『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 瞑想の実践 ー①
 スポーツジムのヨガに参加して、まる4年になる。ヨガは瞑想に合間にする、
足腰の鍛錬や呼吸法で、その目的は瞑想。 当初の二年間は週2回、後半の
2年間は週4回、所要時間は45分。その最後の5分の「死者のポーズ」。
大の字になり、全身の力を抜いて、宇宙と一体化したイメージで横たわる。
 自宅で横になった半睡眠の状態との違いは、この瞑想は、それらの一環で、
集団の一人として参加すること。夜半寝ている時に、この状況を頭に描くと、
似た感覚に簡単になれる。 ヨガは、生気を溢れさせてくれる。 
≪ * 瞑想を始めてみようか!
 自分を取り巻く環境がどうであれ、生気溢れた状態にさせる可能性は誰の
心の中にも必ず存在する。それは、愛情豊かな親切心、思いやり、心の平安
を体得する可能性のことで、あらゆる人の心に秘められたものである。
天然に転がる金塊と同じで、掘り当てられ、磨かれ、現実のものにされない
限り、価値が高まらない。こうした可能性を引き出し、強化育成することに
より、精神的な健全状態が一段と定着化するだろう。可能性を放りっぱなしに
していても強まることは期待できない。それは一種の技術とし習得しなければ
ならない。手始めとして、自分の心に習熟することから始めること。それこそ
が瞑想修行の第一歩なのである。まず、バランスのとれた無理のない姿勢で
静かに座ろう。座布団の上で足を交差させた蓮華座が無理なら、椅子に座って
も構わない。どちらの場合も、常に緊張のない程度に自然に背筋を伸ばした
姿勢をとることが大切である。手は膝または腿の上に置き、目は自然に前方に
置き、呼吸は自然にまかせる。心の中に、思考が浮かんでは消えるのを見つめ
ていよう。最初は、思考が消えるどころか、滝のように心の中に乱入してくる
かもしれない。その場合は、思考を停止させたり、逆に、焚きつけたりせずに、
浮かんでは消えていく様子をただ眺めているだけでいい。作業の終わりには、
次第に静寂になった心によってもたらされる温かみと喜びをしばらく味おう。≫
▼ 学生時代に座禅を知り、野狐禅としても、静かに座り、心の底から湧出る
 雑念を見つめる、もう一人の自分の影を見ていた。それが魂なのか、自分を
見つめる第二、第三の自分なのか? それは、誰も持っているはずだが・・ 
 フッと思いたち、般若心経を呟いて没我の状態を瞑想と、どこが違うのか?

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5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない
2015年03月26日(木)
  * つれづれに 〜ボンヤリしながら
はてな」のブログのアクセスが3月3日から、何故か5倍の1500に
増加した。不自然なので一時的と思っていたが、なかなか減らない。ところが、
数日前の連休から、以前の300前後に戻ってしまった。突然、増えた理由も、
減った理由も分からない。300でも多いと思っていたが、1500になった、
アクセスが20日近く減少しないので少し自信を持ちかけていたが・・
 内容からしたら、300でも、出来過ぎだが。14年近く、毎日2〜3時間
かけて、一日一文を書いてきたが、気がつけば、5000以上。自分のデータ
ベースを公開し、自己コントロールするため、どうしても、他者の目線を意識
をしてしまうが、こうともしないと5千日も続けられなかったことも確か!
 ところで、一昨日の早朝、一時間ほど早く起きて机に向かったため、ブログ
のアップも、一時間早く終わった。そこで、意識的にボンヤリとしてみた。
目の前の書棚の本や、図書館で借りてきた本を次々と流し読みをしたりしたが、
この何をするでもない時間が良い。午前中のネットサーフィンでも、この間
(ま)でするが・・  
  * オープン戦の原・巨人が変? 
