つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube

https://www.youtube.com/watch?v=3Pw21POSmek#t=28
http://power-game.jp/
 昨日の、今週のシネマは「パワーゲーム」だった。 評価ー85点
マイクロソフトと、マックを思わせる二代メーカーの陰謀と争いが面白い。
  ーまず、その内容とはー
≪ ハリソン・フォードなどが出演する、巨大企業のカリスマCEOと企業スパイとなった
若手社員の頭脳戦を描くサスペンス。
 急成長を遂げるIT企業ワイアット社CEOのワイアットは、宿敵のゴダード率いるア
イコン社が開発中の新製品の情報を手に入れるため、野心家の若手社員アダムの
弱みを握り、高い報酬でアイコン社へ潜り込みスパイ活動を行えという信じがたい指令を出す。
やむなくその要求を受け入れアイコン社に潜入しエリート街道にのるアダムは、有力情報を
手に入れようとするが……。それは恐るべき本性を露わにしたワイアットと巨大な権力者
ゴダードとの戦いに挑むことになるのだった。 ≫
 
 一度、首になった社員が、元の会社に呼び戻される。そのときに、豪華なマンションが
用意されるが、この室内が、超高級マンションである。
 2層で、一階部分が筒抜けの居間と、オープンキッチン。2F部分が、筒抜けの周りに、
おそらく、書斎と、寝室と、シャワールームと、収納室があるのだろう。
これが、セレブの最高級の室内とみることができる。 それで月に200~300万?
いや、ニューヨークの一等地なら、 500万? 映画は、見方で、面白くなる!


・・・・・・
閑話小題 ー今日で5000回! 
2014年、11月22日
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、その時の自分と出会える。
5千回は、以前より大きな目安としていたので、やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、この30年の大きな行蔵だが、
これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、
これがあっただけ。面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップできなかったことが一回あったが、
我ながら五千回もよく続いたもの! 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、
書く以外は、殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書きで残す以外、
感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかったことに気づいていた。そこでHPの
存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業した
ばかりのパソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」として続いている。
 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた、「はてな」のブログに、殆どが移動してしまった。
そのことに気づいたのが一月前。 13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の
閲覧になっている。もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。なるほど、言葉は言霊!
「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7~8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。
気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。
趣味をとうりすぎてライフワークになっている。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7~8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、上には上があるもの。
10年前に書いた文章をコピーしてみる。->
【 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。(江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)
�早朝(4時半~5時半)起床 �近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り �食事
�風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。季節ごとの草花や鳥を
みながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。
健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく
重くなるのがはっきり判る。また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦してみた事だ。
彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれが
ポイントではないか。平成3年 5 月  】
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。 旅行中も「書きだめ」をしたのを知人に
頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。 
次は五千が目標になるが、四千回を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は
休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。
充実感があり、習慣化したから可能だった。「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋の
ハッツァンが、クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識として
残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 
気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 
それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む
楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、
その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに
関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、
気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、
当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除することになるので、
内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、
それが見えなくなってしまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。また分類ボックスの一番下に、
過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、キーワードの入った文章が
出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か~
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか
注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、
紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。
ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない
‘X’が魂ということになる。
――
2000, 継父
2006年09月24日(日)
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。

痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには
自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?
この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。   ーつづく
 さて墓参りだ!
 ーー
 書いた後に気がついたことだが、
 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと
 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や~めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!


――
2000, 継父
2006年09月24日(日)
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。

痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには
自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?
この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。   ーつづく
 さて墓参りだ!
 ーー
 書いた後に気がついたことだが、
 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと
 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や~めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!