『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
   * 全球凍結仮説はの反発理由
 宇宙、地球、生物、人間の存在と、その生成過程を知れば知るほど、
その不思議さに驚かされる。生きている限り、その追求をしたいが。
全球凍結の時代が数億年後に来るのだろうが、その時に現在の人間レベルの
知的生命体が存在して、人間を研究していると想像しただけでも、愉快になる。
 〜ここで、全球凍結説に対する、純粋な疑問について言及している。
≪ スノーボールアース仮説に対する最大の反発理由について、
:たけし スノーボールアース仮説への最大の反発理由は、「それなら、なぜ
 生命は生き残っているのか」については解明されたのですか。全部が凍って
しまうとはいえ、地球の内部は六千度とか高温だから、そうした熱が外側まで
届いた可能性はあるんじゃないですか。生物といってもバクテリアのような
ものだったと思うのですが、その熱で生き残ってきたとは考えられませんか。
:田近 実はそこが大事なんです。というのは、海洋は平均すると四千メートル
 ぐらいの深さがありますが、寒くなると上から冷えて凍っていきます。
しかし、下からは熱が来るので、全ては凍らない。表面から千メートルぐらい
までは凍って、その下の海水はそのままなのです。だから、一部の生き物は
海の深いところで生きていたのかもしれません。
:たけし 地表では生物が滅んでいても、氷下には原始生物がうじゃうじゃいた。
:田近 今でも深海には温泉みたいに熱水が湧いてくるところがあって、
 そこには生態系が存在しています。ああいうものは多分、あまり影響を受けな
かったのかもしれない。問題は昔から光合成をする生き物がいたわけで、
そうした生物にとっては困った状況になってしまったことです。
:たけし 深海の熱水噴出孔の周りで生きている生物は熱水に含まれる
 硫化水素を栄養にしているから、光がなくても生きていけるけれど、
光合成をする生物はどうしたんだろう。
:田近 光は海だと百Mぐらいしか透過しないので、深いところには届かない。
 さっきも話ししたように海は千メートルぐらいまで凍ってしまう。
光合成生物は光が当たるところでしか生きられないので、彼らがどうやって
生き延びたかを説明しろと言われると回答に窮してしまう。光合成をする藻類が
全球凍結を生き延びた証拠があるのですが、誰もそれを説明できないんです。
:たけし 現在も北極の方に火山があって温泉がある。
 だから、全球凍結の時代にも凍らない地域があったのかな。
:田近 アイスランドとかに温泉があります。ですから、基本的に地球は凍って
 いても、局所的には温泉みたいなところがあって、そこは凍らないでいて、
光合成生物が生き残ったという考えがあります。
私もその説を支持したいが、まだはっきりとしたことは分かっていません。 
:たけし しかし、よく全球凍結から地球が抜け出せましたね。その理由も
 分かっているんですか。
:田近 全球凍結しても火山活動は継続していました。停滞していた火山活動が
 活性化して、火山噴火によって二酸化炭素が蓄積していけば、やがてその温室
効果によって全球凍結状態から抜け出せたと考えられています。
:たけし 凍ったところがとけて地表が出てくれば、太陽の熱を吸収する。
 それがまた地球を暖めることになって、凍った時と逆のフィードバックが起きる。
:田近 はい。ただ、それでも全球凍結から抜け出せるようになるには、
 数百万年から数千万年は必要です。(『新潮45』、282頁) ≫
▼ 生命という視点では、気の遠くなる時間になる。この私に至るまでには、
 こういう生命の歴史が背景に存在している。存在の不思議と、偶然と必然の
問題も出てくる。簡単に、ビッグバンまで遡って、それを成した大元を「神」
と言い切ることも可能。 「いま、ここ、わたし」の味わいこそ、永遠である。
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4943,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー51(余禄)
2014年09月26日(金)
  * 「倒産が悪い」は、思い込み?
