「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」 和田 渡 (著)
    ーアマゾンの内容
 悩む人にも、悩まない人にも。偉大な思想家たちの思索をたどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。
 モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。
   ーー
  哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、ソクラテスモンテーニュパスカル、アミエルなど、
  を取り上げている。「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための「カタログ」でもある。
  どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。 
 ≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題で
  あることに気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇すると、自己は一種の棘となってわれわれを
  苦しめることにもなる。----- しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることかが
  少しずつ見えてくるであろう。 自己への旅は、われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、自分との対話や
  反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
 ≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に変化することをやめないからであり、自己を探究する
  視線にも変化が伴うからである。 それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線とが交錯するなかで
  くりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。 そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
  思っていた側面が疑わしくなる、自分の見方の狭さ、窮屈さが見えてくる、もうひとつ先を読む見方が自分に求められてくる、
  というようにして自分を軸にした思考がくりかえされる。 この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって偏狭な自閉的世界へと
  入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
   〜〜
  60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしくなってきた。 
 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。 最近になって自分の中に以前から下町などで
 見てきた歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になって見えてきた。 自分の老いを見つめることも自己探究か。

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3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
 2010年02月26日(金)
  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、
そこの住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。
当時は、問答をして負けた方が、寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、その日は住職は留守だとして
旅の僧を引き取らせますが、また来る言われ、困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと言うので八五郎
代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って
前に突き出すと、住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。それを見た旅の僧は、住職の六兵衛さんに
平伏してしまいます。次に、その僧は、両手を開いて前に突き出すと、住職の六兵衛は片手で5本の指を立てて前に出す。
すると、又も旅の僧は、平伏してしまいます。 最後に旅の僧は、恐る恐る3本の指を立てて前に出すと、住職の六兵衛は「あかんべー」をする。 
旅の僧は、またも驚いて平伏すると、逃げるように寺を出て行く。さっぱり意味が分からない八五郎は、彼を追いかけ、
どんな問答をしたのか尋ねます。旅の僧がいうには 「御住職は無言の業の最中であられるので、先ず胸の前に小さな輪を作り、
御住職のお胸の内は?と尋ねますと、大きな輪を作られ『大開法』、全く曇りなし、という。次に十本の指を立てて『十方世界』はと尋ねますと、
御住職、五本の指を出され『五戒で保つ』と申されました。 最後に3本の指を出して『3尊の弥陀』は、と尋ねますと、御住職、目の下を指され
「目の下にあり」と申されました。愚僧の及ぶ所のない、御住職です」と言って寺を出った。感心した八五郎が住職の六兵衛の所へ来て、
何時の間にあんな問答なんかを覚えたかと尋ねると六兵衛カンカンに怒って、「あいつは旅の僧じゃなくて、ただの乞食だ」と言う。 
先ほどの問答の内容を八五郎が聞くと、六兵衛曰く 「あいつは、俺が蒟蒻屋だと知ってやがって、先ず、小さい丸を作って、お前の所の蒟蒻は、
