* 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る
 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。
その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の
法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、
『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ
の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。
後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 
葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は
今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。
≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立
 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省
は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。
受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。
増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。
増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン
ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。
日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法
改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。
 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、
どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族
の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。
これに住宅扶助等の諸々が加えられる。
 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度
おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 
 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。
確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に
浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収
100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める
300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の
9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」
と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。
布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。
実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」
と答えている。 (略)・・・
 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く
環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では
ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、
将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の
後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも
実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で
お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫
▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしているようだ。
 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。
それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。
「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化
社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。
・・・・・・
脳がよろこぶ話 ー2
2014年10月09日(木)
      対談ー小菅正夫『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
  *「平気で生きている」ことの強さ
 三年前に、めったに出来ない経験をしてみたが、いざとなると意外と平気。
よほど、事業立ち上げの準備期間の15年間の方が厳しい状況であった。
足元が、固まってない不安と、虚無感は、何とも厳しいものがあった。
開き直りもあるが、全力で、し終えた実感があるが、まだ見ぬ計画段階を
独りで、ひたすら具体化をするのは非常に厳しい。あった物を失うことより、
無いものを形にするほうが、何倍、何十倍のエネルギーを要する。
   ーその辺りよりー
≪ ・茂木:共通の幸福の条件ってあるんですかね。
・小菅:先ほど申し上げた通り、まず食べ物を発見したとき、ちゃんと食べ
られたとき。それと繁殖。交尾がちゃんとできた、出産がちゃんとできた、
育児ができた。これだけです。彼らはホントにそぎ落とした生き方しているから。
・茂木:ムダがない。
・小菅:ムダがないというより、余裕がない。生きていくだけで精一杯。
・茂木:もともと野生環境は厳しい。
・小菅:人も日本人を基準に考えたらダメ。僕もこの前ケニアに行っていた
んだけど、ホントにね、痩せた子ども。ハエがたかった子どもが街にいる。
それを抱えているお母さんが物乞いをしている。人ですらそうでしょう。
ましてやチンバン�も死んだ子ども抱えて、ライオンだってごく一部の幸運
な子どもしか育たない。彼らがそういう環募なかで生きているということは、
われわれとちょっと次元が違うと思う。それで満足というよりも、本当に
それしかできない。余裕がない、僕らは食べ物を取ったらその後、何か
楽しみが待っているけど、彼らはそこから、せっかく自分の身体の中に入れた
エネルギーをなるべく長持ちさせるようにゆっくり休んでいる。(中略)・・
・小菅:百何歳の曹洞宗の禅師のインタビューで、「悟りとは何ですか」
という、質問者がたずねた。「平気で死ぬことですか」と。そしたら禅師は、
「平気で生きていることですよ」― あれ、動物と同じだと思った。
動物って平気で生きている。たとえばうちにアサコていうゾウがいました。
六十歳超えていて、最後の臼歯が半分欠けて落ちた。それであまり食べられ
なくなっちゃったんだけど、それでも平気で生きている。気にしない。
 文句言わない。今までとまったく変わらない生き方をしている。
そしてパタッと倒れて死もんでいく。 あの平気さっていうのはね。
宮崎さんという方が「平気で生きていることが悟り」と言うんだったら、
動物はみんな悟っているなと。
・茂木:不思議ですね、そうすると修行を積まれた高僧の方がたどりついた
境地というのは、もっとわれわれの祖先が動物だった時代に持ぞいたもの
かもしれない。われおれは忘れちゃっているだけなんですかね。
そういう蓄があるんだと思う。≫
▼ でも、「平気で死ぬこと」も、動物の大きな特性である。
 人間の最大の問題は、肉体的苦痛と、苦悩への恐れの解決である。
 確かに、底知れぬ苦痛と、苦悩の中、消滅していくのだろうが・・ 
・・・・・・
4588, 2050年の世界 ー16 
2013年10月08日(火)
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ
・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。
・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。
 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。
一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ
 などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。
・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、
 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の
 巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。
・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。
 中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、複数政党制ゆえの混乱で
 民主主義は苦しむことになる。
・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対する
 さまざまな形のバイアスのかかり方。
・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、
 規制当局に圧力をかけるということだ。
・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。
 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で
 情報操作を受けている。
・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。
・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。
・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える
 「経済第一主義」と、この「公共心」が大きな対立事項となり、
 民主主義を揺るがしていくことになる。
▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が
 出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。 特に、
この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの
権力者で支配されているというが、実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、
民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数
に存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。
自由には制限があるが、各々違うため問題が次々と派生、世界を混乱に陥れる。
しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると
信じたい。自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。
友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。その辺のバランスは、
人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。
それが、現在の自民党民主党の対立軸である。
・・・・・・
4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は?
2012年10月08日(月)
  * 去年は凄い年だった! で、今年は?
 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機
北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、
ニュージーランド地震、それと北朝鮮金正日とアップルのジョブスの死など
など。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 
しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し
中国国内の日本企業が焼討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュ
はないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。去年に発生した問題
は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。
しかし、ひと月で、中国のトップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして
日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる
イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごす
ことになる。それと、スマートフォンの普及が、世の中の変化を、推し進める。
これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまった
ということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?
また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、
再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? 
   * 多人数兄姉の末っ子として
 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 
母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌
になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての立ち位置に生まれ育った。
下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影で、その虐めは陰湿そのもの。
しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で
緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。
それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないこと
は見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は大声で泣くこと。
大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 
大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。
両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチ
つくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、家庭に恵まれて
いたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。
これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。
 ・・・・・・・
3848, 料理はメディア
2011年10月08日(土)
  * 料理はメディア、コミュニケーションのツール  
           ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、
 こんなにまずいのはどういうわけだろうとね。それはしかし、自分の中で
考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは
「よく味わう」こと。それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」
と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということ
が肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。
本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を
メディアとする、コミ二ケのあり方です。昔は、人を招いてご馳走することを
「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。
つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 
そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。
それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って
いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに
委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 
それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に
招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、
全然料理の味なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、
主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション
のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けている
人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長に
なっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗し出してきたものを、
知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。薀蓄など語る必要はない。
「美味しいな〜」だけでいいんです。】
▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれ客は
 店に行く。その個性が店のメッセージ。美味しいものを食べつくしてきたので、
それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す
雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。
 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に得々と話している人
がいたが、これほど不愉快なことはなかった。家内も私も、美味しい料理の
場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなる
ことを知っているからだ。チョットした店構えの店で、売りにしているものが
美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。
食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。
・・・・・・・
3483, フューチャリスト宣言
2010年10月08日(金)                   
フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
                     ー内容(アマゾンより)
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺
になり、ネットでの評判がパワーとなる。過去に何を成したかではなく、
いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬は
ないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・
ネットの側に賭けよう。未来創造の意志をもって疾走しよう。
フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。
〜〜
 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫茂木健一郎
の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を明るい視点で見つめる
フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸
とした社会の変化や人間の存在のあり方の変化を語り合っている。
フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。
1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目が
アップル社のリンゴ、そして4つ目が「フューチャリスト宣言」。
肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 
現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、
それを可能としたツールが日ごと進化し、身近に新しい可能性が次々と出来る。
「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」と茂木
は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」
という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは
「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」
の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、
この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に捉えなければ、
生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や
一匹狼たちにやさしいと語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力。 
インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで新しい何かを創りあげる
可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは
「学ぶ」という最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 
言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、ここで二人は、
「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性を
その特質としている」と語る。「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に
対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが機能する可能性が
ネットにはあることだ。茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。
レポートや試験というシステムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、
あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。今更いう
までもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。