対談ー小菅正夫  『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
   * 生きて、子どもを育てりゃもう十分
 年齢を重ねたこともあるが、「毎日、淡々と何事もなく、自分がベストと思ったスケジュールを、
こなしていれば十分」と、思うようになった。リタイアで主夫化したようだが・・ 少子化は、右下がりの時代、
将来の展望が開けず、収入が先細りの中では、子どもは最小にするしかない事情がある。 ーその辺りからー
≪ ・茂木: アメリカでフクロウの研究をしている小西正一先生の研究室に留学していた方に聞いたんですが、
 ある種のフクロウは繁殖させるのが難しい。なかなか子どもを作ってくれない。でも、小西先生の研究室で飼って
 いるフクロウだけは繁殖するというんです。なぜかとみんな聞くけど絶対教えてくれない。でも、ある時に失敗を
 して偶然わかったらしいんですが、エサの冷凍ネズミを、毎回食べ切れる程度与えていたんでは子どもは作らない。
 あり余るくらい、お腹いっぱい食べても余るくらいエサをあげると子どもを作るというんですね。エサが豊富に
 あるということがシグナルとなって、繁殖行動を始めるらしい。
・小菅: たぶん動物は、自分の子どもが、ちゃんとひとり立ちできる「見極め」があって初めて子育てを
 スタートするんだと思う。エサだって、自分が食べるだけじゃなくて、もう数羽いても生きていける環境がある
 とわかったから、じゃあ雛もそこで生きていけると判断する部分がどこかにある。命をつないでも大丈夫という
 安心感がそういう行動を起こさせることかもしれない。
・茂木: 最近の日本の少子化は、安心できていないということですかね。
・小菅: そういうことだと思う。誰に聞いても、「育てていけるか不安だ」とかね。でもそうじゃない、
 育てていくんだって。みんな自分を中心に考えているからね。子どもを育てたらあれができない、これが
 できないって。生き物というのは子どもを産んで育てるために生きている。 自分が生きていくことを
 第一に考えているわけではない。だから、娘が結婚したときに、「今すぐ子ども作れ」と言ったら、
 「お父さんにそんな.」と言われる覚えはない」と言われましたよ(笑)。 それがやっぱり僕は、 
 親から子へ渡す言葉としてはね、あの言葉は正しかったと思うんですが、どうでしょうかね。
・茂木 なんかね、僕は人間って自分が動物だということを忘れて不幸になっていると思う。小菅さんも
 ずっと動物たちを見てきたわけですが、逆に動物から見て、今の人間社会に対する提言が、ありますか。
・小菅 もうちょっと楽に生きるべきだと思いますね。あれもこれもしようと思うから疲れると思う。
 まずは生きること。基本は。しっかり生きて、子ども育てて、それが軸なんで、それ以外はプラスα。
 それができないから人間としてどうなのかとか、そういうふうに考える必要はなんかないんじゃないか。
・茂木: 勉強ができないとか、たいしたことじゃない。生きていればよい。・・・
 生きていることが一番価値があるということ、それが当たり前。
・小菅: 動物からみたら、何でそんなくだらないことで悩んでいるのと思うと思います。
 「もっと平気で生きなさい」といっていると思います。  ≫
▼ 人間は、あくまで動物でしかない。それを忘れてしまっている。特に、文明国では。もっと楽に、
 平気で生きるべき、と言うが、それに真に気づくのは、概して老いてから。しかし知識を持ってしまった
現在、それでは生活に支障をきたす。だから、リタイアを区切りにして、気楽に生きろ!ということ。
そのため、長年の準備が必要になる。人は、動物であると同時に知的動物でもある。で、以下の文に続く!