 明日からプロ野球の開幕だが、パ・リーグは、ソフトバンクオリックス
セ・リーグは広島と巨人の前評判がよい。しかし、どうも巨人の原監督の
監督としての賞味期間が切れているのは確か。巨人というブランドの監督の
消耗度はただ事ではないはず。もう無理である。新監督は、江川か、桑田辺り
がベストと考えられるが、どうだろう! それにしても、あの戦力、他チーム
を圧倒している。それを賞味期限を終えた監督で勝てないゲームを観るのも、
味わいがあることも確か。三年期限で、江川監督、桑田ヘッドコーチにし、
その後、江川が退くシナリオ。何故か、誰も言わないのは何故だろう!
原に実績があるため? 
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4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
2014年03月26日(水)
              ーひと言でいいのですー吉川直美編
  * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外
に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る
に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験
する方が、しないで済んだ人より幸運? 悲哀さえ、知らず終えていくのも人生。 
 大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」の声が心底から
生じてくる  ーその辺りから!ー
《【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生の
 あらゆる分野で教えられる。挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し
合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばした
人はきぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが参加されていました。 
ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも
愛され、早くから神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに
心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、修道院長に
命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、
寄り添い寄り添われ、やがて十分泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り
戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。「私には人の
痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、
 最後の最後に、味わいの無い自分の人生に愕然。秘境旅行の参加者には、
そういった風な人が人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の
先生が、定年時に私に深刻に話したのは、このことだった。「定年になった
現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、
そこには自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま
生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。その怒りを周囲の挫折や悲哀
に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血
洗おうとする哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をした! 
自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。そのことを自覚できないのも
人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!  
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4392, 暴走老人!  −2
2013年03月26日(火)                
  * 待つことをめぐる考察 ー時間編  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば
「待つこと」で大半は占められている。列車を待つ、車内で目的地に着くのを
待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち
合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチでネットサーフィンやゲームを
していればば、別に喫茶店でなくてもよい。それは待つ喜びも失われたこと。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。
現在、そんな気持ちになることなど殆どない。主体的な待つのは良いが、
相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代はムダな時間を排除するのが
求められる。そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなり
つつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。そして定年や人員
カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られ
がちになる。それに苛立ちと焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した
発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨が
きて、試験があり、やっと夏休み、・・と長い日課が延々と続いた。それが、
今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されて
ないのに、思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために
生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。そこではマイナスの
フラッシュバックが次々と出てくる。 私たちは自分の時間割を帯グラフで
割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の
書き上げとアップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。
8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、帯グラフに従って一日を
こなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、
マシーンが介在する。どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人に
とって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、iPod、
パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及を
始めたので解消してきた。 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の
前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと
私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。それが本来の姿ではなかろうか。
生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つ
ことも大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。
「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
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4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、
   閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が10億だったので返済額20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、
   勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな
   右下がり、2001年の9・11テロから4年かけて売り上げが
   三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック
   以来、二年半で半減。11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 
   東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。破綻の直接原因は
   9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 
   東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、
   ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%
