正座。はい、次、また、正座。
こんな調子なので、クラスの九割が床に正座させられ、正規のイスに座る者が
 ほとんどいなかったこともある。おかげで、高見の授業は常に異様な緊張感
が漂っていた。事件は、この高見の授業で起こった。主役は三井。三井は強度
のビビリ。人前で怒られることに、極端な差恥を覚える性質の正直者。
 あの日、高見に当てられ、問題文の朗読および解答を求められた三井は、傍目
にも哀れなほどビビっていた。斜め後ろの私の席からも、問題集を持つ手が、
緊張に震えているのが、はっきり見えたほどだ。三井は途中しきりに噛みながら
問題文を読み上げる。「アラビア半島の一角を占める、人口二百二十万人の
オマーンの首都マスカットはアラア海とオマーン…」問題文は「首都マスカット
アラビア海オマーン湾に面し、漁業と交易の中心地となっている」という
何でもないものだった。だが、三井はこのとき緊張からくる混乱の極み。
普段から冗談も言わない、根っから真面目な奴。ただ、男なら誰もが通る、
ちょっとした思春期の懊悩に、運悪く足元をすくわれてしまったのだ。
アラビア海オマーン……」で途切れ、数秒のブランクののち、三井は
ぽつりと、「湖……」と続けてしまつたのである。その瞬間、大阪の片田舎の
男子校に笑いの爆弾が落ちた。教室に破裂した笑い声で本当に床が揺れていた。
いったん笑いが収まっても、誰かがふたたび笑いだすと、波となって全員を
まきこんだ。 十分経っても、男どもはひたすら笑い続け、もはや授業どころ
ではない。教壇の高見も笑っていた。「誰にでも間違いはある」とフォロー
さえしていた。あれほど些細な間違いを見逃さず、なべて正座を命じていた男
の言葉とは思えなかった。もちろん、三井に正座命令はなし。三井の導いた
笑いは「鬼」と陰口された教師の心すら溶かしたのである。その日より三井の
名前は学校中に轟いた。あんなに笑った経験は、二度とない。とことん生真面目
な男が、私の人生最高のスマッシュ・ヒットを飛ばす。「人間には無限の
可能性がある」この言葉を聞くたび、思い出すのは、あの木曜五限の地理公民と
三井のこと。私が笑いの偉大さについて身をもって知った、十四歳の夏の午後。】
▼ 以前に、ここでも書いたことがあるが、学生時代のドイツ語の授業で、誰か
がドイツ語の訳をしていた。「・・その時、遠くから犬の鳴声が聞こえてきた!」
と、同時に遠くから、それを待っていたかのように、「ウ〜 ワンワンワン」
と犬の鳴声。その瞬間、かたい授業の最中、部屋中が爆笑の嵐。
 あれだけ集団で腹の底から笑った経験はなかった。
・・・・・・・
3462, 純粋持続 −2
2010年09月17日(金)
 * 純粋持続と自由
ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、
選択の自由を意味する。たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに
枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか自分の意志に
基づいて選択できる。そこに自由があるとされる。しかし、ベルクソンにいわせれば、
そのような分岐路を思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想で
あり、生命の自由な持続に即したものではない。 生命にとっての未来というのは、
分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的
に創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一
であり、その発現としての純粋自我による行為。他方、物質界は一瞬前の過去を
惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 
物質は自らを破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、
物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 宇宙の万象は、
この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開である。
そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。
▼ 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」。
 その時は空間時間は消え、没頭している時、そこに「したいことを、
しているという自由」がある。純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も
空間も超越する。   (字数制限のためカット 2015年9月17日)