* 人は時代の潮流に大きく翻弄される
人生のを振り返ってみると、節目ごとの自分は、その時代の大波に漂って
いるに過ぎない事態が見てとれる。特に、社会に出てからは、次々と襲って
くる大波の真只中。その只中にいると、潮流に対する意識が少ない。
・敗戦の翌年、日本海側の中規模の商業都市の商家の8人兄姉の末子で生を受け。
・高度経済成長期の中の、卒業前後の1968^70年は学生運動の盛り!
その中で、ジャスコの創業時に入社。四日市、神戸と一年、従事。
・2年後の金沢時代には、ドルショックに遭遇、衣料チェーンの勤務先は
大きな混乱の極み。そこに一年半、従事。ドルショックの恐ろしさを知る。
・その2年後の27歳の頃に、事業の立ち上げを始めたと同時に石油ショック。
500棟のマンション開発を当てに立ち上げた千葉・千城台の飲食ビル前の
計画が全て白紙撤回。 5つのテナントの入居希望はゼロ。
・その2年後に、地元の家業に戻ったが、暖冬など異常気象が続いた中、
異常気象を逆手にとったディスカウントに徹して、引き継いだ店を
5年で軌道に乗せ、兄に渡す。一年間、開業前の準備に入る。
・新潟駅前で、新幹線開通を当て込んで、学生服販売とビジネスホテル
の二業種・一業態の変わったホテルを立ち上げ軌道に乗せた。、
・それも、10年後のバブル崩壊で、右上がりの売上げが急ブレーキ。
2001年に9.11テロで、売上げが3年かけ3分2まで激減。
・2008年のリーマンショックで、3年かけて半分、10年で合計、3分1に落下。
東北大地震の影響もあり2011年3月、30年続けてきた事業を断念に至る。
・あと数ヶ月で5年になるが、民主党から政権を取戻した自民党保守本流の
安部、麻生元首相が、タックを組んでアベノミクスの経済政策の取組んで
いるが、時代逆行の愚作は誰の目にも明らか。とはいえ、他に手立てはなく、
二度目の東京オリンピックに向け、ミニバブルの兆候を見せているのが現状。
その数年後に、現在の韓国のような国の態をなしてない危ない事態が待つ。
▽ 以上の全てが、歴史的な経済震動と自然災害が直に影響している。
そうこう考えると、人間は、大激震から生じる社会変動に大きく影響され
翻弄される小さな生ものでしかない。グローバル化の最中、誰も助けては
くれない。あるのは自助努力のみ。家訓のベースを崩さなかったお陰で、
一つ間違えれば奈落の底の前に、何とかセフティネットに引っ掛ったが、
そろそろ、御向かい?が忍び込んでくる時節。 面白かったらよかったが!
・・・・・・
5020,幸福優位7つの法則 −10
2014年12月12日(金)
【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
* 幸せの波及効果
その人を判断したければ、まず両親を、そして連れ合いを見て判断すべし、
というが、幸せも、同じこと。『血筋』とは、よくいったもの。特に、幸せの
波及効果は横だけでなく、親子など縦にも出てくる。親の背中を見て子は育つ。
ーその辺りを抜粋ー
≪「楽しい、嬉しい、幸せ」などプラスの感情を、積極的に表に出すことで、
周囲に幸せの人が集まることで「上昇スパイラル」が生まれ、仲間同士の絆が
強まり、幸福度が高まっていく。「幸せ」は無条件で「ある」ものでなく、
積極的に「幸せになる」のだ。幸せかどうかを決めるのは自分である。
・・ 「七つの法則」は、自分自身がまず実践しなければならないのだが、
決してそこで終わりではない。自分に変化を起こすことが、周りの人にも影響を
与えるということを話したいと思う。 自分の生活に「幸福優位性(ハピネス・
アドバンテージ)」を活用するようになると、すぐにポジティブな変化の波及効果
が始まる。だから、ポジティブ心理学はかくもパワフルなのである。これまでに
述べた「七つの法則」を全てに使えば、幸福と成功の上昇スパイラルが点火される
ので、その効果はすぐに何倍にもなる。その後、ポジティブな効果は周辺に
向かって波及し始める。周りの幸福を高め、同僚の働き方を変え、最終的には
自分が働く組織全体をいい状態に整える。7つは全部が分ちがたく関連している。
だからいくつかを一緒に使えば、総合的な効力を高めることができる。
たとえば法則3「テトリス効果」は、法則4「再起力」を支援する。
身の回りからポジティブなものを探し出す訓練ができれば、失敗も成功の機会
と再定義できるようになるからだ。また、法則7「ソーシャルへの投資」は、
法則6「二〇秒ルール」を活用するのに役立つ。周りからの応援によって、
