* 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。だから紙袋でも平気。
 必要なくなれば折りたたむことも、処分することもできる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちにとって、それも無意味。
 なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、
 定宿は決まっている。一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。 
 安い時計にスーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。「ゴールド」ですら必要ない。
 「年会費がバカ高くてもったいない、普通のカードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、
 不必要な場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、彼らは「お金持ち」であることを人に知らせる必要がない。
 ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付をしている。使い切れないくらいのお金を持てる人は、
 それに振りまわされない独自の価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を持つ人たち。上の中といえば、
 純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。
知識同様、その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる! 金持ちのラインは10億の現金か、純資産である。
 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 
身なりからして違う人種。しかしお金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。漂う空気からして、それまで
の友人とは違っていた。 周囲の思惑など気にしないで、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。
その紙袋が実にセンスが良いが。こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 
 当時、その段差を、さほど意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。時おり海外ツアーで、
それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ていることを隠さない。アンダーとして割切っている。
元もと隠す必要がない。ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が出てくるが、その世界を
知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って、
振り回されない人が殆ど。この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
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4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
   * TVが比較地獄をつくった     「ひとり達人のススメ」山折哲雄
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが出来ず、
マスコミに流されていること自体、気づかない人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの
比較戦略の術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激をする。ファッションの
プロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスをチェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、
英会話など番組が続く。そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような群衆の
ひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もそのひとつ。家庭の娯楽の主役がラジからテレビへと移り変わり、
 映像が強大な影響力を持つようになりました。テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は
視覚を重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、朝起さてから夜寝るまで、
目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、
常に誰かと一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。この人は(自分よりも)
いい服を着ている、あの人は(自分よりも)容姿が整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの
違いが歴然とします。そのこと耐えられない人が多いはず。人間は平等だ、平等だと教えられてきたにもかかわらず、
現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較地獄に陥る。
たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が劣っていても、現実はどうすることもでません。
すると恨みがつのって、「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口などの井戸端会議で、自分より
優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」
から身を守るためにも、ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を最小にすること。商業界とか、
 ライオンズとか銀行が主催する「何何会」とかは、まさに比較地獄の世界。町内、お寺の檀家衆、商店会とかには
「ひとり」になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。そう、NHK連続TV小説の
コメディの東北の、あの街の人たち。実態は、あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。
都会人が、思い抱いた地方の理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか
なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害をTVが数十年かけて作り上げてしまった。
それから逃れるためには、ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、シネマも、ネット、面白くなっている。
これでは、比較材料の垂れ流しで「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 
「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。 アウトサイダーは、「和せず同ぜず」になるが、
インサイダーとして、何処かの高校の校是に「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
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4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
   * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが再び盆からぶり返してきた。ひと月前に
ミニサイズの扇風機二台を買ってきて、居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。
それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを冷凍庫で冷やし交互に使っている。
これは冷たさが一時間しかもたないが、冷却時間が三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、
今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の就寝時間だけ入れて、居間では夕方の
一時間ぐらい入れている。夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリをしながら
歩いていると、後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、
下半身麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。電動アシスト自転車
如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、背後に電動モーターがついていて時速6キロという。
何度か薄暗い中、かなりのスピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、屋根つきの休憩所で、30歳前後の
男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか聞く訳もいかないで、遣りすごしたが。
その前に何か(熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、続けていると色いろある。
そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   
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3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。隅から逆視線で世界内を見直すと、
これまで見えてこなかった世界内存在の皺と虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は
裏表とか、善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、「現象に現れていることと、
本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に
対応できなくなってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の事態の備え、家族を
事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にしておくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか
(退職金や、倒産時の失業保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が認知できる世界ということになる。
縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなもので
あるかは想像すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。それは、象の皮膚の
襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないようなものではないか。人間は五官世界に閉じ込められて
いて、これから逃れる方法はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから
脱出しようという努力をしたり、脱出することを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・
フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に
超越しているわけである。普通の人間は解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、人間をいくら解剖し、いかに
すぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめられるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、それを人間の知識が感知した範囲で
 しかないから、人間は世界内存在というのか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、
最下位にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。この情報化、世界中の寄生虫が、
他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になってきた。
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3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。直接、死とは関係ないが
死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するか。
 本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に
集約して紹介。この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。死に直面した時でも充実した
生き方をして生ききったら、『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なってから使うか ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと       ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと    ●小事に心を揺るがせないことが大事
?9 他人に優しくなれなかったこと        ●優しさを行う難しさ  心の優しい人は後悔が少ない
?11 遺産をどうするかを決めなかったこと    ●遺産と介護の問題    ●遺産分与の話し合いは元気なうちに
?12 自分の葬儀を考えなかったこと      ●自分の望む葬式とはどういうものか ●自らの葬儀を準備した女性
◎14 美味しいものを食べておかなかったこと   ●好きなものを楽しく食べる
◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ●「仕事命」の人生を後悔しないために ●病気をきっかけに散歩の喜びを知った
◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと   ●旅行は出来るうちにしておくほうが良い ●最期の旅で人生を完結させた人たち
◎17 会いたい人に会っておかなかったこと  ●人は終わりまで他者を求めるもの   ●人との出会いは一期一会の精神で
?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと  ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする  ●スローラブのすすめ
○19 結婚をしなかったこと    ●結婚という「形」がもたらす安心感     ●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
○20 子供を育てなかったこと  ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い  ●自由と孤独はいつも隣り合わせ
?21 子供を結婚させなかったこと  ●子供が結婚していないという心残り  ●まず子供を独り立ちさせるところから
◎22 自分の生きた証を残さなかった ●人生の総括は早めにしておくほうがいい●生きた証として何を残すか●手紙に思いの託して
◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える ●「マイ哲学」を確立する
○24 神仏の教えをしらなかったこと ●世界で一番死を恐れる現代日本人●「来世」の持つ癒しの力●健康なうち宗教について考える
○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ●家族愛が問われる時代
 〜〜
 ×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、死ぬときの心の問題としての自己評価。
    ×と▲が少ないのに驚いているが、普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ!