こんなに小さいって言いやがるから、こんなに大きいやい、って言ってやったんだ。 そしたら十丁で幾らだと聞きやがったから、
少し高いが5百文だって言うと、3百にまけろ、って言いやがるから、あかんべーをした」
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 これを読むと、かなり深い示唆がある。「世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる」いっけん頭でっかちの若い僧侶を
揶揄しているが、その人の知識の深さで、世界を如何読むかの話になってくる。知識とは、そういうものである。
知っている以外のことは知らないのである。知るには、長年の経験と読書でしか得ることが出来ない。
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2884, 被膜で隔てられて
2009年02月26日(木)
          「ことばの顔」ー鷲田清一    中公新社
  被膜に隔てられてー ミッシェル・セールの哲学
    ーもし君が身を救いたいと思うのなら、君の皮膚を危険にさらしなさいー
 何気なく読んでいたら鋭い指摘に、深く納得した。
   ーその一部をまとめてみるー
 私たちは傷つくことを深く恐れているらしい。いつも被膜越しに、防禦壁ごしにものに、出来事に関わろうとする。
 関心がないわけではない。強く惹かれるけれど、それにふれて、ぶれてしまうことを恐れるのだ。そう、火遊びをこわがるのだ。 
 とりかえしのきかない痕跡が残ることを怖がるのだ。TV、ビデオをまるでマジックミラーをのぞくかのように、まるで透明人間のように、
 他人のプライベートな空間に入って行きたいと思う。あるいは殺人事件の現場、他人のセックスを身近でみたいと思う。
 自分がその場に身体をもつことなく。
 ・ホラーや怪奇のビデオは今も人気がある。 バラエティ・ショーも、この場合は、自分も実は観たいし
  参加したいが、画像を通せば簡単に参加した気分になれる。
 ・TV、インターネット、携帯電話、など全てが被膜を通している。
 ・透明ラップ ー> スーパーの魚や肉も同じである。 調理済みにしてパックされている。
 私たちは、自分の皮膚をさらさない、避難所に立てこもったままで、しかし他者に、異物に関わりあいたいと願う。 
 いや、現代ではその被膜こそが、唯一の対象なのかもしれない。物ではなくて媒体そのものが最初の、異物と思われない
 異物なのかもしれない。そうすると、他人でも物でもなく、媒体という遮蔽膜が私の環境になっているかもしれない。
  セールは、(内部)を皮膚という表層の効果としてとらえた人だ。皮膚と皮膚とが接触するところに
〈魂〉が生まれると考えた。 唇を噛みしめる、額に手を当てる、手を合わせる、括約筋を締める、
 そうすると〈魂〉が生まれる、と。 そう〈魂〉をさらしたゲームの中で、ひとはじぶんの存在に触れる。
 そう、傷の中で、時間がなにかのきっかけで思い出したように疼かせるあの傷の中で、そう、負った傷だけ、
 たしかに〈わたし〉は存在する。少なくとも。「美には傷以外の起源はない」。そういったのはジャン・ジュネである。
  ーー
 以上だが、中高年になって人生を振り返ると、この言葉の深さが思い知らされる。 最近になって、傷の痛みが深く疼く。
 忘れていた嫌な記憶がフラッシュのように蘇る。しかし、その痛みの分だけ〈わたし〉は存在してきたのである。
〈魂〉をさらした分だけ、自分は生きてきた。 そして、その痛みに疼くこと、それが生きていることになる。
 情報機器で私たちは何時の間にか囲まれてしまい、我が身を危険にさらすことが少なくなっている。それが、
 自分自身の真の危機であることをしらないで・・・  そういう私も年齢を重ねるごとに(皮)膜が厚くなる。 
 それが老いるということなのだろうか?  この恐慌で世界中が情報機器の便利さも重なり、内籠り傾向になってきた。 
 それが実は恐ろしいことである。 充分に皮膚をさらした後なら、まだ良いが。 中年クライシスや、初老性鬱病は、
 その過剰や過小を起因とする。 充分すぎるぐらい曝してきたか? こんなものか? 傷の疼きに聞いてみよう!
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2008年02月26日(火)
2519, ジム・ロジャーズの講演 −1
2年ほど前にジム・ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白い内容であった。
その彼が日経新聞の主催の講演会で述べた内容が、この日曜日に載っていた。
 大まかの内容をまとめてみた。
 世界の大きな流れとして、
*21世紀は中国の時代。
 中国で何か問題が起きたときは投資のチャンス。20世紀はアメリカの、21世紀は中国の世紀である。
 私の娘は完璧な中国語を話せる。2003年生まれの娘にとって一番身に付けさせたいスキルだったので覚えさせた。
アメリカ離れ進む
 私の娘はアメリカドル預金を持っていないし、私も資産をドルから撤退させるつもり。株式もアメリカ及びアジアで
 現在株価は下がっている。 配当利回りなどいかなる指標を使ってもアメリカの株式は割高。
 3〜4年周期で上がったり下がったりするだろう。短期売買で儲ける人々もいるだろうがすすめはしない。
日本株
 アメリカ株に投資するよりは良いので多少持っているが、アメリカの影響を受けない会社に投資したほうがいい。
 アジアの 水・農業関連また中国人の観光に関する会社ならアメリカの影響を受けないので有力。私は日本では高齢化関連の会社、
 幼児関連の会社などをもっている。 日本の商品のブローカーはこれからリターンが楽しみだ。
 日本は現在少子化対策をあまりしていないが、やがて少子化対策に動くと信じ幼児関連の会社に投資している。
*通貨
 私は10から20ぐらいの通貨をもっているが、最近は、人民元・日本円・スイスフランに投資している。