新しい習慣を簡単に投げ出さなくなるからだ。また逆に、法則6「二〇秒ルール」
によって、職場のよい人間関係を作るために必要な「活性化エネルギー」を減らし、
法則7「ソーシャルへの投資」を成功させることもできる。そして、職場において
上質のつながりができるほど、自分の仕事を単なる勤めではなく「天職」だと
思えるようになり、その結果「幸福優位性」による"競争優位性"が生まれる。
そのように波及効果が次々に生じていく。一つの法則の効果が他の効果を
引き起こし、単にそれぞれの寄せ集めをはるかに超えた力になる。
全部が総合的に働くと、一つだけでは望めないほどの効果が得られる。・・≫
▼ベルギー、ポルトガル、ハンガリーの離婚率は70%前後というから、日本の
35%の二倍になっている。日本でも家庭内離婚を含めると90数%が破綻して
いるというから、多くの人たちは、不幸な家庭環境で育ってきたことになる。
だから、自分から積極的に「幸せなる」しかない。その意味で、この7つの法則は、
人生の基本姿勢として、身につけておかなければならない。逆に「不幸だから、
何もかも上手くいかなくなる」ことは周辺を見渡せば分かる。いや、まず自分?
人生の総合幸福度は、自己評価85点。現時点は75点。老いる度、現時点の
満足度は減っていくのだろうが、何ごとも心がけ。ここまできたら
「日々是好日」しかないが、これなら得意!
・・・・・・
4653, 閑話小題 ー行蔵の中の、旅行の棚のお宝
2013年12月12日(木)
* 行蔵の中の、旅行の棚には
学生時代の欧州旅行が当時の40万円。5〜10万円を別途プラスして、
現在の金額からすると一ヶ月間で400〜500万円。丁度、高度成長時代に入った
昭和42年。馬小屋のような寮生活しか知らない地方出の私にとって、この旅行
のカルチャーショックはあまりに大きく、固定観念が粉々に砕けてしまった。
これが、その後の事業人生で、他人の思惑を気にすることなく生きてこられた
バネになった。その前に、大きな挫折経験があったが、これはカルチャー
ショックによる自己崩壊? それから20年後の40歳から年に平均二回、
20年近く行き続け、合計48回の秘境を中心としたツアー。今からすると
【来年前半に一月間の5百万のツアーに参加。余韻を半年、楽しんだ後半から、
隔月ごと年6回の割合で旅行に出るとして、まる8年。家内と共にすると
4千万円はかかる】 その旅行に続けてる期間は、手取り一千万以上の収入
があり、給与面からみて、収入範囲である。 それがどうした?といえば、
それまでだが、「べき時に、べく事を、べく実行してきた」ことになる。
御隠居の現在、肉体的に金銭的、気力的に不可能。河口湖や軽井沢に別荘を
持っている豊かそうな?知人を見ても、気持ちに余裕を持つことが出来る。
「遠き日は、歳とるごとに近くなり」が、齢を重ねる度に、どれもこれも
昨日のように感じ取ることが出来て、人生の終盤にプラスに働いてきた。
プチブル主義の露出になるが・・ この年齢で、新羅ウィグル地区から
カラコルムハイウェーを抜けるコース、パタゴニア、南アフリカなど、
無理。その十倍の4億の現金と、この旅行経験を交換しないかと言われたら、
迷いなく行蔵をとる。あのTPOSの中で遣り繰りつけたから価値がある。
事業整理の結果に、さほど動じないで済んだのは、幾つかのライフワーク
を続けていたため。それもこれも両親の生き様から学んでいたため。
見方を変えれば「これで、この男、狂ったか!」だが「狂って良かった!」
ー最後は、いつも、「良かった良かった」の自画自賛かいー
の誰かの声が聞こえてきそう! ケチくさい話だが・・
・・・・・・
4288, 学ぶということ −2
2012年12月12日(水)
「最終講義 生き延びるための六講」内田樹著
* 母親と父親の育児戦略の違い
−まずは、親の教育論の部分より
≪母親は破局的状況を生き延びることを求め、父親は優劣を競う戦いに勝ち
残ることを求める。相対的競争の勝者になって目立つことを求める父親型育児
と、群れに紛れて、あたりと見分けのつかないものになって欲しいという
母親型育児、この二つは実は排除しあうものではない。対になっている。
その二つの育児戦略の拮抗の中で、子供はいい具合に育つ。この拮抗の並列が
一番バランスが良いのが理想的。これが両方とも「競争に勝て」と子供を責め
たてたら、子供はストレスで壊れてしまう。「生き残っていさえすればよい」
と言えば、社会性がつかない。でも、数多の親たちをみると、どちらかに
偏りすぎでバランスの良いのは少ない。偏りすぎると社会的成熟が出来ない。