 倒産など、実際のところ、その数ヶ月前までは思ってもいなかった。
繁華街の真中の商家で10歳まで生活をしたため、両親の話題は周辺の倒産話。
その生々しい具体例を多く聞かされていたた。さらに姉夫婦と、兄の会社の倒産
の相談も受けていた。それが、まさか自分も!とは。それもあり、新潟駅前の
事業設計には、万一の備えを長年にかけしていた。 以前にも書いたが、
《 家内とは通帳を別にして、家内名義の給与を与え、そこから厚生年金と
 社会保険をかけ、事業には家内も含め家族・親戚は入れない。月末現金決済。
地元にはホテルをつくらない。名士様の集まる会は同級会以外は避ける・・》
等々を守っていた。それが最悪の事態から自分を守ってくれた。身近の姉と兄
の倒産の実態を見ていたが、高利貸しなど街金融に手を出さなかった以外、
備えはなかったようだ。「倒産=悪」と思うのは仕方がないが、見込みない
経営を続けるより、深手になる以前の、体力のあるうちの整理は、むしろ
良いはず。そのためには、長年かけた備えが必要。最後は、こうなり少しは
ガッカリはしたが、学生時代に決心した創業人生を生きなかったら、大きな
後悔を持ったはず。 45年の人生は、それを最小にしてくれている。
『不安、挫折、絶望などのマイナス100のことは、エネルギー面で、
プラス100と、同じ」と、脳科学者・茂木健一郎の言葉にあったが・・ 
最後の節目と、現在も、自分と周囲の上面の視点が面白い! 
そうこう経験してみて、この結果も決して悪くはない!
私には丁度よい塩梅だったと思うしかないが。      |ω・`)
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4576, ほめことば練習帳 ー3
2013年09月26日(木)                     
  * 第二歩目は関心を持つということ。 
                「ほめことば練習帳」山下景子著
  ー要約の箇所からー
《 日本語には、風景や季節を愛で、讃える言葉がたくさんあります。
 それだけ、この国の風土を愛し、関心を寄せてきた証。人間が好きな人は、
自ずと褒めることが多くなる。旺盛な人は気づくことも多いので、ほめる
材料にこと欠かないでしょう。自分の価値観や思い込みに縛られている人は
ほめることができません。粗探しばかりしてしまうとしたら、要注意です。
それは、相手に関心があるのではなく、つまるところ、相手を否定している
のですから。ひとりひとり違う人の能力。それを敬う気持ちが、ほめ言葉に
つながるのでしょう。》
  ☆ 第二歩の(能力に敬意を表するほめ言葉)
 多才/三舟の才/詠雪の才/七歩の才/十八番/立て板に水/達筆折り/紙付き
/圧巻/ハ面六膏/鬼才/鍾々たる/ 賢い/利口/造詣が深い/知的/優れている/
上手/腕が立つ/ハ丁(八挺)/器用/妙/巧み/堪能/秀でる
▼ それぞれの個性を認めて、絶対肯定する言葉が「ほめ言葉」になる。
ほめることは、相手だけでなく、自分を肯定することになる。このことを自ら
分かっているか?というと、分かってない。肯定は意志。それが分からない。
    * 第三歩は、円滑油となるほめ言葉
《 ほめ言葉は、潤滑油としての役割も果たします。これらを第三歩として
 まとめました。特に日本人は、この使い方を大切にしてきたようです。
しかし、それゆえの弊害もある。よく「心にもないお世辞」などといいます
が、実際、ほめ言葉とお世辞の境い目は限りなく曖昧です。下心がなくても、
相手がそう感じれば、お世辞になってしまいますし、反対に下心があっても
相手が感じなければ、ほめ言葉です。ですが、人を傷つけないための潤滑油は、
必要だと思います。それよりもむしろ、ほめることによる効果を期待すること
の方が、問題ではないかと思うのです。 たとえば、やる気を出すために
ほめるなどということも、見返りを求めているといえないでしょうか。
ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈物をすることはあっても、はじめから
見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為ではありませんね。》
  ☆ 第三歩 ー潤滑油となるほめ言葉
 結構/重宝/面白い/珍しい/初めて/筆舌に尽くし難い/そこはか/微妙/
雰囲気があるいい/気が利く/卒が無い/機知に富む/打てば響く/才覚がある/
成る程/頼りになる/愛想がいい/いみじくも
▼ ほめ言葉は言葉の贈り物。贈り物には繊細の注意とタイミングと、
 綺麗な包装紙で包む必要がある。まずは身近な家族から、ほめる訓練をして
みようか。家内が服装に迷ったとき、何時も私に選択を委ねる。
その時がチャンス。(逆の場合は、無視されるが) そういえば、母親が
子供の頃から常に褒めてくれていた。 ほめ言葉は、愛情の自然表現になる。
ほめていれば自然と愛情が入る。逆に貶すことは、憎悪の念が入る。
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4201, 呪いの時代 ー16
2012年09月26日(水)                              
  * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2  
                 「呪いの時代」内田樹著 
「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。
ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥りやすい心理トリック。
その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年の
節目にハッとする。「本来の自分はこんな会社にいるべき人間でなかった!
