以下は、もう一つのブログ『バードウォッチ』に、書いた文章のコピー。
≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。
 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、
先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを
持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ
を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、
目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の
光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 
「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、
実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 
ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、
私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? 
というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、
光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ
ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう
不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・
 ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。
〜これ結構、引き込まれた内容でしょう? 数時間前の夢で、ライブ風だから。 
 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫
▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、
横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。
その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 
面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、
際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは?
 そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ
直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け
止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた?
 ところで、本当か? ですかって。 <秘境ツアーやホテルの立上げなどで、
三桁の至高体験をしてきたからじゃないですか。 この経験は沈殿して
残っている。 その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。>
・・・・・・
2014年01月31日(金)
4705,末期がん、その日のための予習を ー3
     ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』
に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように
過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと!
  * 第二章がんになって見えてくるもの
がんとの闘い・自分自身との闘い  
  ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分
がんは人を哲学者にする      
  ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする
ムダを捨てれば頭も心もクリアに  
  ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと
がんだからこそ手に入るものがある 
  ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。
まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける  
  ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう?
がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ 
  ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学
ほんとうの自分を見つける旅    
  ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる
使命感があれば充実した日々    
  ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる
自分が「なすべきこと」は何か   
   ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。
その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ      
   ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。
    暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時     
自分を変えることは感動のドラマ  
   ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる
がんは「人間力」を高めるチャンス 
   ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。
辛いががんは親しい人たちを大きく育てる 
   ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・
がんになっても「与える喜び」はある 
   ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝
最高のプレゼントは笑顔   ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ*1怖ァ・・
死は敗北ではない     ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか?
             これは何故生きる?の問いと同じ
人生の目的は「品性の完成」    
 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。
死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、
  それまでの一生分を生きることになる!
「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人
の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。
▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。
その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い
体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、
これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 
「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?*2
・・・・・・
2013年01月31日(木)
4338, 嘘と真実
   * 嘘は真実の糸を織り込んである
 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。
私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、
その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。
伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色
したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 
 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、
更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、
それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。
何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る
のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。
ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。
・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド
・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない   ーバイロン
・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、
       誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ
・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム
・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。
   だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル
・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。
   そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー 
・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。
   そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル
・ 半分の真実は嘘より恐い           ーフォイヒタースレーベン     
・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。     
                          ーショウペンハウェル
 それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは
ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。
『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは
その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、
何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。
事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ
ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、
真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる
しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」
ということか。深入りしないこと!
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2012年01月31日(火)
3963, 貧乏ばあさん
「女一生の働き方」―貧乏(BB)ばあさんから働くハッピーばあさん(BA)へ  
                           樋口 恵子 (著)
  * 核家族の果ての貧乏ばあさん
 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピー
ではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと楽しくはないようだ。 
が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在している。 
そこそこ蓄えと、知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 
その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。
 ー内容紹介ー
≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知って
 いますか?そう、日本の高齢女性は、実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかり。 
日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、
夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。さらに、
多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど雇用が不安定なため、年金をはじめ
とする社会保障につながりにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。
 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあ)
に甘んじていないで、自らの手で幸せをつかみとる「HP」(ハッピーばあ さん)
になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。
老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 
これこそがこれからの日本女性が目指す道です。本書では、人生100年時代を
迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を
多数紹介。また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も
本書を読めばよくわかります。≫
▼ 世界一の長寿国になった日本。平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳。
その中でリッチの年寄りは僅かであり、男より7歳も長生きする女性は、収入は
僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉
が生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの
6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。しかし、その中にあって人生の
過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られる
という。本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、
その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。
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2011年01月31日(月)
3598、 閑話小題
 * 日本の自殺率は、世界で何番目 ?
 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は
自殺率はどの位かと調べてみた。以前にも書いたことがあるが、一位から四位が
旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。ちなみに韓国が日本の八割
で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、英国が三割で52位。
イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に
抜かれたとしても世界第三位。旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。
北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに
直面してないことが重なっているため。日本の自殺率の多さは北欧病に似ている
ためか? 日本の都道府県では秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 
政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。
 * 中国にエジプト全土デモが飛び火?
 チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、
飛び火が中国全土に全土デモが広がり、(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など
2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは?
という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)
が山のように積み上がっている。それがネットで瞬く間に火を噴く可能性がある。
「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。
それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が
理解できる。この見方も決してオーバーでない。」という脳の奥からの言葉が
不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ
消滅を始めてきた。20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、
人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が存在して
いるかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 
激変は辛いが、しかし ? ? !
・・・・・・・
2010年01月31日(日)
3233, 死は‘別れ’のとき ー2
 * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。
通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。それぞれが
背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の
葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。
ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。
実は、この場面が好き。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。
故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの
声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 
ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。
ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を
焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ
切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、これほどの感動的な悲しい場面は
初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。奥さんと家族の感情が
自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が
止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 
無いだろう!ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 
すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を! 
・・・・・・
2009年01月31日(土)
2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると −2
63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道、がわかる。
その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、その度に色いろな人との出会いが
あった。その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。
前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。
断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。「父が現在の私の年齢の時には
私が22歳。そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等。
十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。
9,18、27、36、45、54、63歳である。この時期に大きな節目に
なっている。これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への
御門が待っているか? それとも今年?  
ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい!
 屋上ー     なるほど上は空
8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時。
6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時。
5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいう第三コーナーを回って直線の時。
4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時。
2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時。
1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく学ぶ時。
 それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージ
すればよい。地下は母親の胎内?、それとも姉・兄? 基礎構造は家庭、そして祖先。 
だから家庭は大事になる。しかし相方との長期の相性は、実際5分だから難しい。
 相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。
・・・・・・・・・
2008年01月31日(木)
2493, 読書の腕前 −1   [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。
なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いた。
 ーー
 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って
流されている。中には錨を下ろしている舟がある。川の流れを時の流れ、
舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、本を読んでいる時間は、動かぬ
舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。川は永遠に流れていく。
水がある限り、流れることをやめようとしない。そんな悠久の流れを、ひととき
止めたりを舟の中で感じる。本を読むということは、そういうものと思っている。
▼ 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /
 ただ自らの内部を /目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味を
もたなかったきみが / ある日/ ゴヤファーストネームが知りたくて /
隣の部屋まで駈けていた。」「生きるとは / ゴヤファーストネームを/
知りたいと思うことだ」
▼ 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに
 置き換えられなかったのか。そんなふうに悔やんだことは一度もない。
一度もない、といま気づいたことに驚いている。ほんとうに、一度もないのだ。
そうして生きてきたのだ。だから、明日からも同じように生きていく。
▼「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」
                              色川武大
「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる
                      喜びかもしれない」遠藤周作
 「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎
本は膨大な人間のモデルを提供してくれ、しかも、相手の忖度を気にせず、
思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる。
▼ 田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、ということ
 になったら、それは何か」と、同年代の友人たちと、あるとき話題になった。
さまざまな意見が飛び出した。いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて
山頭火になる・・。しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんなうなる。
「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」
□ 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。
最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、それでも
ジックリと他者と対話が出来るのは本である。この本も、直ぐに
アマゾンの中古本を発注したが、まだ面白い箇所が多数ある。

*1:〃゚艸゚) 本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが                あった本と、読みたかった本を手に取ること 許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、                「人に会うこと」と答える人が一番多い   「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に                すがりたい患者がいるが、あるわけがない? 死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。                なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll

*2:;◔ᴗ◔;