1980年代からあとは、日本社会では、母親までが父親型の「競争優位」に
なってしまった。あまりに日本が豊かで安全な国になってしまったから。
もう破局的状況を生延びる緊急性がなくなった、どう転んでも心配なくなった。
だから、人のことなど顧みず、私ひとりよければ、それでいいという時代に
なった。競争に負けても、取りあえず食べていける保証があったからです。
まだ50年代までは貧しい時代で、「共和的貧しさ」であった。ところが時代は
変わった。日本が例外的な豊かな時代が終わった。「ラットレース」は勝った
ものの総取り、負けた人間には何も与えない時代になったら、本当に飢死にする
可能性が出てきた。そこで、ここで「ルールを変更しようと」という話になった。
競争原理は、豊かな社会向けルールだった。しかし今や資源が限られた中
「潮目の変化」。 限られた資源を複数の個体で分け合うためには、行動
パターンを変えなくてはならない。動物は、そういうようにしてきた。
あるものは夜行性になり、あるものは昼行性になる。樹上で生活するもの、
地下で生きるもの、肉食か、草食で、あるものは大きく、あるものは小さく、
など生態学的な地位をずらしていく・・ それが共生の原理なのです。 ≫
▼ 時代は、父親型から、母親型生存戦略に変わってしまった。もう二度と
終戦から半世紀近く続いた右上りの時代は戻らない。当然、母親が子供教育
でも家庭内で主導権を持つようになるのが自然の成り行き。首都圏に住んで
いれば、何時、直下型地震が襲ってくるか分らない、とにもかくにも生き
延びることが優先される。日本という国家からして資源のない条件の中で、
これほど危険な状態はない。国家も母親的戦略と、父親的戦略の拮抗が必要。
これが三極の「石原・維新の党」と「未来の党」の戦略に見て取れる。
地政学的にみて、これまで丁度良い島国が、これから大きな試練に立たされる。
韓国と日本の差は、近隣に時代錯誤の軍事国家が在るか無いかである。
徴兵制度で、青年期に鍛えられるかどうか。それを見守る母親は自然、
優しくなる。日韓の若者は青年期に歴然とした差がついている。
・・・・・・
3913, 閑話小題
2011年12月12日(月)
* ひとり焼肉専門店 「焼肉ひとり」
独り者が増えているためか「ひとり用専門店」がニュースになっている。
一人カラオケ、ひとり焼肉専門店などである。店サイドは、一人で一部屋・
一テーブルは効率が悪いので良い顔をしない。が、この不景気で、そんなことは
言っていられない。しかし最近の国勢調査で単身世帯が全世帯の三割を突破、
「夫婦と子供」世帯を上回っている。アメリカでは、一人客は寂しい人と、
白い目で見られるという。 映画やTVのドラマでも店の中の一人客は少ない。
そこで、店の構造から一人用の席をつくる発想である。30年間続けてきた
事業も「お一人様専用ビジネスホテル」だった。ひとりカラオケを「ヒトカラ」、
二人のカラオケを「フタカラ」、多人数のカラオケを「タカラ」と呼ぶ。
ヒトカラは、歌の練習やストレスの発散に使われるが、何か侘しいか。
* そろそろ今年の総括
今年は、東北大震災と、30年続けてきた事業の惨事?が重なった。
20%半ばの売上ダウンが三年目に入っても止まらず落ち続ければ、この事態
は当然。恐慌の前ぶれの波に直撃されたことになる。過去40年近い事業人生で
資金繰りの心配は無かった。しかし、数値は数ヶ月後に資金枯渇状態になること
を示していた。何度もシュミレーションしても、半年後にはアウト。その上に
東北大震災が起れば何の躊躇することなく決断をせざるを得ない。そうこう
あって、心の痛手は深いが、未練とか、後悔はない。それより現在起きつつ
ある大恐慌の近将来の到来と、東北震災の経済に及ぼすマイナス現象である。
今さら最悪の状態の私が何を言わんであるが・・
今年の総括は、もう少し年末が押し迫ってからにする。
・・・・・・・
3548, 遊ぶように生きる
2010年12月12日(日)
=横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い!
その一部を抜粋してみる=
【一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いこと
を言う人だ。大抵の人間はこの四文字を経験する。お釈迦様みたいなエライ人
でも、これだけは平等。エライから死なないということはない。エライ人でも
アカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。だったら
ぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは自分にとって特別のもの
のように思っていて、他人の死は死でない。では一体何をそれほどまで恐れ
なければならないのか。死の到来が苦痛であることをわれわれは知っているが、
死以上の苦痛がないかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いか。
死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって
自分が消滅してしまうからか。消滅すれば全ての煩悩も瞬時に失くなり、身心的
な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、なのにどうして真の
乎和をそんなに恐れるのか。それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら
地獄に堕とされるのじゃないかと不安に襲われているためなのか。それはそうと、
では人生の目的は何なのかということになる。生きるため? 死ぬため? 感動
するため? 美味い物を食べるため? 金持ちになるため? 美人の奥様を持つ
ため?etc そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば?
と。ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。目的のない遊びである。
ところで遊びは最初から目的がないものでしょう。 もし目的があるとすれば
遊んでいること自体が目的である。目的がないから自由があり、快楽があり、
解放があるのではないか。人間は本能的に自由を希求する。そしたら人生全部
を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的を外してしまえばいい
のではないだろうか。生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。
どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。単なる現象だ。
そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。そんな実体
のないものにいかにも実体があるかのように思って振り廻されているのなら、
それを遊びだと思えばいいのではないか。 】
ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、
そんなわけがない!と言いたくもなる。身近の人の死をみると、様々の人生が
あるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。横尾の
ように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。
「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。
・・・・・・・
3173, 閑話小題
2009年12月12日(土)
* 腰痛
腰痛、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。いずれ
出てくるが・・ 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いた
ことと、・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を
飲む機会が少なくなったこともある?もちろん、20数年来の毎朝のウォーキング
は欠かさず行っている。
* 変な話
家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を
置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、自転車の籠の中に、年代ものの女物
の財布があった。気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、
1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、そ
れ以上は見ないようにした。(字数制限のためカット 2010年12月12日)