〜「人間であること」時実利彦著
 ある本に、44年前に読んだ『人間であること』が紹介されていた。早速、
倉庫内の書棚で探し出し目を通しているが、当時、読書録をつけてなかったため、
印象に残ったページの折り目と、傍線の箇所と、少しの書込みしか、当時の記憶
はなかった。要約をノートに記録しておく必要性に気づかなかったのが青年期の
最大のミスで。そこで14年前から、随想日記で、公開し記録として残すこと
にし現在に至っている。 それ以前の20年間、2ヶ月に一度、社内報に
『事業百訓』として書いたのがあるが。 『人間であること』を改め読み直すと、
考えさせられる内容。44年の経験が、その意味を理解する裏づけになったため
である。 当時、こんな格調の高い?本を読んでいたと我ながら感心するが、
真に理解していたかというと、疑問である。 ここではページ順でなく、
印象に残っている部分からランダムに選んでみる。まずはー遊ぶことーより。
  * 遊ぶこと ーA
   〜まずは、要約から〜
≪ オランダの分明史家のホイジンガーは、私たちの人間のあらゆる文明は
 遊びから始まったとみてとり、‘ホモ・ルーデンス’(遊ぶ人)という書物を
書いている。彼の論旨には全面的に賛成できないとしても、「人間のある姿」と
一つの側面を捉えている。赤ん坊は赤ん坊なりに、子供は子供なりに、大人は
大人なりに、遊びを楽しんでいる。遊びは、動物も遊んでいる。日本猿の子供も
よく遊ぶが、7〜8歳でピタリと遊びを止める。しかし、人間だけは、遊びを
止めない。この答えは、脳の本質を、その仕組みに即すると出てくる。
 遊びを四つの異なる精神によって演出されている。
四つの遊びにはそれぞれ異質で、その存在意義がある。
・第一の遊びは模倣するという心にかきたてられた行動である。動物の脳は、
生まれた時、殆ど成熟しているが、未成熟な部分が模倣行動(遊び)で成熟、
発達する。よく遊ぶ動物はサルであるが、大人になると遊ばなくなる。
 しかし人間は大人になっても遊ぶ。それは人間だけが遊びを必要とする前頭
連合野を発達させているからである。私たち人間は、第二、第三、第四、と
 あの手この手で遊びをやている。・・・ つづく  ≫
▼ 第一は模倣、第二は憂さ晴らし、第三は勝負ごと、第四は創造である。
 それらは次回になるが、私の母が、『仕事も、勉強も、何事も、遊びに
なるまで打ち込むこと』と教えてくれたが、第二、第三は、馬鹿でも出来るが、
問題は第四。これは人間だけが出来る遊びという。この随想日記も、
14年の時間の結果、既に遊びになっている。     〜つづく 
・・・・・・
4731,閑話小題 ー結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
2014年02月26日(水)
  * 結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
 朝日新聞の土曜版に、美輪明宏の人生相談‘悩みのるつぼ’があるが、
これが面白い!先週は、結婚歴33年の57歳男性の「妻に振り回されて
いるのですが・・」の相談。
《・質問 <私はマイペースの行動して個人の時間を大事にしているが、
 妻は何時も他人のことを気にし、何か不安があると、口にし、私に共感を
 求めます。総合的に私は、その妻に振り回されています。> に対して、
・答は <いい歳をして何もわかってない。男女は精神的にも、生理的にも
 違っていて考え方が根本的に違うもの。結婚生活とは、忍耐、努力、諦め
 以外のなにものでもない。これが、その正体であり、本質。現在、日本の
 若者たちの間で「シェアハウス」が流行している。言わば共同下宿で、
 一人で生活するのが経済的、精神的に難しかったりする若者が暮らす。
 他人を必要としない時には、離れた部屋にいて、人の息づかいを感じたい時
 には、共有スペースに出ていって話をしたりする。結婚とは、そういうもの
 では? 還暦過ぎて、家に一緒にいるケースが多くなると、この姿勢が
 必要になる。妻を亡くしたことをシュミレーションしてみて、そのプラス
 マイナスを考えれば、自ずと答えが出るはず。妻のマイナスだけを見ずに、
 プラスもを考えて、感謝をしてみれば!> 》と、ギレがよい。
  家に入って3年近くになるが、互いに我が強いため大変だが。その間に、
 40年以上の結婚生活で至った結論が、上記の「シェアハウスと思えばよい!」 
 この三年間では、互いの居間の滞在時間を半々にすること。私がいる時間帯は、
 家内は食事の支度など家事をして、私が書斎で読書とパソコンや、寝室で
 ドラマなどを見る時間帯は、家内が居間と、棲み分けている。 
 就寝時間も私が20時過ぎ、家内が0時。起床時間は私が冬場4時半、
 夏場が4時。家内は7時過ぎ。結婚以来だが、互いに自分のスケジュールを