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3060,逆説思考 ー4
2009年08月21日(金)
  逆説思考で思い出したことがある。
 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。
 その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。
  現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると
 《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。
 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における
 普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、
 例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、
 所属機関、地域)によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。
 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は年功序列、が重要な縦社会である。
 日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という
 非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。
 一見すると縦社会であるということとの因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が
 原因であると、分かりやすく説明されている。また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が
 乏しく、往々にして、それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。》
▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じている。
日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の
障害になっている。  (字数の関係でカット11年8月21日)
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2695, 「レンタルの思想」−3
2008年08月21日(木)
「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー
《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、更に一万年前に出来た人間圏である。
それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。
そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加
から始っている。人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。
それが、その1000倍を超えた現在、地球のシステムは、人間圏を支えることが出来ない相転移点の水が氷、
水蒸気に変化すること)に、達っしてしまった。現在の天変地異や、エイズ鳥インフルエンザなどの世界の混乱は、
その一現象。我々は、人間圏からみた哲学的人間観、生物的人間観だけでなく、宇宙から俯瞰した地球システムの中の
人間圏の中の人間観を改めて作らなければならない。 ここで、一万年前から始った牧蓄・農業のもととなる所有と
いう欲望を、見直さなければならない。 それは、地球上の自然だけでなく、土地、そして我々人間すら、地球からの
借り物=レンタルという視点である。地球システムは、このまま人間圏が膨張し、地球を汚染、破壊し続けると、
人間圏に対してマイナスのエネルギーを発することになる。いや、既に発している。
それがミャンマーのサイクロンであり、エイズであり、鳥インフルエンザであり、世界各地で起きている大地震である。
それを解決するヒントの一つが江戸時代にある。江戸時代の支配階級の武士社会は、武士階級の土地の所有を
認めなかった。更に江戸時代の消費をするものの大部分が有機物の植物であった。それは、自然循環するもので、
廃棄物そのものが、殆ど出ないもので賄われていた。》 
〜〜
 以上が、私が著者のー地球をすくう「レンタルの思想」ーから理解した概要である。著者は対談の中で、
インターネット社会は、地球外から俯瞰して考えてみると、危ないという。情報が均質化され、個々人が過剰に
主体的になりすぎるからである。それが進むと、ビッグバンの状態に近い、混沌状態が生まれて、何が起きるか
解らない事態になる。これは、実感として解る。 現在の社会問題の多くは、これを起因しているといってよい。
この本を読み返し、そしてインターネット上で、彼のインタビューや、彼の著書の評論を読みながら、考えているが、
深い大きな示唆が提示されている。人生観や信条が根こそぎ揺らぎだしてさえいる。考え出して僅か一週間で、
根っこが揺らぐのだから、私も知れたものだが、それだけのインパクトがある。この百年の人口増加の比率が、
今後3000年続くと、地球の体積と人間の体積が同じになるという。それだけ20世紀は、人口が爆発的に
増えてしまった。その一部の文明国?先進国が化石燃料を使い込んだため、その汚染で地球システムは崩壊を
始めたのである。僅か100年で、地球が数十億年かけて創りあげてきたシステムを根こそぎ破壊したのである。
この狂った猿は、「一人の人間の生命の重さは、地球より重い」と、のたまっていたのである。隣の国では、
狂った独裁者が今だ存在をして、将軍様と名乗り国を乗っ取っている。しかし内向きという点では下手な
資本主義より、地球のシステムにとって良いのかもしれない。
オウム教を肯定するのではないが、視点は宇宙からである。 オームとは、宇宙からの音波の音である。 
地球システムに人間は従うべき?という思想があるかどうかわからないが、一度修行で、宇宙に出て、
再び現生を見直すことに関しては否定は出来ない。インターネットという、人類にとって一万年、いや十万年
スパンの、とてつもない手段を手に入れた人間は、時を同じく地球システムの破壊という大失態をしてしまった。
以上だが、なるほどと、改めて納得する。図書館で借りた本だが、他の著書と同時にアマゾンで発注をした。
  ー次は、印象に残ったの対談の内容を書いてみる。
・・・・・・・・・・・
2007年08月21日(火)
2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2
                     (*'▽'*)/☆゜'Good☆Morning   −読書日記         
「ハエとハエとり壺」は、哲学の意味の説明に解りやすい喩えである。    
  (字数の関係でカット08年8月21日)