 人民元は交易量がどんどん上がってきている。人民元は非常に割安で安全な投資先
 日本円やスイスフランは何かがきっかけでキャリートレードの巻き戻しがおこり上昇するだろう。
 オーストラリアドルニュージーランドドルに投資している人は日本の低い利率が変わるときに注意すべき。
 利率が変わると他の国の人が円を買い戻す動きが起こる可能性がある。利率だけにこだわってアメリカドルに投資するな。
 長期ではアメリカドルの価値は下がる。それをふまえたうえでならもっていてもよいだろう。 商品の時代に1999年からはじめった
 商品の上昇相場はおそらく2020年まで続くだろう。企業を分析して株式に投資するより商品は簡単な投資だ。需要と供給をみればいい。
 オイルをみると、 供給はここ25年間減っている。40年間、大きな油田の発見がなく、アラスカ・メキシコ・北海など
 既存の油田も産出量が減っている。 国別で見ればイギリス・マレーシアは10年以内に輸入国になる。
 中国・インドネシアはすでに輸出国から輸入国になってしまった。またどのオイル会社も埋蔵量が減っているというデータもある。
 一方需要は、世界全体が成長し続け増え続けている。一人当たりのオイルの使用量を国別で見ると中国は日本の約10分の1、
 インドは約20分の1。 中国・インドの人達はいま日本のような暮らしがしたいと思い働き・投資をしている。
 特に現在30年〜50年来割安な農産物への投資がおすすめする。最高値より砂糖は85%・コーヒーは60%・小麦は50%安い。
 また小麦の耕作面積・生産に携わる人は減っており、在庫は1970年以降まれにみるレベルまで減ってる。
 同じくパネル討論をしたさわかみ投信澤上篤人氏も、エネルギー、食糧、工業原料、水の価格は
 ジム・ロジャーズ氏と同じく中国・インドなどの発展が理由で上がり続けるだろうと述べている。
投資の初心者へ
 実際に自分が使っているものから始めるとよい。さまざまの商品を扱っているソニーや巨大なトヨタの実態はつかめなくとも、
 自分が使っている商品はわかりやすい。状況が良くない時に、人が目をつけねいないものに注目すべきだ。割安で人気のないものの
 情勢の変化に注意して買えば、例え思惑通りにならなくても多くは損をしない。
 うわさ・TV・酒飲み話などに惑わされないで、自分で勉強して一つのものに長期投資すべきだ。
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以上だが、またまた偶然の一致で、二年前の今日、ジム・ロジャーズの読書日記が書いてあった。
本当に不思議である。あまりに多いから驚いてしまう。何か、この中に大きなヒントがあるのだろうか?
                        つづく
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2007年02月26日(月)
 2155, 格差社会        (~Q~;)  おはよう〜〜ファ〜
先日TVを見ていたら格差社会について報じていた。事業者の立場の実感として、その拡大をヒシヒシと感じているが、
さらに加速しているようだ。自由競争が情報化やグローバル化により、激しさを増した結果である。「20対80」の法則が、
「5対95」の法則に変化したということだ。(20の要素に80が集中する法則が、5に95が集中)
  ー以下の数値は「格差社会」で検索した結果であるー
就業者の33%が200万以下の収入で、30㌫が非正社員。その雇用形態による所得格差は、リクルートワークス研究所
04年7月の調査によると、正社員の平均年収は532万円、派遣社員は227万円、定職に就かないフリーターは167万円。
派遣社員やフリーターがこの三年で更に増えてきて、それが格差拡大につながっている。
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先日の新聞によると、「生活保護世帯の補助金に満たない就業者が25%になった!」と報じていた。
その影響は結婚にも表れている。大学を卒業して1年後に正社員だった男性は10年後に71%が結婚しているが、フリーターは
35%しか結婚していない。背景にはフリーター期間の長期化による現在や将来の経済的不安がある。他山の石の話ではない、
5年間で当社の売り上げも3割も減り、その対策として正社員数も三分の一に減らし役員の収入も35㌫のカットで何とか
償却後利益を出している。今年に入って売り上げもストップ、少し反転を始めているが。
何とか新潟駅再開発工事が始まりつつある結果だが、一時は身も凍る思いであった。不動産デフレと、宿泊費の低下で
合理化が更に求められており、それが出来なければ退場せざるを得ないのはどの世界も同じである。
それでも世界的にみて日本は、まだまだ豊かな生活レベルである。
 ーあるHPで世界の格差の対処比較を鋭くついていたー
世界をみると、大雑把に欧州型、アメリカ型、中国型の三つに分けられる。
・ヨーロッパ型は格差を維持するかわりに「下層」に余裕を与える、
アメリカ型は「個人の平等な競争」によって格差の再生産を正当化する、
・中国型は格差を平等への「過渡期」と位置づけている、大雑把に世界は、これで「格差社会」に対応している。
  (字数の関係で中間カット09年02月26日)
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これらから世界との競争に晒された競争激化の結果として国内で、その層の拡大は当然といえば当然である。
その意味で、更にこれから10年間は激しく国内を変えるだろう。 弱肉強食の競争社会が鮮明になる本格的格差社会の到来である。
特に地方経済の弱体化が更に激しくなる。北朝鮮とはいわないが、アメリカ社会に近い状態に近づくということだ。
高度成長期に人生の良い時に生きてきた! 現状からみれば天国のようなもの。
これから若い人は本当、生きていくことが大変である。ただし、我われの世代と較べればの話であるが・・・          
                            (⌒▽⌒)/"”さいなら!    