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4582, そして、人生はつづく ー2  
2013年10月02日(水)
                『そして、人生はつづく』 川本三郎
    ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文) 
《「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に、この間の
エッセイを編んでいる。書名はイラン映画アッバス・キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。
1990年、イラン北部を襲った大地震の後、監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメンタリー風作品。 
どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、昨日と同じように今日も生きてゆかなければならないという
切実な思いがこの言葉にはこめられている。家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。
悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。なんとかいままでどおりに暮してゆくと。
3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹さんは、「やむにやまれ思い」で、俳句ではなく歌を詠み、
『震災歌集』(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。
 「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」
 悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである私にとっては、一人で暮らす
ことに平安を見出していくことになろうか。頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。
静かな生活を心がけること。そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。もとより60代も半ばを
過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。いまのところ健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。
3・11後、「生存罪責感」という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に申し訳ない
という気持が強くなることをさしている。生き残ったからにはなんとか生きてゆかなければならない。
そう思う一方で、死んでしまった者に負い目を感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。
 もともと旅が好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空けるわけにはゆかないので
せいぜい一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。 列車の窓から流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。
人間の営みが感じられる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。食堂やそば屋があれば
有難い。夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる元気を与える。旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。
好きな町に出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。函館、盛岡、小田原、湯河原、
松江、長崎など、町を歩きながら、このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》
▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探しになってきている」というのも良い。
 私も、この大きな住宅に何時までも住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。
それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が
次々と出てくる時節に、「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは致し方ない。
その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、
ただ惰性と安逸の中で、過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、行き先の旅行先の
放送している。ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため
世の中を見ると、知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。 
 そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。
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4207, 親子年表
2012年10月02日(火)
   * 自分目線の100年世界               
 還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねてみている。 更に最近では、
「二人の息子の年齢に自分は何をしていたか」も重ねみるようになった。先日、こういう見方を「親子年表」として
存在していることを知った。考えることは皆、同じである。父が66歳時に、私は22歳。父が亡くなった71歳時に
27歳。1973年であった。父の享年まで私は、あと5年になる。そろそろ最期の身辺整理の時期に入っている。
父は最期の仕事に自分の財産を生前贈与をして亡くなっていった。それが私の人生を大きく支えてくれた。
両親の愛情を物心とも直接、間接的に受けたことが最大の財産である。その意味で家内も私と同じように恵まれた
両親だった。その相性が良かった悪かったで人生が大きく変わる。これこそ最大のツキの善し悪しになる。
それに甘んじて一生、親の世界から抜けられなく過ごし、死の間際に慌てて生き急いでいる人を秘境ツアーで
何人も出会ってきた。 「ハッとしたら、既に老境。親のいうとおり生きてきたが、自分の人生が何も無かった。
死に病になり、何時死ぬか分からないが、このままでは死ねない。その何かが世界の果てにくれば少しで分かると
思い立ち、参加した!帰国すれば大きな問題が山積み」という一身上の話を偶然、山道で隣り合わせになった
60過ぎの一人参加の女性から打ち明けられた。死に直面した時に大きく動揺するのは、「やりたいことを、
してなかったため」という。結果がどうあれ、現在、心が安定しているのは、60歳までに、前倒しにして
遣り尽くした感があるためだが、これは大きい。これがないと、周囲のマイナス探しで自分を肯定するしか
ない晩年になる。ほぼ九割の人のそれは周囲の誰かを具体的に特定すれば見て取れる。団塊世代と、その子供の
世代の特徴を親子年表にし、時代背景から見ると、その特徴が浮かび上がってくる。その世代間格差が、あまりに
大きい。逆に団塊世代の親の世代をみると、太平洋戦争に大きく翻弄された最も困難な時代である。それからし
終戦直後の団塊世代前後の人が奇跡的に恵まれた時代に生きたことになる。自分の親と子供を重ねると、
100年、150年の視界が鳥瞰できる。
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3842,iPadと、アプリ、あれこれ ー3
2011年10月02日(日)
 どうも不思議なことがある。マスコミが、タブレットPCを殆ど報道しないことである。恐らくマスコミが
タブレットPCに脅威を感じているため、ニュースの素材として避けているのでは?と思うのは私だけでないはず。
先日も中学校の同期会に持って行こうか迷った位である。 同年代の彼らなら、このアプリを見たら腰を抜かさん
ばかり驚くはずだが、嫌味とも受けとめられる可能性もあるので止めたが・・ それだけ、これは私にとっては
大きなインパクトになっている。モバイル携帯が出回っているので、それほどでもないかも知れない?
しかし、モバイル携帯と、タブレットとは違う。
・アマゾンが読書専用のタブレットとは別に、多機能タブレットPCの分野に進出すると報道された。
 現在、他のメーカーでiPadに対抗できるところはないが、対抗できるとしたら
 アマゾンしかないと言われた。対抗馬としての本命のお出ましである。
・シャープも社運をかけてタブレットPCに打ち込んでいるが、売れているふうではない。
・先日、大型家電のタブレットコーナーに行ったところ、各メーカーの、それぞれ特性のあるタブレット
 並んでいた。その一つにソニーが、近くに売り出し予定のメガネケースにソックリな二つ折りで、
 見開きのものがあった。モバイル携帯二個分が折りたたみになったようなもの。
 これなら落としても壊れにくいし、持ち物として小物の範疇になる。
富士通は、小型ノートパソコンの画面が取り外せるタブレット式。これも便利で抵抗なくタブレット
 移行できる。 ー話しをiPadに戻す。これを使いこなすポイントはアプリとの出会いになる。 
 それとブログとツイッターも、いま一度、探してみる必要がある。パソコンとの接点が飛躍的に増えるからだ。 
 忙しい人ほど、タブレットは有効になる。特にビジネスには間違いなく効果的になる。暇な私など、机上PCと
 並べ交互に使っている。 そして疲れて寝室で仮眠するときも枕元に置いているほど。 IPAdバカか!
