* つれづれに〜5001回
 一昨日で、随想日記が5千回になったが、一日一テーマの作成の重圧は、ストレスになるが、
これも慣れ。 一線から離れると、これが丁度良いストレスとエネルギーの消耗になる。 
としても、5千日連続して書き続けたもの。この習慣は、頭を使いざるを得ないことと、自分しか
書けないことを書き残せるところが最大の魅力。 
 テーマを探し、決まったら、一気に書き上げ、書き直し書き換えに全力をかけるしかない。 
これはストレスでストレス発散をしていることになる。 自分が何かを感じなければ、未来の私に、
それをを伝えることができない。 だから、心のアンテナが敏感になるのが良いようだ。 
 未来の自分が再読するため、嘘とか中途半端なことは書けないから、まず正直に書くしかないが、
読み直すと、それでも、偽善、偽悪も、露悪、露善が出ている。そこを第三者が見ているのだろうが、
その緊張感が面白く、反面、恐ろしい。
 毎日、書き続けていると、日常に浸り流されている自分が鮮明に見えてくる。それも、この年齢では
平凡な日々を感謝しなくてはならない。 早朝、この文章を書き直しをしたり、過去数年分の同月同日分
を読み返すことは、一種の内観。そして「何をしてきたのか、考えてきたのか、この男は!」と・・ 
 それにしても、文筆家の言葉はアマチュアや、素人とは全く違う。それで、生計をたてているから
当然だが。それにしてもである。それは、書き続けたからこそ分かったのだろうが。

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4634, 閑話小題 〜また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
2013年11月23日(土)
   * また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
 また一人、創業時からの営業担当の奥さんから年賀欠礼の葉書が届いた。
創業を始めて40年、地元に帰ってきて、38年も経てば、その時節ということか。
東芝エレベーター」の営業担当の馬場さんで、この8月に亡くなっていた。長岡の大手通四角の
物件から始まって、都合、五台のエレベーターを入れていた。その都度、本当かどうか、ギリギリの
値段で入れていたため、会社から厳しい視線で見られていたとか。サッパリした性格で、私とは相性が
合ったようだ。毎年、会社の忘年会に出席してもらった常連の一人。10年前に定年退職して、自宅近くの
公用地・500坪を借りて、野菜つくりをしていた。 定年後も、前の会社の事務所に訪ねてきたり、
新潟駅前の町内の懇親会で酒を酌み交わしていた。
 彼から酒飲みで学んだことは、「自棄酒など、美味くない酒は飲まないこと。さらに落ち込む!」である。
長岡の実家の商業ビル建設を建てかえていた時の修羅場の姿を見ていた数少ない人である。それもこれも、
過ぎてしまえば、夢幻である。 当初からの忙新年会の上席で残っている?人は、数人だけになってきた。
 「ひとは先、我は後」。        享年、74歳。 ご冥福を!
   * 昨夜は、高校同級生の偲ぶ会
 昨夜は、昨年の今頃に自死した高校の同級生の「K君を偲ぶ会」が長岡駅裏の居酒屋で開かれた。
出席者は16名。商売上の事由というから、他人ごとではない。 30年近く、この同級会は毎年開かれているが、
常連組17〜8人のうち、これで5人が亡くなった。幼稚園から大学までの同級生で、自死は始めてである。
自死には、それだけの事由がある。明るく、サッパリした性格の反面、神経が繊細。 高校では山岳部に属し、
趣味は落語を聴くこと。 偲ぶ会の寄せ書きは、如何なことか、と思ったが、色紙に、それぞれが一言、
書き留めて仏前に添えてもらうことにした。
   * 雪下ろしの雷
冬の雷を「雪下ろし」という。11月の雷は初雪の前兆で、轟音がすざましい。その後の雷は、激しく
降る合図になる。今年も、例年と同じ下旬。直ぐに降雪するか、1〜2週間後に50センチ位の積雪になる。
一度、消えるか、降ったり止んだりし、1月半ばか、下旬に2M位の積雪になる。
それが消えるのが四月の初旬の頃。
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4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上
2012年11月23日(金)
   * 人生、虚無より傷心が上?
