つれづれに

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 今日のYoutube

http://www.foxmovies-jp.com/exodus/
https://www.youtube.com/watch?x-yt-cl=85114404&v=cqjveNpyUtE&x-yt-ts=1422579428#t=47
 『エクソダス:神と王
 モーゼの出エジプト記を元にしていて思いの他、面白かった。
時間帯からみて、10人も観客位かと思いきや、50人以上はいたような。
平日では、珍しいこと。 何でと考えたら、現在の『イスラム国』の人質問題から
多くの人が興味を持ったのではと思われる。 

 今年は、冬物衣料は、結構、うまくいったようだ。
丁度良い降りかたということか。

 昨夜に続き、ユング的な夢をと試みたが、そうはいかなかった。
しかし、面白い至高体験に近い感覚を味わってみた。 

 ブログのビュアーが、突然、40~50と思っていたのだ、350だった
ことに気づき、驚いたが、家内の友達の娘婿のビュアーが、4万もあると
聞き、驚いた次第。 それだけ面白そうな内容のようだが・・


・・・・・・
2493, 読書の腕前 -1
2008年01月31日(木)
           [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
    「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記

   面白そうなところを何箇所、書き写してみた。
   なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いてしまった。
 ーー
川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って流されている。
中には錨を下ろしている舟がある。
川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。
そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。
川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。
そんな悠久の流れを、ひととき止めたりを舟の中で感じる。
本を読むということは、そういうものだと思っている。

 ―ー
寝床で読む、喫茶店で読む、電車で読む、バスで読む、食事中に読む、
トイレで読む、風呂で読む、眼が覚めている間中ずっと読む。

 ーー
 飯島耕一
「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /
目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / 
 ある日/ ゴヤファーストネームが知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」
「生きるとは / ゴヤファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
 
 ーー
読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、
もっと別の有意義なものに置き換えられなかったのか。
そんなふうに悔やんだことは一度もない。
一度もない、といま気づいたことに驚いている。
ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。
だから、明日からも同じように生きていく。

 ー―
「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」色川武大
「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかもしれない」
                                   遠藤周作
「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」(大江健三郎
 本は膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、
 思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができるのだ。
  
 ーー
田辺聖子が読書論の中で、
「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、
同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。
いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて山頭火になる・・。
しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。
「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」
 
 ^^^^^^
 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。
最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、
それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。
この本も、直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだまだ面白い箇所が多数ある。
                    バイ(´・ω・`)ノ
                        ーつづく
・・・・・・・・
2007年01月31日(水)
2129, 熟年離婚とセックス
              Σ(≧д≦)LOVE   オハヨウ!
    図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、
   「熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。
    55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?
    当初は自己存在の喪失の感覚になりかけて焦燥感になったが、
    今はバイアグラの力を借りて・・何とか?    (●?∀?))ヾ☆*。

こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。
といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという男の暗黙のルールがある。
「実際のところ同年代は?」と思ってところ、
千人調査のアンケートというから丁度良いタイミングであった。
少し際どい?が、男にとって切実の問題である。
 このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。
 ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー
                  (*′з(’Д`●)・:*:・
    ・性生活が全くないが、何と52?。
     年数回が17、5?。 月一が11?。 月2~3回が11?。
     週一以上が8,6? 全くない人が半分いる反面、
     月一以上が3割もいる。なるほど!
    ・相手が 妻が85?、特定の妻以外の人、12?、不特定が3?。
    ・不倫に関しては、83?は無し、過去にいた9?、現在いるが8?。
     やはり男が20?と高く、女は6?。収入の額が高くなるほど、不倫の率が高い。
     年収1千万以上の男性の三人に一人がしているのに対し、
     150万以下では、4?になってしまう。
     それなりの収入ができると 助平根性がでるようだ。
    ・寝室別室が35?。
    ・自愛(マスターべション)は、男が過半数を超えた54?、
     女性はその三分の一以下になる。

 --
この世代は、性や恋愛に対するタブー意識を破ってきた性解放世代。
といって、本当に恵まれていたのは都会の文化エリートか、不良といわれた
(性の方だけにエネルギーを絞って)社会的に頓挫した両極端だけの人たち。

その世代より一年上ということで、私の同年代は団塊世代の露払いとして、
「競争が少ない幸運?」に恵まれてきた。
特に男はその対象が団塊の女性のため、男一人に女がトラック一杯という
需給のバランスで恵まれていたはずだったが・・実際は?、やはり恵まれていた!?