 淡々とこなすが、2〜3ヶ月に一度は恒例の喧嘩になるが、数日で元に戻る。
 そこに自然と「忍耐、努力、諦め」が滲み出る。色いろ見てきて「独り暮しの
 厳しさ」が分かるため、まず我慢、忍耐!だから、互いに違ったライフワーク
 と、共通の趣味が必要。定年期を向えた日本中の団塊世代が、家庭内では、
 忍耐、努力、諦めの鍛錬の諍いが生じている。私のように、立場が180度も
 逆転した者にとっては、この実感が強い!
 m(。・ε・。)mスイマ-m(*- -*)mス・スイマセーン (≧◯≦)(-゛-;)~(TmT)ウゥ・・
   :/   u\;   コノヤロ(☆_@;)☆\(`-´メ)  
 ;/   ノル(<)\;   / ;u  ノ \   
 ;|  (>)  _)  \;/   ⌒   \    
 ;|::: ⌒(__ノェソ   /       、   
 ;.\ u ´   ソ  /   ^     |
    ;\     ,   |             
   ,ヾ \_ n^^- \     j; __/
  ;/  ∠_;i  ̄丶/ ̄      \  ´          
・・・・
4364, 嘘と真実 −3  
2013年02月26日(火)            
    ー『「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著』よりー
 嘘といえば、超能力と霊媒である。少しは本物もあるのだろが、99%は
タネがある。所詮は、思い込みでしかない。世の中の現象、嘘と真実が丁度よい
塩梅で混合している。営業活動は9割方は、これを知り尽くしたもの。絶対量と
質を持ったものが、知らないものへ都合良く誘導する。政治など、まさにこれ。
  * サイキックマフィア
≪ 50年前の1961年の頃、世界心霊主義者協会の理事で、世界で最も
 金を取る霊媒師の一人だったラマー・キーンは、全米各地で交霊会を催し、
神秘体験を求める人たちの前で霊視能力や念動作用、心霊療法などさまざまな
奇跡を演じてみせる。スター霊媒ともなれば湯水のごとくカネが流れ込み、
王侯貴族のような豪邸に暮し、美女をはべらせ最高級のレストランで食事をし、
一流のナイトクラブで札束をばら撒く夢のような生活が待っている。
彼がほかの霊媒とちがっていたのは、虚飾の生活に倦んで正直な生活に戻ろう
と思い直したことだ。彼は『サイキックマフィア』(太田出版)という本を書き、
‘幽霊ビジネス’のカラクリを暴露した。交霊会では、さまざまな"奇跡"が
演じられる。物体移動の実演も、そのひとつで、こんな感じだ。
会場から指名され壇上に上げられた男に、霊媒が訊く。「免許証をなくされたん
じゃない」怪訴そうな顔で、男は反論する。「そんなはずはないよ。免許証は
いつも財布に入れていたんだ」 「だったら、確認されたらどうですか?」
男が財布を開けると免許証はどこにもない。「お捜し物はこれですか?」
霊媒は、胸ポケットから男の免許証を取り出してみせる。もう少し手の込んだ
ものがある。交霊会で、年配の女性に霊媒が尋ねる。「最近、大切なものを
無くされたのではないですか?」そして、それを出してみせる。何ということは
ない。スリを雇って予め抜き取っていた。交霊会前に、広告などで参加者を募る。
霊媒は、その中から適当な人を選んで、人を雇って花を届けさせ、家の中の様子
をうかがい、情報を取る。そして、あたかも霊感があたったように、
その詳細を全員の前でいう。 ≫
▼ 要は事前に情報をとっていて、手品のように効果的に使えばよいだけ。
 どんな社会にも、神秘体験に惹かれる人たちがいて、‘本物の神秘体験’
を求めてオカルト世界を放浪する。そんな彼らのために、‘超能力’を演じ、
効率的に搾取する仕掛けができている。そしてサイキックマフィアが、
そういう連中の情報を互いに流している。キーンが、活躍したのは1960年代。
あれから半世紀が過ぎ、科学は進歩してが、そのテクニックは更に進歩した。
手品師が、こぞって霊媒師に変身していった。
・・・・・・
3989, カーネーション
2012年02月26日(日)
 朝の連ドラ「カーネーション」、初めから見続けてきたが、なかなか面白い。
デザイナーのコシノ三姉妹の母親と実家の商家を題材にしたドラマ。初めの
触れ込みは、「NHKの朝ドラで、一番がらの悪いヒロイン役」だった。これを
見るにつけ、私が育った実家が思い出される。このドラマの数十倍の濃さと
激しいドラマがあった。父が亡くなった後の私の代も次々と問題が起きていた。 
商家の家族には、あらゆる問題が全て現れ出る。この連ドラには、ヒロインの
三姉妹の母親の業が、赤裸々に表現されている。和装店から洋装店への業種
の転換と、親娘の商売上などの葛藤などの実話が背景にあるため非常にリアル。
また主役のタレントも役に憑依したような熱演。ヒロインの思い込みの強さと、