 W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 
両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、第二の創業を幼児から少年期にわたり目の当たりにしていた。 
そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間。
その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、9・15、3・11)の歴史的震災?で、呆気なく消滅してしまった。 
口ではカラ元気なことをいっても、やはり深く傷ついている。とはいえ「何も人生をかける機会がない、
虚無の人生」や、「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと
思っている。いや、自分にそう言い聞かせている。節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が覆う。 
何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように)傷口が取り囲んで
虚無を浮きだたせる。何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことがあった。半年位だっただろうか。
何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、ただ独り、極小に縮んで滅していくような妙な感覚。 
 現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解るので、ブログを書き、スポーツジムに行き、
読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 ただ愚痴を言い、他人を標榜するしかない老人を
多く見てきたので、その愚だけはしたくない。しかし、知らぬ間に愚痴を独りで呟いている自分がいる。
 先日も、近くの道路で大声で愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物を
しているのを見たというから、痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 
男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。「人生、傷心、時どき虚無」か。いや、「虚無、時どき傷心、
のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。台風もたまに来るが。 
服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・  
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3894, ギリシャの次は・・ ー2
2011年11月23日(水)
  前回、取り上げたPIIGS国債の数値化を、改めて考えてみる。
 ・ ギリシャ    32.29%      
 ・ ポルトガル   11.52%
 ・ アイルランド   8.22%
 ・ イタリア     7.28%         
 ・ スペイン     6.43%     
ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、「ギリシャが現在の
国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。
あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。
これらの国のトップは殆ど、ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく
破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、日本国債が今後どうなるかである。
現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 
 現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、
既に国家予算の半分が、国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り浴びせられたら、
国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。首相を一年ごとに変わるので長期的政策を持てずに、
無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 その破滅的システムが、この数年、続いている。 
アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早くIMF
管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケはハイパーインフレ? 
それでも消費税が5%で、欧米の平均値の20%まで15%のノリシロがある。 また、国民の預金が
1千兆円以上ある。それも、アメリカ国債を買わされている・・ ギリシャか、イタリアが破綻すると、
リーマンショックの比較にならないほどの大混乱になるというが、その具体的な状況は誰も想像つかない。 
一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。
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3529, ハーバード白熱教室 ー1
2010年11月23日(火)
 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールのサンデル教授の
授業をを見た。ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の学生が出席しており、1636年に
創立された同大の歴史上、最大の履修学生数を誇り、あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、
初めてメディアに講義を公開した。その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 
日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との質疑応答を中心としたもの。 
元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで放送した
放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。
東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、
サンデル教授が提示した究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 
 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。
* 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福)
* 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張)
* 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 
 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、最も衰弱した1人を
残りの3人が殺し、その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、「道徳的に許されるか」との問いを
投げかける。まず初めの学生は、「3人が生き延びるためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」
という立場、しかし他の学生からは「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が
出てくる。色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、カント、アリストテレスの立場の哲学を導き出し、
会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を踏まえた上で、
「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀の政治哲学者ベンサム
功利主義が、常に正しいとは限らないことを示唆したり、カントの立場も示唆したりする。
 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。そう、私が度々、ここで書いてきた、学生時代の人事管理の
武澤ゼミでの放課後の週二回のゼミである。 人事上のトラブルを、ある一管理職が書きつらねた難問の
文章を渡され、次回に、それについて15〜6人が議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、
最善の解決策を考え出していく。次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔を
して目たないように座っている。したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 
もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。2時間の議論を終えて部屋から出たときには、
太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは絶対的知識不足である。 
一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、さらに粉々になっていた。
時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。
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3154,低反発マットと腰痛
2009年11月23日(月)
 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラにバスタオルを
巻いて使っているが、その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。使い始めて2ヶ月ほど経過するが、
マクラと共に非常に良い。腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。
それと横向きが少なくなった。人は平均、左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?
ほどになった。だいたい寝返りの時に目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。
それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、マクラと首も同じである。実感として、寝心地が
二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと分からない。特に腰痛の人にはお勧め。 
この特徴は身体との接点の部分だけが沈み込むことにある。シートの方が身体に合わせてくれるのである。 
誰もが寝入りの数時間は熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の重圧で寝返りが多くなる。  
 ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。私のはニトリで2千円だが、そこは
4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。(私は、枕の下にゲルマニウム石を
置いている) 低反発マットもニトリで6980円の値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。
ベッドには、低反発枕と、その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウム
アイマスク、耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は充分出ている。
 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。就寝は人生の三分の一を占める割に、
人は無頓着である。この低反発マットを使って気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? 
もちろん、ハンモックも良いが。
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2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。この4つを、どうバランス
よく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。
人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、
大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 
鼻や口は、季節季節の新鮮なものを食べればよい。誰でも、身の回りに楽しめることは幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と
下の句をつけたというが、成るほど上手い歌である。 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視
する冷静さを持つことになる。何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、
自分の心に語りかける冷静さこそゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手な
ゲーマーの自分が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。
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2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜           
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で 
 (字数制限のためカット 2014年11月23日)