少し年代が下とはいえ、3割が毎月一度以上あるというし、
半分以上がセックレスというのも驚きである。
まあ、三分の一辺りというところ? ハイ!
  『で、どうした』 「少し安心しました!」
  『ほれで?』   「黒田節を思い出しました」
  『何、それ?』  「使わないと錆びますと!」 
                      (。・ω・。)ノ? バイ
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 2006年01月31日(火) 1764, 袖に涙のかかるとき・・

「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。
  リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから深く魂に響いてくる。
  深い心の底から、人間を、健常者では知りえない世界を、見つめている。
  そして、「生きている、それだけで素晴らしい!」ことを知っている。
  実際に絶望の淵に立たなければ、その言葉の奥行きは解らない。
  -- 
あるHPの ー心に残る名句名言集ーより

 リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた
 ”心に残ることば”を「名言・名句集」としてご紹介いたします。
 同じ障害をもった皆様に、これらのことばが少しでも励みになることを
 念じております
□病気になってみえてくる一番大切なことは、
 人間の生命が生きてそこにあることが実に不思議な、
 貴重なことだと気づくことである。     (西江孝之)
       そうです。生きているってこと自体がすごいことなんですね。
       これからは、 生きていることに感謝してまいります。
□言う言葉がないから、よく家内に頑張れ頑張れって言っていたが、
 失語症なった多くの人達の場合は、実は見えないところででも頑張っている。
                           (西江孝之)
       私もつい「頑張れ!頑張れ!」といっていました。
       そんな自分を恥ずかしく感じました。
□君は看よ。双眼の色。語らざれば憂い無きに似たり。(良寛
       ことばはでないけれど、主人の表情はとってもすてきです。
 字数の関係でカット(2008年01月31日カット)
  ---
名言、名句に対するコメントも味わい深い!
そして全ての名言・名句が深く心を揺り動かす!
誰もが病に倒れしみじみと、この言葉を味あう日がくる。
そして、如何に人生の表面しか生きてなかったことを思い知ることになる。
他人事ではない!
 健常の今日という日々を噛みしめて生きなくては!

 http://homepage3.nifty.com/sanidai-nozomi/nozomi-meigen.htm          
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2005年01月31日(月)
1399, NHKと朝日新聞

昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。
予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が口を出すのは当たり前。
と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。
問題は、政治的圧力をかけたことが悪い。しかし、今は時代が変わってしまった。
自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。
政治屋どもは国民の直接の批判がアキレス腱である。
あの??の二人が介入してないわけがない。

日本人は甘い。私もそのうちの一人だが。
不払いが1?あまりしかないのが合点がいかない。
2~3割が不払いになるのが自然である。
知人の銀行員が、「不払いの手続きに多くの客が来ている」
と言っていたが、それでこ僅か1?である。

NHKの歴代の会長の半分以上が不祥事の責任をとって辞めている。
島ゲジとかいわれた前の会長も不祥事で辞めている。
以前、何処かの秘境旅行で、NHKの偉いさんが夫婦で一緒だったが、
鼻持ちのならないエリート意識が漂っていた。これを契機に、
NHK解体論が出てもよい。少なくとも、分割民営化の対象にすべきである。

■《天声人語》01月30日付

 「クレームが来るのではないかと予想はしていたが、こんなに大きな波とは」。
 NHK前会長らの顧問辞任を発表する会見で、橋本元一会長は見通しの甘さを認めた。
 NHKという巨大な船のデッキに立った新船長が、さざ波程度を予想していたとは
 思えないが、うねりぐらいならかわせると踏んでいたのだろうか。

  波は、時に予想を超える振る舞いをする。その一つが「一発大波」だ。
  気象エッセイストの倉嶋厚さんの「お天気衛星」にはこうある。
  普通、人が海岸に立って感じる波の平均の高さは、その時に現れた
 波を高い順に並べて、上位3分の1までの高さを平均した値に近い。
  天気予報の波の高さもこれだ。
  しかし千波に一つは約2倍の大波になって、人や船を襲う。

  波に関する幾つかの本によると、世界で観測された最も高い波は、
  10階建てのビル並みの37メートルだ。1933年2月、
  大荒れの太平洋上で、米海軍のタンカー「ラマポ」が報告している。

  巨船「NHK」は、これまでにないような高い波に囲まれている。
  視聴者の目は厳しく、操船を誤った船長の交代だけでは波は鎮まらない。
  前船長や取り巻きの口出しを許さない、本当の意味での新しい船出が必要だ。