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3477, ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する
2010年10月02日(土)
ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」 鬼塚 英昭 著
ー内容紹介ー
読者よ、知るべし。この八百長恐慌は、第一にアメリカの解体を目標として遂行されたものであることを。
そして金融マフィアの世界支配の第一歩がほぼ達成されたことを。私たちは微力である。しかし、このまま、
この八百長恐慌をただ黙殺していてもよいものなのか。ヨーロッパもアメリカ同様に解体される。
恐慌の津波は太平洋を越えて日本に襲いかかろうとしているのだ。
▼ この本によると「ロスチャイルド」が世界を牛耳っており、ロックフェラーさえ配下にしているという。
 東南アジアを、日本を、そしてアメリカを破壊し、今度は「中国」に目を向け、新しい世界マネーの覇権を
共有しようと図っており、その鎧が出るのが2012年という。 そのため中国は金(ゴールド)を買い増し、
世界中の資源を買い漁っている。ロスチャイルドを軸に、2012年に中国と仕掛ける新世界秩序を明確にしている。
(中国に仕掛けた上で、結果として主導権を握る) この世界恐慌も、仕組まれた八百長恐慌であり、
アメリカ解体を目指し遂行されたものと知るべしという。 (字数制限のためカット 2011年10月2日)
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3102, かなしみの詩
2009年10月02日(金)
  かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー  上條さなえ著
 たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。
今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。図書館の天使が導いたのだ。「10歳の放浪記」では、
その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の「非情な虐めがあった」と書かれていた。
 学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。 11歳といえば
自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。不幸な子供たちほど仲間への虐めも辛らつになる。
その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。そこで、自然と本を手に取るようになる。そして、そこで先生に
手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落ついのち
なき砂のかなしさよ という言葉が、さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。
  かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し
この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。
 そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。
山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」
「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った
 かなしみといはばいふべき 物の味  我の嘗めしはあまりに早し
山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。食べ物にはね、
うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると思っているんだ」
「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。とっても大切な味なんだ。
早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」私は俯いたまま涙をこぼした。
わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。
  〜以下は、この本の紹介文〜
 昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。
愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、そして、
文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。
養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公は、意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。
それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから
読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに児童文学作家として立つ原点となる。
《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたしは
山下先生との出会いにより、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたしの励みに
なったことでしょう。友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。また、わたしは
ホームレスの日々を経て、強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》
後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに!
ーーーーー
2283, 10歳の放浪記
         才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
 ーその大筋を書いてみるー
(字数制限のためカット 2010年10月2日)
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2737, 1929年の世界恐慌とは?
2008年10月02日(木)
 昨日の毎日新聞の「なるほどドリ」質問、というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機
対比し説明している。これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、三年で
失業者が4人に1人の割合になり、これが世界第二次大戦につながっていった。
この「世界恐慌」に酷似している、というから。ともにバブル崩壊が引き金!という。29年の世界恐慌
詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が大きく性質が悪い」とコメント。
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なるほどドリ  株価が大変なことになっているね。
記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、史上最大の下げ幅でした。 
グリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長は「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に
状況が似てきたとの懸念も出ています。
Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。
A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした
 世界の金融危機と、その後の長期的な不況を指しています。
Q 今と似てるの?
A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後の特需や工業化
 による空前の好景気でダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。今回もダウ平均は過去3年で2割以上、
 住宅価格は5年で倍に上昇しています。「株と住宅は上がり続ける」と過剰な投資を膨らませた金融機関が、
 急落によって巨額の損失を抱えたのです。
Q 恐慌でどうなったの?
A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展し銀行が相次いで破綻、米国内の銀行の数は約半分に減りました。
 融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の全労働者の4分のーが失業しました。
 影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安はドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。
Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの?
A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、29日に35兆円の追加
 資金供給をしました。金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の枠組みも不十分だった29年当時とは違い
 危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。「暗黒の月曜日(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は
 大量の資金供給で危機を抑え込みました。
Q 安心していいのかな。
A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。
 「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。
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 現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。朝起きると、
欧米発のニュースで「マサカ」の事件が待っている。出来ることなら、楽観的なレベルで終わって
欲しいが、そうはいかないだろう。まずは、弱いところから大きな影響が出る。
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2007年10月02日(火)
2373, 人は60歳で何をしたか −2
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著   ー読書日記
(字数制限のためカット2012年10月02日) ヤフーのブログ「バードウォッチに転載!
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2006年10月02日(月)
2008, 「私」のための現代思想  
 ー 先に概要を説明しておくと、
 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。ポストモダニズムが日本にも
浸透してきた。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」という価値観が根こそぎ
信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。 現在は、自分で「小さな物語」を創作して
いく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、それが無くなった中で創作して
いくのは並大抵のことではない。各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが
自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。
 ーーー      
第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2
  (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日)
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2005年10月02日(日)
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
(字数制限のためカット2009年10月02日)
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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2
(以下、字数の関係上カット08年10月2日)
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2003年10月02日(木)
911, 恥ずかしい話
・・・・・・・
537, 緩慢なる自殺

  • 2002年10月02日(水)

 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、
今でもその忠告を守っている。  ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
  (以下、字数の関係上カット13年10月2日)
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[168] 忘れられないあのお店−1
 2001/10/02
 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。
初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店。
 (以下、字数の関係上カット13年10月2日)