自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」という幻想のなせる
ワザに気づかない。結婚相手の選定を失敗と思う夫婦の確率95%と酷似する。 
結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。それ以前に人生は幻想
そのものだが。で、結婚相手と、選定した職業を呪うのが必然となると、
大方の人は人生を呪う宿命?になる。だから老人の顔は肉体の衰いと病気が
重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでない
ことで諦めがつくというもの。誤解をして結婚、理解して離婚というが、
その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。
幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。ありもしない「ほんとうの私」
さがしが高じるとルーツを知りたくなる。
 ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、
源氏の末裔だろうが、それが何だというのだろう。その間に嫁の血が入って
いるため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての
「ほんとうの私」とは何か考えてみた。そう、HP内に10年以上もかけ、
いろいろアップしてきた、これ?。で、どうした? どうでもない! ただ、
それだけ。これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、この程度。 
その「正味の私」も、怪しげなもの。あとは文章と同じように、最後はひねりを
いれ自嘲するしかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の
「正味の私」を何とかフォローしようとする。それが性格の歪みになり、
その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。
そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、
政府に攻撃することになる。だから首相は一年も持たない。権力闘争で
批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。 
あるべき「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの時代では、権力奪取に有効に
働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、このザマ。
そして、今度は「維新の党」である。しかし結果は火を見るより明らか。
とはいえ、自公民の延長は困る。そうなると連立で強権政府を時限立法で、
大鉈をふるうしかない。要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、
正味の日本になるしかないと割切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、
自主憲法を作り直し、国民全体の生活を数段落とし(消費時アップ)、
地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。現実に、そうなる。
アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 
この10年、いや20年は大荒れになる!
・・・・・・・
3836, ツール(道具)について考えてみる ー3
2011年09月26日(月)
 どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れに。 
現在はデジタルの時代。情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタル
は限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に限りなく下がる。
完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。
知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に
浸透すると知的底辺の底上げが生じる。それが先端の能力を押し上げ、情報が
核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカ独裁国家
の現象。知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに
付随してくるアプリ(ソフト)。また家電と電気自動車、そして住宅にも、
その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、
あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、
スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、映画館、ファッション店、
スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚の
タブレットに集約されたこと。音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって
数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。本棚の数千、数万冊
の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出ている。
(ある時期が過ぎると自動的に消える)iPad/iPhoneのアプリだけで、既に
10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、
カーレースものをダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 
数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことが
できる。対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 
私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。ネット世界に入り込み、
その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。
一枚のICチップに80億個以上のトランジスターが入ったものが出ている。
トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で
買ってきたトランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 
あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが
80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。
デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、世界を根底から変えている。 
それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、
畑仕事や釣に没頭する生き方こそ求められる時代でもある。ツールに
振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。ツールはツール。
午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。
逆に中途半端か。こんなに面白いもの、私は使う方をとる。