・・・・・・・
2006年02月26日(日)
 1790, 冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行  ォ'`ォ'` 。+゚ヽ(。・c_,・。)ノ゙。+゚ォ'`ォ'`hayo
ウォール街の伝説の投資家がバイクで世界6大陸を旅するリアルで息をつかせない内容だ。
投資や経済の話を、中国、ロシアからアフリカ、中南米まで、世界各国を走りながら、それぞれの国を鋭い
視点と洞察力で分析する。一緒にバイクに乗りながら、それぞれの国の実情をみて、経済の実務教育を
受けているような気持ちになってしまう本である。世界を見れば、自国のことがわかるようになる。
 (字数の関係で中間カット09年02月26日)
 〜〜      ==)/C□~~ コーヒー
   −−
この二週間新幹線の往復の車中で読んでいるが、本を開いたと同時にロジャーズの世界に引きずり込まれてしまう。
さっそく続刊の「ジム・ロジャーズ 世界大発見」(日本経済社)をアマゾンで発注した。
彼の口癖の「人生は短い、遠くまで行って世界を見よう」が彼の心情をそのまま表している。
辺境を、身体を張って旅をしてきた一言一言がストレートに伝わってくる。
    次回は、この本の中で印象的な言葉を抜粋する。
ツアーでしか秘境・異郷に行けなかったが、そのツアーでさえギリギリだったのだから、読んでいて著者の意志の強さと能力には
ただ驚かされる! しかし観た風景は同じである。苦労すればするほど、受け止め方が全く違うのも解るが!
    世界は広い、そして深い!                       ー つづく
・・・・・・・
2005年02月26日(土)
 1425, アメリカインディアンの教え
以前にも、この「アメリカインデアンの教え」について書いたことがあった。
 ーインデアンの言葉より
・唯一の正しい知恵は、人類から遥か遠く離れた大いなる孤独の中に住んでおり、
 人は苦しみを通じてのみそこに辿り着くことができる。 (カリブエスキモー、シャーマン)
・自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれても
 いない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる。 (アメリカ先住民の古老)
・おまえが大きな船に乗り、私が小さなカヌーに乗っていても、私たちは同じ生命の川を分かち合わねばならない。
                           (アメリカインディアンの古老、オーレン酋長)
・すべての暖かい夜 月光の下で眠れ その光を、一生をかけておまえの中に取り込むのだ
 おまえはやがて輝き始め いつの日か 月は思うだろう  おまえこそが月なのだと(クリーインディアンの詩)
・岩は偶然ここにあるのではない。 木は偶然ここに立っているのではない。
 そのすべてを造った者がいる。 私たちにあらゆることを教えてくれる者が。(クロウインディアン)
・大地は知っている。もしおまえが、間違いを犯せば大地は知っている。   (コユコンインディアン)
・大地が横たわっている。大地の魂が横たわっている。その上はすべての生き物で装われている。
 聖なる言葉が横たわっている。                     (ナバホインディアンの歌)
・せせらぎや川を流れる輝かしい水は、ただの水ではなく、われわれ祖先の血だ。
 湖の水面に映るどんなぼんやりとした影も私の部族の出来事や思い出を語っているのだ。
 かすかな水の音は私の父の父の声なのだ。              (シアトルの酋長)
・祖先の人々に生命を与えたのは風。指先をかざして私たちは風の来た道を知る。(ナバホインディアン)
・大気はそれが育むあらゆる生命とその霊を共有していることを忘れないで欲しい。
 我々の祖父たちの最初の息を与えた風はまた彼の最期の息を受け取る。(シアトルの酋長)
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2004年02月26日(木)
 1058, 赤ちゃんは左手で抱っこする
母親は右利き左利きに関わらず、赤ちゃんを左手で抱っこする。聖母マリアの絵も左手で抱っこしている。
(字数制限のためカット 2010年2月26日)
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2003年02月26日(水)
 693, 「ホームレス作家
新潟の駅にも40人ぐらいのホールレスがいる。段ボールを見かけるが、昼はさすがに寝ている人は見かけない。
(字数の関係でカット2008年02月26日)
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2002年02月26日(火)
343、ある時間の断面-4
 1968年 9月10日
7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強!その後長岡の明治大学の1年の田村君と話す。2〜3日まえにやはり
勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。午前様「一という数字はあるが、一という実体はない。
それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。一は万物であるともいえる」「人間は実体だけでない、魂であり、
永遠的なものである。全ては生き続けている。」デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。それを超えた存在はいくらでも存在する。
それは修行によって初めて知る事ができる。」「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
 9月11日
御前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで座禅に挑戦!計8時間休み休みだ。
午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事はさっぱり解らない。
ここの2週間近くは、充実したものだった。明日からは娑婆である、楽しみだ。これから高橋さんと根本君と送別会だ。