目の前の障害に身体ごとぶつかっていく姿は、私の20歳、30歳の頃の姿を
見ているようである。あの赤裸々の柄の悪さ?は、時代の変化に対応するに
自然に出てくる姿。 時代は商売に関係なく先に動いていく。その変化対応に
捨て身で取り掛からないと難しい。その辺を、このドラマは上手に脚色。 
 実在のコシノ三姉妹の子供の頃からの取っ組み合いの喧嘩も、リアル。 
私が事業を始め気づいたことは、事業に家族や親戚を入れないのが鉄則。 
事業は極限の限界の連続。そこで相打ちになる。コシノ三姉妹は、そのことに
気づいていたようだ。三姉妹の母親の子育ては、殆ど祖母が担っていた。 
浮き役としてのオバアサンの役割が、そこにある。人類の進化にオバアサンの
存在の役割があったという説がある。経験の知恵伝達をオバアサンを通して、
子孫に教えを伝える役割である。その役割を、とぼけたオバアサン二代が、
巧妙に果たしている。 それぞれが主体的に生きてこそ人生ということか。 
いずれにしても同じことだが・・・
 ・・・・・・・
3624, 自己の探究 ー1
2011年02月26日(土)
 「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
   ーアマゾンの内容
 悩む人にも、悩まない人にも。偉大な思想家たちの思索をたどりながら、
他者や世界と繋がる自己発見への旅。モンテーニュら偉大な思想家たちの
思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのより
よい関係の構築を模索する。
ーー
哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、
ソクラテスモンテーニュパスカル、アミエルなど、を取り上げている。
「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための
「カタログ」でもある。どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に
対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。 
≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。
 日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題であることに
気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇
すると、自己は一種の棘となってわれわれを苦しめることにもなる。

        • しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として

生きることがいかなることかが少しずつ見えてくるであろう。自己への旅は、
われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、
自分との対話や反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に
 変化することをやめないからであり、自己を探究する視線にも変化が伴うから。 
それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線
とが交錯するなかでくりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。 
そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
思っていた側面が疑わしくなる、自分の見方の狭さ、窮屈さが見えてくる、
もうひとつ先を読む見方が自分に求められてくる、というようにして自分を
軸にした思考がくりかえされる。この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって
偏狭な自閉的世界へと入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
▼ 60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしく
 なってきた。 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。最近、
自分の中に以前から下町などで見た歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になってきた。 
自分の老いを見つめることも自己探究。
・・・・・・・