   の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)役員は、役員就任時に一度、
   退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 
   それも、半年後に売却。( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れる
   と思ってなく、慌てていた」。自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけた
   ビルは、売り出すと同時に即売。設計の中に売却前提で計画してあるため。
▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。三つの経済・自然災害
 が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、借金をしてする事業ではない。
そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネス
のあり方が変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになった。 
結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
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3652, 地震 ーつれづれに ー12
2011年03月26日(土)
  * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 
 日ごと、原発放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、
現れ出てきている。御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立って
いる民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、現在流されて
いる事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。東北は壊滅
状態とは間違っても記事に出来ない。毎日、枝野官房長官の発するコメントは
建前の上っ面の情報でしかない。外国人が我先に逃げ出していることを考えると、
地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて
否定することしか、パニックを抑えるしかない。現状の進展を一般には小出し
にするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間
にか数千倍になっている。しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、
そのギャップがみえてくる。 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に
向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、
「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを
聞きながら案内したという。その内容とは、「自宅が30キロ以内にあり、
家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に
近い比較的良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全
というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。
その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。
大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で暮らしているとか。30キロ
以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視
できなかったという。駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多く
みられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。この事態で、
経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の
取り消しと首切り、そして倒産が大幅に増加することになる。身が凍る思い
である。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。
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3287, 人みな骨になるならば ー5
2010年03月26日(金)
 * ザインとゾルレン   
ー まずは(P−68)の「ザインとゾルレン」の一部分を抜粋する。 
・ザインはドイツ語で、「在る」とか「である」のことだから、抽象名詞
として使うと「そこに客観的に在るだけのもの」という意味になる。
それが良いことか悪いことかを問わず、現実にあるんだもの、しょうがない、
といったニュアンスの言葉。「存在」と訳されるが、「現実」や「実態」
と訳したほうがよいことも多い。
ゾルレンというのは、英語では助動詞に相当する。「べきである」
「そうあらねばならない」といった意味で、抽象名詞としては「当為」と
訳される。当為は訓読みすれば「まさになすべし」と読み下す。
「そうあらねばならない性」、ひいては「本来はそうであるべき様態」のこと。
たとえば、当時の旧制高等学校生なら「親父が死んだので、ゾルレンとしては
すぐ郷里に帰へって家業を継ぐべきだが、ザインとしてはここでこうして破帽
のまま君たちと安酒を酌み交わしているわけさ」といった使い方をした。
このように、ザインはゾルレンとともに用いられるのがほとんどだから、
ザインというのは単に現状というだけでなくゾルレンと対比される
「ていたらく性」を帯びる。本当はゾルレンであるべきなのに、現状はザイン
なのよ、といったところ。前節で挙げた唯骨論によると骸骨こそがザインの象徴。 
そんなものが、われわれの体内に鎮座しているというのは必ずしも歓迎すべき
ことではない。若い美男美女であれば、なおさらのことである。だれしも一皮
剥けば骸骨が現れることは簡単に証明できる。ただ最近は手術場を除いて、
生きている人間にそんな残酷なことをあまりしなくなっただけのことである。
ゾルレンとしては、万物の霊長にして神の似姿である。そんな人間の中心が骸骨
にすぎないというのは直視するにしのびがたい。いくらなんでも骸骨はあんまり。
人間の中心には霊魂やクンダリニーが宿っているべきである。しかし、それは
あくまでもゾルレンなのであって、あいにくとザインとしてはやはり愛想のない
ことにおぞましくも骸骨しか存在していない。ここで悟るべきである。
ゾルレンというのは願望や想像、あるいは強制にしかすぎず、実証も提示も
できないものであることを。ゾルレンは信じることが出来ない対象であることを。 
これに対してザインは見ることも、触ることもできるものである。
▼ ザインが唯骨論の骨の存在で、ゾルレンは神の似相である、というのは
 言いえて妙である。ゾルレンは願望や想像、あるいは強制に過ぎないと言う
のも刺激的である。こうあるべき、というのも幻像の最たるもの。等々、著者
の虚無の論も肯けるというより、優しく聞こえてくる。 それも経験と年齢を
重ねたためである。 閑吟抄の、チロリ チロリ チンチロリの「何しょうぞ 
くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の虚無とは類似をしている。 成すべき、
などの建前より、今生の世は夢 と割り切り、狂ったように生きることこそ、
虚無を突きぬけた言葉である。何をしても、成るようにしかならないのだから、
目の前を精一杯、何かに打ち込むしかないということ。それも、捨て身で。 
それが狂うということ。 この二つを冷徹な目で、己に対してみつめることだ。
それが骨になったものの視線である。
 ・・・・・・・・・
2912,金を使うなら頭を使え!
2009年03月26日(木)
 榊原英資vs岩井克人の対談 「金を使うなら頭を使え!」
                  ー新潮45ー09年2月号
 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと
論じている。 既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。
それだけ深刻ということになる。AIGだけをとっても潰すことができない。
潰せば残っているゴールドマンサックスなども倒産してしまうからである。
といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。
ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルト
しかないことになる。 ーまずは要点を抜粋してみるー
榊原は、
・「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)
 で、アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。
アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、
 それが壊滅した現在、国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。
金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>
 不良債権の増加ー>金融危機の拡大というスパイラルに入ってしまう
 可能性が大としている。 (字数の関係でカット2011年03月25日)  
・・・・・・・・・
2548, 一神教vs多神教 ー2
2008年03月26日(水)     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