つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=dmxtHv6WpR0&feature=related

 あと数日で3月になる。 雪は、一日一日と消えていく。
ニュージーランド地震がさっそく起こり、北アフリカの暴動も含めて、
世界の大きな事件がたて続きに起こってきた。 産油国だけに目が離せない。
 大ニュースが当然のように、おきているが、それに私たちは慣らされている。


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   毎日新聞 二月二五日
 金言:独裁者、似ている末路=西川恵

 リビアの混乱は冷戦終結の契機となった東欧の民主化(89年)の時のルーマニアを私に思い起こさせる。
東欧の民主化は、ポーランドハンガリー東ドイツ……と、暴力を伴うことなく社会主義体制を崩壊させた。
しかし最後のルーマニアだけは、チャウシェスク政権が反政府デモを弾圧し、多くの犠牲者を出した。

 今回、チュニジアとエジプトは、軍事衝突のないまま、政権が崩壊した。
しかしリビアの最高指導者カダフィ大佐は軍を投入し、流血の事態になった。
ただルーマニアと重なるのは流血だけではない。独裁者が追い詰められていく過程も酷似している。

 チャウシェスク大統領は24年間、カダフィ大佐は41年間、独裁体制を敷き、水も漏らさぬ監視網を張り巡らした。
それが近隣諸国の民主化要求デモに触発され、従順だった民衆が立ち上がった。

 首都ではなく、監視の緩い第2の都市で反政府デモが始まったのも共通している。
ルーマニアは大学都市ティミショアラ、リビア港湾都市ベンガジ。そこから全国に波及した。
ルーマニアでは軍が離反し、雪崩を打つように民衆の側についた。リビアでも同様のことが起きている。

 政権内の亀裂も同様だ。ルーマニアでは民衆に対する大統領の発砲命令を拒否して国防相が自殺。
リビアでも法相、公安相が辞任し、駐インドネシア大使らも辞職した。

 さらに興味深いのは、独裁者の反政府デモに対する認識だ。カダフィ大佐は22日の国営テレビ演説で
「外国の手先」と切って捨てた。一方のチャウシェスク大統領も、軍事裁判で同大統領の弁護を務めた
弁護士が私に「彼は民衆蜂起が外国勢力に支援されたクーデターだと信じて疑わなかった」と語っている。

 おとなしい民衆が反抗することはあり得ず、背後で外国が操っているはずとの外の世界に対する強い疑念と、
民衆のエネルギーに対する過小評価がここにはある。おもねる側近に囲まれた長年の独裁が視野を狭めている。

 ルーマニア革命は終盤の89年12月、大統領側の治安部隊と軍・民衆の間で激しい銃撃戦が展開された。
チャウシェスク大統領とエレナ夫人は首都を脱出したところで逮捕され、軍事裁判で即決の死刑判決が出され、
執行された。今、リビアでもカダフィ大佐につく雇い兵が軍・民衆を銃撃する似た構図になっている。

 ルーマニアリビアは歴史も社会も異なる。しかしそうしたものを超え、権力に固執する独裁者の末路は
似たような軌跡をたどるものなのかもしれない。    (専門編集委員