3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
 2010年02月26日(金)
  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 
六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、そこの
住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の
僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。当時は、問答をして負けた方が、
寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、
その日は住職は留守だとして旅の僧を引き取らせますが、また来ると言われ、
困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと
言うので八五郎は代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、
住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで
問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って前に突き出すと、
住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。
(字数制限のためカット 2012年2月26日)
・・・・・・・・
2884, 被膜で隔てられて
2009年02月26日(木)
        「ことばの顔」ー鷲田清一    中公新社
被膜に隔てられてー ミッシェル・セールの哲学
ーもし君が身を救いたいと思うのなら、君の皮膚を危険にさらしなさいー
何気なく読んでいたら鋭い指摘に、深く納得。
  ーその一部をまとめてみるー
 私たちは傷つくことを深く恐れているらしい。いつも被膜越しに、
防禦壁ごしにものに、出来事に関わろうとする。関心がないわけではない。
強く惹かれるけれど、それにふれて、ぶれてしまうことを恐れるのだ。
そう、火遊びをこわがるのだ。とりかえしのきかない痕跡が残ることを
怖がるのだ。TV、ビデオをまるでマジックミラーをのぞくかのように、
まるで透明人間のように、他人のプライベート空間に入って行きたいと思う。
あるいは殺人事件の現場、他人のセックスを身近でみたいと思う。
 それも自分がその場に身体をもつことなく。
・ホラーや怪奇のビデオは今も人気がある。 バラエティ・ショーも、
 この場合は、自分も実は観たいし参加したいが、画像を通せば簡単に
 参加した気分になれる。
・TV、インターネット、携帯電話、など全てが被膜を通している。
・透明ラップ ー>スーパーの魚や肉も同じ。調理済みにしパックされている。
 私たちは、自分の皮膚をさらさない、避難所に立てこもったままで、しかし
 他者に、異物に関わりあいたいと願う。いや、現代ではその被膜こそが、
 唯一の対象なのかもしれない。物ではなくて媒体そのものが最初の、異物と
 思われない異物なのかもしれない。そうすると、他人でも物でもなく、媒体
 という遮蔽膜が私の環境になっているかもしれない。セールは、(内部)を
 皮膚という表層の効果としてとらえた人だ。皮膚と皮膚とが接触するところに
 〈魂〉が生まれると考えた。唇を噛みしめる、額に手を当てる、手を合わせる、
 括約筋を締める、そうすると〈魂〉が生まれる、と。そう〈魂〉をさらした
 ゲームの中で、ひとはじぶんの存在に触れる。そう、傷の中で、時間がなにか
 のきっかけで思い出したように疼かせるあの傷の中で、そう、負った傷だけ、
 たしかに〈わたし〉は存在する。少なくとも「美には傷以外の起源はない」。
 そういったのはジャン・ジュネである。
 ーー
 以上だが、中高年になって人生を振返ると、この言葉の深さが思い知らされる。 
最近になって、傷の痛みが深く疼く。嫌な記憶がフラッシュのように蘇る。
しかし、その痛みの分だけ〈わたし〉は存在してきたのである。
〈魂〉をさらした分だけ、自分は生きてきた。 そして、その痛みに疼くこと、
それが生きていることになる。情報機器で私たちは何時の間にか囲まれてしまい、
我が身を危険にさらすことが少なくなっている。それが、自分自身の真の危機
であることをしらないで・・ そういう私も年齢を重ねるごと(皮)膜が厚くなる。 
それが老いるということなのだろうか? この恐慌で世界中が情報機器の便利さも
重なり、内籠り傾向になってきた。それが実は恐ろしいことである。 
充分に皮膚をさらした後なら、まだ良いが。中年クライシスや、初老性鬱病は、
その過剰や過小を起因とする。 充分すぎるぐらい曝してきたか? 