  この船は不沈船とも言われてきた。
 受信料という、他の船には無い永久固定燃料の供給があったからだ。
 今度の波は、燃料供給の方法の見直しも求めているようだ。

  視聴者から見て、民放では得られない価値のある放送・報道がどれだけできるのか。
  かじ取り次第では「一発大波」を何発もかぶりかねない。

・・・・・・・・
2004年01月31日(土)
1032、「リクルートナレッジマネジメント

  ー読書日記ー1      
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。
 それだけインパクトの強い内容であった。
 現場からの視点でつくりあげたイントラネットの一つのカタチとしての
 凄みを感じとることができた。
 「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。
 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 
 
 下の子供が勤めている外資系の会社のホームページに、
 丸ビルにある本社の事務所の写真が何枚か貼り付けてあった。
 優秀事務所デザイン賞と書いてあった。机と椅子とノート型パソコンがあるだけ。
 ペーパーレスだけでなく、個々人のセクションのコーナーがない。 
 
 正月に帰省してきた息子に、「自分のデスクは、どこまで昇進したら
 もらえるのか」と聞いたところ、「取締役」だという。
 全てはコンピューターの中なら、自分の机など必要がないのだろう。
 
 ナレッジマネジメントも、現場の知恵・情報の蓄積と活用を
 中心にしたものと、経営戦略を中心にしたものがあるが、
 この本は現場の情報や知識の活用を中心にした内容である。
 
 以下はインターネットで検索をしてコピーした。
 これだけでも、何回も繰りかえして読む価値は充分ある素晴らしい内容だ。
      
     限りなく金髪に近い茶髪の女、森本百々子が 営業がよろこぶために
     必要なものはナレッジだったと気づくまでのこと。
・・・・・・・ 
 2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記

読書日記帳の基本パターンは
・署名   成功する読書日記 ・著者名  鹿島茂
ーこの本の引用とレジェメー

これに、書き込んでファイルに溜め込む。
大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、
そのうちに自然と書き込むようになる。

 とりあえずこれを続けることに意味がある。
・量がたまってきたら,しめたものである。
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。
 新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、
 むしろ「収集」しているのではないかという感覚になる。
ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。
そうすると体系化への志向が生まれ、、それ自身が意思を持ち始める。
コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。

読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが
「開かれる」という現象が起こってくる。
一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、
その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルが
できると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。
SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。
そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。

量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。
この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」
を行ったことを意味する。「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。
これを軽んじるものは「質」で躓く。「量」をこなしてない批評家は信用できない。
随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。

 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを
書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。

ーコメントー

以上が大体のこの本のレジェメだ。
これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。
アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロード
オセアニアイスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。
そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという見方で選択を始める。

そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、
アフリカだったら、ケニアタンザニアの差異と類似が見えてくる。
その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。

この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や
映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。
こういう本の存在を見つけられなかったからだ。
実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に
気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。
でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、借りた図書館、
日時位とちょっとしたコメントは書けたはずである。

この習慣は必ず身につけることを誓う!!

・・・・・・・
2002年01月31日(木)
317,あだ名

中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。
私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。
ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。
全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。

無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシであった。
誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。
おいら「おい堀井お前だ!」 私「エー!・・・嘘だ!」
おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、
それをとうして見ようとした。うっかり落としてしまったのをお前が拾い
‘落ちてるぞ、誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。
堀井がその時‘おいら’とつけた」

全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!40年の記憶が一瞬で戻る快感であった。
しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。 罪なことだ?
参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる「カボ、ボラ、せ~の、六角・・・」
考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。
あの年ごろは一番気位が高い。

・・・・・・・・・・・
1月31日 金曜日 1969年

8時に起床。起きるのがやっとであった。
最後の授業の人事管理である。武沢先生の授業はこれでおしまいである。

ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。彼はこのところ角が取れてきた。 
面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、一緒にヨーロッパに行ったとき
別行動で彼女の家に泊まってきた。 
その後、どうなったか聞いてないが、この男の行動力は凄い。

午後はゼミ。
私の人生の最後の授業である。途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。
武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。
面白い内容でよく理解することができた。
これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。
それを前面に出して発揮しなくてはならない。
面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。

一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。
栄光の未来と前途に行こう!さて、今日は事務管理しかできなかった。
明日は価格理論と事務管理である。予定として、10時起床、2時まで人事管理。
15時から18時まで人事管理。