こんなものか? 傷の疼きに聞いてみよう!
 ・・・・・・・・・
2008年02月26日(火)
2519, ジム・ロジャーズの講演 −1
2年前にジム・ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白い。
その彼が日経新聞の主催の講演会で述べた内容が、この日曜版に載っていた。
 大まかの内容をまとめてみた。 〜世界の大きな流れとして、
*21世紀は中国の時代。= 中国で何か問題が起きたときは投資のチャンス。
 20世紀はアメリカの、21世紀は中国の世紀。娘は完璧な中国語を話せる。
 2003年生まれの娘にとって一番身に付けさせたいスキルだったので覚えさせた。
アメリカ離れ進む= 私の娘はアメリカドル預金を持っていないし、私も資産を
 ドルから撤退させるつもり。株式もアメリカ及びアジアで現在株価は下っている。 
 配当利回りなどいかなる指標を使ってもアメリカの株式は割高。
 3〜4年周期で上がったり下がったりするだろう。短期売買で儲ける
 人々もいるだろうがすすめはしない。
日本株= アメリカ株に投資するよりは良いので多少持っているが、
 アメリカの影響を受けない会社に投資したほうがいい。アジアの 水・農業
 関連また中国人の観光に関する会社ならアメリカの影響を受けないので有力。
 私は日本では高齢化関連の会社、幼児関連の会社などをもっている。日本の商品
 のブローカーはこれからリターンが楽しみだ。日本は現在少子化対策をあまり
 していないが、やがて少子化対策に動くと信じ幼児関連の会社に投資している。
*通貨= 私は10から20ぐらいの通貨をもっているが、最近は、人民元・日本円・
 スイスフランに投資している。人民元は交易量がどんどん上がってきている。
 人民元は非常に割安で安全な投資先。 日本円やスイスフランは何かがきっかけ
 でキャリートレードの巻き戻しがおこり上昇するだろう。オーストラリアドル
 ニュージーランドドルに投資している人は日本の低い利率が変わるときに注意
 すべき。利率が変わると他の国の人が円を買い戻す動きが起こる可能性がある。
 利率だけにこだわってアメリカドルに投資するな。長期ではアメリカドルの価値
 は下がる。それをふまえたならもっていてもよいだろう。商品の時代に1999年
 からはじめった商品の上昇相場はおそらく2020年まで続くだろう。
 企業を分析して株式に投資するより商品は簡単な投資。需要と供給をみればいい。
 オイルをみると、供給は25年間減っている。40年間、大きな油田の発見がなく、
 アラスカ・メキシコ・北海など既存の油田も産出量が減っている。 
 国別で見ればイギリス・マレーシアは10年以内に輸入国になる。
 中国・インドネシアはすでに輸出国から輸入国になってしまった。
 またどのオイル会社も埋蔵量が減っているというデータもある。
 一方需要は、世界全体が成長し続け増え続けている。一人当たりのオイルの
 使用量を国別で見ると中国は日本の約10分の1、インドは約20分の1。 
 中国・インドの人達はいま日本のような暮らしがしたいと思い働き・投資を
 している。特に現在30年〜50年来割安な農産物への投資がおすすめする。
 最高値より砂糖は85%・コーヒーは60%・小麦は50%安い。
      (字数の関係で中間カット11年02月26日)